第19話 水の流れ、死の刻印

 それ以上の会話はなく、しばく距離を最初よりももう半歩離れて歩く先、見覚えのある悲惨の砦が心臓を一瞬飛び上がり、確かに聞こえる戦闘音が幻聴なのか現実なのかセルナには判断できなかった。

 一年半前のあの日、正義が敗れ民衆に見放され信じていたものが音を叩いて激烈に崩れていったあの日。仲間が死に友が死に正義が一度死んだあの残酷の過去。

 脳を眼を耳を神経を脚を手を唇を胸の臓器を、その『音』がセルナのすべてを逆流傍流させる。

 一度、幻想が見えた。あの日々を共に駆けた仲間たちがセルナを待つ幻想を。親友のセシーナがはにかむ夢想を。

 セルナは微笑み一度目を閉じ次に開けば――荒野然と成り果てた古代集落の砦。

 その砦を見上げるのはセシーナでも仲間でも友でもない。

 人間の悪魔と揶揄されて忌避される畏怖の存在のひと、リリヤ。

 リリヤの姿を見て耳朶を浸す剣と爆発の音が現実のものとやっと理解した。


「はあ……なにやってるのよ……っこんなところで立ち止まるなんて……」


 己を叱責して再び歩き出すセルナは背後から声をかける。


「この奥で誰かが戦ってるみたいね。魔族や死者が残っていたはずだから油断しないように」

「…………」

「ねえ?聞いてる?」


 返事が返ってこないことに怪訝に覗き込むセルナ。だが、当人は。


「……ん。俺か?」


 と、セルナなど既に眼中になかったと言わんばかりに目をぱちぱちさせるリリヤ。セルナとてこれほどぞんがいに扱われたのは久しく、ふつふつと怒りが沸き上がって来る。


「貴方ねッ――」

「奴は……いないか」


 怒りだすセルナなどやっぱり眼中になく、一人勝手に納得して踵を返そうとするリリヤに我慢ならないとその手首を掴んだ。


「……この手はなに?」

「ここには魔族や権能で蘇らされた『死者』がいるわ!文字通り危険区域なのよ。だから、誰かが戦ってるならそれを見逃すことはできないわ」

「それは君の事情だろ。俺には関係――」

「私は【正義】セルラーナ・アストレア‼私の意志を見なさい‼」


 セルラーナが唯一リリヤに示し納得させることのできるもの。それは〝正義の意志〟に他ならない。セルナは自分が貴方にとって無視できない存在であることを証明しようと胸を張る。

 揺るぎない平和の象徴の光は、リリヤには眩しいだけにしょうがなかった。


「……はぁー、君は見た目通りに頑固みたいだ」

「見た目通りって、どういう意味よっ」

「純粋、真面目、潔白、頑固、石頭……美点であり欠点の塊だな」

「貴方にだけは言われたくないわ。あと、石頭はやめて」

「ふぅー……さっさと殲滅させる。俺に利用されろ正義」


 セルナのここ一番の決心に、けれどリリヤはなんの感慨もなしに歩いていく。思わずポカーンとしてしまったセルナはすぐに我に戻り。


「そ、それだけ⁉」


 そう叫んだ。怪訝な顔をするリリヤになんかこうと手振りを加える。


「それがお前の正義なのか……とか、ふっいいだろ。その真意を証明してみろ……とか!やっぱり君は正義なんだな……とか‼なんかこうあるんじゃないの⁉私を貶しただけなのはどうなのよっ⁉」

「?何があるんだよ?あと、貶してはいない。評価しただけだ。……意味わかんないんだけど……?」

「え?だって貴方が私に問うたじゃない……?」

「知らない。俺は自分ためにしか動かない。『彼女』のためにしか、彼らのためにしか生きていない」

「なっ……⁉」


 絶句するセルナはたちまち勘違いして一人盛り上がっていたことに羞恥を覚え耳まで真っ赤に染めていく。

 もう一度言おう。正義への問いなどではない。

 リリヤにとってセルナなど敵でなければどうでもいい存在だ。勘違いと相手にされていない二つの事実が襲い掛かり。


「~~~~~~っっっ⁉」


 顔を真っ赤に心の中で絶叫を上げた。羞恥だ。恥だ。それと相手にされていない乙女心の怒りだ。


「…………」

「だから無視しないで待ちなさい――っ‼」


 と叫び慌てて追いかけた。

 その脚が崩れ落ちた砦から集落へと踏み込んだ瞬間、リリヤの殺意が燃え上がった。

 それは黒く赤く悍ましく、復讐の丈が爆発的に鋭く音を切り裂く。

『亡者』がこちらの瞳をその胸の魂で捉えた瞬間、地面が爆ぜた。それはリリヤが地面を蹴って飛び出しただけ。しかし初速の加速が一秒もまだず三十メルほどの距離を一気に詰め、横並びに斜めから二双の剣、〈蒼月ルーナの剣〉と〈漆黒の剣〉を身体の回転と共に亡者を斬核した。

 一瞬の出来事。悲鳴なく驚愕もできず亡者は魂の残骸に繋がる疑似神経を斬られ、塵尻となって天に消える。

 リリヤはそのまま左右の亡者を反撃の一つもさせずに斬り殺し、音を聞きつけ集まって来た亡者と魔族にその眼に笑みを浮かべた。

 その笑みを狂人の笑みそのものと誰が言った。


「死ね」


 その一言は蹂躙を意味し、斬核の結末を予兆し、鮮血の死屍累々を幻視させた。そしてその幻視幻想は事実となり予兆は真実と証明される。


 もとも知れない『亡者』が持つ鉄鋼が振るわれ、反対側から魔族が奇声を掻いて飛び掛かって来る。

 滑らかに振り上げた剣が亡者の腕を切断。反対側、右手の〈蒼月の剣〉をほんの少し時間を置いてから横凪に振るえば、斬撃の振動が空気を伝い濃密なマナに魔力で干渉して魔族のその身体をちぐはぐに分解した。

 横凪の勢いに身体を引っ張られるように足を軸に急回転し振り上げた漆黒ひだりの剣を次は振り下ろす。背後から迫っていた魔族は真っ二つになり、背後から放たれる魔族ども唯一の魔法のような魔力の砲撃をいとも簡単に〈漆黒の剣〉で二つに弾いた。

 割れた砲撃は後方で着弾し魔族の叫喚がたなびく。

 殺意に見つめるリリヤは一歩。そこからは文字通り蹂躙のそれだった。

 加速から剣戟が舞う。鮮血を花びらに花零れる夜の中で踊る異国の少女のように、その剣の舞いは忽ち人の眼を奪う。

 鮮烈だった。壮絶だった。凄然だった。圧倒的な殺戮の力。洗練された技の応酬。セルナが今まで見て来た英傑とそう変わりなく、下手をすれば彼らよりも戦闘に置いて上なのかもしれない。

 復讐者リリヤは圧倒的な強者だった。


「すごい……昔とは、全然違う」


 呆け見惚れるセルナ。だがリリヤに勝てないと見たのかセルナに襲い掛かって来る魔族に現実へと戻り負けずとセルナも剣を振るう。


「はぁああ!」


 そうして五分もしない内に五十近い魔族と亡者を倒し尽くしたリリヤとセルナは息一つ荒げず、今だ響く戦闘の音に駆け出す。

 門扉から集落の最奥。建物の形が亡霊のように残っている被害が最小の地。道端に転がる今しがた殺されたであろう魔族たち。残滓のように消え逝く運命にある亡者の黒の粉。

 集落を過去のものにするように魔石を砕かれた者どもの灰が広がり、目に入る範囲だけで想定百か二百。


「これだけの数ってことは複数人?……けれど」

「奴等をすべて殺せばいいだけだ」

「⁉……ちょっとリリヤ⁉」


 リリヤは更に加速する。


 奥に行くにつれ建物が一階建ての家から宿舎のような大きな建物が連なり、その破損で道が複雑に分岐。建物の増高と並行に遊歩を作るように木々の数が揺れ、奥の視界を悪くする。

 どこからか飛び掛かって来る魔族と亡者を往なしながらずっと絶え間なく続く音の場所へと足を進め、二人は見た。その可憐な水流の踊り子を。


 水を纏う剣、そのものが水流だった。まるで湖の水面を踊る水の妖精のように、音一つなくまるでその人だけが違う時間を生きているかのように無数の魔族たちの中で流れていく。

 卓越と洗練された凡才にして剣の極めに近い単純な剣技。無駄を省き暴力を省き個体を省き、彼女そのものが一つの剣。同化するように水流を纏い一撃で仕留める。荒れ果てた死地のはずなのに、水面を錯覚した。


「はぁっ!」


 小さな息と掛け声。力みも無駄もない丁寧な流れる動作。墳血すらも噴水に見えてしまう風水な風光。

 まるで『水姫テティス』のよう。水神から寵愛を受けた英雄と言われても納得したであろう。

 水流の剣技に心奪われる二人。だが、リリヤはそれも次には殺意に置き代わりセルナを残して少女の背中に迫る魔族に漆黒を纏いて穿つ。

 奇声と墳血、黒の殺意はその場には相応しくない。しかし、力だけを見れば二人は互いに背中を預けた。


「ありがとう、誰とも知れない人」

「……こっちは俺がやる」

「わかった。よろしく」


 短い会話。名も知らず目的も知らず意志も知らず。それでも互いにこの戦場を駆けるに値する存在、任せられる存在と認め過激と可憐の二振りが暗黒に光を刺す。


「また出遅れたわ……っ」


 己の詰めの甘さに愕然としては呆れ怒るセルナ。彼女もまた遅れながらに周囲の魔族たちの排除に乗り出す。


 しばらく剣戟の音が続き、最後は水流の彼女の一撃によって魔族と亡者は殲滅となった。

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