第9話 処刑人 -Mr.Guillotine-

ここは、俺のいるべき場所ではない。

青い夏空の下、都の大路を行き交う人々にまぎれながら『へい』はそんなことを思う。


王槐樹に握られた首の腫れがまだ止まないのを、マフラー状に布を巻いて隠し、ついでに編み目笠で顔を隠して用心深く町を歩く。


「いやぁ、暑いな。一つひやでもやっていきますか」

ろう、ろう」

「蠱竜会も佳境ですしな」

「おっとう、あれ見たい、あの芸人さん!」

「またどくげんどくが出たってよ」

「悪人が死ぬ分にはばんばんざいさ」

「ああ、綺麗なお人だったね」


森に潜む小動物の囁きすら聞き分ける九平治の聴覚に、無関係の会話がいくつも流れ込んでくる。

そんな中で、ひときわ陽気な声が彼の心を捉えた。


「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 『かまいたちこいろう』のアッと驚く『かたなげい』が始まるよぅ!」


おうらいのド真ん中で景気の良い声を張り上げるのは、暗桃色の着物をまとった背の高い剣士だ。

にっこり笑うその目は糸のように細く開かれていて、顔は妙にひらたい。


「さあ、夢中になりすぎてあんまり近づきすぎてはいけないよ。押さないで、押さないで」


最前列で食い入るように見ている子供たちの足元に、恋次郎は足で線を引いた。


「ここから一歩でも近づいちゃあ、そこの坊やも、お嬢ちゃんも、おててが切れちまうかもしれないよ。刀はねぇ、恐いんだ」


恋次郎は、そう言って刀を引き抜いた。

白昼堂々と抜き放たれたはくじんに、見物人たちはギョッとする。

しかし、騒ぎになることはない。

恋次郎の振る舞いが、どこまでも柔らかで和やかだからだ。


「さあさあ、はじめていこうか」


恋次郎はにっこり微笑むと、近くを通りかかった荷車の主に声をかけた。


「おうい、ミカン屋さん! 採れたてのミカンを一つ譲っておくれ」

「別に一つぐらい構わんが、宣伝してくれるってのか」

「もちろんだとも」

「見せてみな」


商人は、荷車に積まれたミカンを一つつかみとると、思いっきり恋次郎へと投げつけた。

商人らしからぬ無遠慮な剛速球に、見物人たちはひやっと成り行きを見守る。


「あーらよっと」


刀の切っ先でミカンをでると、そのだいだいいろの果実が勢いを失い、ふわりと恋次郎の頭上に浮かび上がった。


「おお! ずっしりと重い! こいつはきっと、甘みぎっしりだ」


恋次郎は切っ先でつっつくように何度も刀を動かし、ミカンを空中で転がした。

ミカンが宙を跳ねるかのように観衆たちの視界のあちこちを行ったり来たりしながら回転するが、果肉が崩れる様子はない。


「そうら、どうかな」


落ちてきたミカンが刀の背を転がり落ちて、恋次郎の手のひらに収まった。


ぱさり。


布擦れのような音がして、ミカンの皮にいくすじもの切れ目が走った。

皮が花びらのように広がり、豊かな果肉を覗かせる。


刀でミカンを剥いたのだ。

数秒遅れて人々は理解する。


「ほうら子供たち、こう暑いと喉が渇くだろう。一人一粒、早い者勝ちだ」


綺麗に斬り分けられたミカンに、子供たちが殺到した。

「美味しい!」「ありがとうおじさん」などと喜ぶ子供たちの後ろで、大人たちは目を丸くしている。


「何をどうやって、あんな風に斬ったんだ……?」


子供たちが受け取ったミカンに、薄皮が破れて果汁が飛び散った様子はない。

まるで手で丁寧に一つ一つ粒をもいだかのように、全ての部品がきれいに斬り分けられている。


「すごい、これは本物の達人だ……!」

「よっ、げいたっしゃ!」「いいぞ!」


手を打って称える周囲の町人たちに、九平治は小さく舌打ちした。


どもが。お前らは奴の真の恐ろしさを認識すらできていない)


その場で、一歩先の事実を見極めていたのは、九平治だけだった。


「今、奴は刀で直接触れずに果物を斬っていたんだぞ……」


心の中で、九平治は舌を巻く。

恋次郎は、王槐樹よりも強いかもしれない。

だとすれば……

それ以降も続くかたなげいを、九平治はさんを張り巡らせながら真剣に見つめていた。



広げたしきに次々とぜにが投げ入れられる中、こいろうは観客たちに照れくさそうに頭を下げた。


「はは、こりゃどうも。どうもね。明日もやるから見に来てくださいよ」


しきを結んで口を閉めながら、そそくさと恋次郎は引き上げていった。

その後を、九平治が町人を装って追う。


「さて、人通りも少なくなってきたし、そろそろ仕掛けるか……」


そう思って九平治が歩み寄ろうとした、その時。


「おい、ずいぶんと景気がよさそうじゃねぇか恋次郎」


柄の悪い男たちが、恋次郎の行く手を阻んだ。

手には木刀を握りしめ、恋次郎をなめ切った眼でにらみ上げている。


「もちろん、ここら一帯を仕切ってるもんどういっへのショバ代は忘れていないだろうな?」

「当たり前じゃないですか。親分がたのおかげで気楽に商売できてるんです。お支払いいたしますよ」


恋次郎は手にげていた風呂敷を開いて、やくざ者たちに示した。


「確か、半分お渡しすればよかったんですよね」

「いいや、近頃は気焔流が潰れてくれたおかげで何かとものりでな。七割取ることになった」


やくざ者はそう言うと、銭の山の五分の一から四分の一ほどを握りしめ、恋次郎の足元へとバラまいた。


「ほら、これがテメェの取り分だ」


そう言いながら、残った銭を風呂敷で包み直した。

恋次郎は、言いにくそうに切り出した。


「あのぅ……申し訳ないんですけど……」

「あ? 何か文句でもあるのか」


ギロリとにらまれ、恋次郎は苦笑した。


「……いえ。どうぞ、お持ちになってくだせぇ」

「けっ、分かればいいんだよ、分かれば」


去っていくやくざ者たちを、恋次郎は残念そうに眼で追うのみだった。


「あのしき、気に入ってたんだけどなぁ……」


ぼやきながら、恋次郎はため息を吐いた。


「まあ、最近はえんりゅうが消えて、親分がたも縄張り争いで忙しいって言うし。こんなものかな」

「んなワケあるか。ナメられてるんだよ、お前は」


散らばった銭を拾い上げ、九平治は恋次郎に手渡した。


「ああ、どうもね」

「構うこたねぇ。さっきいい技を見せてくれた礼だ」


九平治はそう言うと、ふところから金のばんを取り出して恋次郎の手に置いた。

これ一枚で、半年は暮らせるほどの大金だ。


「ああ、こりゃ本物じゃないですか。いいんですか、こんなに」

「言っただろう。いい技を見せてくれた礼だ。俺ぁ、アンタの技に惚れた」


そう言いながら、九平治は懐の八岐大蛇やまたのおろちを抜いた。

同じく八岐大蛇所有者、さいばらやっかいのそれよりもはるかに速い抜き技で、両手で銭を抱える恋次郎のひたいに銃口を突きつける。


しかし、恋次郎は相変わらずのっぺりとした顔にニコニコ笑顔を浮かべている。


「……なぜ反応しねぇ?」

「だって、殺気がしませんから。それに、刀抜いたら手に持った銭が落っこちちまいます」

「……この程度の悪戯いたずらじゃあ、ビビりもしないか」


九平治は大蛇おろちを懐にしまいながら、ほくそ笑んだ。


「流石は元・首斬り執行人、『がみ』とおそれられたゆめざんてつだ」

「……その名を知ってるとはツウですね。あなた、お名前は?」

へい

「あー、人別帖で見た名だ。あなたも『マサ』さんに誘われたクチですか」

「奴を知っているのか」

「もちろんですよ。俺は、昔はあの人の下で仕事してましたから」


恋次郎は、すぐそこのあばら家の戸を指さした。

山中にあった王槐樹の棲み家に負けず劣らないぼろ屋だ。


「まあ、立ち話もアレですから。上がっていってください。何もありませんけど」

「……本当に何もないな」

「でしょう? 親分たちも、もう少し分け前を増やしてくれたらいいのに」


笑みを張り付けたままの恋次郎の言葉は、本気なのか冗談なのか分からない。

きしむ床に腰を下ろしながら、九平治は鼻を鳴らした。


「お前の腕なら、あんなチンピラどもの首なんざ三秒で落とせるだろ?」

「ははは、流石にそんなにもたつきませんよ。一秒あれば十分です」

「だったら、なぜそうしない」

「良くないですよ、人殺しは。人が死ぬぐらいだったら、ちょっとやそっと貧乏でもいいじゃあありませんか」


恋次郎は、朽ちるのに任せたままのボロ屋にごろりと寝転がった。


「首斬り役人の言葉とは思えないな」

「でしょう? だから、仕事を辞めたんですけど、どうしても『見える』んです」

「なんだ、殺した相手の霊が化けてでるのか?」

「いえ。見えるのは、『線』です」

「線?」

「そう。九平治さんのは、だいたいこの辺り」


恋次郎は指先で九平治の首を真横になぞった。

まるで命そのものに触られているような感触に、ゾワッと九平治は身震いする。


「『ここを斬ってごらん。そうすれば、綺麗に首が取れるよって』……そういう線が生きてる人間の首筋に浮かび上がってくるんです。元気に走り回ってる子供とか、赤ん坊の首にまで」

「なるほど……人懐っこいツラして、なかなか狂ってやがる」

「そんな人間が、少しでもまともに生きたくて、かたなげいやってるんです。幻滅しました?」

「いや、むしろ好都合」


九平治はニヤリと笑むと、声を潜めた。


「かまいたち恋次郎、お前もマサの野郎が推し進める殺し合いに巻き込まれてるんだろう?」


恋次郎の返事を待たず、九平治はずいと詰め寄った。


「マサの奴、生き残った最後の一人に好きな褒賞を与えて飼いならすつもりでいるらしい。俺ぁ、それが欲しい」

「それで?」

「お前を勝たせてやる。俺は影から協力するから、お前は、奴らから受け取った褒賞の分け前を寄こす。どうだ、悪い話じゃなかろう?」

「まあ、そうですねぇ……」


恋次郎は、頭をきながらうなった。


「でも『協力』って、具体的には何をしてくれるってんです?」

「……次、お前と殺し合うことになる相手を、俺は知っている」

「へぇ、誰ですかい」

「『天下無双の王槐樹』。普通にやっても敵わねぇ化け物だ。だから……」

「だから?」

「闇討ちして、殺す。俺がぜんてしてやる」


九平治は低く静かに、だが確かな声でそう告げた。

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