第4話 幕府 -Shogunate-


軽い天気雨が都を洗っていた。

この時期の雨は粒も軽く、すぐにむ。


それに、もともと暑い夏の日だ。

だから町を往く人々は雨足の強いひとときだけ雨宿りをしてやり過ごすか、多少の雨は無視して普段の生活を続ける。

わざわざ傘を持ち歩いて差すのは、よほど濡れるのが嫌な人間か、もしくはじんだけだった。


「ごめんください。ひょもん先生はございたくですか」


じゃがさをさした男がしろがねの屋敷を訪ねてきたのは、そんな時だった。


「はーい、ただいま参ります」


ゆきが作業の手を止め、応対に向かおうとするのを雹右衛門が手で止める。


「いや、いい。おれが出る」

「お知り合い?」

「そんなところだ」


雹右衛門は、工房から刀を二本手に取った。

わざものきり』は自らの腰に差し、『つち』はきりの箱に収めてしきで包んだ。

そして、しょうぞくの上におりを着て、新しいろうにんがさをかぶった。


「ちょっとお客と外に出てくる。さっきも言った通り、今日は早くに上がって、戸締りはしっかりとするように」

「はい、兄さま。行ってらっしゃい」

「行ってくる、雪路」


雹右衛門は雪路に微笑みかけると、しろがねの玄関に立った。


「どうも、雹右衛門先生」


ニコニコと笑みを浮かべて会釈した相手を、雹右衛門はにらみつけた。

雪路には一度も見せたことのない、冷たく鋭い眼光だ。


「ここには顔を出すなと言ったはずだ」

「いやあ、面目ない。早めに伺った方がよいと思ったものですから」


笑みを崩さないまま男は町に向けて歩き出した。

歩きながら話そう、ということらしい。

雹右衛門は何も言わず、男の後に続いて屋敷を後にした。



「いやあ、暑いですなぁ。先生はそんな厚着で、暑くないんですか」

「火を入れたこうぼうはもっと暑い。今は、雨上がりで丁度いいぐらいだ」

「はっはっは。剣豪と斬り結ぶぐらいでないと、汗一つかきませんか」


時折、ぬぐいで汗を拭きながら、男は楽しそうに笑った。

雹右衛門は、男の名を知らない。

知っているのは『マサ』という通称と、幕府の『うら』に関わる人物だということだけだ。


「それにしても流石ですな、『虫斬り雹右衛門』先生。まさか、あのさいばらざんすら斬ってしまうとは。しかも、じゃっかん十七歳のわかしゃが」

「勝てると思って、奴を斬るよう依頼したのだろう?」

「もちろんですとも。ただ、ざんも戦国時代の生き残りですからな。近頃は死に場所を探してさまよっていたようですが、ようやく落ち着けたみたいで」

「……」

「めでたいことですよ。この時代に、いくさで死ねたんですから」


マサは、まるで恩人のだいおうじょうに立ち会ったかのように「よかったよかった」と頷いている。

ざん殺しの依頼と業物の情報を持ち込んできたのは、他ならないマサだというのに。


「……あいわらず、の悪いさむらいだ」


口にこそ出さなかったが、雹右衛門はそう思う。

マサからは、『虫』とはまた異なった悪意の気配がした。


「忘れぬうちに、品は渡しておく」


雹右衛門は、つちの入った風呂敷包みを手渡した。


「はい、確かに受け取りしました。ほうしゅうはいつものように『業物の修理代金』として幕府から後日、正式にしろがねへと支払われますので」

「……それより、このわざものの行く末だが」

「ご安心を。むやみに平和を乱すことが無いよう、来たる日まで将軍家のてっにてげんじゅうに保管いたします」

「なら、いい」


雹右衛門は小さく頷いた。

このやり取りこそが、『わざものり』の正体だった。


人を争いに駆り立てるわざものは、どうとくてきな意味でもたいせい的な意味でも、ほうしておくべきではない。

わざものふういんするという点において、雹右衛門と幕府の目的はいっしていた。


わざものらしい」


受け取ったつちしきをしっかりとたずさえながら、マサは言う。


さっしょうのうりょくきょくげんまで追求したは、芸術品にも勝るほど美しい。戦国という特異な時代がんだ、この国の宝です」

「……だが、野放しにしておくには危険すぎる。罪のない人が、さいばらざんえんりゅうのような『虫』どもに傷つけられるのは、許せない」

「その通り。ですから、れっとうしゅを司る、我らはらばくが管理するのです」


幕府は登録制度をき、わざものの所持を厳格に制限している。


『壊さないこと』

『複製せぬこと』

『人を斬らぬこと』


この三原則を破った場合、登録者は即座にわざものを没収され、悪質な場合は反乱を企てた扱いで処罰される。

そのしっこうしゃの一人が、『虫斬り雹右衛門』だ。


「ところで」


雹右衛門は足を止めた。


「その辺をウジャウジャしているのは、そっちの手下か」

「おや、分かりますか」

「日頃から鉄の静けさに慣れていると、生き物の気配はやかましく感じるんだ」

「お気にさわったのなら、申し訳ない。えんりゅうもんせいたちが師の仇を探して町をうろついているのでね。万が一に備えて忍びを置いているのです」


忍び、と。

マサはこともなげにそう言った。


「お互い気を付けるとしましょう。さいばらざんを失ったえんりゅうは、道場とは名ばかりの悪質なろうにん集団に過ぎません。ですが、それゆえに始末が面倒だ」

「始末するのか」

「ええ、もちろん。彼らがまだ組織の形を保っているうちに、まとめて処理するのがよいでしょう」


マサはにこりと笑うと、雹右衛門に一礼した。


「先生には近々『大仕事』をお願いしたいと思っております。くれぐれも怪我無くお過ごしくだされ」

「大仕事……?」

「まだ未確定の案件です。また後日、改めて」

「……承知した」


雹右衛門は、深々と一礼した。

マサはしろがねとうしょうとして年下の雹右衛門にへりくだっているが、実際のところ立場はあちらの方がだいぶ上なのだ。

わざものりのほうがいほうしゅうがあったからこそ、兄妹ふたりの今がある。

おもての鍛冶仕事だけでは、雪路の治療で精いっぱいで、左目の視力を取り戻すための高額な薬はとてもまかなえなかったはずだ。

雹右衛門たちは、幕府に巨大な恩があった。


「では、失礼する」


雹右衛門は分かれ道で横に曲がり、マサと別れ去っていった。



その背を見送りながら「さて、はじめるか」と、マサは小さくつぶやいた。

ほがらかな笑みを浮かべたまま、マサは近くの物陰に声をかける。


「おい」

「はっ、お呼びでしょうか」


マサの声にこたえて、かげから男がい出してきた。

その辺を歩いているようなちょうにんと変わらない姿だ。

本物の忍びとは、そうと分からないような姿をしているものなのだ。


「これを城に届けるように。筋書きに変更はないから、予定通りに」

ぎょ


つちを受け取ると、忍びは再び物陰に消えていった。

好奇心でマサが物陰を覗き込むと、そこにはもう誰もいない。


「おお、相変わらず煙のように消えおる。こんな者たちの存在に気付けるとは、さすがは雹右衛門先生だ」


マサは楽しそうに手を打って喜んだ。

しかし、その目だけは冷たく、どこか別の場所を見ているようだった。



「では早速、えんりゅう道場に、先生のことを密告チクりに行くとしよう」


つぶやくと、マサは再び歩き出した。

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