第二章 天下無双の王槐樹

第8話 天下無双 -Fortissimo-


にんべつちょうに記された”つわもの”の一人、へい

元はきたぐにの狩人りだったが、山のしんたる熊の尊厳を損なう卑劣な狩りをしたとして土地を追われ、『うら』のごとにんとなった。


と、言うのも。


へいは正面きっての真っ向勝負が嫌いだった。

彼の背は小さく、体つきも細く貧弱だ。

正面からぶつかっては、熊どころか人間にだって勝てないから、道具や策、罠などの『仕掛け』を駆使した。


例えば、子熊を捕らえて生きたまま串刺しにし、助けに来た母熊を撃ち殺したり、仲間の狩人を囮にまとめて落とし穴に落としたり、容赦も情もない。


仕掛けにはまって死んでいくものが強く大きいほど、九平治の狩猟心は満たされる。

そして、それは人間が相手でも同じことだった。



「『てんそうおうかいじゅ』は極上の獲物ですよ。暗殺の報酬も弾みます」

「ああ。うわさは聞いている」


暗い山道をきながら、へいはうなずいた。

その小さな身体を包むあんりょくしょくの装束は山の暗闇によく溶け込んでおり、あらわになっている首から上だけが宙に浮いているようにすら見える。

山狩人やまかりうど秘伝の、山隠れのかりしょうぞくだ。


「それよりも、おうかいじゅは本当にこんな山の中に棲んでいるのか」

「ええ。普段は武者修行で各地を訪ね回っている彼の、ほぼ唯一と言っていい拠点です」


依頼人はにこやかに答えた。

朗らかな顔でニコニコしている分には、ちょっといいところのたなの主人にしか見えない、中年のパッとしない男だ。

しかし、その実情は、どうやら幕府の『うら』に関わる実力者のようだ。


通り名は『マサ』。

それ以上のことは、疑り深いへいの下調べをもってしてもよく分からなかった。


「もう少し行った先に、彼が山籠もりに使うあばらがあります。今頃は中で寝ているかと」

「早寝早起きか。規則正しい生活が強さの秘訣というわけだ」


へいは、にやりと笑った。


「だが、そのせいでお前は、闇の中で訳も分からず死ぬことになる」


へいやまがくれのきんをかぶり、全身を暗闇へと溶け込ませた。

覗き穴から見える両目だけが、小さなこうちゅうのように自然光を反射している。


「ここからは一人で行く。手出しはするな」

「ええ、もちろん」


マサが答えた時にはすでに、へいはそこにいない。

一度見失えば、闇の中で探し出すのは不可能。

しゅりょうしゃは、音もなく行動を開始した。



夏の山は視界こそ暗黒だが、その代わりに気配で満ちている。


鬱蒼とした湿気を通して、潜む小動物の息遣いが、虫の羽音が、山そのものの呼吸が、九平治へと伝わってくる。

それらを読めば、目をつぶった状態で初見の山すら歩くことができる。


山を神聖視して崇めていた故郷の狩人たちよりも、九平治がその能力に長けていたのは皮肉なことだった。


「近いな」


獣道を分け進みながら、九平治は気を引き締める。

暗闇の中、はこじょうの構造物に気配がこもっているのを感じ取り、それが標的のむあばらであると確信した。



「ぐごおおおおおぉぉぉぉぉぉ……がごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

「こぉぉぉぉぉぉぉぉ、ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、ひゅごっ! すぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……」


「……うるせぇ」


まるで、イノシシの大群がいっせいに鼻を鳴らしているかのような、やかましいいびきだった。

あばら家の中では筋骨隆々、男盛りの身体を道着に包んだ大男が、手足を床に放り出して寝ている。


てんそうおうかいじゅ』。


天下無双とは、天の下に同じ強さを持つ者が双つと存在しないこと。

つまり、最強を意味している。


「ったく、のんきなツラだぜ」


実際に最強かどうかはともかく、最強を名乗るぶとさは確かにあるようだ。

心の中であきれながら、九平治はふところにしまっていた武器を取り出した。

黒鉄の銃身を持つ、片手に収まるほどの小さな業物。

名を、またのおろの二号という。

七年ほど前、とつじょとしてはらの裏社会に流出した八丁の小型自動拳銃の一つだ。


その銃口を、へいおうかいじゅの寝顔に向けた。


「ぐがぁ、ごぉぉぉぉぅぅぅぅ……」

「こんな相手に、仕掛けるまでもねぇ」


九平治は、三回引き金を引いた。


ぱん……ぱん、ぱん。


奇襲の一発と、トドメの二発。

引き金が引かれるたびに鉄槌を振り下ろすような音が空気に弾け、銃口から閃光と鉛玉が吐き出された。


おうかいじゅが、暗闇の中で動いた様子はない。


「熊も殺す拳法家と聞いてたが、これなら熊の方が手強いな」


暗闇の中、九平治はぼやきながらきびすを返す。

野生の獣相手では、こうはいかない。

獣は、山の中でここまで無警戒に寝ころんだりはしない。

自分の居場所を知らせるかのようないびきをかいたりもしない。

目の前の男は、そういった野生の本能に欠けていたように見えた。


「ん、もうかえんのかい?」


殺したはずの男に背後から呼び止められ、九平治の足が止まった。


「は……?」


一つ、誤算があったとすれば。


『野生の本能』とは、自分と同等かそれ以上の強さを持つ他者から身を守るための、生き物としての防衛機能だ。

だとすれば、あまりに強すぎる生き物にとって、それは必要がない。


たとえば、彼が最強であるならば。

『野生』や『本能』は身に着ける必要性すらない。


「寝起きに頭ァ三発は、さすがに肝が冷えるぜ、あんちゃんよぅ」


おうかいじゅは、あご先の無精ひげをポリポリと手で掻きながら起き上がった。

もう片方の手は、身体の前で固く握りしめられている。

その手を開くと、豆粒のような弾丸がころりと三つ転がり落ちた。


「弾丸を、つかんだってのか」


おんそくの弾丸を受け止めたというのに、木の皮のような手の皮膚は無傷だ。


「顔は、女ウケが悪くなるからあんまり鍛えてねぇんだわ」

「ちっ!」


暗く狭いあばら屋の中、へいは再びまたのおろおうかいじゅに向けた。


「遅いぜ」


その手が、引き金を引こうとしたせつで王槐樹につかまれ、上方向へとらされた。

放たれた四発目の弾丸が、あばら家の天井を突き抜ける。


「鉄砲はよ、しょん便べんと一緒で、先っぽちゃんと見とけばどこに飛ぶか分かんだわ」


当たり前のようなことを言いながら、王槐樹は拳を握りしめた。


「おらっ!」


正拳突きが、九平治のみぞおちに叩き込まれた。


「おうっ……!?」


馬に蹴り飛ばされたかのような衝撃に、へいの身体は、あばら家の壁を突き抜けて外へと吹き飛ばされた。


「ぐ……ッ!」


地面へと投げ出されたへいは、かろうじて受け身を取った。

ギシギシと、装束の下で金属の軋む音がした。


「ほーん、何か着込んでるのか。用意周到だな」


ゆっくりと九平治に迫る王槐樹の後ろで、あばら家が音を立てて崩れてゆく。


「おかげで、家の方が先に壊れちまった。ちょっと本気を出すと、すぐこれだ」

「余裕ぶるなよ、丸腰風情がッ」


九平治はまたのおろを懐にしまいこむと、いれかわりにゴツゴツと角ばった金属の塊を取り出した。


「だったら、これでどうだ!」


九平治が放り投げると、塊は空中でぱっと分解し、蜘蛛の巣状に広がった。

てっこうで編まれたたいしゃ用のらえあみだ。


「うわ、何だこりゃ⁉」


王槐樹の全身に網が覆いかぶさり、絡みつく。


「鋼鉄の鎖で編んである。もがけばもがくほど絡まるぞ」


どれだけ動体視力があろうと、面で攻めれば捉えられまい。

さすがの王槐樹もこれにはたまらず足を止めた。


「熊でもこの捕らえ網からは逃れられん。大人しく死んでおけ」


九平治は背負っていた刀を引き抜いた。

光を反射して目立たないように、つや消しのうるしを塗った暗殺刀だ。


今度こそ。

九平治は、刀を網の目を通して王槐樹の腹に突き刺した。

切っ先が王槐樹の皮膚を貫く。


「よし……っ」


後は、内臓まで刃を通して、中身を掻きまわしてやればいい。

ちょっと力を込めて刀を押し込み、手首をひねるだけだ。


「そううまくいくかな」

「なに……っ」


刃の切っ先は、おうかいじゅの腹で止まっていた。

白刃取りのような、技術ではない。

腹筋そのものが鎧となって刃を止め、表皮からの出血のみに傷を留めていた。


なんとうの空手家から習った鍛錬法さ。秘密の呼吸法を実践しながら鍛えると、刃物すら通さない鉄の身体が作れちまう」


王槐樹の手が、網ごしに九平治の首をつかんだ。

刀に力を込めるために、九平治は王槐樹に近づきすぎていた。


「つかまえた」

「ぐ、ごが、おぉ……ッ!」


首を締め上げられ、頭巾に隠れた九平治の目玉が、内圧でがんから飛び出しそうになる。


「は、はなせ……!」


九平治は刀で王槐樹の手を斬りつけるが、肌の浅い部分を斬りつけるのみで、筋肉を破壊することはできない。

まるで、カミソリで大木を切り倒そうとしているかのような物量の差だ。


「ば、ばけものめ……」

「よく言われるよ」


王槐樹はにへらっと笑い、腕に力を込めた。

首を握りしめる親指が顎を押し上げ、メキメキと音を立てる。


「や……やめ……ッ!」

「やだね」


べきんっ。


王槐樹の手によって、九平治のくびが後ろ向きに折り曲げられた。


「げぇ……ッ」


くたくたとへいの身体は力を失い、だらりと手足を垂れた。


「ああ、終わっちまった」


おうかいじゅは、ぞうへいの身体をかたわらに打ち捨てた。


その時、声がした。


「お疲れ様です、『天下無双の王槐樹』どの」

「おう、マサさんか」


王槐樹は、近くで様子を眺めていた男を見やる。

辺りが、薄明るくなりはじめていた。

もう、夜明けの時間だ。


「『へい』さんの歯ごたえはいかがでしたか」

「うーん……てごろな稽古相手を連れて来てくれるのは助けるけどよ、もっと腕っぷしのある相手がいいなぁ。この前の『やんしゃぐるむぃ』みたいな奴とかさ」

「九平治さんも相当な手練れだったんですよ? 王槐樹どのが強すぎるんです」

「ああ、そう? で、次の相手は」

「『かまいたち恋次郎』などどうでしょう」

「強いのかい?」

「ええ。単純な剣術で言えば、あのさいばらざんすら押さえて、都では最強と言ってよいでしょう」

「死んだ老いぼれと比べられてもなぁ」

「まあ、そう言わずに。恋次郎はいまどき珍しい『鉄を斬れる』剣術家です。ある意味、あなたの天敵かもしれません」

「ほーん……」


王槐樹は一つあくびをして、山の斜面を降り始めた。


「おや、どちらに」

「どこって、山降りて都さ行くんだよ。家壊しちまったし、恋次郎ってのは都にいるんだろ。ほら、さっさと行こうぜ」

「え、ええ」


おうかいじゅはマサを伴って、山を下っていった。



二人の気配が完全に去っていった、その後。

木々の物陰から、男が一人顔を出した。


黒い装束に鉄のほおあてをした忍びだ。

マサの護衛として戦いを見守っていた彼に、今は別の仕事が命じられていた。


「……あのお方も、人遣いが荒い」


斜面に横たわった九平治の首折れ死体を見つけると、忍びはその懐に手を伸ばした。


めん


九平治が所有している業物は、八岐大蛇の二号ともう一つ。

彼の仕事は、その二つの回収だった。


「どこだ……?」


懐をまさぐりながらそうつぶやいた忍びの口に、冷たい感触が触れた。


「っ……?」


冷たいと思ったら、喉の奥が熱い。

ほおあての隙間から刀が口に刺し込まれ、その奥……忍びのえんずいを貫いていた。

九平治が握っていた、うるしられた暗殺刀だ。


「お、ぎょ……?」


訳も分からぬまま忍びが絶命すると、九平治は静かに身体を起こした。

支えを失った首を丁寧に手で持ち上げ、元の場所にえる。


こきん。


首の関節がはまると、よい音が鳴った。

くびまわりの肉が青くれている以外は、元通りだ。


「げほっ、けほっ……ったく、首の関節を自分で外してなかったら、死んでたところだ。バケモノめ」


九平治は忍びの装束を自分のものと取り換え、手ごろな岩で死体の顔をつぶした。


「これで、『へい』はしばらく死んだ。『仕掛け』も楽にやれるってもんだ」


九平治はれた首をさすりながら、山の中へと消えていった。

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