第26話 それは血を浴びるように
手紙がローズの手に届くニ十分ほど前、ドラゴンを闇矢【オルトゥス】で撃破したその位置、対象までの距離三百メルの位置からノクスは鮮明に状況の観察と周囲の警戒にあたっていた。大樹の枝から見渡す狙撃手は足元に置いた水晶から対象の繋いだ水晶が拾う声をエコロジーしていた。
聴こえる声の主、シルヴィアは下半身のみのドラゴンの死体を背に、ハルバたちが捕えた男たち合計七人の戦士に抜けて剣を突き立てていた。
その眼は【正義の使者】とは思えない獲物を躊躇わず殺す威圧があった。まず間違いなくセルナのように優しくはないであろう彼女シルヴィアは、この七人を束ねている存在と思われる大男の喉に剣の先を突き立てて申し出る。
「さて、私たちの質問に答えてもらうわよ。いいわよね」
「……っなんで俺たちがこんな目にあってんだよっ!お前さんたちを助けた仲間じゃねーかっ‼」
大男に同調するように他七人もそうだそうだ、こんなの間違いだと反論の声を上げるがそれは無駄なことだと彼らは理解していない。今の己の状況さえも。
「お、俺らにこんなことしていいと思ってんのかァ‼おまえらあれだろ!正義の連中だろ!正義が俺らに刃を向けるとか、マジで地に堕ちたってもんだァ。こんなことしてただで済まされるとか、正義だからいいとかふざけたこと思ってんじぇねーよぉッ‼」
声を荒げて理不尽を訴える男女ども。あまつさえ正義を愚弄する頭の悪さ。
もしも、ここにセルナがいたのなら正義のなんたるかを説いたことだろう。けれど、シルヴィアにとって正義の愚弄や罵声など気に留めるようなものではなかった。グレンの歯噛みを抑え、ただ単純にシルヴィアの眼光は男を見下す。
一閃。
横に引き抜いた剣が遠くの木々を粉砕し、男の首から微かに血が流れ始める。それは最後の慈悲だった。
「ひぃぃ⁉」
「あ、あんたっ⁉」
心から怯えた高音の声を発する男は手で血の流れる首元を抑えようとするが、もちろん身動きできないように手足はロープで結ばれており、足掻けどもその手は首元に届かない。背後で叫ぶ男の仲間をねめつければ皆一同に黙る。
大男は傷を抑えることもできず、ただ無様に目の前の女と周囲で逃げ出さないように監視する男二人に心から恐怖した。
こいつらは簡単に自分たちを殺すのだと。
「ち、ちがうんだ!待ってくれっ!話をっ……話しを聞いてくれ――っ!」
必死な形相にさっきと態度が正反対な無様に、観察していたノクスは憐れと吐き捨てる。
「話しを訊くのは私たちよ。あんたに質問の権利はないわ。聞かれたことだけに素直に答えて。そうすれば命だけは助けてあげるわ」
「ほっほんとうか⁉」
「正義に誓うわ」
そう、シルヴィアは正義に誓う。即ち嘘も誤魔化しも許されない。
正義とは女神アストレアのこと。女神への誓いを破る行為は神に歯向く刃であり、叛逆の意思。その結末はどんな重罪でも勝らない一つだけの真実、名は処刑。正義に誓う意義はそれだけ重い祝詞だ。
故に正義を誓う彼女を騙すこと、刃を向けることの意味は女神への叛逆にしてならず。
押し黙る大男にシルヴィアは問う。
「あんたたちの目的はなに?魔族討伐のクエストに乗り込んだ理由はなに?」
「…………」
男だけじゃない。他七人も同時に視線が俯いた。まるで後ろめたいことがあるかのように。誰も何も答えず沈黙が過ぎる。
その無言にイラつきを募らせるシルヴィアは大男の鼻の先に剣の先端を触れさせた。ちくっと当たったか当たっていないかわからない一ミリもない鼻先と剣先はそんな感触を与えてくる。
剣の先端が当たって感じたのか、当たったと思って錯覚したのか男にわからない。
しかし今度ばかり理解した。わかってしまった。これは尋問などではない。取引でも釈明の機会でもない。
嗚呼、これは正しく拷問にして『裁定』。尋問という仮面を被りその裏には拷問という悪辣を潜めては常に悪か否かの裁定をしている。
シルヴィア・メディスはセルラーナのように甘くはない。
慈悲も慈愛も本来なら与えない。
シルヴィア・メディスは望まぬして『正義』に入団したなりそこないの信者だ。自分のためなら拷問も尋問も殺害も行えるそんな『正義の使者』だ。
これは拷問だと知った男は無言の中で唇を噛み辺りを見渡せども逃げる手段など一つもなく、とは言えこのまま黙っていれば死ぬ一歩手前まで痛めつけられる可能性がある。
男は決断する他なかった。その決断がどうもたらすのか、男は狂いそうな眩暈を抱えて吐露した。
「お、俺たちの目的は、っお前たちをこの地に長く留めることだァぁ!」
「留める?どういうこと?」
戦場にシルヴィアたちを長時間留めたことで何かがあるわけもない。もしかしてドラゴンの長期交戦で体力を削り何か策に嵌めようとしていたのだろうか。その他に思いつくのは帰還を遅らせる意味合い。もしくは道中に何か弊害を見つけておりその弊害の解決までここに留めておきたい。いくつかは考えられるがシルヴィアにはどれもピンとこない。
訝しむシルヴィアの眼に罰が悪そうな男だが、もう諦めたように口を開き――
「俺たちは大切な人を守るために、あく――」
『離れてッ!』
男の言葉を遮るようにグレンが手に持つ水晶からノクスの必死な叫びが響き渡り、シルヴィアたちは反射的に後退したその時、男たち計八名が一斉に爆破した。
まるで腹の中から悪魔が腹を破って外に出ようとするように、体内から一斉に外に弾けるように爆発した。
爆音と爆炎。砂煙が巻き起こり血肉や焼け焦げた残骸が周囲に飛び散っては腐臭を発散させる。
「なっなにが起こったんだ⁉」
「周囲に警戒!ハルバはアルメリアを保護して」
「アルメリアはここにいる」
「わたしは大丈夫だよ!」
七つの爆発は容易く大地にクレーターを作り上げ、ハルバがドラゴンを叩きつけたクレーターと同等の陥没が出来上がり、飛び退いた彼女たちでさえ数十メルは更に後退させられた。
視界を塞ぐほどの砂煙を充満させ、何も見えない煙の中、シルヴィアの指示が飛びハルバとアルメリアの生存確認がとられた。グレンの声は一番初めに聞こえたことによって除外されたが警戒のうんぬはみな同じ。
その場から無駄に動くことはせずじっと耐え忍ぶシルヴィアたちの遥か後方。周囲の警戒と観察をしていたノクスは『特殊な眼』を持ってして煙の中をくまなく探り、周囲にも起爆させた存在がいないかどうか探りを入れる。が、それらしき人物は一人としておらず、ドラゴンとの交戦を思われているのか援軍が来る様子もない。
「それもどうかと思うけれど……それよりもあの先の言葉、もしかして――」
ノクスは爆破する寸前まで男の唇の動きを凝視していた。三百メルの彼我の距離など諸共しない脅威の視力が捉えたのはあく――と続いた先。ノクスが退避を呼びかけ爆発するまでの僅かな合い間。口の動きは確かにこう紡いでいた。
「悪魔に従ってる……どういう意味?悪魔に脅迫されている?それで、悪魔の申し出が私たちの引き留め。……つまり帰れないことがお望みということ?……なるほどね。…………この予想は当たっていてほしくないわ。本当に厄介なことになったかもしれない」
ノクスは男の目的と悪魔の存在、現状と自分たちの目的。そして現在のアーテル王国の状態を視野に思考を加速させて繋がりを見つけてそれを見出した。
確証は一つもなく情報も曖昧なものばかり。それでもノクスが導き出した『もしも』が事実だとするのなら……ノクスは大樹の枝から飛び降りながら転移陣へと向かう。ながらに水晶に呼びかける。
「シルヴィア。直ぐにアーテルに戻る」
「……クエスト放棄になるけど、何かあるのね?」
「はい。証拠や確証は何一つない。けれど、もしかしたら私たちは今も悪魔の手掌の上で踊っているのかもしれない」
「どういうことだよぉ?悪魔って?踊るって何言ってんだぁ?」
「グレン、少し黙って。私の仮説はあくまで可能性にすぎない。けれど、もしもの場合、最悪な状況になる。だから怒られるのを覚悟で転移陣まで来て。私が起動しておく」
ノクスは簡潔に、というかほとんど何も伝えず
グレンの疑問が正しい。国が要請したクエストを放棄してまで向かわなければいけない状況なんてそうそうあるわけがない。それこそ世界の敵、『悪魔』が出現しない限りには。
もしもクエストが低レベルのものなら違った。しかし、今ノクスたちが受け持っているのは国が要請した重大任務。その一端を彼女たち【アストレア・ディア】は担っている。それを放棄するということは逃げ道を用意したようなもの。罰則はもちろん、【アストレア・ディア】の解散や謹慎まであるかもしれない。
それをノクスが理解していないわけではないことをシルヴィアたちは知っている。成人もしていない若き少女だが、実力と聡明さは恐らく二つ合わせてならセルナに勝る。もしかしたら【死神アウズ】を暗殺できるかもしれない。
ノクスは慎重で有無の判断ができる賢しい子。そんな彼女の焦りにシルヴィアは間髪入れずに了承した。
「わかったわ。直ぐに龍車を引いて向かうわ!グレン!龍車をお願い」
「あぁ!わぁーたよ!了解したぜ!」
颯爽と龍車が保護されている治療所へと走りだす。この中で一番脚が速いグレンに龍車は任せシルヴィアとハルバ、アルメリアは転移陣へと走りだす。
人の肉のにおいに引き付けられた魔物が森林をのさぼり、相手にする暇もなく阻む魔物のみを先頭を走るシルヴィアの剣が首を撥ねて沈黙させる。
「やぁ!」
シルヴィアの背後を追うアルメリアが魔法を放ち、なるべく戦場へと向けさせずこちらに誘いをかける。背後や側面からの襲撃をハルバの槍が魔石を的確に打ち抜き、旋風の如き槍の旋回が蹴散らせた。
「で、今説明できる?」
水晶に呼び変えるシルヴィアの声に五秒置いてノクスが返事した。
「そもそもすべては悪魔の策略です」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます