第33話 死なないで

 今から始まり、そして潰える生涯をとある人物は悲しい物語と記した。

 報われず誇れず恨まれ憎まれ蔑まれ。それでも抗い続けたある者たちの末路に光はないのだと。

 予定神話において神の憶測は運命と同義。故にとある人物は嘆息する。

 けれど、それもすべては一人の『復讐者』によって世界は変革した。それは神々でさえ見通すことのできなかった異端にして『未知の情景』。

 世界に足掻き、運命に抗い、命を賭して剣を掲げた一人の復讐者。

 その物語を知っているのは恐らく記載者のみ。

 故に記載者なる『旅人』は此度にはこう記す。


 〝これから始まる物語を悲劇と知れ。それを惨劇と名乗れ。故に救いはなく希望はなく運命という残酷が待ち受ける。しかし、もしも彼らの抗いの果てに、そんなもしもがあるとするのなら――私は共に歩もう。〟


 ――運命すら覆す復讐譚を――



 旅人は監獄と成り果てたアーテル王国の城壁の上から始まりの結末を見守る。

 酷い絶鳴だ。凍えそうな叫喚だ。痛いくらいに罵声だ。

 世界は血の赤と死の黒に染まり、風の一陣さえ灰の臭いを拡張し、悍ましく憐れな火の粉が舞い踊り黒の異物が蘇る。

 天地開闢の侵略領域。悪魔ルシファーの欲望の具現化。そして五つの唸り声がさらなる絶望を呼び寄せ、劣等な人類はその膝を崩す。

 嗚呼、泣いている声がする。嗚呼、震える身体がある。嗚呼、醜いくらいの生欲とみすぼらしいほどの諦めが充満する。

 旅人はそんな情景を見下ろしながら待ち続けた。


「世界は地獄の始まりを迎えた。時代は巡り火の粉は上がり悪性が蠢きだす。神も英雄も道化も異端者もいないこの時代。人類の期限は刻一刻と終わりへと誘われる。終末は近い。時代の巡りと共に世界は終わる。さあ、君はどうするんだい?――リリヤ・アーテ」


 旅人は死神にして復讐者の名を待ち続けた。





 天地開闢てんちかいびゃく


 それほど相応しい光景は存在しない。

 天地穿つ曙光の柱。国を覆う血片の壁。大地浸食の四つの魔法陣。心臓は赤き星。魂血の呪いはアーテル王国を支配した。


 打ち上る五つの絶望を耳にしながらアムネシアは懸命にヴァーネを引っ張って走っていた。

 魔族と人間が混沌となって荒れ狂う街の中、力のないアムネシアはとにかく生き延びるがために魔族を騎士に押し付け、得体の知れない黒い粒子の塊を何かと知りながらも落ちていたパイプで薙ぎ払い、地形すら既にわからなくなった半壊の街をとにかく走り回る。


「どこか⁉どこか身を隠せるところはないのっ!」


 どこに行っても魔族が徘徊し、どこへ行っても戦闘があり、どこへ行っても死体が転がっている。この国に最早安全な場所など存在しない。


「はぁはぁはぁ……っヴァーネまだいけるわねっ?」

「うぅ……え、ええ。大丈夫よ。私のことは気にしなくて――」

「それ以上はダメよっ!あ、アタシにはアンタを守る義務があるの!何より、アンタはその……アタシの親友みたいなものだし……アンタを助けない理由なんてないわ!」

「アムネシア……」

「きっと理由がなくてもアタシはアンタは助ける。アタシの自己満足よ」


 そうぷいっとそっぽを向くのが可愛らしいくヴァーネの針金のようだった緊張の糸が少しずつ緩み、死と血しか考えられなかった心に余裕が生まれだす。そう、生きなければと。

 ヴァーネは今一度アムネシアを背後から抱きしめた。


「なっ何するのよ⁉」

「大好きよアムネシア。ありがとう」

「……別に。アタシは何もしてないわよ。感謝なら二人で生き延びた時にしなさいよ……」


 素直じゃないアムネシアの耳は真っ赤で真っ赤なツインテールの髪とよく似合う。ふふっといつものように微笑んだヴァーネを見て知られないようにアムネシアは口元を緩めた。


「と、とにかく王宮へ向かうわ……って後ろから来たわ!走りなさい!」

「きゃっん!う、うん!」


 こちらに目をつけた五匹の魔族が背中の黒い羽を上下させ飛行してくる。その口元は下卑た笑みで埋まり、爛々とする眼は殺戮に飢えていた。

 低級魔物とそう変わらない魔族。ここの地下ダンジョンや学園で戦闘訓練を受けた者たちなら不測の事態と油断がない限り対応できる。しかし、アムネシアはほとんど只人。ヴァーネもエルフ故に魔法は使えども支援魔法に特化しており、攻撃系の魔法を習得していない。

 二人に戦う術はなかった。だから逃げるしかない。それでも、戦場に赴かない二人の脚力は並み。どれだけ息を切らし懸命に走れども十秒と待たずして魔族にその背中を捕えられた。


「――っ⁉」


 ヴァーネを前に引っ張り右手に持つパイプをがむしゃらに振り上げる。迫る爪はいとも簡単にパイプを弾き飛ばし、その反動でアムネシアの身体は大きく後方へと吹っ飛ばされた。


「きゃぁぁぁ――っ⁉」

「あ、アムネシアっ!」


 受け身も取れず地面を転がるアムネシアはなんとか身体を擦りつけて勢いを止める。摩擦が衣を破り皮膚を焼く。爪が剥がれ滲んだ血の跡が脱線した車輪のようにアムネシアまでの轍を作る。身体中に走る激痛と燃える痺れ。


「ぅっくぁ……っ!ぁァア……っ」


 苦痛を漏らしながらそれでも懸命に顔を上げて立ち上がろうとするアムネシアは次には叫んでいた。


「ヴッ、ヴァーネ――っ⁉」

「え……?」


 振り返ったヴァーネの眼と鼻の先、無慈悲な黒の光が眼全体を覆い、それが何か理解できずに魔族の爪牙は振るわれた。


「させるか!」


 瞬間、割り込んできた戦斧によって魔族は薙ぎ払われた。強力な一撃が魔族の身体を木っ端微塵に瓦礫に打ち付け、戦斧を持った男は次から次へと迫る魔族を蹂躙する。ひと振りが強力な風力を生み出し膂力の限りに魔族の何倍もの力で砕き殺す。単純明快な力の差によって食にありつこうしてきた魔族は粉砕して死んだ。

 ヴァーネは何が起こったのかわからないま呆然としていると振り返った男は「もう大丈夫だ」と笑顔を見せ、自分は生きているのだと実感しへなへなと両ひざをついて座り込んでしまった。


「お、おい!大丈夫か⁉」

「……は、はい。その、びっくりして腰が抜けちゃいまして……」

「仕方のないことだ。ほら立てるか?」


 そう言って手を差し伸ばしてくる冒険者の男の手を取ろうとした瞬間、男の身体は水飛沫を上げてその場から消えた。


「…………ぇ」


 声にならない声。今、目の前にいた男性はどこに?自分を助けてくれた彼はどこに行ったの?そう思いながら何となく顔にかかった飛沫を指でなぞって目にして――


「………………なにこれ?」


 それは正しく『赤いもの』。この世界で溢れ溢れ止まることのない無限の生命と絶鳴の正体。

 背後から聞こえるアムネシア声。だけど脳が反応しない。ただただ指に付着したその『赤』を凝視して。


「ヴァーネぇぇぇぇ――っっ!」


 自分を覆う陰に顔を上げて――戦斧が振り下ろされた瞬間、ヴァーネの身体は何者かに持ち上げられ地面を粉砕する轟音と反動に目を反射的に瞑り風の逆流が肌を叩く。触れる人の温もりにはっと目を開いたヴァーネに、彼女を抱きかかえてその場から跳躍した男は「死ぬぞ」と忠告をした。


「あ、あなたはゼアさん⁉」

「ちっオマエらのせいで助けちまった。……仕方ねーか」


 ゼアはそのまま建物の頭上を蹴ってアムネシアまで急進し、反動にたたらを踏む彼女を脇から片手で抱きかかえて再び跳躍した。


「あっ、アンタなんでこんなところに⁉」

「たまたまだ。それより助けてやったんだ。命の恩人に感謝しやがれ」

「なっ……ま、そうね。普段から感謝なんかされないものね。まーそれならアンタの顕示欲の為にもヴァーネを助けてくれた恩もあるし一度だけ言ってあげるわ。……そ、その……あ、ありがとう……」


 凄く言葉を捏ね繰り回し理由をつけて最終的には恥ずかしがりながら感謝してきたが、なんと言うかあれだ。


「感謝されてる気がしねー」

「なっ⁉」

「アムネシア、あなたみたいな人をツンデレって言うのよ」

「つんっ⁉」


 渾身の感謝の言葉を往なされ、親友には茶化されアムネシアの顔は怒りと苦痛に引き攣る。


「アンタたち!せっかくこのアタシが――」

「ほら降りろ」

「ぎゃふん!」


 着地したゼアは持っていた物を落とすようにアムネシアを落とし、ヴァーネには足をしっかり着かせて降りさせた。


「いたっ⁉な、なにするのよ……!」


 と吠えるアムネシアだが、自分たちの前に立ち憚ったゼアの背中はとても大きく逞しく、そしてどこか殺伐とした負の感情を背負って視え、それ以上にゼアが見据える前方の敵との対面に嵐の前の静けさのような緊張感が漂い始める。

 雷を唸らせ黒雲を呼び寄せ何人たりとも不可侵とするような異常な空気感。アムネシアはそれ以上言葉は吐けず、ただただに立ち上がることも忘れ見つめてしまっていた。


「さっさと行け」


 空気を切り裂くゼアの声音。いつも通りの鋭利な声音はいつもよりも真実有無を言わせぬ厳かを纏っていた。しかし、彼が凝視する先の存在。魔族を簡単に凌ぐことのできた冒険者を一瞬にして葬り去った存在。

 黒い粒子が蠢く身体に剛腕が持つのは巨戦斧。それも神話時代の名残である両刃斧ラブリュス。かつて雄牛退治の武器や、雷霆の意義、女の神官の象徴など様々な神々や英雄に使われた武器ラブリュスは、今や血にしたる殺斧と成り果てていた。

 魔物のような真紅の眼にドワーフのような逞しい図体。しかし、その体格はヒューマンの二倍は軽くあり、総じて化け物と呼ぶに相応しいそいつはゼアを見定めるかのようにその時を待っていた。


「ちっ早く行け。王宮までいければ冒険者どもがいやがる」

「ぜ、ゼアさんはっ」

「訊かなくてわかることを一々問うな。巻き込まれて死にたくなきゃさっさと行きやがれ、クソがぁ」


 殺伐とするそこはやがて戦野となる。燎原の意か死地の意か。

 決してアムネシアたちを一度も見ない彼に、アムネシアは「わかったわ」と背中を向けた。独り置いていくことに背を向ける彼女の名を呼ぶヴァーネ。


「ゼアさんが強いことは知っています!で、でも!一人置いていくなんてできません!わたしでも回復魔法くらいなら――」


 わたしだってあなたの役に立てる、と豪語するヴァーネの言葉の続きをアムネシアが断絶した。


「アタシたちじゃ足手纏いよ、ヴァーネ」

「――っ⁉」

「アンタの魔法は王宮にいるはずの負傷者に使いなさい」

「そ、それは……」

「ほら行くわよ」


 そう言ってヴァーネの背中を押すアムネシア。ヴァーネは渋々と後髪引かれながら走りだす。親友の背中を見つめながらアムネシアは決して振り向かずにそっと。


「死んだら許さないわよ」


 と、それだけ言い残して走りだす。



 二人の気配が周囲から完全に消えたのを確認してからゼアは大きく息を吐き出した。

 それは人である自分を吐き捨てるような行為。ゼアは嗤う。


「死ぬか馬鹿」

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