第38話 涙は疾うに枯れている
魂血の赤と復讐の黒が衝突する度に皮肉にも純潔な白へと空間を異色する。
純潔の意味は純粋な殺意。もといい願望の丈。悪魔の欲望による排除とリリヤの復讐による殺戮。
混じり合う二つは皮肉にもこの世界の誰よりも純粋に純潔に真実だった。
互いの色が監獄そのものと同じだとしても、二色の衝突は天より到らす光輪か。見上げた者たちは計り知れず光輪に慄いた。祈る者さえいた。その純白を世界を破滅と啼く者もいた。神の天罰が降ると逃げ出す者もいた。
悪魔と死神の死曲は民間人を恐慌へと歩みさせた。
だがそんなものは知らない。
リリヤにとって地上の者たちの混乱や恐怖なんてどうでもいいこと。彼らの身勝手で勝手に死んだとしても気も病まない。地上に戦火は降り注ごうとも死神は気にすることはなかった。故に速度は上がり力も上がる。
リリヤは復讐者だ。故に発現した力は彼の想望に直結する。
スキル【
憎悪の丈、衝動の丈、激情の丈、願望の丈、憤怒の丈、殺意の丈、嫌悪の丈。それらの駆けださせる丈がリリヤを更なる高みへと昇らせる。思いが強ければ強いほど、誰かを殺したい殺意が激怒の重みが願いの妄執が、丈が強ければ強いほどリリヤ・アーテは強くなれる。
悪魔を恨み憎しみ嫌い怒り殺意を抱き復讐という願望を燃やし、それらの正しく『憎』という感情の丈が何万の魂を徴集して力としたルシファーへ追い縋る。
「希望なんてありはしない。奇跡なんて起こらない。……たすけてくれる人なんて、きっと俺にはいない。だから、俺がする。俺が貴様を倒して殺して滅ぼして、リーフィス姉さんたちを助ける。だから、もっと殺意を……もっともっと、憎悪を」
希望ではダメだ、曖昧すぎる。優しさではダメだ、揺らいでしまう。信頼も不可だ、絶対に信頼できる他者などいやしない。故に殺意。故に激怒、故に妄執。故に大願。
【アベンジャー】は核たるものを求めてくる。だから、今のリリヤに宿る無限の丈はリリヤを強く強くさせる。殺意がリリヤを正しく強く在らせる。
「――っっ貴様の思い通りにはさせない!」
二双の剣の嵐。闇の咆哮。長槍の瞬撃と旋回。血棘の襲撃。黒き翼と白き羽が宙を羽ばたいては純白を散らす。殺意の叫喚と不快の嘲笑。魂血の呪いが形を変え閃や棘、刃となり復讐者を穿つ。闇の暴力が大蛇か渦か八又となって喰らう。
その死闘は均衡に思えた。その激闘に隙はないように見えた。
けれどそれは違った。ただ一つ履き違えていたのは〈権能〉と言うのは、信条の奇跡による未知の力のこと。教理に従い崇高する悪魔の誓いに倣う奇跡の呪い。
リリヤの誤算は〈権能〉がもたらす奇跡の上限だった。
「君の吠えは実に愉快だけどさ。そのボクへの憎悪は実に不愉快さ。つまるところ、酷い言い草だね。まーいいさ。君が『あの日』の子供だと言うのなら、受け取るのもボクの明星に尽きる。果敢なる君の復讐心に敬意を表し、ボクの本気を見せてあげるさァ‼」
膨れ上がった魔力。直観だけで理解できる能力の上昇。赤き輝いたルシファーは刹那、予測もしないスピードでリリヤの側面へと回り込み長槍で叩きつけた。
「死ねェ!」
「がぁッハァ――っ⁉」
リリヤの身体は直線に地上へと落ちていき、威力の増した瞬間の打撃に対策がとれず左肩から再び地面に追突した。ガラクタが砂埃のように舞い上がり大損の音がけたたましく打ち上る。
「あははははは‼まだまださァ‼」
「――っ!ぁ、ァァァ――っっ⁉」
ルシファーは急降下し魔法で辺りを吹き飛ばし立ち上がるリリヤへ一直線に迫り、流星が如く槍の穿ちが容赦なく殺しに至る。
「アァッアァアアアアアア‼」
獣のような気迫の雄叫びを上げてリリヤは二双の剣を交差して受け止めた。が、超飛行からの一撃は何倍にも重くリリヤの身体は呆気なく弾き飛ばされる。なんとか踵で地面を削りながら踏ん張れど嘲笑と共に槍の閃撃が空間を縫った。
リリヤは咄嗟に背中の翼を消して翼を形成するための魔力を剣に込めて相殺した。
「はぁはぁはぁ……っ」
『リリヤ、大丈夫か?』
己を神器と変形した〈漆黒の剣〉のヴェルテアが焦燥と心配に訊ねる。リリヤは一瞬剣を見てから息を整え冷酷な瞳でルシファーだけを目の敵にして答えた。
「大丈夫も何も、あいつを殺すだけだ。俺はそのために生きて来た。今更止まることなんてできない。それは知ってるだろ」
『…………』
「俺の剣なら従えヴェルテア。もっとだ。もっとっ――俺に力を貸せッ!」
リリヤの気迫、威圧、暴圧染みた意志に戦慄すら覚える。ヴェルテアはリリヤと闘った日のことを思い出し、嘆息した。
『……存分に振るえ。お前の復讐がそこにあるなら。それが、願いというのなら』
それは契約の印。それは契りの成す事項。それは意志の心和。
竜と復讐者の始まりの決着がすぐそこに転がっている。ああ、誰も彼らを止められない。
そして、リリヤは今も輝きを生命の光を灯す〈蒼月の剣〉におでこを預けるように。
「もう少しだけ頼む」
返事は返ってこない。当たり前だ。それは剣。ヴェルテアとは違う。ただそれでも光を失わない剣にリリヤは意を込めた。
「翼を失くした愚かなる者!ボクの屍となり栄光に喰われて死ねっ!」
「――っ黙れ。貴様を殺し、
急降下の加速からなる一撃が、飛び下がったリリヤの後地を跡形もなく霧散する。すぐさま飛翔からの連続が支離滅裂にリリヤを喰らう。
しかし、リリヤも負けていない。果敢に振るう斬撃が少しずつでもルシファーを死に至らしめる。
十の赤と百の黒。紅の花吹雪を幻葬と背後に漆黒の夕刻が近づく。
羽を持つ悪魔と翼を無くした死神。
地上空中に有利はあれ、それでもリリヤは負けていない。燎原の戦野にて音は鳴り響く。
彼我の差はそこまでなかった。リリヤの【アベンジャー】は究極ルシファーに劣っているわけではなかった。ただ、〈権能〉の力が神の真髄と同義であったゆえに差は歴然と見えてくる。
果敢な空中からの飛翔攻撃に脚の踏ん張りが僅かに浮いたその間隙、風力を纏い迅速を持つ飛翔からの最大の槍撃がリリヤを激しく吹き飛ばした。
「がぁハッッ⁉」
「アハハハハハハハハハハ!まだまだこんなものじゃないよね!」
瞬間移動の如くリリヤの行く先に現れ、背中を殴り、腕を切り裂き、腹を蹴り、脳を揺さぶる。肋骨の割れる音が響いた。身体のあちこちから血が噴きだす。激痛が激熱となって休まることなく走り続ける。
「く……くそっ……ぁああああああっ!」
なけなしの根性と憎悪で激突を足裏の摩擦で逃れたリリヤは、突貫してくるルシファーの槍を双撃をもって立ち向かった。けれど圧倒的にスピードに乗った威力は桁が違う。
飛翔能力と〈権能〉による最山頂の能力上昇がリリヤの【アベンジャー】の遥かな上にいく。
押しつぶされるよう強撃に、膝をついて何とか受け止めるも、ルシファーは笑うばかり。
「よく耐えたね!故に不愉快さ。あれだけの攻撃を喰らってまだ動けるなんて、本当に憎たらしいさァ!ああ、ボクが認めてあげる。君は確かに強い。このボクとここまで渡り合える人間は神の時代において少数さ。だからさ、途轍もなく不愉快だ。……ねぇ、人間はボクのために死ぬのが道理だよね?ボクの欲望の礎になるのが君たち人間だよね?」
「なっなにを言って……っふざけっ……」
「あはっ否定は許さないさ。この世界の真実なんてもとより神の水準に縛られている。君たちは正しくその例だ。神の模写体として生み出された家畜も同然。大きな箱庭で神の手によって遊ばれているだけなんだよ君たちは。嗚呼!なんて愚かで可哀そうなこと!ボクは君に同情してあげるさァ!君たち人間に人権も存在意義も何もないんだから!ふはっだからさ――……君の家族は死んで本望だろうさ」
――命の割れる音がした。
目の前の悪魔に業火の闇が竜となり悪魔となり鎌を向ける。
得体の知れない感情の悪魔が、地獄を背中に起き上がる。
――黒い炎が燃え上がる。
奴の、その顔は恐ろしいほどに美しかった。イケメンとされるゼアが未完成に思えるほどに黄金的な比率を伴う綺麗な顔貌をしていた。
奴の、その顔は恐ろしいほどに不気味だった。得体がしれない。笑顔を向けられるだけで萎縮して、魂を掴まれるような恐怖たる笑顔をしていた。
ああ、天使がいたというならそうなのだろう。そして、天使が地に堕ちたというなら正しく疑いはない。天使が堕ちて成り果てた悪魔。
悪魔ルシファーの相貌は美しく、そして、その微笑みは邪悪だった。
「あはっ!忘れていると思っていたかい?覚えているとも。龍の里から逃げ出した子供の殺意と同じ味だからね。ボクは再び遭えてうれしいよ。死神アウズ」
奴が視えているのはなんだ。殺意の味か?昔日の甘味か?慟哭の愉悦か?否だ。
視ているのはなんだ。心臓か、命か、否――『魂』だ。
悪魔ルシファーは視ているのはただ一つ。リリヤの内に宿る真核。
この身に宿す『
八年前と一緒。あの頃と何も変わらぬ姿。何も変わらぬ欲望。何も変わらぬ野望。
悪魔の目的など事実どうでもいい。ルシファーの企みなどクソくらい。あの日の再来など許しはしない。
育ててくれた龍の里のみんなはルシファーに殺された。
力を求める旅の中、守れなかった人々がいた。
リリヤ・アーテという母の形をまだ宿し、心が人であった頃。数年に及ぶ旅の中、友も仲間も愛した人さえも『魔』という者どものの惨劇の嵐に晒され、リリヤは何一つ守れることなく生き残った。
龍の家族は魂を奪われ亡者と成り果てた。友は喰われ肉片すら残らなかった。仲間は騙されて命を落した。愛しき人はリリヤを守って眠りについた。
リリヤには複数の『復讐』がある。数多の『悲願』がある。
その身は心を捨てた。その身に残るものは力を燃やす不の感情のみ。そして生まれたのは一つの最大にして最後の『悲願』。
嗚呼、初めて誓った復讐が産声を上げ激昂する。
「貴様は許さない……貴様は殺す」
奴の〈権能〉は一度みた。奴の特性は理解している。
復讐の果てに繋がる魂たちの解放するため。彼らたる個体を声明する『名』を天へ還すため。何より悪魔を許せないがため。
漆黒の業火が静かにおどろおどろと沸き上がる。大地を侵略する竜が如く。深海より昇る蛇が如く。天より定める鷲が如く。鎌を引きずり黒のローブで包まれた人が背後から近寄るが如く。
その炎が静かに燃えあがる。
「本当にくだらない。……最悪で最低だ。俺に高尚な理由はない。正義でもなんでもない。ただ、すべてを終わらせるために貴様を殺す」
いつだってそう。間に合わない、助けられない、救えない。
殺して殺されて足掻いて諦めて死んで生きて目覚めて悲しんで憐れんで自害して怒って苦しんで泣いて喚いて責めて、責めて、責めて……憎んで嫌って刃を握る。
ああ、本当に救えない、救われない。
リリヤの
「貴様は俺のことを受け入れてくれたリーフィス姉さんを殺した。俺みたいな不純物を家族として受け入れてくれた、『アーテ』の姓を教えてくれたじいさんと婆さんを殺した。共に育ったアーシャ、ガイ、キャーネット、オリーヴァ……俺の友達、仲間、兄さんたち、姉さんたちを……貴様は殺した」
みんな、誰もがリリヤの目の前で死んだ。
英雄は現れず、神は救いをもたらさず、精霊すら怯えて出てこなかった。
奇跡は起きない。希望はない。救いはもたらされない。
「涙なんて、もうでやしない」
喜劇も希望も愛も友情も情熱もない。何もない。全てが死んだ。彼の傍から離れていった。彼岸のその先へ、紅き花々のアルカディアへ先に逝かれた。
リリヤ・アーテを置いて、空の彼方へと逝かれてしまった。
そんなリリヤが生きてきた理由。自害も諦めもせずに、殺し続けて生きてきた理由。
「そうだ。すべての『悪』を滅ぼし、絶対の『死』を与える。ルシファー、貴様だけじゃない。すべてだ。すべてに復讐する。理に背いてでも、たとえ禁忌に触れるとしても……命に代えて悲願を叶える。そのためなら俺は『死神』で在り続ける。誰よりも醜い【死神アウズ】として、死を与え続けるッ‼」
これは意志。誰にも覆せない強固な意志。
これは願い。誰にも届かない己だけの未熟な願い。
これは復讐。また出逢うための、全てを取り戻すための愚かな復讐。
復讐者リリヤ・アーテは止まらない。
「悪魔ルシファー。その身の死をもって贖罪となれ。報いとなれッ‼」
爆発的に膨れ上がった復讐の丈がリリヤの真価を発揮させる。血が流れる身体は無惨。瀕死の状態は無様。それでもルシファーの槍を弾き返し声を上げて腹部へと切り込んだ。
「ぐはァっ――‼ごちゃごちゃと――っ君の理想などボクの純潔な野望の前には無意味なのさ‼君はここでボクの殺される運命さぁあああああ‼」
「――っっ運命なんかに、屈しない!」
よろめきながら後退するルシファーの憤怒の激昂。穿たれた槍は漆黒の剣が迎撃し、均衡した力が互いを硬直させる。
声を震わし、意志を高らかに、身体の前方に体重を乗せて漆黒の剣で槍を足下へと押し込める。その槍が旋回して心臓へと向けられる前に、リリヤの右手に持つ蒼月の剣が胸元を更に切り裂いた。
「ぎゃぁああああああああ‼っいったぁああ!ァ、ァあぁぁアアアアアアアア‼」
大量の墳血。痛苦と哭き声。後退りながら槍を手放し胸に手を当てる無様な姿にリリヤは初めて嗤った。
「貴様のそんな顔を見れて最高の気分だよ。そうか、貴様をいたぶるだけでこんなにも気持ちがいいのか。貴様を殺せばどれだけの幸福感に満たされるかな」
「君はァ⁉ボクの⁉ボクの身体にィィィィィ!もういいもういいもういいッ!君をボクは殺すさァ‼あの出来損ないの龍たちみたいに君も殺してみんな殺してぜんぶぜんぶっ!ボクが支配してやるぅぅぅ‼」
凶漢的に叫ぶ異類の狂者の真言に家族の侮辱を聞き取ったリリヤは再び激昂する。
「ルシファァアアアア——ッッッ!死ねぇえええええええええぇぇぇぇッッッ!」
「ふはっアハハハハハハハハハハハハハ――ボクが一番だァァァ‼」
同時に地を蹴った二人の神足から放たれる刃が、終局を迎える鐘の音の如く、国中に響き渡った。
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