第27話 嗚呼、残酷の歩みは止まらない
時を同じくして北西の奥部分、ジュナの森の深海部にて生きたとされる古代集落の誰も知らない地下室にて。リリヤは手に持った日記を捲りその項目が眼を疑わせた。
その日記はここ地下室でなんらかの実験をしていたとされる悪魔ルシファーの実験内容の記載書。間隔的な日付とその日の出来事が興味深いことを書いていた。
神聖紀三一六四年
――ボクにはどうやら野望があるみたいだ。
神聖紀四〇〇八年
――遂に彼女から力を奪うことに成功したさ!
神聖紀四〇七九年
――嗚呼、命の美しきこと。赤き血液の綺麗なこと!
神聖紀四四一八年
――そうさ!すべてはボクのための命っ!ボクのための魂!ボクのために――ボクの願いのためにキミ達は生きているのさぁ!
神聖紀五〇八二年
――遂に彼女の力をボクのものにできた!ああ、これで世界はボクのものになる。
………………………………
人類紀二七八年
――まさか、あいつが出てくるなんてっっ、お陰でボクの力もこんなになったじゃないかぁ⁉ほんとうに災厄だ!最悪だァ‼
人類紀二九二年
――再び準備は整った。もう一度……もう一度ボクはボクの野望を完成させる!ああ、けれど時間は足りないが故にあの忌々しい国から支配するとしよう。なに、ボクの残りうる『征服』の力さえあれば何も心配は要らない。後は人の魂だけが必要だ。
人類紀三二五年
――ボクたち悪魔の力が弱り過ぎている。あの忌々しい神々めっ。劣等な人間どもにどうして力なんて与えたんだァ!あー最悪さ。これではボクの野望も遠ざかる。……仕方がない。時を待つとするさ。
人類紀四四三年
――実に使い勝手がいいね。何人も実験台にしたお陰さ。ああ、彼らもきっと天でボクの至高の〈権能〉に満足していることだろう。ああ、君たちはボクに使えた栄光と共に死ねたんだからそれは素晴らしく幸福なことさァ!
人類紀四七一年
――さあ始めるさ。ここにボクの世界を始める‼ボクの力は戻り、人間どもは力を失っていった。よって君たちはやはり家畜。ボクのために死ぬべき存在!よって、最終実験を始めるさ。
人類紀四八九年
――
人類紀四九七年
――さて、準備は整った。すべては計画通り。コロニーの配置も終わったし、次のステップへと進むために最期の仕上げさ。存分に楽しんでくれるといいね!
――正義が来るようだね。ああ、忌々しいアストレアの眷属たち……なら、丁度いいさ。君たちの出迎えを持ってして始めるさ。――ボクの新世界を!
――――――――――――
まるでこれを読んでいる者に対して挑発しているかのような最後の文句で日記は括られていた。
リリヤが持つ日記を両サイドから覗き込んだセルナとミラーダはまさかと目を見張る。
抜粋した重要な一部分たちの文句の羅列。紙の上でペンで綴っただけの文字列のはずなのに、彼らの脳内にその悪魔が浮かび上がる。浮かび上がっては嘲笑と欲望に喜々と人を虐殺していく狂人のそれが聞こえてくるのだ。
実験台とされた者たちの嘆きと悲しみと怒りが。憎悪と嫌悪と喘鳴が。虚しさと後悔と絶望が。深く濃く黒い絶望が圧縮され世界の照明と重力が一つ落とされた。昏く重くそして赤く灯る。錆残った血痕は今もまだ生きた血であった。
吐き気を覚えるミラーダを他所にリリヤはその文字列の限り余る憎悪の丈で睨みつけ、何度も何度も粉砕したい気持ちを抑えながら読み込む。
「やっぱり、私たちはあの日悪魔に嵌められたのねっ!すべてが悪魔の予定調和……こんなのふざけているわッ!」
「ぅっ……じゃ、じゃあセルラーナさんたちの戦いは実験の一つだったってこと?」
「そう捉えていいのでしょうね。それも最後の実験だったようね。皮肉なものよ。奴等を滅ぼすために剣を執ったというのに、蓋を開ければ悪魔の手助けをしていたのよ。最悪の気分よ」
ミラーダは何も返事を反せず困り顔をしてしまう。セルナのような絶望と破滅の二つの経験をしたことがない彼女はその感情の深部までわかり得るなんて不可能だ。ミラーダはどの言葉がセルナの琴線に引っかかるのかわからず押し黙った。そんなミラーダに気を遣わなくてもいいと言おうとしたセルナの声は、リリヤの焦燥から浮き出た怒りによって消し飛ばされた。
「ふざけるな――」
「え?」
「ふざけるなぁ……ふざけるなァァァッッ‼」
リリヤの憎悪の魔力が爆発的に膨れ上がる。辺り一面を吹き飛ばし白い檻が暴れ狂う。
「り、リリヤ⁉」
「ただの実験?あの人たちを殺したのは……遊びだって言うのか?こんなの……こんなにッ――ぁあ……絶対に殺してやるッ」
猛るは黒い炎。震えるは殺意。溢れるは憎悪の限り。
「リリヤ⁉どうしたの!」
「り、リリヤさん……?」
二人の声は届かない。リリヤの視界を埋めるのはその一文。
――
「殺した貴様がァ‼愛なんてほざくなァ――ッ‼姉さんを……こんな……許さない。殺してやる。殺して殺して殺して殺しテ殺しテェ殺シテコロシテコロシテッッ――地獄に落としてやる」
膨大な魔力の凝縮が次には天へと穿たれ、白亜の箱の床を吹き飛ばし巨大な穴を開けた。真っ青な昼下がりの穏やかな空。打ち上る暗黒の魔力は復讐者の意志に違わず、セルナたちを唖然とさせた。
そこにいたのは、白髪に染まった髪に背中から漆黒の竜の翼を生やした異形の存在。
それを、その姿を見て知らない者はいない。
仮面のをつけていないその娘は――
「死神アウズ――」
人間の悪魔は降臨した。死を司る女神の意を宿し、死を与える復讐者として、忌みと恐れを体現し空へと飛び出す。
が、その手を咄嗟にセルラーナは掴んでいた。
「…………ぁ」
「――――」
どうして掴んだのかわからない。どうして硬直していないのかもわからない。どうして、どうして、どうして――
「離せ」
端的な一言。その言の葉一つが刃のようにセルナの心臓に剣を当てる。
正直にセルラーナは恐怖した。今までその実態を見たことはなかった故に噂ばかりだと軽く見ていた節はある。それでも、皆が口を揃えて〝悪魔〟だという『死神アウズ』に対し、それなりの心構えはしていた。ずっと話しかけていたのも、リリヤのことを知りたいと言ったのも全部恐怖を和らげるための対応。リリヤの人となりを知ることで『死神アウズ』の恐怖を紛らわせるための作戦。
けれど、そんなものは意味をなさない。きっとリリヤの優しさや篤実さを知ったとしても、今、目の前にいる【死神アウズ】を見て旋律しない者はいないだろう。
その悪魔に向ける復讐心。まるで自分に向けられている錯覚に心臓が凍る。
緊張や混乱、恐怖になにかなにか手を離さないと……
「――っせ、説明してっ」
それが精一杯の【正義】の矜持だった。
リリヤの視線が一瞬セルナを見たが直ぐに逸らし手を払われる。
「ぁ……」
そのまま地上へ飛び立とうするリリヤだったが、その視線が僅かにミラーダを見て。一秒にも満たない時の硬直は、互いを交えて感覚は数百倍に感じられ、リリヤは舌打ちを混ぜるように漆黒の剣を斜めに切り抜いた。
白亜の箱は半壊し、土砂崩れのように鋭角の地上への勾配。日差しがめいいっぱいに我らの路を指す。
ミラーダ・テルミスの眼は、酷く殺した彼女に似ていた。
何よりミラーダ・テルミス自身の眼がリリヤを離さなかった。
言葉はないのに、吐いた息さえ黒いのに、その床も赤いのに、互いを糸で繋ぐように流れる水流は綺麗だった。
それを穢すことは、『殺した彼女』に似ていてリリヤにはできなかった。
「…………そんな目をするな」
「……大丈夫。大丈夫だよ」
「…………うるさい」
改めて気持ちを整えたリリヤは最大の憎悪をそのままに、そして死神は告げた。
「すべてはこの日、アーテル王国を侵略するための罠だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます