第5話 気焔 -Mind Flare-


マサと別れたひょもんは、人通りの多い町中を経由しながら遠回りで屋敷に戻ろうとしていた。


ぶあついしょうぞくろうにんがさ姿すがたの雹右衛門は、薄着で出歩く人々の中では少し浮く。

しかし、いちいちの目で見られることもない。


はらの都は、幕府のかいびゃくに合わせて作られた歴史の浅い都市だ。

様々な職業、事情を持つ人間たちが各地から集まり、肩を寄せ合って暮らしている。

無関心は、この町で生きていくための知恵だった。


「ほら、見てって見てって! 旬モノのしっしゅう蜜柑だ」

「夏場所番付が出たよぅ! 大金星のでいおうごうに注目だ!」

「あぁ暑い暑い。どうなっちまってんだろうね今年は」

「いくぞ、オイラの手作りしたわざものにかてるか! ザシュっ!」

「そんなヘナチョコくもんか! くらえー!」


雹右衛門は、ざっな声に耳を傾けながら町を往く。


「特に変わった様子はない、か」


ざんかたきを探し回っているというえんりゅうの動きも見ておきたい。

そう思って町の方まで出てきたが、杞憂だったらしい。


「つい最近、家からすぐそこのところで人が斬られたらしいのよ。おっかないわぁ」

「どうせまた、裏仕事のろくでなしよ。ウチらには関係ないっしょ」


さいばらざんの死は、川に投げ入れられた石の一つに過ぎなかったようだ。

近頃、武術の達人や盗賊、やくざ者、殺し屋など、『うら』で悪名を轟かせていた人間たちがよく死ぬ。


もちろん、雹右衛門もその一部には関わっている。

だが、全体の数から見ればほんの一部だ。


『大仕事』を頼みたいと言っていた、マサの言葉が頭をよぎる。


「何かが、裏の世界で起ころうとしている……いや、もう始まっているのか……?」


「まわれまわれー」

「びゅー!」


心の中でつぶやく雹右衛門の横を、かざぐるまを持った子供たちが駆けてゆく。

近くで祭りでもあるようだ。

町をく人々はどこか楽しげで、浮足立っている。


雹右衛門が一人であれこれ考え事をしているのがちがいに思えるほどに、雨上がりの空気は明るく爽やかだった。


「……そうだ。裏を這い回る『虫』がどれだけ死のうが、どうでもいい。罪のない人々が、雪路が、笑って暮らせるのならばそれで……」


雹右衛門は、がさの奥でフッとほほ笑んだ。


「なにか、雪路に買って帰ろうか」


わざもの関連の仕事が一日に二つもかたいたのだ。

少しぐらい、奮発してもいいだろう。


「雪路もそろそろ年頃だ。仕事道具だけでなく何かこう、女の子らしい綺麗な物を……」


そう思って手ごろな店を見つけて、立ち寄ろうとした。

その時だった。


「……!」


ぞわりと、雹右衛門の背筋をおぞが走った。


「誰だ……?」


雹右衛門の背に、視線が注がれているようだった。

その気配は、びんかんな雹右衛門からしてみれば、背中に虫がい回っているかのように明確だ。


「隠しきれない殺気。それも、複数……」


思い当たる節は、一つだけだった。


「やる気か、えんりゅう……」


どこで尻尾を掴まれたのかは分からないが、このままでは町に迷惑がかかる。


「確か、近くに人の近寄らない沼地があったはず」


家へと向いていた足取りを曲げ、雹右衛門は通りを外れた。

つかずはなれずの距離を保って十数分ほど歩いた先、悪臭のする沼地で、雹右衛門は足を止めた。


周囲には、黄色くにごった霧が薄く立ち込めていた。

幕府がこの土地を都として改築する際、何度も埋め立てに失敗した、狭く深い沼。

ぶすでらという地名で知られている一帯だ。


「わざわざ人目につかないところまで来てくれて、手間が省けるぜ。なぁ、『虫斬り雹右衛門』先生よ」


野太い声に呼びかけられ、雹右衛門は振り返った。


この時になって、雹右衛門は初めて相手を目視した。


敵は八人。

凶暴な目つきをしたろうにんたちだ。

えん色にかき色に、彼らの着る服からは、どことなく炎の赤が思い起こされる。


「テメェが禍山さんを斬ってつちパクったんだってなぁ?」


顔に炎のいれずみをした男が、雹右衛門にたずねる。


「やはりえんりゅうか。『虫斬り雹右衛門』という名を、誰から聞いた?」


雹右衛門が問い返すと、いれずみの男は舌打ちをした。


「ガキが偉そうに、質問に質問で返してんじゃねぇよ」


目で合図しあうと、ろうにんたちは腰にした木刀を抜いた。


なぜ木刀なのか?

それは、現代において暴力関係者が刃物よりもバットや鉄パイプなどのぼく武器を好むのと理屈が似ている。

骨を折って痛めつけ、それでいて殺さない。

痛みや恐怖を交渉に使う人々にとって、そういう道具の方が都合が良いのだ。


「痛い目を見たくなかったら、つちの場所を言え」

「教えてやる義理はない。『虫』どもに、わざものを持つ資格はない」

「お、言うねぇ? だがよ、早めに白状した方が楽に殺してもらえるぜ?」

「誰に」

さいばらやっかいさんだ。生きた人間で『遊ぶ』のが趣味の、恐ろしい人さ。流石のざんさんも、やっかいさんのわざものには一目を置いていたんだぜ?」

「そうか。そいつもわざものを……」


いれずみ男の言葉に、雹右衛門はフッと息を吐く。

かさの奥で、みをらしたのだ。


「? 何がおかしい」

「いや、なに。ざんが『一目を置いていた』程度なら、斬るにやすかろうと思ってな」


答えながら、雹右衛門はきりに手を伸ばした。

スゥッと、透明な液体に濡れたを引き抜き、下向きにかまえる。


「来い。木の枝を振り回すわるがきどもに、わざものの恐ろしさを教えてやる」

「あ˝ぁッ!?」


年下の少年にこれだけ言われて、怒らずにいられる剣士はいない。

剣をおどしに使うならず者であっても、最低限の自尊心プライドがある。

それが、剣というものだ。


「かかれ! 手足全部ぶち折って泣かせてやれ!」

「オォォォッッ!」


木刀を抜いたろうにんたちが雹右衛門に向けて飛びかった。


「死ねぃ!」


先頭の一人が、雹右衛門に斬りかかろうとして木刀を振り上げた。

武器の長さでは、使いの雹右衛門よりも木刀の方が有利。


しかし雹右衛門はあわてない。

刃物の専門家が、木の棒を恐れていては話にならないからだ。


「禍山の斬撃は、十数倍ははやかったぞ」


相手が木刀を雹右衛門めがけて振り下ろすよりも早く、で目の前の空間を斬る。

ピッと音を立て、刀身を濡らしていた液体がしずくとなって宙を舞った。


その正体は、えきたいちっ

いんてつでできたきりの刀身に微弱な電流を流すことで大気中から生成される、空気中で最もありふれた元素。

そのふってんじつに、せっマイナス196℃を誇る。


「ぐあああああ!」


ろうにんが、手で顔を押さえてその場に倒れた。


「目が、目がァ……ッ」


その両目が落ちくぼみ、白い煙が噴きだしている。

ひょうえんと呼ばれる現象だ。

急激に冷やされた物体が空気に触れ、水蒸気を雲のようにぎょうさせたのだ。


「なっ、何をやってやがる⁉」


先頭が思わぬ形で倒れたことで、他の七人たちは勢いを失う。


「だ、誰か行けよ!」

「お前こそ!」


言い合っているえんりゅうたちを冷ややかな目で見つめ、雹右衛門はつぶやく。


「お前たち、本当にざんの弟子なのか?」


今度は、雹右衛門の方からえんりゅうへと飛びかかった。


「ぐっ!」

「げぇえッ」

「ご……ッ!」


けい動脈、心臓、わきの下を走る大動脈。

白い刃が次々とろうにんたちの急所を通過し、重要な血管を凍結していく。

きょくていおんの斬撃は、痛みも苦しみもなく、ただ眠くなるような寒気の中で人を死にいざなう。


「なっ……七人を、一瞬で……!?」


最初の一撃から十数秒後。

ぶすでらの沼地に立っているのは、雹右衛門といれずみ男だけだった。


「おれのことを誰から聞いた?」


雹右衛門の問いに後ずさりながら、いれずみ男は答える。

おびえと笑いが混ざった顔で、いれずみ男は言う。


「け……っ! 今頃はお前の屋敷にやっかいさんが向かってる。テメェの妹とやらは、あの人のオモチャになって死ぬんだ」

「問題ない」

「は、はぁッ!?」


いれずみ男は目をいた。


「そ、それやお前、厄海さんの恐ろしさを知らねぇから言えるのさ! あの人ァ、女子供の悲鳴を聞くのが趣味で、音が出なくなるまで遊ぶんだ。何人……いや、何十人分の死体をてに行ったか、俺ぁもうかぞえきれなかった! 中には、赤ん坊の……」

「『虫』め」


雹右衛門は、いれずみ男の首筋を突いた。


「かはっ……ひゅ……ぅ…………!」


のどを凍結されたいれずみ男をはじめ、襲撃者たちの身体には、夏だというのに白くしもが降りていた。


「『虫』に墓はいらないな」


門下生たちのなきがらは、ずぶずぶとぶすでらの沼に沈み始めた。


「お前たちごときにつかまる雪路ではない。あの子の他者の気配を感じ取る力は、おれよりずっと上だ」


自分に言い聞かせるように、雹右衛門は強く告げた。


「こんな時のために手は打ってある。あの時みたいなことは二度とかえさん。雪路は、絶対に、安全だ」


断言した雹右衛門のひたいに、汗がひとすじ流れた。


「……」


ざんとの死闘ですら、汗一つかかなかった雹右衛門である。


「雪路……!」


沼に呑み込まれていく亡骸たちには目もくれず、雹右衛門はもと来た道を早足でけ始めた。

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