第24話 拍動するは嘲笑の昏冥

 そのまま一時間ほどかけてニ十階層を突破し、現在二十五階層。魔物の量も強さも大きく変わるニ十階層以降の中で闇が一層に濃くなる異質な空間。

 そこで初めてゼアは異質なそれ、嫌な予感という名の不吉に身体を固めた。


「この雰囲気は……ただもんじゃねぇ。わかるか道化?」

「……下か。嫌な感覚だぜ。音も不愉快だ。……この感じは魔力か?」

「にしては大きすぎる。んなところで何やってやがる?実験でもしてんのかぁ?」

「んな公共のダンジョン内で実験する奴なんざ馬鹿としか言いようがねーよ。だが、餓鬼の悪ふざけではなさそうだな。ダンジョンの唸りか怒りかその他か……」


 慎重と確実性を重く置いて思考するゼアにグランダルナは茶化すことはしない。このダンジョン下層から身を震わせる濃厚と悪性に塗れた身の臓と背の骨を素手で愛でるように撫でてくる感触に、ぞわっと神経が逆撫でられる。気持ちが悪いというよりは不快の溜水が浸食しては、そのずっと深くから嘲笑混じりに気味の悪い視線が向けられている感覚。一言にはできないその不可解感や気持ち悪いさ、不気味さの悪声の重圧に喉が鳴る。

 ゼアは警戒心を一新に、常にどんな対応でも取れるように感覚を鋭くする。グランダルナは今までの軽薄な雰囲気を潜めて道化は化けの皮からほんの少し顔を見せる。


「嫌な予感がしやがる。またオレの仕事が増える予感だ」

「オマエの事情なんざ知らねーが、もしかしたら仕事が倍増するだけじゃ済まねーかもしれねぇーなぁ」


 確証を持っているかのような硬い声音に、グランダルナが茶化しを入れようとして直ぐにやめた。ゼアを一瞥しては拳を掌で包んでゴキゴキと戦意を高める武道家の如き骨を鳴らした。


「その冗談は冗談であって欲しいってもんだぜ。……んじゃやっか。これ以上オレの仕事を増やされんのは正直御免だからな」


 その言葉がどこまで本気なのかは計り知れない。しかし、ゼアが探し求めているものが、もしもこの地下に存在しているとするのなら、これ以上の戦力はない。今一つ、ゼアは考え方を変える。


「なら俺に従え。俺に従僕しろ。オマエの仕事を減らすために俺がオマエの『力』になってやる」


 妥協はあれ許しはない。徹底的にゼアは己を誇示する。己を卑下すること、劣等と魅せることはしない。たとえそれが死神であろうと恐らくゼアは己を他者に許させない。

 グランダルナはそんな狼の声を聞いて口元で憎たらしいものと面白いものを見たかのような笑みを浮かべた。


「……随分と偉そうなこったな」

「俺にはオマエにない情報がある。俺はオマエよりも強いと確信している。摂理だ」

「それはまたも随分との言い分だこった。利己的……完全な驕りという奴じゃねーか?」

「事実を驕りというのは嫉妬の類だな。そしてこれは取引だ。わかってんだろぉ?」

「……はっ。互いの協力ってか」

「協力?ハッ、馬鹿を言うな。利用だァ。信用も信頼も馴れ合いも要らねーよ。オマエが俺に利用されてやるなら、俺もオマエの野望とでも言えばいいか?それに利用されてやる。そう言ってんだァ」


 言葉の裏。どこまでも単純だ。

 互いに互いの『力』をそいつの意思に関係なく利用するという不義理にもほどがある契約、いや口約束だ。その約束に利便性はない。それを約束と呼べど、約束とは呼べないもの。裏切りを視野に入れ、道具または従僕する意味を受け入れ、その実、不干渉を重んじる弱肉強食的な利己に酔った取引。


 グランダルナは呆気に取られながらも笑わずにはいられず大笑する。その大きな声に誘われてくる魔物など気にすることもなく、大きな声を上げて大層おかしいものに出会いそいつは最高にクレージーだとでも言うように声を上げて笑いやがる。

 そんな男に訝しむゼア。はぁーーと、大笑の残滓を解き放つように息を吐いては閉じていた眼を開けた。

 その眼の主はやはり得体が知れない、そうゼアは許しを与えない。


「お前は最高に頭の可笑しいクレージーな人狼だ!人間よりもより冷酷に冷静。更には冒険者の価値をわかってやがる。その上、予防線まで張りやがって……マジでイカれてやがるぜぇ!」

「……知るか。黙って俺に利用されろ。死にたきゃ死ね。生きたいなら力を振るえ。救いたいなら妥協を許すな。戦場に立つ故の掟にでも従え。道化は道化らしく俺に踊らされろ」


 それは酷く傲慢な言い分であり身勝手を越えてもはや奴隷にでも命令する暴君の如き。

 その声音の温度は冷氷のそれ。人間らしい温度の一つも浮かび上がらない言葉の一音一音。宿るのは『残酷』と表してもいいほどの有無を言わせない暴論の威圧。

 アムネシア・アスターに見せていた彼の雰囲気とは似ても似つかない。同じ人とは思えない酔狂なエゴの表現。

 狂っていると男は嗤った。


「だが、面白れー!利用大いに結構!ああそうだ。今のオレは道化だァ!いいぜ、お前に踊らされてやるよぉ‼」


 そんな威勢と共に拳を突き出した。

 男と男のラブコメを見続けられなかった猿型の魔物が反吐を吐くように飛び掛かり、突き出された拳が空気を振動させて猿の胴体に空洞を開けては背後直進十メルの空洞を結んだ。魔石が砕かれた猿型の魔物と背後にいた魔物どもは息を漏らす暇もなく灰化。男はそのまま突き出した右腕の反対、左拳で地面を叩きつけた。


「跳ばねーと死ぬぜ」


 そんな忠告よりも素早く空中に身を預けるゼアを見てにやり。そのいやらしい笑みは狂乱の奇声の中、不敵だった。

 総合三十を勝る魔物の軍数。刹那、轟震した大地が大地に脚つくすべての生命を攫い身体をバラバラに砕き散り、三十の魔物のゴミだまりとなった。

 その現象の正体は知れない。しかし、たった一撃。地面に叩きつけた拳がもたらした適格な死の轟震。物語るにはそれでよかった。


「……ッ!」


 空中に身を預けたゼアは身体を捻り炎の翼を羽ばたかせる魔物――ファイヤーバードの炎を纏う胴体を易々と一蹴で薙ぎ払った。右足の薙ぎの勢いのまま左手に持つナイフを投擲。ファイヤーバードの胴体、〈魔石〉に突き刺さり特殊な加工が施されたナイフは魔石に宿る膨大な魔力に反応しては強大な魔力の渦を引き起こし視界のすべてを奔流で充満させた。激しい爆発音と風と光に螺旋の渦。潜まる頃にはそこには魔物は跡形もなく消えていた。


「……」

「こっちは終わったぜ」

「なら急ぐぞ。下への最短距離はわかるか?」

「まーな。オレはこれでも国に所属してる人間なもんでね……」

「ならさっさと案内しろ」

「なぁ?もうちょっと俺に語らせてくれませんか?ってわかったからナイフをこっちに向けんなっ⁉」


 そんな馬鹿なやり取りもそこそこにため息を吐いたグランダルナは「こっちだ」とダンジョン内を迷うことなく鮮明な記憶を辿って進んでいく。途中襲い掛かって来る魔物は往なすか一撃で仕留め、大半は見逃す。


 この時、ゼアの中では一つ大きな懸念があった。

 ゼアはこれでも『聖獣』の一介だ。神の使いとされる者たちの子孫だ。その身は人に近く獣に寄っていようとも真髄は神に癒着する。つまりは理、自然に強く結びついている彼らは人よりも敏感に感知できる。

 その違和感や不快感に、相違ない異物と歪みの胎動を。


「悪魔か」


 呟いた一言は世界を滅ぼす存在の兆名。

 死神が復讐を誓い続ける世界の『絶対悪』。

『神の宿敵』にして世界が忌むべき悪の根源にして原初。

 人の形をした魔の邪悪。邪神の意思を受け継ぎし『欲望の権化』。


 ゼアもまたそいつらに酷く強い感情を抱いていた。


 復讐ではなく正義でもない。殺意と願望、吐き捨てては咬み千切り、飲み干しては吐き出す、やりきれない後悔と憎悪のそれ。

 漏れ出してしまいそうなリリヤのような瞋恚の炎。それを必死に抑え込むようにダンジョンを駆けては魔物を駆逐する。神足の彼は次々と魔物を滅ぼしてはグランダルナを追い抜いた。


「おい⁉オレより先に行っても道わかんねーだろうが……って道わかってんのかよぉ⁉」


 正規ルート通りに右の角を曲がったゼアに、ぎゃぁぁあと喚く男など無視してゼアは駆ける。


「クソがァっ……嫌な予感がしやがるッ!」


 野生の勘とはこれほどまでに正しいものはないだろうか。

 ああ獣は未知に恐れながらも立ち向かわんとただ駆けていく。獰猛な爪と尖らせ鋭利な牙で唸り、爛々とした敵愾心の眼は一縷ではなく絶対の意を持って見据え、獣は大地を駆ける。駆けて駆けて駆けていく。

 その獣は求めた。その獣は唸った。その獣は誓った。獣は吠える。その命を喰わんと咆哮する。


 ニ十階層からの猛進。各階五分もかからず獣と男は最下層、目的の三十階層へと降り立った。

 急激に減っていく魔物の姿に違和感を不可解と捉え、そしてここに来て見ることになる。

 残酷のその名を。いや、悪魔の希望の嘲笑を。


 三十階層特融の松明が所々にしか備えられていない真っ暗な階層。濃密な神経を害しかねない魔力の深海。胎動するように震える波のそれ。

 最大限の警戒をともにゼアとグランダルナは一切に言葉を交わすことも音を漏らすこもなく先を進む。

 真っ暗な闇の中、ダンジョンに震撼する魔物の唸り声。弊害そのものになりかねない狂酔な魔力の充満に身体が何倍も重く感じる。

 実際、所有、生産できる己の身体に似合う魔力以上の水たまりに頭から浸かっているようなもの。口に含めては忽ち魔力の摂取量の多さに身体が蝕まれ兼ねない。

 そんな空気からして身が危険なダンジョン最下層。魔力が濃くなっていく方向へと歩いていき――冒涜の意味を知った。



 ―――――――――――――――



「………………んだこれ……」


 グランダルナの唖然とした呟きが漏れ出ては、その音に炎を放ったように騒めく蟲の大群のそれの瞳の赤を知る。


 視界を揺るがしたのは『赤』と『黒』。

 神経を撫でたのは『蠢き』と『赤眼』。

 意味を知り立ち止まったのは『存在』と『光景』の『不可解』のせい。


 ゼアとグランダルナが息を呑んでは我を忘れてしまうその光景は、大洞の大広間。ダンジョンの半分を使ったような果ての見えない暗澹の空洞。だというのにその広間は赫々しかった。

 空間を満たしていたのは血を燐光させたかのような『赤』。人を獣を殺してはその血液で殴り描いたかのような地面。それが美しいとばかりに数百に及ぶ魔法陣が『赤』を燐光させていた。


「ふざけんなよっ……ふざけてんのかぁ……っっ――ふざけんなよォ‼」

「落ち着けっ⁉」


 今にも飛び出しそうなゼアを羽交い絞めにグランダルナが押さえつける。角に隠れて頭を覗かせる二人に『そいつたち』は気づいた様子がない。ゼアの豪力を抑えながら息を吐くグランダルナだが、その息一つで安堵とはなり得ない。


「まーオレもお前の言いてぇーことはわかるけどな」


 覗き込み『それ』を現実と理解する。


 数百の赤の魔法陣。分析ができない今はそれが何を齎すためのものなのか判断できない。しかし、それは二の次だった。魔法陣は複数あり、そのすべての魔法陣の中央に身を寄せ合うように、暗黒の殺戮者どもは汚らしい笑みを浮かべて奇声の笑い声を高らかに叫んでいた。

 男は嫌なものを見たと唾を吐き捨てる。


「信じたくねーが……ハっ!なんざ笑えねーよッ‼」


 視界を埋めるのは『赤』と『黒』と『魔力』。

 信じられない光景と忌憚な末路と畏怖の情景。

 そして最後に彼らの聴覚が犯された。


「――ようこそ、ボクの神聖なる約定の臨終所へ」


 刹那、赤が視界を明滅させた。それは光の線。いや、光線の弾丸。


「ちっ!」

「あぁぁもう!」


 ゼアとグランダルナはこの場での最善の行為に違いない回避へと、前方へ一気に転がり込み、爆ぜ貫かれる岩壁を後ろ目に二人は大広間へと続く通路へと誘き出された。

 膝を立て手にはナイフを。どんな攻防でも対応できる構えを。

 蹂躙の意が導き出した二人は数百の魔族と戦う決意をして――絶句した。


 晴れた砂埃。照らす赤いの恵蘭。空気は悪性と魔性。

 大空で白の羽を羽ばたかせるそいつは喜々と爛々と笑みを浮かべた。

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