第36話 死界の降臨

 北部に出現した手腕の化け物と業火の殺し合いが炸裂し、東部にて肥大化と巨大化をしていく成長途中の化け物に向けて竜印の覇者たちが一斉に攻撃する。南部のサタナキアは魔族の死体を貪りながらその時を待ち続ける。

 世界は醜い絶叫に溢れていた。呻吟、共感、絶叫、殺戮乱れる大地にて黒が蠢き赤が迸る新世界にてその光景を悪魔ルシファーはこう表す。


「いいさ!とても美しい」


 享楽的感想。うっとりとした眼で美しいものに祝福を授ける。まさしく理想の体現にルシファーは喜々としてすべてを見守った。


「さあさあ泣け喚け嘆け!己の弱さを呪うがいいさ。己の過ちに気づけばいいさ。そうして死んで死んで死んでしまえッ!死は救済さ!君を解き放つ光の道だ。死は栄光さァ!ボクの野望の実現へと到らせる祝福そのもの。さあさあ死ね殺せ残虐しろ!ボクの理想の体現のために、君たちは絶望するがいいさ!その死はボクがちゃんと嗤って見送ってあげるさぁ」


 悪魔は総じて狂っている。人間の思考よりも遥かに悍ましい欲望の権化。違えずルシファーも狂っている。欲望に怒りに熱意に忠誠に力に躍動に感情に異常に狂い狂って狂いだす。


「抗う者たちよ。死に逝く者たちよ。啼くだけの者たちよ。ボクからのプレゼントだ。さあ受け取っておくれ」


 そう言い両手をいっぱいいっぱいに広げると、背後の赤星が恍惚と輝きだしアーテル王国全方を覆う赤き棘を放った。

 真下から見れば彼岸花のような開花の瞬間。細く赤い花が傘のように開く星の落とし。天災が如く見間違う棘の流星がアーテル王国へと振り堕ちた。

 仲間も敵も等しく蹂躙する棘の裁定。驟雨のような赤き雨に国は赤く黒く燃え上がる。


 焼土の意。燎原の火。死屍累々。


 暗黒が染め上げ、業火が聳え、叫喚が劈き、狂喜の笑い声だけが命となる。


 戦士に守られた王宮しか残っていない残骸の国。かつての軍勝伝説も神話の名残も竜王譚の象徴もすべてが泡沫。


 栄光は消えた。兆しは閉じた。光は失い。未来は闇の中。

 嗚呼、時代は巡る。破滅がやって来る。この時代に英雄はいない。神もいない。奇跡はない。


 誰もがそれを事実と知る。この人類紀、人の時代は潰えるのだと。

 人はあまりにも矮小にして惰弱。脆く弱く小さく悪辣だ。人を騙し直ぐに逃げ出し罪を犯し命の価値を知らない。

 人類は弱すぎた。それだけだった。だから――世界の終わりが見えてしまった。


「あはははははっ‼そうさ!君たちの時代は終わりさ!神に見放され英雄の潰えた弱小の君たちに生きる権利はないさ。勇敢は蛮勇さ。栄光は仮初さ。奇跡はまやかしさ。君たちの強さは虚像と都合の上に成り立つ欺瞞さ。

 この世界はボクたちによって支配されることだろう。そう、君たちの破滅はボクたちの侵略の始まりだ!ここからボクたちの征服行進コンクェストの始まりさッ‼」


 悪魔の声はよく通った。

 諦めずに抗い続ける戦士たちの戦意に囁きを放った。

 うるさく煩わしく甚だ遺憾な忌々しい声と言葉。

 ああでも、それは真理なのだと人は知る。

 どれだけの人が死に、今だ戦える者たちはどれだけだ。

 五つの怪物すべてに対処できていないのに、天空の悪魔と戦える者はいるのか。

 この監獄を作り出した悪魔を殺せる奴はいるのか。

 死んだ人間は魂を冒涜され『亡者』となって蘇る。魔族は狂乱のままに喜々として殺害を愉しみ己の死など考えることはない。

 魂血に呪われ死んだ魂すら天へ帰れず誰もここ明星の領域から出ることもできない。


 再びの赤き驟雨が大地を穿ち破滅へ導く。死屍累々の混沌の破局。


 誰かが剣を落とした。カランッと金属のとてもとても重い音は国中に響き渡った。

 誰かの慟哭が貫く。涙のにおいが涙を誘う。

 諦観が風に乗って死のにおいとなる。


「憐れな愚人ども。ボクの栄光となり死に絶えろ」


 赤き星が支配する魂血の監獄。

 始まるは悪魔の征服。潰えるは人類の歩み。

 嗚呼、視ていた神は告げた。


 ――時代の巡りは希望を知り得なかったと。


 ああ、しかし。しかしだ。とある狼は吠えた。


「黙りやがれぇッ‼貴様は知らない……ッすべてを覆すあいつをッ‼」


 そしてそれもまた、とある『旅人』も告げた。


「神よ。精霊よ。悪魔よ。理よ。すべてを覆す死神が来るぞ!嗚呼、【復讐者】が来る‼」


 一つ、誰にも知られない振動が領域を揺らした。

 二つ、それはまるで鐘音のようだと顔を上げた。

 三つ、悪魔は不快と困惑を浮かべ狼は嗤う。

 四つ、共に走る【夜射】は薄くはにかんだ。


「来やがったぜ。貴様を憎む絶対最悪の復讐者が」

「さあ始まる。忌憚なき純正の復讐劇ウルティオミスが」

「それがあなたの答えですか……ふふ、そうですよね、死神アウズ」


 絶対不可侵の監獄の結界。外からも内からも違いに干渉することはできないはず。なのに領域は揺らぎを伝える。外からの力が伝染してくる。

 誰かが監獄へと侵入する破壊の音が。


「なんで……っなんでッ!そんなはずはない!ボクの監獄が崩れることはない!そうさ、いくら叩いたところでボクの世界が狂うことは――」


 それ以上の言葉は必要なかった。なぜなら破壊の音が鼓動したからだ。


「【ケール】――ッ」


 黒き暴力がその監獄へと肉薄し、そして――パリィィィンッッ!


 上空の結界が破られた。


 ガラスのように散らばる血片を侵食する漆黒の暴力。直径二十メルほどの穴を開け張ったその人物は堂々と不可侵の領域へと足を踏み込んだ。


 その姿を見て知る者は知る。


 白髪の長い髪に背中に生える竜の翼。

 手には〈蒼の剣〉と〈漆黒の剣〉。

 常に仮面で隠されている素顔は晒され、中性的な顔立ちの奥、蒼月の瞳が惨劇の末を見渡した。


 そして、その眼は赤星と共に滞空する悪魔ルシファーへと向けられて。


 悪魔ルシファーは産まれて初めて息を呑んだ。

 晒されたことのない憎悪と嫌悪、それ以上の殺意の丈。

 それは己が見て来た絶望の色よりもなお黒く赤く深く純粋な黒き炎だった。



 そして、その者の名を旅人は呟く。



「死を振り撒く血濡れの少女。名は【死神アウズ】。悲願に命を賭す『復讐者』だ」



 誰の耳にも届かない名の表明に答えるように、死神アウズの名を戴く復讐者は闇の魔法を剣に纏わせ迅速の域の彼方へ駆け出した。


「ルシファーァアアアアアアアア‼」


 漆黒の風光が魂血の驟雨とぶつかり合った。


 それが人類の抗いの始まりであり、希望に縋る狼煙であった。


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