第37話 欲と怒 憎と我

 ただ、家族が死んでいく様を逃げながら見ていた。

 俺を逃がしてくれた彼らの死を見ながら、その大空で笑う悪魔に殺意を抱いた。


 魂を貪り操る惨たらしい堕天使に忸怩たる己の弱力を呪いながら、いつか、いつかと闇のように深い瞳で睨みつけた。


 その顔は覚えた。その声は覚えた。その異質も覚えた。死んだとしても、絶対に忘れることはない。


 魂の徴収によって龍人族ドラゴニュートを超越した牢獄の狂信者によって、その地に生きている者はいない。何万の魔族と漆黒の空に焼ける炎に拝啓した悪魔が明星とばかりに薄ら笑っているだけ。

 北部に生息する食物連鎖の頂点、人種にあたる龍こと龍人族ドラゴニュートは、奴らによって滅ぼされた。


 ただの欲望として、魂も命も尊厳も未来も輪廻の権利も、悪魔の悪戯によって赤だけに囚われた。


 自分を育ててくれた家族の最期をこの眼に焼き付けて、走る。

 流れ出す涙も、鉄の味がする血も、大地を消滅させたいほどの瞋恚も、この身が強くなるその日まで。



「いつか――貴様を殺してやるッッ!」



 俺は――リリヤ・アーテはこの日、復讐を誓った。


 それは八年前のことである。




 *




 その光景を目にして、内の臓物がマグマのように煮え滾る。狂おしいほどに噴き乱れ、ただ一つ『殺してやる』と全細胞が叫んでいた。

 外からは認識遮断されている監獄の情景。見えるのは赤星と薄い結界のようなタイル壁のみ。

 その壁も完全に見えなくなったり現れたり、光を強めたりと不可思議な現象。

 しかし、リリヤ・アーテの眼にははっきりとその姿が映っていた。

 魂血の監獄。それは八年前のあの日と同じだった。


「――――ッ」


 狂う狂う燃え狂う。

 冷酷に瞋恚を宿し、殺伐に憎悪を高め、嫌悪以上に暗澹と烈火が昏く歪んだ心臓の音を打ち鳴らす。飛翔するリリヤは漆黒の剣を構えた。

 家族が悪魔ルシファーに残虐された日、リリヤ・アーテは誓いを立てた。愚行の極まりであり、侵犯の贖いであり、奇跡を覆す運命の超克。

 リリヤ・アーテが【死神アウズ】の名を受け入れ、人間であり続けられる家名すらも名乗ることを止め、そうして剣に宿したのは復讐の一つ。

 やがて悲願が生まれより一層闇は純然に輝きを増した。


 リリヤ・アーテは死神だ。

 リリヤ・アーテは復讐者だ。

 リリヤ・アーテは愚か者だ。


 故にリリヤの心身は神でさえ覗くことができない深淵の暗澹――復讐の憎悪に染まっている。

 憎悪は死神に力を与える。殺意は復讐者をより高める。怒りは愚者を遥かな未知へ誘う。


「――――ッッァアアアアアアアア‼」


 風を狂わす超進の飛翔。漆黒の竜の翼をはためかせ、リリヤは携えるクロユリの剣で魂血の監獄へ見舞った。

 超斬撃が大空に穴を開けんばかりの衝撃の神電。魔族殺しの死神の一撃を持ってして綻び得ない血片の壁。リリヤは二度三度四度五度と切りつける。果敢な一撃一撃がさらなる力を増し三度目にて亀裂を走らせ、四度目五度目にて革新の姿が真実となる。


「アァアアアアアアァァァッッッ‼」


 迸った剣幕と共に闇を纏う剣の一撃が血片を砕き割った。


 そして、リリヤ・アーテはその光景を目にする。真なる酷似する地獄と破滅を。 


 その光景、その絶望、出来上がった真紅の呪い。悪魔が許す理に背いた支配の領域。

 人の死は冒涜され、命の輝きは偽りとなり、絶えず悲鳴が上がり続ける。

 黒き斑点が国を腐食していき、呪われた魂が偽りと支配に呑まれ濁り火を讃え、真なる魂の輝きはスズメの涙ほど。

 打ち鳴る鐘楼の音は死闘の咆哮。四つの戦場にて死闘は繰り広げられ命が全身全霊輝きを放つ。

 そして、赤き星が楔で創り上げた囚われの監獄。

 魂の冒涜が成す世界一醜悪な一番星。


 それらを知っている。覚えている。見てきた。覚えていた。忘れずに刻み込まれて、その傷を絶やすことなく生き抜いてきた。

 だから、甦る。だから、憎悪が膨らむ。だから、走馬灯の過去が流れ出す。

 空中で過去と現在を酷似させたリリヤは前方、その赤き星を背に佇む愛しきその人、リリヤは嗤い駆けた。


「ようやく会えたなァ――堕天使ィィィィッッ‼」


 漆黒の翼を大きく上下させ、リリヤは空を切る。


『復讐』を誓い『憎悪』に駆られ『悲願』を夢み『死神』と名を轟かせた人類の『悪魔』。


【復讐者】は駆け出す。迅速をもって衝動に駆られ妄執の遥かへ駆けていく。


 それを『悪魔』と見間違うのは容易かった。

 自分の仲間なのだと勘違いするのに容赦はなかった。

 その姿身も秘められし殺戮の殺意も、歪んだ価値観も悪魔と変わりなかった。


 ……それが己に向けられたものでなければ、それがルシファーの欲望の完成を破壊した者でなければ、ルシファーは同族と勘違いしたことだろう。


 しかし、反逆者は何も迷うことなくルシファーにトリカブトの毒よりも強烈な殺意が刃よりも怜悧に浴びせた。

 今まで経験したことないほどの、あの日初めて龍の里を滅ぼした時の子供以来の憎悪たる激情。殺意たる憤怒。その名は『復讐心』。


 堕天使にして悪魔の資格をもつ【明星】のルシファーは嗤った。


 天使の羽を羽ばたかせ、迫り来る復讐者に立ち向かった。

 狂気的な笑いをそのままに加速した真っ赤な爪撃と、漆黒の剣からなる斬撃が音を彼方に銀煌めく刹那を作り上げる。


「アハハハハハハハハハハ――ッッ‼」

「死ねぇええええええええ――ッッ‼」


 爆風が監獄を揺るがした。弾ける光が日食のように克明な輪郭を走らせる。。

 二人の一撃は世界に刻む一撃として始まりを迎えた。


 弾き合って距離が出来るが、それも一瞬。復讐者の神飛を極めた斬撃の連撃がルシファーを殺しにかかる。

 一つ一つ洗練させた無駄のない強さを求めた剣技。赤き星が統べるこの国の下、彼の剣戟だけは己の彩を喪うことなく塗りつぶさん限りに輝きに焦がれる。

 斬撃を爪牙で往なし、ルシファーは急上昇。

「待てェ――ッ!」とすぐさまリリヤはルシファーの後を追い、上空へと飛翔しながら赤き棘の光線と漆黒と蒼の連奏が上空を絶えなく彩る。


「ははっ……今のボクにここまで迫る者がいるなんて……ああ、本当に予想外で不愉快さァ!」


 長年研究の果てにようやく築き上げた監獄をこうもあっけなく破壊されてルシファーの怒りは真っ赤に燃えあがり、狂喜の欠片もリリヤには向けられていない。だがそれはリリヤにとっては吉報。


「人をいたぶり殺し嬲り冒涜する貴様の幼児な怒り顔……面白いほどに無様だよ」

「なっな、なななななななァアアアアアア――ッボクがァ無様だと⁉君の眼は腐っているさァ!君の脳はイカれている!君は万死さァ!有罪さァ!君の魂、骨の髄までボクが嬲り殺してやるぅ‼」


 やはり悪魔的思考。リリヤは全く理解できないし気持ち悪いと思えて仕方がい。だが愉悦があった。余裕綽綽な態度で人道に反する嘲笑ばかりの悪魔が今や幼子の理屈。己より劣等だとリリヤは愉悦に浸る。そして、そんな得体の知れない化け物を殺すことのできる愉悦。

 愉悦は殺意を燃やし、愉悦は憎悪を滾らせ、愉悦はリリヤを強くする。

 無数の棘の乱射を上空へ急加速して回避し、ルシファーの視線がリリヤを捕えるタイミングで急転換。ルシファーの視界に一切止まらぬ急転換の連続は空をギザギザと稲妻のように走り、「動くと狙えないだろ‼止まれェ!」と意味のわからないことを叫ぶルシファーへ、リリヤは最後直角に急降下。ルシファーを頭上から二双で切りつけた。


「~~~~ボクをなめるなァアアア‼」


 刃がルシファーの額へ接触する瞬間、コンマ的秒数での僅かで監獄内に満ちる赤い光が人の眼にはっきりとわかるほどに輝きを増し、それは収斂して刃とルシファーを隔てる紋章の盾と変化し阻まれた。

 掻き鳴らすのは金属よりもなお高い高音と衝撃波。

 刹那、リリヤの刃は即席の盾を切り開き、剣の倣う勢いのまま身体を前転させてルシファー目掛けて踵を落とす。


「驕りと体たらくはキミを殺すさ!」


 意味のわからない文句はルシファーが縫うマナの僅かな変動によってリリヤはルシファーの次の行動を直観的に読み取る。

 創造されていく槍み魔法というには甚だしい魔力を凝縮しただけの【ケール】を足裏に構築する。振り下ろす踵の魔力と放たれた赤き槍の一掃が互いに相殺した。爆煙を上げる上空でリリヤとルシファーは互いに距離をとり、煙を合い間に息を吸っては敵を見据え殺意を滾らせた。


 ルシファーは密に歓喜していた。共に恐怖も抱いていた。

 この統べる監獄の領域内にてルシファーの能力は強化されている。殺した人間の魂の欠片を徴集し、その残滓がルシファーの糧となる。数万、もしくは数十万と殺し蓄えてきたルシファーの強さは文字通り最強だ。変換効率が悪いとは言え、蓄積と進化の行程は永遠のもの。ルシファーはどこまでも強くなれる。

 そう、食物連鎖の頂点に君臨する龍を滅ぼすことを成し遂げてみせたルシファーは文字通り最強なのだ。恐れずには足らずその眼に勝利しか映ることはない。


 だというのに……


「……ほんとうに君は誰なんだい?ああ、ボクの数十年、数百年の躍動が得体の知れない君一人の愚行で敗れるなんて……そんなことはあってはならいさ!あぁ実に不愉快さァ!」


 ルシファーには耐えられなかった。愚者一人に盤石を崩されることが。神聖紀から思い描き幾度も失敗に終わって来た野望が、この力なき時代でさえ叶わぬなど耐え難い理不尽だ。

 普通ならルシファーは歓喜する。ゼアのように強き者の魂はより純然な力となってルシファーの世界を支えるからだ。しかし、煙の向こうの憎悪の主には恐怖した。


「ボクの野望を壊すなんて許さないさ!あぁ、アア、アァ!ボクがァ!ボクがァ君を!君を殺してボクはこの世界を支配する!君はボクのために死ねばいいさァ!」


 天に翳す掌に従うように赤星は燐光し、ルシファーの頭上背後にその数ざっと五百は超える血棘が殺戮者を捉え――


「フフフフっ……さあ、思い知るといいさァ!ボクが統べる世界でボクの恐ろしさをその真髄までッッ‼」


 降された腕に従って五百あまりの血棘が消え逝く煙の向こう側へと一斉に放たれた。煙を裂き、リリヤを包囲しては棘の坩堝に嵌まった蟲を狙うが如く、前方すべてを覆う血棘は回避の暇を与えず到来した。


「はぁああああああ――っ!」


 迫り来る膨大な血棘に向かって二双の剣で迎え撃つ。剣戟の限りに往なし切り裂き撃つ落とし相殺する。

 走る走る走る。飛来飛来飛来。

 斬撃が閃光の残像を残し、驟雨はまさに紅雨の様。僅かな動作で回避しながらほとんどの血棘を捌く実力にルシファーは忌々しいと感嘆する。やがて、すべての血棘を相殺しきったリリヤに向けてルシファーはさらなる爆薬を投下。


「これでどうかな?」


 リリヤを人差し指で指差し、赤星がルシファーの意に答えるように創造する。出現したのは槍。四つの槍が空飛ぶ武具のように飛翔しリリヤへと迫った。

 一つを下から上へ円弧を描いて弾き、左方からの二つ目を身体を後ろに逸らして躱し、三つめ四つ目の右方直面と斜め上からの槍撃に、一つは薙ぐように槍の先へぶつけ進路を変更させ斜め上からの槍撃は身体を捻って回避する。

 そして始まるは自由自在に飛行する槍との空中戦。槍と剣の縦横無尽の激戦。


「…………俺を舐めるなよ、クズ」

「クズ?はは、君はやっぱり万死に値するさ!」


 そんな中ルシファーは人差し指でリリヤを捕え、棘の螺旋を放った。音はなく気配なく光あるのみの。確実に仕留めることのできる刹那の一閃。……けれど、それは想定外だった。

 すべてを弾き落とす剣戟と異様な速度の疾飛が、翼で宙を優雅独奏までに舞い、剣舞の幾千たる閃光が星の如く煌めき、蒼と漆黒の剣が四つの槍を討ち果たした。


 そして振り下ろされた蒼き一光は赤き一光を断ち切った。


「これは……予想以上だね。ボクの〈権能〉から集めた生命力でも、刃が断たないなんて……。それ以上に対応して見せるかい。ふっ……ふふふ、フハハハハハッッ‼面白いよ!あぁ実に不愉快で最悪な気分さ。キミは面白くて忌々しいッ‼」


 愉快に滑稽に傍若無人に嗤い怒る悪魔は飛び込んでくる『復讐者』を猛禽が如く空のような嫌悪を携えて迎え撃った。



「いいさァァ!ボクの名はルシファー!君だけはボクの手で確実に殺してあげるさァ――ッ‼」

「黙れ……黙れェェェ!貴様だけはッ……貴様はァァ死ねッ悪魔ァアアアアアアアアアアアアッッッ――――ッッッ‼‼」



 ルシファーの右手に真っ赤な長剣が創造させる。それは槍のように細長く棘のように先端は鋭い。それでも剣と表すのは形状が剣のそれであるからだ。

 急降下していくルシファーの槍撃と突貫する復讐者の双撃が混じり合った。


「アハハハハハハハハハハ――ッ‼」

「あぁあああああああああ――ッッ‼」


 爆音、爆風、激光。空に浮かぶ雲は遠ざけられ、監獄の空は震える。残りある背高い建物の上方は吹き飛び、木々は薙ぎ斃れ楔は激しく振動する。

 始まりと同じ最大の一撃。燃える互いの熱が上空で交わった。

 空中戦は苛烈だった。


 縦横無尽に飛び回り、斬撃の応酬が止まることはない。

 槍の旋回が双撃の嵐が幾度も己を殺しに来る。その度に躱し、往なし、回避して、けれど確実に身体は傷ついていった。肩が抉られた。墳血が舞う空の中、豪胆たる槍の穿ちが見逃さない。

 しかし、リリヤとて引けを取らない。

 急ブレーキからの反転で直進し、ルシファーの内に入り込み斬撃を放つ。それは確かな同じ傷を与える。

 されど悪魔。瞬時に守備へと転換し、槍の柄で捌かれる。けれど、この好機を見逃すつもりなど微塵もない。息をする暇すらない双撃が抑え込む。


 皮膚を裂いて衣を切って血を飛ばし蹴りを腹に繰り出す。しかし、魂たちによって強化されたルシファーは復讐者の一歩先を行った。

 蹴りを耐えきったルシファーの槍が眼光に迫り、身体を急転させて何とか躱すも、長剣の柄がリリヤを地上へ殴り飛ばす。


「がァぁっっ――⁉」


 耐え切れない衝撃のまま、倒壊した瓦礫の山を貫き石板を抉りながら衝突。内臓が暴れ骨が軋む嫌な感触と音が脳内を刺激した。

 息が詰まり世界から一瞬見放される。転がりの果てにゲホゲホと吐き出すように息をして見上げれば、数百の棘が穿ちに来る。

 荒い息も痛む身体もそのままに「くそっ」と吐き捨ててその場を離脱。刹那に元居た場所は血棘の餌食と成り果て、無惨にも棘地獄と化した。

 頭上から飛行してくるルシファーを睨んで握っている剣を更に強く握りしめる。


「あははははは‼死ね!死ねェ!死ねッ!ボクを愉しませることのできない不徳の魂はボクに焼かれて死ね!ボクの栄光を欲しない君は世界に必要ないさ!君の抱くものなど価値はない。君はボクの世界にとって……いや、悪魔ボクたち新世界エデンには邪魔さ」


 悪魔の思考と排他的観測は理に適わない。

 奴等の思い描く理想とは事実欲望の具現にしかなく、身勝手な叛逆でしかない。


 悪魔は理に背く。悪魔は神を恐れない。悪魔は狂者である。故に己を信じ己を愛し己を一番と思っている。


 過程や観測はともかく、悪魔の原理は常に利己心に存在する。極めつけは欲望に忠実であり欲望の権化。欲望の言いなりだ。

 人を残虐するのも自然を破壊するのも国を占拠するのも奴らの欲望への具現化による軌跡なのだ。


 リリヤはそれがたまらなく嫌だった。反吐がでると舌打ちをし、ふざけるなと瞋恚を滾らせ、許さないと昔日の理不尽に憎悪を業火に重ねる。


「貴様の理想郷などただの地獄だ。人を殺して世界を踏み躙って気色を振り撒く不快の代物。そうだ実に不快なんだよ。貴様が生きている真実が憎く不快で身すら爛れる。俺の大切なものを破壊した貴様が生きているのが許せないッ」


 欲望と激情が激しくぶつかり合う。槍の旋風が剣戟の閃光が情景を書き換えるように苛烈に殺意が打ち上った。

 空戦は空の色を忽ち破壊し彷徨う雲雲は割れては散り、もとに戻れば割れる。

 間隙を縫うように幾度の閃が空中を繋いだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る