第18話 名付けられない情など

 時は魔族討伐隊が転移魔法陣に脚を踏み入れ始めた頃。


 西の森、アーテル王国を北に南西から北北西にかけて広がる深大な樹海――ジュナの森。その北西に位置する森の奥、かつて神聖紀に建てられ人々が住まっていたとされている古代集落。そして現在において一年半前、悪魔ルシファーの惨劇によって悲惨な最後を迎えた古代遺産の残地にて、とある二人の人間が森を掻き分けていた。

 一人の少女の名はセルラーナ。セルナと呼ばれる【正義】の神の子孫アマデウス。そんな彼女は隣少し前を歩くもう一人の連れ人……というと誤解があるが古代集落に向かう最中に出会ったその人に訊ねた。


「リリヤはどうして悪魔を追いかけているの?」


 リリヤと呼ばれた少年か少女がわからぬ髪の長い戦士はセルナに見向きもせずその脚も止めない。神器となる剣となって彼の腰に嵌まった『冥王ヴェルテア』も援護の一つもしてくれない。

 話せないことや沈黙事態は嫌いではないセルナだが、またも彼に無視されたことにむっとなってしまう。むしろ、構ってほしいまである。いや、ないから。


「【死神】に関係あるの?」

「…………」

「魔族を殺して回ってるのって何か理由があるのでしょ」

「…………」

「貴方を忌み嫌う噂はよく聞くけれど、貴方はどんな人なの?」

「…………」

「貴方は――」

「君はなんなんだっ」


 無視をされても質問疑問を繰り返し訊ねる不躾なセルナに、とうとうリリヤは声を荒げ脚を止めて振り返った。その眼には確かなイラつきと拒絶、不愉快があり、暗にこれ以上下手なことをするなと忠告してくる。しかし、セルナは意趣返しとばかりに全無視を決め込んだ。


「私?私のことは話したでしょ。正義の女神アストレア様の子孫で、【正義の使徒アストレア・ディア】の隊長よ」

「そうじゃなくてだ……」

「私ことは今はいいわ。それよりも貴方のことを教えて。リリヤ、貴方の真意を教えて」


 あまりにも真摯な眼差しにリリヤは思わず一度口を閉ざしてしまった。その眼差しは正義の眼。正しい瞳は淀みなく裁定する。


「正義の審判か?」

「違うわ。言ったでしょ、私は貴方を見定めると。だから貴方のことを知りたい。それが理由じゃダメかしら?」


 やはり何度言われようとリリヤには理解不能だ。

 リリヤには異名がある。それは忌み名であり恐れの名である。

 死を司る唯一の女神――『死神アウズ』。

 その女神の名こそがリリヤの忌み名であり恐れの名であった。

 人は『死神アウズ』を忌み嫌う。その魔族殺しを。血濡れの娘を。死を振り撒く人間の悪魔を。

 リリヤを理解する人はいない。しようと努力する者もいない。故にセルナの在り方やり方は理解できなかった。加えて己の過去を掘り下げてこようとするのは不快で仕方がない。


 睨みつけ懐疑な眼差しを向けるリリヤにセルナは臆することはない。それ以上に腰に手を当ててため息を吐かれるまである。


「別に貴方の過去を根掘り葉掘り掘り下げたいわけじゃないわ。知りたい、とは思うけれどそれもただの好奇心よ。興味は熱情にならない限りいつかは冷めるもの。私は貴方に恋を抱いていないわ」

「……だから教えろと?問いは正義の審判での天秤にかける材料だからか」

「ええそうよ。恋は熱病と言うのなら理性は医療ね。知りたくて疑って情報の海に溺れていくもの。だからこそ私は理由を求める。せめて貴方が魔族を殺して回る理由……悪魔を探し求めている理由を教えてくれないかしら?」


 定説を求めているわけではない。噂に翻弄もされてもいない。それでも欲望と熱に脅かされるように正義はただ一つの『情』によって天秤を傾けてしまうこともある。

 愛しい人のため、友のため、復讐がため。

『情』は正義の判断を鈍らせる。『情』は人の心を簡単に塗り替える。『情』は定義すら脆くしてしまう。けれど、『情』という名の『理由』を知らない限り、裁定はできない。それは一種のセルナが【正義】ゆえのポリシーだ。

 セルナはリリヤに求める。理由の答えを。


「……」

「……」


 沈黙は続きやがてリリヤは前を向き直して歩き始める。少しがっかりしながらセルナも三歩ほど遅れて後に続いた。

 青空が広がり木漏れ日が刺す昼頭の傾き頃。無言の風と土の韻だけが残る道の遊歩。


「悪魔に殺された」

「……ぇ」


 淡々としてどこか抑え込んだよくわかりようのない声音。この美しい森の中では似つかわしくない言葉。リリヤは前だけを見て脚を止めず言葉を森に還す。


「家族を……みんな悪魔と魔族に殺された。それが理由だ」


 痛切に聞こえたのはセルナの『情』が言葉の意味に『かわいそう』と抱いたからだ。苦しみと辛さが混じっていると思ったのも『経験』があったからだ。寂寥や孤独を与えるのは『情』に振り回されて思い違いをしているだけだ。だから一度目を閉じ冷静に訊ねる。


「それで魔族を殺しまわっているのね」

「……」

「悪魔を探しているのもそれが理由……」

「……」

「――復讐するつもりかしら?」


 リリヤは何も答えずもう一度足を止めて左腰に佩く剣を右手に執った。〈蒼月の剣〉、そう銘々するに相応しい美しい剣だった。その剣を愛おしいものを見るように愛でるように慈しみ抱き寄せ悲しむように、いやきっとただ一つ想いを思うように刃を指先でなぞる。

 刃に映るセルナは自分を滑稽に思えた。


「それを君は悪いと言うか?」

「……言わないわ。復讐は何も生まない……そう言えるほど私も割り切れないもの。偽善も何かを生むとは限らないわ」

「俺は悪魔が、魔族が許せない。だから殺す。殺し尽くして――願いを叶える」

「…………」

「家族だけじゃない。他にも俺の前で殺された人は多くいた。奴等は食事するように愉悦をもたらして虐殺する。俺は奴等が許せない。だから殺して殺して殺して――復讐をする。それが【死神アウズ】を名乗る俺の『悲願』だ」


 純正であった。淀みなど一切になく歪みもなく純粋すぎる復讐の丈だった。

 それを『悲願』と呼ぶに相応しく、復讐の熱は声音以上に瞳のずっと奥だけが伝えてくる。言葉にすれば陳腐だ。復讐心の限りが薄っぺらくなってしまう。それでもリリヤは理由は告げた。


「だから俺に関わるな。君を殺したくはない」


 結論は出た。そう、『復讐』と『正義』は真逆。故にリリヤは突き放し拒絶する。リリヤにとって『正義』など害厄でしかないからだ。

 なら、セルナは間違えてはならない。

 セルナの吐く息が白くなっているのかさえ今はわからない。それでも、リリヤの『情』を履き違えてはらない。


「悪魔は世界の敵。魔族も魔物も人類の敵。……私は貴方を否定しない」

「……は?……俺の非行を容認するというのか?正義が殺戮者おれを許すと?」

「言葉足らずね。貴方の『復讐』の過程に私が間違いを定義したのなら、私は貴方に剣を向ける。天秤が貴方に『悪』と傾いた時、その情熱がどれほど正しく悲惨に切願なものだとしても……正義の使者わたしは貴方の征く道を阻み、その『悪心』に剣を穿つ」

「…………」

「優先順位はあれ、それが正義の女神の眷属わたしたちなのよ」


 狂うことはできやしない。諦めること見放すこと逃げ出すことも抗うことさえも。

 その身に女神の恩恵がある限り、いや、誓った契りと忠誠の意が残り燃え宿す限り正義は執行される。たとえ愛しき人をこの手で撃つことになろうとも……その激情すべてを背負って裁定を下す。

 セルナは【正義】としての己を見つめる度に思い浮かんでしまう。正義は呪縛であると。それを苦と感じているかは別の問題として、呪縛に縛られた正義の使者は揺るぐことなく『復讐者』に心意を告白した。それが愛の告白であったのなら、こんなにも吹き抜ける風は冷たくなかっただろう。

 見つめ合う中、リリヤが手に持つ剣の先。世界を切り裂く刃の遥かでセルナの胸元の真ん中に突き向ける。

 そして瞬いた声は静かに儚く、その言の葉が宿す真意に世界は時を止める。


「――復讐は正義と言えるか?」


 それは――それは……


 凍りつく世界。瞠目と硬直に思考が回らない彼女。正義を問う復讐者。

 静かに幕を閉じるように、もしくは物語を続けるようにそれ以上の何も見いだせないセルナにリリヤは背を向けた。


「俺に関わらないでくれ」


 そう言って歩いていく彼の姿は小さかったのか大きかったのか。それとも凶悪だったのか子供のようだったのか。セルナにはどうにも見えなかった。その背中が語る言葉を誰も理解などできやしなかった。

 命が一つ割れるように閑散とした血の海を歩き続け、何かを探れどもその身体は沈んでいくばかり。

 血の海の深海、月の光すら伸びないそこは純然に純白と純潔。血の海などではひとつとしてなく、綺麗な海の底に脚をついては見上げる水面に泳いでいくことはできない。

 一つの世界で二つに別れ、その境界線は酷く赫々と存在を歪ませ、命の声だけで満たされていた。

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