第46話 赤と黒の絶華
そして決着が訪れる。
罅割れ砕けていく景色がこれほど爽快で美しいとは思っておらず、不敵にもゼアの口元は歪んだ。
「随分と待たせやがってッ」
血片が降り注ぐ紅雨。歓喜が上がる。世界に力が戻る。
人間の姿であるゼアの容態はこれまた目も向けられないほどに酷い有様だった。指の骨がほとんど砕け拳を握ることは叶わず、身体中から真っ赤に染まるほどに血が流れ出ており、左足がまったく動いていない。腕の肉は爛れ肩の骨が微かな肉を纏って剥き出しとなり、右の耳たぶがそこにはない。内臓は損傷していないものがないというほどに、体内は常に激痛と痺れ吐き気をもたらし、息をするだけで全体の骨が軋み動くなと訴えかけてくる。
聖獣の血を引くゼアだがその治癒能力が間に合わないほどの負傷と魔力枯渇の脱水状態。悲惨を通り越し醜いとすら見え同情の限りだ。
そしてゼアと対峙する
ゼアの方が酷い有様なのは邪鬼の治癒能力が聖獣を上回り、奴の剛撃が狼の力を超越したが故の結果。
「楔が切れた時にやっと不死身じゃなくなったって言うのに、俺がこのザマだとか、マジでふざけやがって……。けど、貴様の奇跡は終わりのはずだァ。元『死人』の貴様に留まれる余地はねぇーんだよぉ」
必死に黒い粒子が核となっている魂血に噛みついているが、魂の摂理は円環にある。輪廻の環へ魂は自然の摂理に沿って天へ昇る。悪魔ルシファーの〈権能〉がその摂理に叛逆し、監獄を作りその中で新たな摂理を生み出したことによって死者は『亡者』となり人間を襲った。だが、誰かは知らないが監獄は砕け散った。世界の理が機能し始める。故に魂は天へ還るのだ。
「だから――さっさとくたばりやがれェああああああああ‼」
片足で地面を蹴ったゼアは跳躍のみで彼我の距離を埋め、身体を捻り軸の脚で蠢く黒体へと蹴撃した。粒子の横から渓谷を作り残る肉体を捕え、切断するが勢いで全身で蹴り飛ばすように邪鬼を吹き飛ばした。粒子が拉げて見えた肉体はドワーフのもの。吹き飛んだ身体に粒子が追いかけ地面を落ちて転がっていく。ゼアもうまく着地ができずうつ伏せに地面に倒れ込み受け身も取れずうめき声を上げる。
だが勝てた気配があった。奴の魂をその肉から解放する隙は作った。視界がぼやけて定まらないが、襤褸のような肉片から純金の光が抜け出し。
「ボクの野望が崩れるなんて――誰であっても許せないッ‼許されるはずないさァアアアアアアアアアアッッッ‼」
そんな狂言が天空振動したかと思えばゼアの意識が覚醒する。
「おい……うそだろ……ッ‼クソだろぉ……ッ‼」
天より地上に落ちたのは魂血の残光。〈権能〉の呪いにして奇跡でありその残りカス。最後の抗いがマレフィクスに力を与える。再び〈権能〉に呑まれた冒涜された魂は黒片へと戻され、ドクンっと内なる心拍と共に赤い一つのだけの眼光を目覚めさせ黒き粒子の巨体は起き上がった。なお悍ましく、なお醜悪に、なお悪質に。
「クソがァ……クソがァアアアアアア‼」
増加暴走的な粒子の手房が三十よりも増加し、片腕となってその怪腕もまたより一層強固に巨大に進化していく。顔の輪郭はまったくわからなくなったが、代わりに裂けている口元が獰猛に嗤うギザギザな牙。全長は少し縮んで三メルから四メルほど。だが、怪腕は身体の半分以上はありその剛撃を喰らうならゼアの身体は肉片となり砕け塵となることだろう。更にはドワーフよりも短足が長脚となり悪魔の意思を反映させたのが伺える。
「クソがクソがァクソがァ‼死にやがれェやァ‼くたばったドワーフが今更生きてなんになりやがるゥ‼誰だか知らねーがァ、反抗しやがれッ!怒れ!嘆け!喚け!抗えやァ‼クソが……死人に口なし……ふざけやがって」
ああ、イライラする。今だ死なない怪物も、そいつに寄生されたドワーフもすべての原因の悪魔も。もう何もかもにイライラする。
この戦いになんの意味がある。ゼアがこの怪物を殺して何になる。
助かる者はいるだろう。救える物はある。だが、それらすべて究極的にゼアには関係のないこと。誰が死に誰が生きていようとゼアに幸せをもたらしてくれるわけではない。過去へ戻れるわけでも、妹を助けてくれるわけでもない。とどのつまり、ゼアがこんなことをする理由はないのだ。
「そもそも俺は悪魔を殺してーんだよォ。悪魔を殺してーのになんで貴様を俺が殺らねーといけねーんだよォ。ふざけるなッ!ふざけやがってッ……」
クソがっと吐き捨て舌打ちをする。そうだ、ゼアにはもっと他の目的があり、やることが為すべきことがある。狼のそれもまた『復讐』と似て異なるものか。憎悪と瞋恚が燃やし『誓い』と『約束』を思い出させる。孤独の狼は唾を吐き捨てた。
「……わかってんだよ。オマエの意思は誰よりも俺が知ってやがる。オマエの願いも俺だけが見ている。わーってら。俺の命はオマエにある。だから、やってやらァ。
手首、肘で身体を支え、動く右足に力を入れ飛び上がるように立ち上がる。満身創痍の身体。次の攻撃を喰らえば身体は壊れ二度と元に戻らなくなるかもしれない。いや、その前に死ぬのかもしれない。
『邪鬼』は再臨した。巨大な力がこちらに向く。
それは死の餞別か。はたまた栄光の終わりか。いや、骸の嘲笑だ。
マレフィクスの意思は悪魔の意思。その中に埋まっている『死人』は既に呑まれ犯され穢され輪廻に還れることはない。正真正銘に汚れた魂の穢れの名は『悪』。運命は地獄へ誘うことだろう。
だからここでマレフィクスを倒したとして魂を救うことはできない。けれど、この邪悪が世界を敵に回すというのなら、ゼアはここで叩き潰す。
妹の求めた理想を破壊するというのなら、ゼアはその身と引き換えになろうと邪悪を根絶する。
そして――
「ゼア……っ」
「…………クソが。俺にんな資格も意味のねーだろうがぁ……。俺はカスでクズでクソだろがァ」
遠くで見守るアムネシアの姿にゼアは舌打ちをする。
その心配気な眼。今にでも駆け寄ってきそうは焦燥。言いようのない感情が押し寄せては邪悪を根絶する理由に繋げてしまいそうになる。されどゼアは己の幸せを許さない。この身は弱い。この身は罪。使命を持つ狼は牙を剝き荒野を駆け爪を振るうしか許されない。
だから邪念を排除する。その代わりに。
「ついでだ。妹のついでだ。クソが」
聴こえない声量で己の中で落としどころを付け、満身創痍の身でマレフィクスに構える。
恐らくこの一撃で終わる。リリヤとルシファーの死闘も終曲を迎えている。マレフィクスを形成する魂血も残り少なく、再臨なしたと言え粒子は今だ急くように蠢いている。
次の一撃ですべては決まる。
そう、たった一撃。
ゼアの拳は使えない。使えるのは右足のみ。
マレフィクスの手札は五十あまりの手房と怪腕のひと腕。
手房の嵐を掻い潜り、怪腕を押しのけ粒子の奥、核を破壊しない限りゼアの敗北は決定する。
敗北の意味は死。それもまた冒涜による完全なる生命の根絶。ゼアは恐らく輪廻に渡れず邪鬼に喰われるだろう。来世で妹と巡り合うことも叶わない。
「ハァーー……っ!くらばれェ‼死ネ――ッ‼」
そんな一言と共にゼアは疾駆した。大地を猛然と駆ける。遮蔽物も何もない荒野を瞬撃する。
『~~~~――――ッッッ‼』
マレフィクスの咆哮に揃え一斉に手房がゼアへ放たれる。残りうる微々たる魔力で左足をカバーしてただただただ回避する。身を捻り掻い潜り跳躍して回転して微かな動作だけでみきりその脚は一向に止めることはなく俊足する。
疾く速く疾く雄々しく疾く稲妻のように。風と共に狼は山を越えた。野を越えた。森を越え川を越え戦野を越えた。そして、銀眼が刺すは月光と同じ。
月を喰らう名の名声が如し、五十あまりの手房を抜けた白狼は全身全力で前へ前へと跳躍し、治癒能力の全部を持って治した不完全な右こぶしをありったけの生命を持って放った。
「くだばりッやがれェァアアアアアアッッッ‼」
『ゴォウゥゥオオオオオオオオオオ‼』
拳と拳がぶつかった。
明滅する地上。轟震は音にすらならず、ただ明滅として地上を狂わす。超撃の激突はすべての人、獣、植物、自然、生物、神物の眼を惹きそして終わらぬような激闘の瞬間は――
「――――っぁがくそっ⁉」
『~~~~っっ⁉』
均衡した力が互いの力を相殺し、狼と邪鬼の身体が宙に浮く。ゼアの身体が痛哭を上げるように血を噴き、マレフィクスの身体もまた粒子を噴出する。
三秒にも満たない激突の一閃。それは相打ちという形で決着が――着くことなどはなく、残酷な生命の長所によって終焉する。
伸びたのは一つの手房。マレフィクスの身体から伸びる手房が身動きなど取れるはずもないゼアへと迫り、その胸を貫き――
「ダメぇぇええええええ!」
ドンっと押された感覚を素直にゼアの身体は横へズレる。何かが割り込んだ。何かが入り込んだ。誰かが――ゼアを庇った。
ズラした視線に映る墳血の舞い。鮮烈な赤が咲き誇り共に倒れてくる存在。
ただ、翡翠色の瞳が視ていた。
「――――――」
ゼアととある女性は地面を転がり停止する。うつ伏せのまま意識を失いかけるゼアは立ち上がることなど無理な身体でぞれでもなんとか立ち上がる。
そして、少し離れたところで血の溜まりに浸かり横向けに倒れている女性へ――
「――ヴァーネ」
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