第22話 白亜の澱み

「じゃあ理由はなんだと思う?あなたの考えを訊きたいかな」


 そう問いかけるミラーダにリリヤは地下への階段に視線を促して、その意を汲んだミラーダはリリヤの後ろにつくように歩き出す。その後をセルナは追いながら二人の会話に耳を立てた。


「仮定だ。一つ目は死神セルナ正義をぶつけ殺し合わせること。俺の殺害か正義の敗北の死を狙った片方の排除」


 十二分にあり得そうな考察だが黙って聞いていようとしたセルナが慌てて口を挟む。


「ちょっと待って。貴方の言い分なら私は王命としてここの調査に来たのよっ!まさか王宮に私たちを嵌めようとしている者がいると言うの⁉」


 実際、手紙の正印は正しく王族の紋章があしらわれたアーテル王国の国王ザッツル・テン・アーテルだけが所有する印が押されていた。特殊仕様で本命の『死神を見極めろ』という命令があったとしても、リリヤの言うことが正しいとするのならセルナは王族や宰相、幹部の者たちを疑わなければいけないことになる。


「信じられないわ……」


 国を守り民を守るために奮闘している彼らが死神は別として、セルナを死に誘おうなどと考えられない。


「……仮定だ。いちいち間に受けるな。……ついでに聞くが、王命には何が書かれていたんだ?」


 脚を止めて振り返るリリヤを段差があるとは言え見下ろす形になるセルナは一瞬すべてを話すか否かを迷ったが、情報の出し惜しみは危険を伴う可能性があると判断しすべて告示した。


「主な依頼はここの調査よ。理由は魔族たちの不振な動きね。ここ古代集落は一年前の残滓があるから万が一を備え経験のある私だけが依頼を受け持ったわ」

「それだけか?」

「いえ。もう一つ機密として言い伝えられたことがある。……リリヤ、いえ『死神アウズ』、貴方との接触が綴られていたわ」


 セルナには今なおその依頼の真意がはっきりとしない。正義が死神と出会うことのメリットが存在しないからとも言える。故に考えられる一つは利害関係からの協定。それゆえの判定だとセルナは解釈した。

 今、魔族と人間の情勢は魔族に傾きつつある。減ることを知らず理性も自我も思考も持たない殺戮者どもは獲物に対して本能に従うのみ。アーテル王国に限らずこの時代、人間たちの砦は常に四面楚歌だ。情勢が一気に崩れたのは四年前に遡るが立ち直すことはできても押し返すことはできていない。

 今はどの国でも協力な助っ人が必要なのだ。

 故に死神アウズだが、噂通りの『悪』であるのなら『悪魔』と同義であろう。セルナはリリヤとの邂逅を『正悪の裁定』と結論付けたのだ。


「……」

「リリヤ?」


 リリヤは少し何かを考えるように沈黙すれど「なんでもない」と言って下り始める。


「貴方の考える一つ目の過程はわかったわ。他はあるのかしら?」

「……もう一つは俺を巻き込んで完全にこの集落の力を破壊すること。アストレアの依頼書を見る限り十全な調査はされていたと見える。完全に俺は利用されたわけだ」


 リリヤは復讐者だ。魔族といるとなれば殺戮を躊躇なく行える魔族狩り。利用目的は単純明快であるが王の真意はわかりかねる。


「俺の考察はこれ以上ない。恐らくアストレアも同じだろ」

「ええ、私の持っている情報はすべて提示したわ。あと、アストレアと呼ぶのはやめて。名前で呼んでくれないかしら?」


 セルナにとってアストレアは家名であるが崇高し尊敬する我が君主、正義の女神アストレア様ただ一人において他にいない。自分がその名で呼ばれることはアストレアの品性を穢すようなもの。女神の子孫アマデウスであるセルナには耐えられない。

 真剣な声音に圧が乗り強制するが、リリヤは何も答えなかった。それを肯定と取るか無視と取るか、リリヤの行動次第。

 ピリピリし始める空気の中、ミラーダが乾いた笑みを浮かべて「次はわたし視点ね」と今だ見えない暗闇の地下階段は底へと辿り着く。

 見渡せど闇。夜目の効くスキルを持っていないリリヤたちはセルナが浮かべる微細の月光によって辺りを警戒しながら進む他ない。

 光が照らす僅か数メル先、左右円状だろうか開けた空間と思わしきそこは一風変わった空気が澱みのように集積していた。どんよりと重々しくだけど軽率なほど人外の嘲笑を感じてしまう。それは悪魔ルシファーの存在と対峙したことがあるが故の思い込み。しかし、気味の悪さだけは拭うことはできない。


「……他に気配はないわね。全体を照らしてもいいかしら?」


 小声で訊ねるセルナにミラーダはこくりと頷いた。

 微光の球は天上へと昇り月のように宙に静止しては補充された魔力を使って一回り大きく変芸し、月光を地下いっぱいを照らし出した。

 刹那、視界を埋めるのは半透明の檻が乱雑に並ぶ白い一式の空間。眩いほどの白は目をちかちかとさせるが、それが気にならないほどにもう二つの『彩』が白を濁らせていた。

 一つは『赤』。血と同じ真っ赤と黒の気色がリアルな『赤』。

 もう一つが『灰』。そのままの通り半透明の檻の中で砂時計の終わりのように灰が積もっていた。

 床には幾何学的なのか細い迷路のような溝が彫られており、十メルもいかない前方は檻に阻まれた壁。そこはまさに捕虜の檻だった。

 捕えた獣を監禁するところ。奴隷の住処で生贄の墓地。腐敗は漂ってこないのに限りある死臭が脳を直接貫いた。


「ここが地下室……悍ましいわ」


 セルナは見てわかるほどの顔を歪める。


「だね。ここが悪魔の研究場なのは間違いないみたい……」


 ミラーダは周囲を見渡しながらただ事実に声を潜める。


「……」


 リリヤは何も答えず灰を手に取り赤を指先で触れ檻を確かめる。


「その灰って……」

「十中八九あいつの〈権能〉に操られた死者たちのだ」


 リリヤは確信として告げた。五十を超える檻の中で蓄積された大量の灰はすべてを『亡者』と成り果てた者たちの末路だと。幾度も幾度も檻を代用したのだろう。地上で見た人一人の灰よりも量が多く一つの檻に十人は灰燼として冒涜されたのが伺え、セルナがギッと口を結び怒りを露わに檻に拳を叩きつけた。ゴンッッ!と鈍い音が響きその音こそが言葉の代弁だった。


「……」

「……手がかりを探さないとだね」

「ええそうね。みんなが唯一報われるのは首謀者の処罰だけ。それも私の役目」

「……それ――」


 セルナの一言の感情に、口を開き言葉を紡ぎかかけたリリヤはすぐにその判断を誤りと知り言葉を放り捨てた。砂地に放り出された言葉たちは戸惑いながらリリヤによじ登り、その胸、耳、瞳、欲に蠱惑的に微笑した。


 ――ねぇそれって

 ――それってさぁ~

 ――復讐と

 ――正義が悪にするかもしれない俺の復讐と

 ――なにが

 ――何が違うというんだ?


「黙れ」


 冷酷に無慈悲な拒絶が密に響いた。

 震撼する浸透するガラスの波紋のように空気をたった一言が書き換えた。凍り付く部屋を感じ取ったリリヤは漏れ出ていたことに気づくが遅い。

 セルナとミラーダの瞠目と困惑、それ以上の畏怖の眼に自分に嫌気が刺す。

「なんでもない」と小さな声で呟いて檻群の反対側へと進みだす。


 何も訊き返せないセルナたちはリリヤが背中を見せたことで呼吸を再開させた。それでもまだドクドクと毒に蹂躙されたように心拍が激しく上下している。


「なんだったのかしら今の?」

「さぁー?それにしても怖かったな。二度と怒らせないようにしないとね」


 そう聖母に誓いを立てるミラーダは置いておいて、セルナは檻の墓地に眠る灰の民たちに今一度頭を下げて背を向ける。


 地下室は中心部よりやや南部よりに地上と繋ぐ階段が設置させており、その目の前に檻の山。階段は四方形の岩石の空洞となり、左右に反対側への道がある。横幅二十メル以上はあると思われる左右の壁は円状に、そこもまた檻が乱雑に置き放たれている。その檻の中には灰は一つとしてなく、鉄パイプが折れていたり破壊されていたりと争った痕跡が見当たり、半円が重なる北部の頂点。


「これは……魔道具?」

「こっちには魔法陣ね」


 セルナが見下ろすは光を放ちパネルが並ぶ見たこともない液晶の鏡張りの机。触れても一切動く気配のない未知の装置。

 その装置が壁際半円の突き当りの一角に南部の檻群の正反対側に設置させており、その手前になんらかの儀式、いや研究で使われていたと思われる幾何学模様の溝と同じ構造で掘られた複雑な魔法陣が床に描かれている。


「この魔法陣まったく読み取れないよ。セルラーナさんはわかる?」


 覗き込むセルナだが一目見ただけでセルナとして理解不能だった。


「まったくわからないわ。専門外、いえ未知の魔法陣ね。私たちが普段使うものとは根源から異なるように思えるわ」

「リリヤさんは?」


 一縷の希望を残したミラーダは声に、けれどリリヤもまた頭を横に振った。


「悪いが無理だ。そもそも悪魔ならこれは〈権能〉に髄ずるものだろう。さすがにそれはあずかり知れない」


 人間の『魔法』と悪魔の〈権能〉は似て異なる。

 魔法は神が慈悲として人間に残した奇跡の産物。権能は悪魔のみが有する邪悪な欲望。互いに理解はできない。


 魔法陣の全長は直径三メルの方陣。それを祈祷するように四方に四つに柱が立ちその柱にも溝が彫られている。周囲には机が並び何やらガラス管や書類やらが乱雑に積み上げられており、そのほとんどが使用済みのものなのか色合いが腐食した泥の色が纏わりついている。


「そうね。取り合えず何か手がかりがないか調べましょう」

「わかったよ」


 リリヤとミラーダは装置と机の書類やらを調べセルナが魔法陣の辺りや床にほられた溝に魔術的な何かがないか調べる。

 そしてしばらく無言で捜索が続き、とある一つの冊子にリリヤが手を止めた。


「これは……日記?悪魔ですら日記を書くとか何を人間気取ってやがる」


 文句たらしながらとにかく日記を開けペラペラとページを捲っていく。取り留めのない欲望の自己顕示欲の記載からポエムと来て破壊願望。


「ナルシストかよ……最悪だ。死ねばいいのに」


 そして数ページ先、その記載は乗っていた。


 ――ボクはとある計画のために自分の力を極めることにしたさ。嗚呼、ボクは最強になる未来に今から興奮が止まらない!絶望の音色がどれほどか愉しみさァ!


 自分に酔った悪魔的思考に怖気が走る。が、それ以上にリリヤを占めるのは憎悪だ。

 リリヤの家族を皆殺しにした悪魔は、享楽のために殺戮を実行したと取れるルシファーの性質の記載。文章からでもわかる愉悦者。

 蘇る過去に歯を噛み次の頁へと進み――そこに記載されていたのは、実験の内容と悪魔ルシファーの目的。


 刹那、憎悪が黒炎となってすべてを理解させた。

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