第49話 ルナ
――パリンッ……
そんな乾いた音と共に光は霧散した。
「――――――」
静寂が訪れる戦場。時間として一秒も経たない無音の鼓動の中、蒼月の刃が結晶のように宙を舞った。
「ぁ――――」
蒼月の
「――――る、なぁ……」
「死ね」
残酷な悪魔は見逃さない。亀裂が走った血槍をリリヤの心臓へと――
刹那、気配もなくそれは通り過ぎルシファーの槍を持つ手を吹き飛ばした。
「ぐはぁっっ⁉」
第二射。それは星のような流麗の矢。放たれた第二射がルシファーの首へと迫り、しかしなけなしの結界が阻みルシファーの身体は背後へ後退していく。
「誰だァ⁉ボクの邪魔をしたのはァァ⁉」
ルシファーが視たのは遥か遠き塔の上。星の輝きと何ら変わらぬ瞬きの刹那的点滅。
その者は待つ。復讐者の選択を――
そんなすべては今のリリヤには届かない。己が死ぬ行方に至っていたなど知りようもなく、膝をついたリリヤは零れた刃を振るえる手で拾い上げ呆然と見つめ。
「ルナ……っルナ――ッ⁉」
その名と共に絶叫した。
「ぁっぁァっっぁぁぁっッ、っァァァぁっぁああああああああああアアアアアアアア――っっっ―――」
リリヤ・アーテの仮面はぼろぼろと零れていく。剥がれ崩れ壊れていく。その蒼月の瞳に滲むは拒絶と悲壮となによりの絶望だった。
「ルナっ……っルナッ!へ、返事してくれっ!ルナっルナッルナ――っ⁉」
何度も叫ぶ。どうしてと、返事をしてくれと、声を聴かせろと、目を開けてくれと、逝かないでくれと、置いて逝かないくれと、傍にずっと一緒にと、お願いだからと、お願いだからと、お願いだからと――彼女の『名前』を呼び続ける。
叫ぶように。哭くように。認めないように。抗うように。しがみつき認めず離さず残酷に願う。残酷が願いを拒み嘲笑う。
「待ってくれ……まだ、消えるな……まって、まっ――」
剣の青い輝きを失っていく。まるで身体を冷たくしていくみたいに、息を引き取っていくみたいに。
リリヤは誰よりも知っていた。生命が命を途絶えていく瞬間を。
死神の名を借り、復讐のためならば只人でさえ手にかける非道を行い、それでも守れなかった何十人もの人々の最期をリリヤ・アーテは見送ってきた。
己だけが生き、リリヤを受け入れ笑い愛してくれた人たちは死んでいった。
リリヤ・アーテはよく知っている。
剣の彼女が今、命を手放していることを。
途絶えていく彼女に、リリヤはまるで少年のように、もしくは少女のように泣き叫ぶ。
「ルナっ!お願いだぁ、逝かないでくれぇ……るなぁ……っ逝かないで、逝かないで――お願いだぁ……ルナぁっ⁉」
彼女の声は聞こえない。彼女の意思は伝わらない。五年前のあの日に誓った永遠の約束。忘れられない愛情。リリヤ・アーテを形成している一人の存在。
剣となってしまった彼女に――
――逝かないでくれ……と。
けれど、どれだけ願おうと生命の摂理は変えられない。それこそ禁忌でも犯さない限りに円環は死者を導き輪廻の環へと誘う。ルナの魂が命が永遠の遥かな先へと逝ってしまう。
二度と会うことのできない場所へ。
リリヤはただ呟いた。消えていく光の残光にただ愛しい気持ちが零れ落ちる。
「――君がいないと、ダメなんだ。君が――俺たちの月明りだから。だから――」
逝かないで――
リリヤの祈りは虚しく叶うことはない。
己の弱さが殺した。己の未熟さが殺した。また、リリヤ・アーテは傍にいてくれた人を殺した。
リリヤ・アーテは愛した人を殺した。
――――――――――――――――――――――
「貴様に一つ問う」
そんな声が静かに厳かに、何よりも強く投げられた。
背後、振り返るとリリヤを見下ろすは黒き竜。冥王の名を与えられた暴君の竜。ヴェルテアは漆黒の姿でリリヤとその手に消えていく『彼女』を見下ろし、そして問うた。
「復讐者リリヤ・アーテ。貴様に我は問う」
すべてが想起した。
「――貴様の
「――――」
「貴様の
「――ヴェルテア……」
ヴェルテアは問うのだ。リリヤ・アーテの真価を。
その掲げた『復讐』と『悲願』の答えを。
「貴様の
「――――――――――――――」
蘇り歌が聴こえる。かつての声が、彼らの笑みが、そして最後の灯火が。
リリヤ・アーテは手の中の冷たい刃を握りしめ、揺るぎない覚悟と意志を持って告げる。
「――すべてを取り戻すためだ」
「――――」
「俺は
「――――」
「それでも、彼女だけは――いや、俺が生きて為すために『彼女』が必要だ」
「――――」
それが答えだった。未熟で未完で聞くに堪えない戯言の類。はっきりとしない声明にけれどヴェルテアは笑う。
「そんな貴様だからこそ我は力を貸す。貴様の盾となり導きとならん。貴様の誓い疾く聞き入れた。故に我も応えよう。我の貴様に遣う忠義の義真を」
ヴェルテアの赤い瞳が翡翠色染まり輝き、奇跡は起こる。
自然の色に満ちた粒子が風に運ばれ集まって来る。それらは折れた剣へと集った。
「妖精……」
それらは妖精。精霊の子供であり、自然そのものの存在。彼女たちは集う。まるで母へと集まる子のように。
「さあ、立ち上がれ未完の戦士。その業を持って理想を為せ。かつての英雄たちのように愚直に生きろ」
妖精の集いは眩い光の収斂となり夜明けのように光に満ちた。翠光が視界を覆い、リリヤの耳朶にそれは触れる。
――ありがとう
「ルナ――」
止んでいく光の中、月のような彼女を見てリリヤは一度瞼を閉じた。
そして瞼を開け静まった手の中には元通りに戻った蒼月の剣が命を灯していた。
「もう、離さないから」
剣を手に彼女に語り微笑みのように剣光がリリヤの顔を映しリリヤは立ち上がった。
「ヴェルテア……」
「我は一度眠りにつく。後は頼んだぞ、リリヤ」
そして、ヴェルテアの身体は黒き歪み漆黒の剣となってリリヤの左手に収まる。
「わかってる。ありがとう」
リリヤ・アーテは立ち上がった。
その姿に【夜射】は目を細め、『悪魔』は瞠目する。
「なぜなんだぁ……?なぜ、君はまだ立ち上がれるッ⁉」
今だ身体の傷は癒えてなどいない。何よりも絶望的な一撃を喰らい剣を殺したばかりだ。奇跡が起きたといえ、理解したはずだ。
リリヤではルシファーには勝てないと。
なのにどうして?
「どうして君はまだ、そんな瞳を僕を見せられるッッ‼」
「…………覚悟が決まった。もう、貴様には負けない」
「それは戯言っ!ただ一つの奇跡で調子に乗るなァ!君たち人間は劣等な生物。僕たちのような高尚な者たちに利用されていればいいのさァ!嗚呼、アァ……僕をそんな眼で見るなァアアアアアアアアアア‼」
両腕を無くしたルシファーは再び赤星からエネルギーを徴集する。それはすべてのエネルギーを凝縮。アーテル王国の領地すべてを無に還すほどのエネルギー源。今まで殺してきた人々の命が凝縮されていく。
荒れ狂う空と地。けれど、リリヤは冷静だった。そして冷酷に蒼月の剣を祈るように構え。
復讐者は詠を唱う。
「【遠き月の夜、銀の弓より祈祷せよ】」
それは特別な魔法。想いで発現したものではなく、神話より蘇りし偽りの詩。
「【黒きポプラの歌、果たせぬあなたの恋慕、汝の名はウィルビウス】」
青き光が世界を満たし、満たぬ空に夜と星を呼び戻す。蒼月の輝きに死神は照らされる。
「【月の娘よ願いを告げろ。至極の宝珠よ
かつての物語を読むのは吟遊の詩人の代弁。とある彼女が受け継いだ物語を今、リリヤが呼び起こす。
「【我はトリウィア、あなたの願いを叶えましょう】」
嗚呼、けれどリリヤは強く強く願う。――ルナの願いを叶えたいと。
足元に描かれるのは月の紋章。月の女神の証が蒼月を浴びて描かれる。
祈祷は彼女。願いは復讐。丈は理由。
月夜の中心で、異端の娘は瞳を焦がす。
「【ルーナ。其の名を月の都より、遠き少女の
夜空に散らばる星屑が月へと流れ、月は蒼くその名を綴る。蒼月が浮かぶ世界の下で、白髪の死神は終曲を口にした。
ただ、ルナと彼ら彼女らを思い浮かべながら。
「【蒼き月夜の彼方を知れ】」
蒼月の月光がリリヤへ注がれる。月の軌跡が今一度昔日を得て現在に蘇る。
偽りの魔法。されど神話の名残。
とある弓使いは微笑んだ。
見下ろす旅人は綴りだす。
遠き大地にて竜と娘は地平の先を見つめた。
「さあ神々よよく見ておけ。さざめく精霊たちよ、ご照覧なされ。今に視よ、悪魔たち。さあ、世界よ人類たちよ――この瞬間をその瞳に刻め。――
旅人の宣言。
そして、リリヤは時の名を月へと伸ばす。
「【
突き出した剣を中心に銀の弓が光を集って出来上がる。人が使う弓よりも大きい五メル以上の弓を斜めに、天井のルシファー目掛けて構える。
矢となり集いだすは蒼月の源。月光の軌跡が昔日の想いをそこに力となる。
「俺には不相応な力だと思う。でも、不相応でも釣り合ってなくても不合理だとしても、それでも『悲願』のために俺は命を賭けるのも惜しまない。復讐のためならば、人間の悪魔にだってなってみせる」
――――
「それが死神アウズの名乗る俺の覚悟だ」
――――
「だから俺に今一度力を貸してくれ。君の誓った夢を果たすために――」
――――リア
そんな声がふと耳を撫で、リリヤの背中に熱を感じた。まるで誰かに抱きしめられているような熱を。
「――――」
――大丈夫、リアならきっと生きられる
「ルナ……」
――私に名前をくれたのは貴方、だから貴方の願いを私が叶えてあげる
「…………」
――だからお願い。愛して――
「…………」
――誰かを愛して――
「君を愛する」
――……うん。きっとあなたはなれるよ――
消えていく温もりにどこか寂寥と虚しさ、そして誓いの大きさに心は引き締まりルシファーを見止めた。
天空、赤星と同化したかのような巨星の血球。それは悪魔の心臓。
地上、銀の弓を引く蒼月の名残と軌跡の月光。それは神罰の銀矢。
時は満ちた。
「死んでしまえぇぇぇ劣等者ァア‼」
真紅の天柱が光線となり地上を蹂躙せんと爆速し。
「死ね」
たった一言と共に突き出された剣に倣うように青を纏った銀閃が矢となって迎え撃った。
それは息をするような一瞬のこと。けれど、何百年もの時を得たかのような明滅の刹那。矛盾的感覚に狂わされた真紅と蒼月の一射の衝突。
音はなく、奇跡もなく、誤魔化しもなく。あったのは純粋な力のみ。それは証明と野望の意。
人類、理、神々、精霊、悪魔、竜。あらゆる者たちの見届ける結末は蒼月に染まった。
「うそだぁ!ふざけっ……ぁっぁぁぁっァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッッ‼」
蒼月の矢が真紅の巨悪を打ち破り、悪魔ルシファーを呑み込んだ。
その瞬間、世界に二つの光が天へ穿った。
鬨の声のように光に特大の穴を開け、眩い光の閃乱が赤黒の領空を一掃する。
見えたのは幻のような夕焼けの空だ。
微かな夜の闇は蒼く、けれど紅が染める空の下、蒼の雪のような残滓が降り続いていた。
鯨波が唸り、栄光の柱に人々は喜びを打ち上げる。戦士の心に火が灯り、怯える民間に光が差し込み、暴乱する者たちが空の美しさに心を奪われる。
人類の反抗だ。
「凱旋だぁあああああああああ‼」
「うぉおおおおおおおおおおお‼」
再び火を灯した戦士たちは残りの魔族を殲滅する。
人々の歓喜と勝利の熱に熟れる戦野にて、リリヤはいつまでも空の遥か上を仰いでいた。
きっと、見たかったのはこういう景色だったのだ。
涙は出ない。感慨はある。それでも、今だ憂いは取れない。
だけど、今はすごく
「気分がいい。そうだ、俺は成したよみんな。――俺はひとつ復讐を果たしたよ」
聴く者はいない。喜ぶ者もきっといない。
天にいる家族がどんな顔をしているのか想像できない。ヴェルテアの言う通り喜んでなどいないことだけはリリヤ理解している。
「そうだとして、俺はこれでよかったと思ってる。だから、許してくれ、みんな」
『――――リア』
微かに聞こえた声に視線を前にして
『大丈夫だよ』
そんな声と共にルナの姿を見た……気がした。
一瞬のこと。蒼月の剣が元に戻り何も反応はしない。それでも、ああ伝わった。
「伝わってるよ。そうだな、まだ終わってない。終わってないけど、向こうに逝ったら怒られるかもしれないけど、今は大丈夫だ。君がいる限り俺は生きていける」
剣の君へ、俺は捧ぐ。復讐と言う名の愛を。
君との日々を――
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