第20話 お出迎え、それは水と白

「ふぅーやっと終わった」

「……」

「そうね」


 息を吐く彼女と無言で鞘に戻すリリヤ。その二人のもとにセルナが集い互いに顔を見合わせて「あっ」とセルナが声を上げた。


「貴女……リヴァル共和国のミラーダ・テレミスじゃない!」

「そうだけど……?私のこと知ってるの?」

「リヴァル共和国の神童。水の精霊に愛された海の姫。冒険者で知らない人は少ないわ」

「まーそうなのかな。私はあんまり周囲からのあれやこれって気にしないからわからないかも?あはは」


 そう首を傾げて苦く笑う少女――ミラーダ・テルミスは目元にかかった森の深くで陽光を浴びたような白に近い水色の腰下までの髪を払い、水鏡に浮かぶ水晶のような青い瞳を細めた。


「そう言えば、あなたも見たことがあるような……」


 う~と凝視するミラーダの視線に少々気恥ずかしさと居心地の悪さを感じて視線を逸らした先、リリヤと目が合う。けれどリリヤはすぐに視線を外し周囲の観察と索敵に入っていく。


「思い出した。【正義】のセルラーナさんね」

「……ええそうよ」

「噂通りの美人!こんなところで有名人と会うなんで思ってなかったかも」

「それはお互い様よ。私は基本、北陸から出ることはできないから噂は兼ねがね。一度会いたいと思っていたわ」

「あはは……まー私を持ち上げているのは国の人なんだけどね。私はあなたとは違って富も名声も功績も要らないの。だからあなたの聞いたミラーダ・テルミスはしょうもない人間だよ」


 自分の卑下するミラーダにセルナは首を横に振る。


「そんなことはないわよ。貴女が不要としているものに救われている人、勇気をもらっている人たちはいるはずよ。貴女は自分の功績を誇るべきね」

「……そうかもしれないね。あなたの『正義』は気高くて勇敢でかっこいいよ。昔、海皇様も北陸が顕在しているのは『アストレア様たちのお陰だって』って言ってたもの。……すごいね」


 心底驚いた、という感じはなく本当に「あっ有名な人だ」みたいに遠くから野次馬的に反応したような感覚がセルナの存在の根本を苦く淀ませる。よく言えばフレンドリー的で悪く言えば興味がない。どうやらここにいる人たちは【正義】になんら意味を見出さず敬いも恐れも祈りもしない。事実を事実としか読み取らないらしい。

 他者から常に必要とされてきたセルナだが、この二人からはセルラーナ・アストレアの必要性の希薄、いやセルナなど必要ないとばかりの反応にどうしてかイラついてしまうセルナ。


(どうして私はこんなにもイライラしているの?……狭量は正義にあるまじき心の持ち方よ。己の『情』ではなく世界の平和を私は叶えなくてはいけないのだから。それに……無情な扱いの方がマシなはずよ……欲が出ているのかしら?)


 セルナは噎せ返る感情を押し込めて毅然と構える。


「それで、リヴァル共和国の神童様はここで何をしていたのかしら?」


 恐らく嫌味ったらしく聞こえたであろう言葉。半分は不満。もう半分は警戒。セルナは構える。その剣をいつもで抜き出せるように。


「事と次第によっては捕え牢で滞在してもらう可能性もあるわ」

「それは困るなー。他国のギルドの冒険者がこんなところにいたら怪しまれるのも仕方がないかもだけど、ね」

「貴女はここを知っているの?危険区域よ」

「もちろん知ってるよ。あなたの聞きたいことはわかるけど時間はないかもしれないよ」


 そう言ってセルナに敵意の一つもみせずその腰の剣にすら意識せず背中を向けた。その姿は完全な無防備。恐らくセルナが切りかかればなんとも呆気なくその背中から赤い血が線になぞらえて飛沫するだろう。


「ちょっと⁉待ちなさい!」


 そう声を荒げるセルナ。注視もされず相手にもされず力でも劣り、それは屈辱的、もしくは蔑ろにされたようなもの。セルナの中に密にある承認要求が理不尽な目の前に声を荒げる。しかし、自制心の『正義の血』が直ぐに抑え込む。

 振り向いたミラーダにセルナはそれ以上何を言えばいいのか、何が言いたかったのかわからなくなり視線を彷徨わせる。

 そんなセルナをどう見たのか、ミラーダはただ一言。


「【正義】のあなたが、今一番にしないといけないことはなに?」

「一番……」


 ミラーダの一言は答えではなく問いだった。完全なる問い。

 いつぞいつのあの場所のあの日のあの日々日々に何度も問われ問われ問われ続ける無限の自問と質問の怨嗟にも似た純然な世界の真理。


 ――正義が問われている。


 かつて母に問われ。

 かつて女神に問われ。

 かつて友に問われ。


 幾度の問いに答えては迷いその永遠を繰り返し、果てには復讐者に問われ。そして今もまた、神童の彼女に問われた。


 ――あなたの正義はとはなに?

 ――あなたの正義が残すものはなに?

 ――あなたは正義をどう証明するの?


「――――っっ」


 水晶の青の瞳が視てくる。どこまでも他の誰かとも同じように。


 セルナは嫌いだった。正義を問うてくる者たちが見つめてくる、その瞳の視線の光が。

 セルナは知っていた。いや知っていると思い込んでいた。正義など形としてありはしないと。

 セルナは強く、そして誰よりも弱かった。


 息を詰まらせ答えることのできないセルラーナ。

 微笑む神童を前に記憶のそれらを攫い一度瞼を閉じて息を整えて、いつもうるさいのに止まったような心臓が認識すると同時に拍動してうるさくなる。荒らしく狂ったように。それを見ない振りをしてなんとか視線を交差させて答えを導きだした。


「……ごめんなさい。私が間違っていたわ。私は悪魔の調査に来ている。貴女といがみ合っている場合じゃなかったわ」


 ごめんなさい……そうセルナは軽く頭を下げて毅然と背筋を伸ばす。その心臓は【正義】に呑まれのめり込む。


「その上で聞いてもいいかしら?」

「ん?」

「ミラーダ……貴女の目的はなに?」


 ふっきれたとは若干違うかも知れないが、セルラーナは往来の器質を取り戻す。

 そう、彼女は【正義】。悪を滅し世界を平和に導く一光なり。私情などすべて握りつぶし正義の関門として立ち上がる。

 ミラーダが視るは改めて『正義の少女』。まるで神様を相手にしているような威圧感にミラーダはおっかなびっくり少しだけ逃げ出したくなった。神童などと言われているミラーダだが別段神の血統アマデウスではない。彼女は英雄候補にあがるただの少女に過ぎない。

 故に退路はセルラーナの威圧に断たれていた。


「……依頼をされたの」

「依頼?誰から?」

「それは、教えられないね。ただ確かなのは、ここに悪魔の機密情報があることだけ」

「機密情報?」


 訝し気に首を傾げるセルナにミラーダは何も答えず背中を見せる。その視線の先がリリヤに向かれていることに気づいたセルナはミラーダをもう一度見てからリリヤの下に歩き出す。


「協力はしてくれるのよね?」

「するよ。悪魔は世界の敵だから」


 すれ違い際のセルナの確認に核なる真実を述べたミラーダはセルナの後をついて歩く。

 既に歩いて行ってしまっているリリヤになんとか追いつく。

 セルナとミラーダはリリヤが見上げる『それ』を共に見上げた。


「ここは……遺跡?」

「いえ、何かの施設のようね。他の民家とは作りも形状も何もかもが違うもの。真新しさすら覚えるわ」


 見上げるは白亜の甲鉄を想起する不気味な長方形の建物。入口の門扉は左右に神殿の柱のように屋根を支え白亜の箱から突起した一部のよう。外観からは窓の一つも見えず所々年期故に蔦や苔が浸食しているが完全なる人口の鉱石で作られた箱だ。建物の床は大理石が引き詰められた網目の石段。振り返ると木々が生い茂りここはまるで集落からは見えない。年月がそうしたのか見えないように神聖なものとして隠されて作られたのか。白亜の箱はとにかく不気味に冷たく静寂に侘しさをもたらせる。


「墓地みたい……」


 ミラーダの見解が最適だった。


「異質だ。加えて空々しい」

「そうね。この中に悪魔の痕跡がある……そう思わせるには十分ね」


 白亜の箱を見上げるリリヤの呟きにセルナが目的の髄を口にする。

 灰色に塗りつぶされた門扉を三人は見つめ、特に合図することなくリリヤが先に動き、その後をミラーダ、セルナと続く。


「はっ」


 リリヤは何と躊躇いもなく門扉を剣で斬り開いた。内側にバタンっと大きな音と埃を上げて倒れる切断された門扉。音が静寂を取り戻すと入れ替わりに後ろから声がかかる。


「なんでいきなり切るのよ!悪魔がいたら見つかるでしょ!」

「問題ない。ここにあいつはいない」

「随分な自信ね。そう言い切れる根拠は?」


 リリヤの冷酷な無鉄砲に喰いかかるセルナ。

 しかし、リリヤは一瞥して白亜の箱に脚を踏み入れた。


「やっぱり無視するのね……」

「あはは……」


 白亜の墓地が彼女たちを向か入れた。




 ―――――――――――――――――




 とある【旅人】は微笑む。

 彼と彼女の邂逅。思わぬ客人はいたが、それでも【旅人】が望んで結果に落ち着いていた。

 故に【旅人】の青年は綻ぶ。


「もう少し、もう少しで始まるだろう。さあ君たちはどうする?」


 旅人は静かに託す。見守り願う。


「その剣が偽物でないことを、僕は綴りたい」


 世界は今だ嘲笑に満ちていた。

 そして、時代は巡る。遥かな時代が巡って来る。

 世界の彩が一つ、色調トーンを落した。

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