第7話 蠱毒 -Poisonous Tournament-

えんりゅうの殲滅から十数分後、屋敷地上階でのませたひょもんは、再び地下のあまのいわの前に立っていた。

いわの鍵穴に鍵を差し込み、右に二回転、左に一回転、さらに左に三回転させる。

いしかべの中で歯車が重々しく動き出す音がして、鉄門が軋みながら開かれていく。


ゆき


呼びかけると、岩戸の向こうの暗闇でビクッと震える気配がした。


「い、いや! 来ないで……っ!」

「? どうしたんだ、雪路」

「来ないで!」


雪路は雹右衛門に背を向け、さらに奥の暗闇へと逃げ出した。

しかし、裸足でりの地面を走ろうとしたため、でっぱりに足を取られてつんのめってしまう。


「雪路!」


雹右衛門はとっさに、妹を抱きとめた。


「大丈夫か?」


問いかける雹右衛門の腕の中で、雪路は暴れた。


「やめて、離して! 兄さま! 助けて、兄さま!」


半狂乱で逃れようとする雪路の細い指先、研ぎ仕事をこなす繊細な爪の先が、雹右衛門の頬をいた。


「……っ」


避けずに受けたこの傷が、雹右衛門がこの日に負った唯一のだんであった。


「雪路……!」


雹右衛門は雪路を逃がさない強さで抱きしめた。

そして、その頭を優しくなでる。

いつものように、ゆっくりと。


「雪路、落ち着け。おれだ」

「っ!」


半ば無理やり引き寄せた耳元にささやくと、雪路はまたビクッと震えた。


「兄……さま…………?」

「そうだ。いわを外から開けられるのはおれだけだ」


なるべくいつもの調子で声をかける。

すると、強張っていた雪路の身体から、力が抜けていく。


「兄さま……本当に兄さまだ」

「心配をかけたな、雪路」

「兄さま!」


雪路は雹右衛門の胸板に顔を押し付け、ぎゅっと抱きしめた。

しかし、やがて雪路は不安そうに兄の顔を見上げた。


「兄さま、気を付けて。さっき、とてもこわい人が来たの。まだ、近くにいるかも」

こわい人? えんりゅうの奴らか」

「分からない、けど……」


雪路は岩戸の外、地下室の方をゆびさした。


「屋敷の門をこじ開けて誰かが中に入ってこようとしてたから、私、兄さまの言ってた通りすぐにここに隠れたの。そうしたら、大勢の人が降りてくる気配がして……」

「大丈夫だ。そんな奴らぐらい、おれが……」

「違うの。確かにその人たちは怒ってる気配がしたんだけど、後からもっとこわい人が降りて来て……」


雪路は、雹右衛門の胸に顔を押し付けたまま、言葉を続ける。


「まるで、心がいみたいだった。気配がつめたく冷えきってて、ほのおみたいに怒っていた人たちの気配が、つぎつぎ消されていって……」

「雪路、それは」

こわかった……もしかしたら、七年前に父さまを殺した犯人がまた……」

「雪路」


雹右衛門は言葉をさえぎるように名を呼ぶと、優しく、優しく、優しく頭をなでた。


「ここに降りてくる前に、屋敷まわりはちゃんと見まわった。もう、こわい人なんてどこにもいない」

「でも……」

「見れば分かるさ、きっと、こわい夢を見たんだ」


雹右衛門は、おびえる雪路を連れていわを出た。


「ほら、何もない」


地下室には何も残っていなかった。

じゅうまんしたしょういわが開かれた時につうして風がさらっていった。

さいばらやっかいら、えんりゅう門下生たちの死体、衣服、武器、その他あらゆるこんせきも、残っていない。


えんりゅうの門下生たちは、師匠を斬られたはらいせに、あちこちで暴れまわっていたんだ。今頃は幕府のさむらいたちに捕まえられて、罰せられているだろう。だから、もう気にしなくていい」

「で、でも……たしかに気配がして……」

「気のせいだ。怖い思いをして過去の記憶がよみがえってしまったんだろう」


雹右衛門はほほ笑みかけると、雪路に背を向け、地面に膝をついた。


「上に戻ろう。ほら、背中に」

「う、うん……」


雪路を背負いながら、雹右衛門はゆっくりと階段をのぼる。

背に、雪路の息遣いを感じる。

過呼吸気だった呼吸の律動リズムが、段々とゆるやかになっていく。


「昔も、遊びつかれた雪路をこうやっておぶったことがあったな」

「……うん。ねえ、兄さま」

「なんだ」

「今日だけ、昔みたいに一緒のおとんで寝ていい?」


雪路は、雹右衛門の肩辺りにほおを寄せた。


「だめかな?」

「駄目じゃないさ」


雪路が一人で眠れるようになったのは、ここ二、三年のことだ。

目を焼かれたことで訪れた暗闇が、あの夜の恐ろしい記憶が、うずく火傷の痛みが、雪路に何年も安眠を許さなかった。

そんな時期を思い出させるような出来事があったのだ。

ことわれるはずもない。


「ただ、な……」


雹右衛門は、ややぎこちなく笑った。


「お前ももうすぐ十五だ。そろそろよめもらい手を探し始めなければならない年頃だ。兄離れはしないといけないな」

「……兄さまは、妹離れしたいの?」

「望む望まないの問題じゃない。いつか、そうしなければならない時が来るんだ。その時になって準備ができていなければ、困るだろう」

「いつかって?」

「いつかは……いつかだ」


本当は、そんな『いつか』なんて来なければいい。

雹右衛門だってそう思っている。

だが、現実はそういう風には作られていない。


「その『いつか』は、おれが思っていたよりも、ずっと近くに……」


雹右衛門は、雪路を背負って地上への階段を踏みしめながら、雪路を迎えに来るまでの十数分間に起きたことを思い返す。





「どういうつもりだ。どうして、おれとえんりゅうをぶつけた」


えんりゅうせんめつした直後のこと。

屋敷の一室でマサを捕らえた雹右衛門は、背後から首筋にきりを突きつけた。


「幕府の目的は何だ? 予想通りの答えなら、殺す。嘘を言っても殺す」


雹右衛門の手は、虫をつぶしたばかりの汚れた手だ。

いまさらさらに血で汚れようと痛くもかゆくもない。


もんどうは、殺す前の確認作業に過ぎなかった。


しかし。


「戦国を……る…………」


マサの口かられた言葉に、雹右衛門の手が止まった。


「なに? 今、なんと言った」

「我々は戦国を……」

「はっきり言え!」

「我々は、戦国の世を終わらせたいのです」

「何だと……」


予想外の言葉に、雹右衛門の殺意は行き場を失った。

思考の大前提をくつがえされたかのようで、頭の裏がジリジリして落ち着かない。


「馬鹿な。戦国の世はおれが生まれるより前に終わった。お前たちはらさむらいどもが終わらせたんだろうが」


マサは、雹右衛門にこうそくされたまま首を横に振った。


「残念ながら、終わったのはただの『いくさ』であって、『せんごく』という時代そのものではありませんよ」


マサに、雹右衛門を恐れる様子はない。

それに、やっかいのようにまかせを言っているわけでもないようだ。


「一五○年も続いた戦国が、たかだか覇者が現れた程度で終わるはずがない。幕府が倒れればまた戦が始まる。みんなそう思っていますよ。雹右衛門先生だって、そういった可能性を考えないわけではないでしょう」

「それは、そうだが……」

「我々は人々の頭からいくさの可能性すら消し去りたい。そのためには、まつりを行わなければなりません」


マサは、ふところからまきものを取り出して広げた。


「雹右衛門先生、あなたはすでにそのまつりに参加しているのです」

「これは……っ!?」


そこには、名前がれつされていた。




ひとぼう

えんりゅうさいばらざん

てんそうおうかいじゅ

さいやまおに

けんせんまちしょうげん

こうりゅうじゅうじゅつおがみこうぞう

こいごくのおちょう

つむざいけん

ぐいんばあ

かまいたちこいろう

あかかげもんえん

どくげんどくくもはち

なわたいひっとうしゅおもなわ

やりとんなかむらぎょうしん

せのじん

むしひょもん

やんしゃぐるむぃ、

つじゆうかい

きゅうざんしゅうでんいっしんぼう

じゅうかっけんりゅうふなぼりじょう

れんじゃく

きゅう

げきりゅう西さいごうぞうひょうただたか

げん

へい

ひざがみりゅうひざがみてんぜん

まるおかけんぽうまたじゅうろう

ぐらはるおん

せんシルクマリア

てんりゅうさっぽうしののめぐん

あさのかみやす




巻物に記された名前の大半は、既にの×《ばつ》によって消されていた。

さいばらざんの名も、あかで塗り潰されている。


せとざいけん、それにざんわざものりとしてあなたが斬った。他にも、噂に聞くような名前がちらほらありますでしょう」

「そんなことはどうでもいい。これは……何だ」

「『にんべつちょう』と、我々は呼んでいます。幕府を恨み滅ぼそうとする者や、一国一城に匹敵した武力を持つ者、あるいは戦国に魂をとらわれている者……そんな、幕府にとって危険な人間を記した最重要機密書類です」


マサは、拘束されたままチラと雹右衛門の方を振り返った。


「雹右衛門先生もその一人。あなたのわざものづくりの技術と剣の腕はこの国の……いや、世界の戦争を新たな段階に進めてしまいかねません」

「ふ、ふざけるな! おれは、そんなことをするつもりはない!」

「意思の問題ではありません。業物は、存在しているだけで人を戦いに駆り立てるではありませんか」

「……っ!」


自身の言葉で痛いところを突かれ、雹右衛門は言葉に詰まった。


たしかに、あなたはたいへいの世を望んでいる……しかし、もしもいもうとぎみひとじちに取られれば? 妹のためならば、地下のあまのいわをつくったように、あなたはきっとわざものづくりの腕を振るってしまうでしょう」

「……」


マサはたんたんと言葉を続けた。


わざものを新しく作り出せる雹右衛門先生は、存在するだけで人の野心を煽り、戦いを引き起こしかねない一個の『わざもの』。先生流に言うならば、有害な『虫』の一匹なのです」


ざわざわと、屋敷の周囲に無数の気配がうごめき始めた。

マサが昼間に連れていた忍びたちだろう。

数までは分からないが、気焔流よりもはるかにごわい相手なのは間違いない。


「最初からおれを使い捨てる気だったか……だとしても、ただでは殺されんぞ」


雹右衛門はマサに突き付けたきりに力をめ、すごんだ。

しかし、マサは平然としている。


「我々はちょくせつ手を下しませんよ。『虫』は殺すものではなく、殺し合わせるもの。そして、最後に勝ち残った一匹だけを大切に飼い育てるのです」


マサは、歯をいて笑った。

わざものり』として組んできて数年、初めて見る邪悪な笑みだった。


「我々は、あなた方でどくをやろうとしているんですよ」


どくとは、複数の毒虫を一つのつぼに閉じ込めて殺し合わせ、残った一匹に毒を集約させる古い呪術だ。

だとすれば、さきほどのにんべつちょうは毒の調合表レシピとも言えるだろうか。


「来たる八月の盛り、都にてげい試合が行います。試合の名は『もんりゅう』。にんべつちょうに勝ち残った最後のつわものたちを最後の一人になるまで殺し合わせ、戦国の世を鎮める儀礼試合です」

「……それが、昼間に言っていた『大仕事』か」


雹右衛門のつぶやきに、マサはうなずいた。


「みごと最後の一人に勝ち残れば、あなたの存在はたいへいの世にむかえ入れられ、しろがねは今まで同様、えいせいを得るでしょう」

「もし、断れば……」

「幕府から追われる身となるでしょうね。もちろん、あなたの妹君も」

「……おのれ」


雹右衛門は、マサの首筋に突き付けていたきりを下げてさやおさめた。


雪路をいに出された以上、雹右衛門に勝ち目はない。

雪路には、罪なき者にふさわしい清らかで幸福な未来が待っているはずなのだ。


「お前たちからしてみれば、おれは最初からカゴの中の『虫』同然だったわけか」


こうそくを外れ、ゆうゆうと着物のえりを正すマサを、雹右衛門はにらみつける。

にらみつけることしか、できなかった。


「……お前たちの言う通り、その殺し合いとやらに出てやる。その代わり、おれが生き残ろうが死のうが、雪路にはもう手を出すな。今回みたいなことも無しだ」

「ええ、約束いたしましょう。殺すか、死ぬか。先生が『大仕事』を果たしてくだされば、我々はそれでよいのです」


マサが指を鳴らすと、周囲に潜んでいた忍びたちが、えんりゅう門下生たちのこんせきを片付け始める。


「またごあいさつうかがいます。それまではご兄妹ともにすこやかにお過ごしください、雹右衛門先生」


マサは一礼すると、夜の闇へと消えていった。


自分よりも大切な、雪路の命運。

雹右衛門の生きる目的そのものをしょうあくした男が去っていく。

その背を、雹右衛門はただ見送ることしかできなかった。





緊張の糸がめていた反動だろうか。

雪路は雹右衛門のとんもぐむと、すぐにすやすやといきを立て始めた。


「おやすみ、雪路」


雹右衛門は、雪路を起こさないようにどうきんしていた布団をい出て、えんがわで空を見上げた。

そして、考える。


いつから、人を殺しても心が痛まないようになったんだったか。

いつ、どこでどうすればこうならずに済んだのだろう。


さいばらざん殺しを断るべきだっただろうか?

それとも、わざものりなどしなければよかったのか?

いや、そもそもあの夜に自分が間に合っていれば……


いくつもの筋道を頭に思い浮かべるが、その全てがどこかで分厚い門にぶつかるような気がした。

結局、自分が業物づくりの家に生まれた時点でどこかしら詰んでいる。

とすれば、雹右衛門をく運命は最初から決まってしまっていたようなものだ。


だとすれば。

もはや、迷うことに意味などない。

雪路のために、薄汚れた自分にできることはただ一つ。


「ただ、殺すだけだ」


雹右衛門は、空に浮かぶ涼しげな月と、その隣に並ぶはらの城をにらんだ。


「奴らめ、おれも『虫』だと言うならば、最後の一匹になるまで戦い抜いてやる。雪路の未来を見届けるまで、おれは絶対に死なん……ッ!」


もんりゅう、第三選手『むし斬「き」りひょもん』はひとり静かにちかった。

そののうに、にんべつちょうに残っていた六つの名前がジリジリと焼き付いていた。



むしひょもん

『かまいたちこいろう

どくげんどくくもはち

せんシルクマリア』

てんそうおうかいじゅ

へい



あとたった五人、死ねばよい。

今日殺した人間の数を思えば、雹右衛門にとっては何でもない命。











……の、はずだった。



第1章 虫斬り雹右衛門 完

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