第30話 始まりか 終わりか もしくは

「悪魔ルシファーは何等かの目的のために一年以上前から今日の日を計画していた、ということね」


 シルヴィアの声は遥か彼方、対極にいるとある人の声と重なり合う。

 死神アウズは自分の考察を再確認するためだけに声にだす。決して背後をついてくる彼女たちのためではない。

 僅かに視線を仰げば青空にはさぞかし似つかない黒い雲が渦を巻き、赤い稲妻のような線が黒の中を走りだす。遠くに見えたその悪夢に、歯を噛み締めたリリヤ焦燥とイラつきに口が速くなる。


「奴の目的は『支配』。ヴェルテアがいなくなったアーテル王国を支配するために、奴は贄を使い己を強め虐殺と実験を繰り返し計画を練っていた」


 草原が急斜面へと変わり、それは紛れもなく目指した甲羅の丘。丘を登りながらノクスが目にしたのは、頂上よりも高く空へ蠢く黒雲。走る赤がまるで邪悪の胎動のように歪な神秘を織り成す。その意味をその光景を見なくして想像ができた。考えたくもない想像しかできやしない有り得ないと思いたかった、悪夢の光景。


「一年前、私たちは悪魔ルシファーの罠に嵌まり【アストレア・ディア】は壊滅に陥った」


 シルヴィアの声を強風が運ぶ。


「悪魔ルシファーの野望の礎によって正義は敗れ、誰も近づかない危険区域としていつかなる日を予想して奴は死者と魔族どものを残していた」


 リリヤが忌々し気に吐き捨てる。


「私たちの壊滅によって治世は一度混乱し魔族の出没が多くなった。この一年間、冒険者は否が応でも魔族討伐に奔走し始めた。それが民衆へ恐怖を煽り、コロニーの存在を霧に隠し、来る日へ鬱積となり策力となって作用した」


「すべてはコロニーへと、そしてここに誘導し、アーテル王国を手薄にするため」

「すべてはコロニーに主力戦力を集めてアーテル王国を壊すために」


 見解は一致した。


「俺たちは誘導された」

「邪魔者まで使って引き留められた」


 悪魔の真実へと迫り行く二人の戦士は冷静に俯瞰し時の流れに鼓膜を打っていた。


 その身は復讐だ。冷酷な殺意と憎悪の激情が彼の瞋恚を燃え上げる。

 その身は偽善の正義だ。冷徹な眼は仲間の最期こえに誓いを立てる。


 リリヤは己の内へと呼びかける。その血脈に流れる尊き一つの儚き血筋に。誇りに誉れに気高さを持つ、そのすべてを復讐へと冷酷に賭す。

 血の冒涜だ。恩恵に仇だ。彼らへの裏切りだ。知るか。そうリリヤは吐き捨てる。そんなものは知らないと、彼は復讐と悲願のみに冷酷な殺戮者と身を堕とす。


 その力を使うたび過去の悲劇が浮かび上がりその度に黒き炎に包まれる。


 その力は唯一の繋がりだった。大切な人たちが残してくれた『家族』という名の切れることのない細い糸だ。そして想起させる誓った呪いだ。


 リリヤは変わらぬ復讐心を胸にその身を上空へと飛び出した。白髪に漆黒の竜翼を背に。


「今度こそ――貴様に復讐してやる」


 世界への慟哭が亀裂のように走りだす。




「もう二度とあんな思いはしたくないわ。私の目の前で知ってる誰かが死ぬのは嫌。みんなのために……やっぱり私のために屈することはできない」


 過去の情景が心臓を踏みつけ正義の意味が敗北を許さず、激情は一つの感情を生みだしてはそれだけを真実として虚無に沈む。

 言葉の裏に愛の囁きに忠善の詩に覚めぬ眠りに凍えた臓にかつての出会いと別れ、そして運命の巡り合わせに。偽善と仮面で剣に誓う。


 シルヴィアの声にみな等しく抱えた想いを胸に、確かに頷いた。


 やがて頂点へと達したシルヴィアはその光景を焼き付けた。

 仮面の裏の本物が静かに真実を理解する。


 背中に漆黒の翼を、その群青の髪は白髪に。空へと飛び出したリリヤはその悲惨を心に焼く。

 仮面の内側に、殺した心すら黒く燃え上げて。


 交わることのないはずの『復讐者』たちの遠い出会いは、悪魔の宣誓を知るかのようにただ一つ同じ感情を言葉にした。

 言の葉は言霊となり世界は彼と彼女の想いの丈を垣間見る。木霊した風が言葉を連れては望みを抱く。

 神々はその意志こえを聞いた。

 精霊はその願望ちかいを見届けた。

 竜はその憎悪あいに嗤い声を上げた。

 人はその激情しんじつに手を伸ばした。


 仮面の戦士は激情と虚無の証を見据える大空の悪魔へと吐き出した。


「だから、あなたを殺してあげる」

「貴様を殺す」


 ノクスだけは見ていた。彼女の胸の内。静まり行く仮面の激情を。

 セルナは何も言えなかった。自分たちを置いて禍々しい空の発端へ飛翔する彼に何も。


「リリヤ……」


 セルナの声は落ちていく。落ちて落ちて落ちて落ちて――彼の名は深い深い闇夜の底で【死神アウズ】として立ち上がっていた。

 何もできない。何も知らない。何もかもが違う。

 セルラーナはただただ見上げていた。

 ミラーダの声が脳に渡るまでずっと、正義と復讐に声を押し殺して藻掻き続けていた。



 対極、シルヴィアはセルナの変わりに毅然と言い放つ。


「行くわよ!」


 揺るぎない正義の声に皆一同力強く返事した。


「うむ!」

「うん!行こう!」

「やってやるぜ!」

「ええ」


 シルヴィアの正義に彼らもまた正義で答える。悍ましい黒と赤に満ちた国はきっと悲惨だ。残酷な未来が待っているのかもしれない。

 悪魔の欲望を彼女たちは知らない。悪魔の目的も何も知らない。平和を願うその身が再び滅ぶかもしれない。仲間たちのように今度は自分たちがその命を冒涜され正義を悪に書き換えられるのかもしれない。


 きっとそこは地獄だ。一年前と同じ、それ以上の地獄かもしれない。


 それでも躊躇いはなかった。揺らぎもなかった。諦観も慢心も猜疑心も何もない。あるのは正義の心。悪を滅し平和をもたらす正しき一光。

 たとえシルヴィアの本質が正義でなくとも、彼ら彼女らはシルヴィアの声に決意するだろう。

 彼らは守護者。平和を守り平和をもたらす安寧の象徴。


 そして、時代の先頭を行く導きの一筋。


 そう、使命を果たすのだ。


 シルヴィアはみんなの力強い反応に相貌を崩し、グレンは力強く再度手綱を引いた。

 地龍が鬨声を上げ、走りだす。


「待っててみんな!」


 アルメリアの切願に皆の想いが一つとなる。


 その国がどうなっているのかなど露しらずに、彼と彼女たちは全身全力で目前のアーテル王国へと走りだした。

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