第48話 最終決戦


 そして、すべてはこの死闘に命運は掛かっていた。



「【ケール】――っ!」


 破壊の名が悪魔の耳を劈く。発動は荒々しく、けれど怏々しい闇の砲撃がルシファーの血棘を凌駕して呑み込んで爆発した。

 凄まじい一進一退の死闘の果て、それは確実な痛手として痛哭を叫ばせる。死を与える暴力の闇がルシファーの腕を捥ぎ抉った。


「あぁっアァっっあ、ぁ、ぁぁあ……ぁぁあァァアァァッッ腕がァアアアアアアアアアア⁉――っっよくもっっよくもッ!ボクの腕をォオオオオッ‼ゆるせないっ……ッ許さないさァ‼」


 腕が焼け切れて落ちていく定めを目の敵に、充血した眼の眼球は適格な殺意なる恨みを持って真っ黒に染まり、ルシファーの奇声はありったけの怒気を孕んだ。

 瞬時に創造された槍がリリヤの首へ穿たれ、剣を交差して辛うじて受け止めるリリヤ。しかし、リリヤが見えるその顔は狂喜人なる悪魔ではなく正真正銘の詩に聞く最悪な名を冠した悪魔の形相そのもの。

 そしてそれは――いつしか見た鏡に映った自分自身のよう。


「愚図は死ねェ!カスは死ねェ!ボクに叛逆反抗謀叛する奴等はみんな死ねェェ‼ボクのっ――ボクの腕を殺した君は有罪ギルティだァ‼故に死んでしまえぇぇぇぇぇぇ‼」


 大層な怒声と一緒に膨大な魔力が槍先に集い、反射的に行動する暇もなく魔力砲が放たれた。純粋な力の貯蓄からの砲撃は百八十度の視界を埋め尽くし荒漠を作り出す爆轟となる。怪光の寒々しい様は死を暗示させるには十分だった。

 すべてを抱く冒涜の死光は、しかし黒き稲妻の影が呪い。


「この程度で――俺がっ……死ぬと思うなッ。俺を甘く見るなァ‼」


 漆黒が爆走する。それは稲妻の猛きこと。それは憎悪の熱きこと。それは揺るがぬ力こと。大気を振るわす漆黒の斬撃が爆轟を切り裂き怪光を覆した。


「きゃっギャァァァアアアアアアアアっ⁉」

「ぐぁっっァァ……⁉」


 ルシファーの胸を深々と漆黒の斬撃は切り開き、斬り払えない砲撃がリリヤを叩き潰す。何度も地面に身体を打ち付けながら転がっていくリリヤをみかね、神器と成り代わっていたヴェルテアが人の姿に戻って地下ダンジョンへ繋がる坩堝に落ちる前にリリヤを抱きとめる。

 黒髪黒瞳の少女の姿をしたヴェルテアはまくしたてるような蒼顔で声をだす。


「ヴェル……てぁ……」

「無茶しすぎだリリヤ!ほんとに死ぬぞ!」

「っ知るかァ!――はぁっ、はぁー、そんなのっ知るかっ!あの悪魔は、殺す……!俺が殺すんだ!この手でっ!俺の手で殺すんだァ!殺さないとダメだッ!俺の手で殺さないと……ッ!俺が仇をとらないと誰も喜ばないッ!……そうじゃないと、リーフィス姉さんたちは報われないっ!俺が……俺の命を賭けて為すべきことなんだ……」

「……その復讐を誰も望んでいないとしてもか?貴様の勝手な利己心であり、悲しみを抱かれていようとしてもか?」

「当たり前だ。――ッ死者の言葉なんて知らない。おじいちゃんたちあのひとたちの想いなんて、わかりようがない。……それでも、俺はあんな結末を認めない。冒涜されて穢されて蹂躙されて遊ばれて……っそんな死に際だったなんて――俺が破壊する!そのための復讐だァ!俺が思うままに俺が果たしたいから復讐するんだ!許せないから殺す。その何がダメだ?」

「…………」

「仇を取り無念を晴らす。俺は愛する者アドニスなんかじゃない。俺は――復讐者アウズだ――」


 リリヤはのろのろと立ち上がる。ヴェルテアのか弱い腕を払いその小さな体躯から身体を離す。


 瀕死寸前のリリヤは、爪の剥がれた右手で〈蒼月の剣〉を握りふらりと揺れた。

 それは瀕死などでは甘い。なぜ死んでいないのかが不思議なほどだ。


 肩から白い骨が覗き、左腕は刻まれ、右脚の太腿の大半は物を失くし、横腹の抉りから血と肉の混じりがだらしなく垂れ下がって零れていく。

 額から濁流の如く血が流れ、激痛が今も絶え間なく蠢き喉が鳴る。

 灼熱が身体を蝕み大量の汗水を大地へ落とす。

 綺麗な純白の髪は血濡れに侵され、衣も襤褸となり傷だらけの肉体を守るものはない。


 なのに――どうして死なない?

 どうして生きていられる?

 今にも倒れ、息を引き取ってしまいそうな有様でありながら、ふらつく身体で戦意を滾らせられる?

 どうして激痛を灼熱を苦辛を浴びながら、どうしてその瞳は光を失わない?

 どうして――諦めることを、彼らのもとへ逝くことをしない――


 龍の血を宿すその身はスキル【龍血ルドラ】によって人間よりも遥かに治癒能力及び身体能力が高い。しかし、半分以下の血脈でしかないリリヤの『龍の力』はこの有様では虚しいだけ。これほどの傷を治す力が備わっていない。いや、もはや回復する術があれども間に合わない領域に達しているのだ。

 龍と人間の狭間で生きる彼にはその全部は与えられていない。


 それでも、生きている。死なずに足掻いている。


 それがたとえ、醜い欺瞞的で恣意的な復讐であったとしても……死に足掻くその姿は誰よりも尊い戦士の姿であった。

 決して正義などとは語れぬ。決して勇者とは誇れず。決して英雄にはなれやしない。

 蛮族と同義。愚者の黒蝶。貴賤な狂気者。

 されど、それでも確かなものを――復讐だけを灯す死神の姿は神々の視線を釘付けにした。

 悲願を抱える孤独の愛に、竜たちの意識に刺激をもたらした。精霊の耳が時の声を聴く。英雄の残滓が静かに待つ。

 過ぎ去った日々の中、出逢いと別れの傍で旅立った者たちが結末を希った。


 ヴェルテアは彼を止めない。

 ヴェルテアだけはリリヤに付き添い続ける。彼の命の尊さを知っているのからだ。


 宙からゆっくりと、堕天使として降りてくる【明星】の悪魔ルシファー。

 綺麗な肌が血球を漏らし、左腕の半ばからなくしたその姿にリリヤは無様だと嗤った。


「随分な姿だな。悪魔ァ」

「黙れぇぇぇ!君のせいで僕の顔は汚れた。……嗚呼、痛いさ。痛いさァ‼僕の腕を視ろォ!僕の頬を視ろォ!僕の胸を視ろォ!――僕は間違っていたみたいだ。君という愚かな存在はこの世界にいちゃダメなことをさ。ああ、あぁ……!君も八年前の龍人かれらのように舐り貶め辱め苦しめ痛めぐちゃぐちゃにしたかったけど、まーいいさ。君の罪は消滅に値する。すぐにすぐに、殺すべきだった‼」


 憤慨するトチ狂った欲望の忠犬が、冷酷に殺伐と悪の性質を突きつける。

 咎に与えるは断罪。それは欲望に想定するものではなく、悪質よりなお質の悪い、そう、人間すらも用いる純粋な破壊衝動の類。拒絶に殺意に憎悪に瞋恚に寂寥に復讐心に敵愾心に支配欲に理解不能の虚心。

 理不尽あるいは他者の勝手な行動に不快を覚え不愉快が芽生え苛立ちとどうしようもないほどの排除理念が沸き上がる。

 それは人の悪質であり、エゴという代物だ。

 それが余計にリリヤを圧迫する。

 愚図に弄ばれたなど、最悪だと瞋恚が燃え狂う反面、悪魔の人間らしさに耐えがたい灼熱を覚えて仕方がない。


「黙れッ!悪魔が語るなァ‼悪魔が宣うなッ!黙れ黙れ黙れッ!貴様と、ッ話している時間は無駄だぁ……。貴様こそその罪、死して贖えっ‼」


 スキル【復讐者アベンジャー】が最大火力を生み出す。

 更なる限界、その先まで力が昇華していく。【復讐者アベンジャー】は龍の血すらも促進させ、それはほんの少しであれ、リリヤの傷を回復していく。魔力の効率化が為され最低限の魔力量で通常の何倍もの威力へ昇り立つ。

 血濡れの死神は命を燃やす。


「ヴェルテア――死ぬ気でいろ」

「傲慢不遜。であれいいだろう。我を使え。貴様の真意で打ち勝て!」

「――――っ」


 ヴェルテアが再び神器へと変わり左手に納まったその時、世界に異変が……否、『革新』が起きた。

 崩れる音がする。壊れていくにおいがした。そして割れた響きに視線を見上げた。


「うそだぁ……うそうそうそうそうそうそうそそうそうそだぁああああああああああああああ――ッッ⁉ボクの〈権能〉が敗れるなんて⁉ぁっァァァアアアアアァァァァ⁉」


 赤き星と繋がる楔が硝子のように弾けて砕けた。

 英傑たちの強さが絶望をひっくり返したのだ。反撃の狼煙を上げたのだ。

 瞬間、国中の認識と共に視線を感じた。


 ――人々が勝利を祈っている

 悪魔の打倒を邪の制圧を――人類の勝利を。


「――これはすべてまやかしだ。だから――俺は俺であればいい」


 リリヤにはすべては煩わしい。これはきっとゼアも同じ感情だろう。

 彼らは敬われる存在ではない。恐れられる存在であるはずだ。だから、この期待も願いも祈りもすべてがまやかし。偽善の善意であり押し付けだ。

 リリヤは息を深く吸って吐く。吐き切りだらりとした身体でそれでも天井のルシファーを睨みつけた。

 ルシファーの手に持つ槍が血片となり、監獄によって引き出していた己の力が失われていく。


「こんなことがあるかァ⁉いや、ダメだ!ダメだダメだダメだァァァァ――ッッ!こんなのこと有り得ない。あってはならないのにっ……くそッ!」


 狂乱的に悪魔は焦燥に駆られる。


「どうしてだァ⁉なんでっあの場所がわかった⁉どうして……まさかっあの時だと言うのか?……あぁ、あはっアハハハハハハハハハ――っ‼ァァァアアアアアアアアッッッ愚かな分際でェボクの野望の邪魔をするなァ‼ボクのっボクのッボクの――世界をどうしてくれたかァアアアアアアアアアア‼」


 狂いの咆哮。怒号の旋律。熾烈な欲望。渦巻き燃焼と落雷を繰り返す暴怒。罪は憤怒。


「ボクの野望が崩れるなんて――誰であっても許せないッ‼許されるはずないさァアアアアアアアアアアッッッ‼」


 ルシファーは壊れた。いや、本能に忠実となり、赤子のように純然な癇癪を起した。

 ルシファーは無理矢理生成した槍を赤星へと伸ばし突き刺す。赤星がまさしく血みどろを描き心音のように波長を広げながら燐光した。その波長とシンクロするようにルシファーの胸の中心、人間でいう心臓となりうる物――〈魔石〉が共鳴する。


「ボクの『罪』を持って、ボクの『栄光』を司って、ボクの『約定』の限りに脅かすとする。無様に死に絶えろ――〝喪失に悲嘆せよ、熾天使の名は創始のルキフェル〟――金星の罪ウェヌス


 明けの明星が旋律を神罰する。風光に黄金を。血色に失意を。魂血に情愛を。

 突き刺した赤星から伸びる柄を辿り生命が降り立つ。ルシファーの心臓を拍動させ胎動する。

 世にも珍しい悪魔のものとは思えない明星の心の臓。何重もの光輪を波紋のように波動させ生を浮かべる。絶望的な赤い世界に現れた黄金の輝きはまるで黄昏か神の降臨か。

 その姿は天使に見えたこと。


「さぁ――審判だ。ボクの謀反の罪輝き死神罪人を裁く天使の裁定さ。さぁ、取り込めドワーフの英傑。ボクの魂血がすべてを支配するためにッッ――ッ!」

「ルシファーァアアアアアアアアアア‼」


 瞬間、ルシファーの突き出した手から血を纏った黄金の栄光が放たれ、それはとある邪悪な獣肉へと注がれた。猛烈な魔力の轟獏に邪気の爆轟なる徘徊が国土すべてに走る。

 それはかつて八竜王ドラグテインと対立した時よりなお禍々しく怏々しく強大に恐怖の諦念を及ぼす。

 しかし、リリヤは動かない。なぜならリリヤは信用だけはしているからだ。


「いかなくていいのかい?このままじゃあの狼は死んでしまうさ」

「…………問題ない。白狼ゼアが役目を果たさずにくたばるような脆弱じゃない」

「……ちっ。そうか、なら君の死を献上するとしようか。だって君が最後だろう?」

「――――」


 そして、悪魔と死神は互いを見据え、そして構えた。

 赤星から注ぎ込まれる膨大なエネルギーを堕天使は突き出す掌の先に集束収斂していく。


「――もう少し、付き合ってくれ」

『――――』


 刻まれた血脈や神の奇跡、恩恵の類を極限まで己の力に落とし復讐者は〈蒼月の剣〉に命を託す。

 左足を引き身体を斜めに傾け、左手の漆黒の剣を肩の位置で後ろに蒼月の剣を少し低めに前で構える。

 高まるのは欲望。欲するのは願望。唸るのは激情。

 欲情が荒れる狂う。悲願が叫び出す。復讐が瞼を開く。

 黄金の輝きと闇の輝き。


 両者は知る。――この一撃で、この時を最後に死闘は終わると。


 時の胎動に拍動と白熱が息を吐いた。


「くたばれぇぇぇぇぇぇぇ――――――――――――――ッッ‼」

「死ねぇええええルシファぁあああああああああああ――ッッ‼」


 二つの霊光が夕焼けの柱サンピラーの運命を築く。

 空中からの金光と地上からの暗黒が鬩ぎ合う。十字架に地平を切り裂く夕焼けの火光。天使の粛清が死神の使命が神条を持ってして裁定する。

 それは正義の裁定ではない。ましては悪を定めるものでもない。それは、死を定める裁定。互いの罪と償いの結末に死を許し死を請う残酷な裁判。

 絶海の果てに焔は金と黒を両脇に天へ燃え上がる。

 そしてすべては意志のままに赤い光が戦場を染めて――


「終わりさァ‼」

「死ね――!」


 赤き星の縛道の中、抗うルシファーとリリヤは疾く駆けだし、槍の穂先と蒼月の円弧がせめぎ合い、そして――



 ――パリンッ……



 そんな乾いた音と共に光は霧散した。


「――――――」


 静寂が訪れる戦場。時間として一秒も経たない無音の鼓動の中、蒼月の刃が結晶のように宙を舞った。


「ぁ――――」


 蒼月の剣脊けんせきの少し上からそれは見事に折れた。


「――――る、なぁ……」

「死ね」


 残酷な悪魔は見逃さない。亀裂が走った血槍をリリヤの心臓へと――

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