第3話 城銀 -Ag2O-

太平の世に、わざものなど無い方がいい。

他者を圧倒できる武器は、時として人を残酷な行動へと駆り立て、罪なき人を巻き込み惨劇を引き起こす。


「許してはいけない。あんなことは、二度と……」


帰りのられながら、ひょもんは七年前のさんげきを思い出す。



確か、あの夜もセミが鳴いていた。

十歳になったばかりの雹右衛門は、どこからか聞こえてくるセミの鳴き声を聞きながら、はなれのこうぼうでひとりわざものの研究にぼっとうしていた。


しろがねは戦国以前より刀鍛冶をなりわいとしてきた一族だ。

雹右衛門は生まれた時から業物鍛冶として生きることを宿しゅくめいづけられ、先代のこおから徹底的な教育を施されてきた。


十歳となった彼に与えられた課題は、家宝として伝わるわざものきり』のぶんかいふくげん


小さなネジやくぎを含め、合計103個の部品からなるせいこうわざものは、分解するのにも組み立てるのにも高度な観察力と思考力、そして技術を必要とする。

あえて家宝を教材とすることで、しろがね家の継承者はこれから自分が歩こうとするどうの長さを早くに思い知るのだ。


「どうしてこんなすごいものが作れるんだろう……? このわざものは、きっと神様が作ったにちがいない」


分解したきりの構造を自作の設計図に模写しながら、幼い雹右衛門はつぶやく。


「いつか、おれもこんなわざものをつくるんだ。将軍様が使ってくださるような究極のひとりを、おれが……」


そんな夢を見ていたかつての自分を思い出すたび、雹右衛門はにがむしを噛みつぶしたような顔になる。


究極の一振り。

そんなものを作ったところで、その一本を奪い合うための争いが起きるだけだ。

わざものはしょせん人殺しの道具なのだということを、当時の自分は理解していなかったのだ。


「ん?」


工房の外、しろがね家のおもで何かが光ったような気がした。

ピカッと一瞬だけの、目がくらむような強い光。


「きゃあッ!?」


それとほぼ同時に、夜の闇を裂いておさない女の子の叫ぶ声が聞こえた。


ゆき!? ゆきなのか!?」


雹右衛門は妹の名をさけんだが、返事はない。

作業用のかなづちを手に工房を飛び出した雹右衛門は、かっぐちから家に駆け戻った。


異変にはすぐに気がついた。


濃厚な鉄の匂い。

それに、何かがげたかような嫌な臭いが混ざって、家の中にじゅうまんしている。


何か、恐ろしいことが起きている。


ゆき! 父上!」


残された足跡を辿たどってろうを駆けると、奥のしき近くに女の子がうずくまっていた。


ゆき!」

「うぅ、にいさま……?」

「よかった、無事だったか!」


雹右衛門は七歳になる妹のゆきに駆け寄ると、周囲を警戒した。


「大丈夫だ、おれが来たから、もう大丈夫だぞ……!」


雹右衛門はかなづちを握りしめたまま、しきの奥を見やった。

そこには血だまりと、頭を吹き飛ばされた男の死体が残されていた。


「あっ……!」


死体は、れたしょうぞくを身に着けていた。

父、しろがねこおに違いなかった。


ちちうえ……」


父の死にぼうぜんとする雹右衛門の背に、ゆきが問いかける。


「兄さま、父さまはどこ? さっきから呼びかけているのに、へんじしてくれないの」

「なに……?」


父なら、そこで死んでいる。

すぐ近くにいたゆきが、その死体を見ていないはずがない。


「ここで何があったか、見ていないのか……?」

「あのね、兄さま。ずっと、目が痛いの。さっきから何だか暗くて……」

「なっ……!?」


起き上がったゆきの顔を見て、雹右衛門は言葉を失った。

妹の幼い顔に、黒ずんだいちもんきずが刻まれていた。

ゆきの両目を真横に塗りつぶすかのような、黒いけどあと

特に右目があったはずの場所からは、煙が細くたなびいていた。

眼球が焼け、中身の水分が蒸発しているのだ。


「まさか……」


しろがねが保管していたわざものの一つに、そういう焼き傷を人に刻み付けるものがある。

父を殺し、犯人は、ゆきに向けてそれを使ったに違いない。

恐らくは、目撃者の目をつぶすために……


すぎる……ゆきが何をしたっていうんだ……ッ!」


こんなことをする奴は、人間ではない。

どうもうで残酷な獣にすら劣る、心や感情、にゅう類の温かみを持たない、別の何かだ。


雹右衛門はそんなどうを、彼がこの世で最も嫌いな存在にたとえた。



「心の無い、『虫』め……ッ!」



雹右衛門の怒りが口から漏れ出した、その時。


わかせんせい、おたくに着きましたぜ」

「はっ!」


の運び手から声がかかり、雹右衛門の意識は現実へと引き戻された。


「大丈夫ですかい? ずいぶんとうなされてたみたいですが」

「お、おづかいなく。どうも、ご苦労様でした」


運び手たちをかえすと、雹右衛門は住み慣れた屋敷の門をくぐった。

わざものとして都に移り住んできたしろがねに、幕府から与えられた住まい。

小さいながらも、本格的なこうぼうを持つ立派なていたくだ。


「ただいま、ゆき

「あら、兄さま。お帰りなさい」


仕事場に顔を出すと、作業に集中していた少女がパッと顔をあげ、雹右衛門の方へと振り向いた。

しろがねゆきは、今年で十四歳になる。


「お仕事、どうだった?」

「喜んでもらえたよ。ゆきぎ仕事にも、大変満足しておられた」

「よかったぁ……兄さまの仕事を台無しにしてしまったら、どうしようかと」

「馬鹿なことを言うな」


雹右衛門は、ゆきいでいた包丁を手に取って、その刃先を見つめた。


「まるで、今にも凍りつこうとしている冬の湖みたいに、静かで美しい面だ。みのなら、同じ刃物を十年研いだってこうはならない」

「もう、兄さまったらめ過ぎ」

「事実だ。もう一流のぎ職人だな、ゆき

「急にどうしたの? 変な兄さま」


雪路はきざまれた顔で照れくさそうにはにかんだ。


その右目には、青みがかったがんがはまっている。


七年前、わざものの一撃によって雪路の右眼球は失われ、左目の視力も大幅に低下した。

顔を横切る大きなくろけどは今でも残り、その痛みで時々、ゆきは熱を出して寝込む。


今こうして一人前以上の仕事ができているのは、血のにじにんたいしゅぎょうの成果だと、雹右衛門は知っている。


雪路は鋼を見ていない。

うしなったりょくわりに発達した第六感で探り取っているのだ。


「おれはいつだって、ゆきを一職人として尊敬している」


雹右衛門は口にこそ出さなかったが、心の中でそう思った。


腕が良いからだけではない。

ゆきの仕事は、人々の生活を支えているからだ。


えいで乱れの無い包丁は切った食材の味をそこなうことがなく、人々の舌を喜ばせることができる。

ハサミやノミなどの仕事道具を手入れすれば、それを使ってより良い品物が人々に提供される。


の仕事は、わざものづくりとは違う、正しく善良な仕事だ。

本当は、そんなゆきに、人の血を吸ってきたわざものの仕事をさせたくはなかった。


しかし、それはできない。

なぜなら、ゆきぎ作業を仕上げることこそがしろがねが行う最善の仕事であり、一度引き受けた仕事に手を抜くことは許されないからだ。


「? どうしたの兄さま? 何だか難しい顔してない?」

「……そうか?」

「絶対そう。お仕事で何かあったんでしょ」

「いや、そんなことは……」


雹右衛門が返す言葉に困っていると、仕上げた包丁をしまい込みながら雪路が「あ」と声をあげた。


「そうだ。『何かあった』と言えば、兄さまが出かけている間に人が来ていたの」

「新しい仕事のらいか」

「ううん。『えんりゅう』っていう、剣術道場の人たち」

「なにっ!?」


雹右衛門は思わず声をあららげた。

えんりゅうと言えば、さいばらざんが開いたけんじゅつりゅうだ。


「何かされたのか! どこにもはないか!?」

「う、ううん。話をしただけだから、大丈夫」


雹右衛門のけんまくに、ゆきはびっくりした様子で首を横に振った。


「あのね、その人たちのお師匠さんが、やみちされてわざものられちゃったんですって。だから、もし犯人がここに『炎のわざもの』のれをらいしてくるようなことがあれば、すぐに知らせるようにって」

「そ、そうか……」


どうやら、しっつかまれたわけではないらしい。

雹右衛門は、ホッと胸をでおろした。


「いいか、雪路。『えんりゅう』は道場とは名ばかりの犯罪集団だ。暴力で町の人をおどし、ひとさまには言えないような悪事ばかりをやっている。また奴らが来るようなことがあれば、いつでも隠れられるようにしておくんだ。嫌な気配がしたら、とにかくすぐに『例の場所』に隠れるんだ」

「う、うん……」


ゆきは、雹右衛門の必死さに戸惑いつつもうなずいた。


過保護だと思われただろうか?

うなずく雪路に向けてほほ笑みながら、雹右衛門は思う。


いや、過保護に思われるくらいでちょうどいい。

雪路が再び心無い悪意にさらされる可能性を思えば、けむたがられるぐらいでいい。


雹右衛門は、雪路の仕事場にりんせつした自分の工房を見やる。


「それにしても、危なかった……!」


心の中で、雹右衛門は声をらす。


雹右衛門の視線の先、こうぼうかたすみ

無数の工具やからくり部品に混じって、一本の刀がぞうに立てかけてあった。


「もし、あれが奴らの目にまっていたら……っ!」


わざものり『むしひょもん』がさいばらざんを斬って奪ったつち

えんりゅうの探していた『炎のわざもの』は、まさにそこにあったのだ。

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