第13話 道具の名

 セルナが国を出て三〇分後。北の門にて冒険者たちが集っていた。


「傾聴ーー!」


 エルフの少女の張りのある声に喧噪は忽ち雨払いのように止み、ここに集う冒険者たちはこちらを見て佇む一人のエルフに視線を注いだ。


 緑陽の金の編み込まれた美しい長い髪に優しさと凛々しさを兼ね備えた翡翠の麗しい瞳。ギルド【フェーアルヴァーナ】の紋章の入ったローブ一式は新緑で白のマントに黒タイツと丈の長いブーツ。その手にはトネリコ聖樹の枝から作られた錫杖。

 二つ名は【新風妖精フロージ】。妖精大国の神皇の名だ。

 そしてそんな偉大名を体現して為せるのが【フェーアルヴァーナ】隊長セレミア・ヴァン・アールヴその人だった。


 声音は高らかに場を支配した。


「まずは感謝を。此度のクエストに集ってくださり誠にありがとうございます。そして、貴方がたの勇気に応え、これより北部奥『冥界』に連なる山脈の一つ、ウィミナリスの丘にて魔族の繁殖集団地コロニーの掃討を行います。私たち人間の栄光を取り戻し平和を再建するために、共に戦いましょう。みんなどうか健闘を祈ります」


 そうして一度目を閉じたセレミアは次には錫杖を掲げて示した。

 それは人間の強さと愚かさの英雄ならん軌跡の紡ぎを。


「さぁ、世界を我々人類が救いのよ!」

「うぉおおおおおおおおおお‼」


 そうして始まりを迎えたコロニー掃討作戦。

 次々に地龍ソイル=ラケルタの引く馬車ならぬ龍車に乗って複数のギルドと百以上の冒険者が出陣していく。

 その最後尾、ローズやレェムファが龍車に乗り込むのを見送ったシルヴィアたち【アストレア・ディア】のセルナを除いた計五人。

【虚像の娘】シルヴィア・メディス、【海花】アルメリア・スリフト、【銀槍】ハルバ、【夜射】ノクス・ピロテス、【大谷】グレン・アールの五人。

 全員が上級冒険であり正義の生き残りだ。


「それじゃあ私たちも行くわよ。行きたくないけど……」

「シルヴィアの姉さん。本音漏れてんぞ」


 うんざりとした鉄を混ぜた藍色の瞳をするシルヴィアの掛け声に、最年少少年の錆色短髪に黒目に近いグレンがうんざりと指摘する。

 開始早々部隊は引き締まらない。


「はぁーだってコロニーよ。コロニー……!誰が行きたいのよ……」

「まー気持ちはわかるけど、俺らが行かねーと誰かが死ぬんだったらやっぱ行かねーと」


 グレンの言葉に一瞬逡巡したシルヴィアだが、「それもそうね」とサンフラワーの右に束ねたひと房の髪を払い気持ちを持ち直すが。


「ハルバあんまり無理しないでね。しんどくなったり苦しかったら直ぐに言ってね。わたしがハルバを助けるから!」

「うむ。ありがとうアルメリア」

「ううん。だってわたし、ハルバのお嫁さんだもん!きゃぁー!」

「…………うむ。嫁?」

「そこイチャつくなぁあああああああ‼」


 アルメリアとハルバのナチュラルなイチャイチャに彼氏にフラれまくって早十年。今だに処女ヴァージンのシルヴィアは吠えかかる。


「今から私たちは無辜の民を救い世界に平和を少しだけでももたらすために戦場へと向かうのよっ!そんな緩い気持ちで許されると思うわけッ!」

「姉さんっ⁉さっきのあんたと矛盾してんぞ!」

「だいだい昼間からイチャイチャとぉぉっっ――羨ましいぃぃじゃなくて不純よ!【正義】としての自覚を持ちなさい!」

「羨ましいって言っちゃってる⁉あと、あんたが一番【正義】の自覚ないだろ!」

「グレンうるさい!」

「理不尽だァ⁉」


 シルヴィアのLoveラヴに対する過剰な混乱はいつものことで律儀にツッコムグレンもいつものこと。


「大丈夫よシルヴィアちゃん!だってシルヴィアちゃんはいつも真っすぐでかっこよくて、素敵なんだから!きっといい人できるよ!」

「ほ、ほんと?」

「うん!わたしを信じて」


 と聖母な温かみで憐れなシルヴィアを抱擁するアルメリアもいつものこと。

 桜色の髪とルビーに近い瞳の愛らしいアルメリアの優しさは天下一だ。

 その背後で無関心無表情……に見えて内心ビクついている鉄鋼の固い髪に青銅のシャープな眼を閉じる隻腕の男、ハルバの瞑想状態もいつものこと。

 ちなみに二人は幼馴染で恋人だ。うん。


 泣き出しかねないシルヴィアは置いておいて、

 アルメリアの天然がこちらに来ないようにグレンは御者台に乗り込み、地龍の手綱を掴む。

 よしと意気込むグレンに頭上から声がかかる。


「大丈夫?」


 顔を覗かせたのは弓使いのノクス。薄花色うすはないろ髪の左部分を耳にかけ、同じ色の無表情に見えそうな瞳でグレンを見る。年齢も十六と十五のグレンに一番近く、可愛らしい相貌は笑うことが少なくクールに見えるが心根はやさしいことをグレンは知っていた。


「ああ、大丈夫だ。姉さんたちに構ってたらいつまでたっても動けねーよ」

「それもそうね。見張りは私に任せて構わず行って」

「わーたよ。よろしくな!ってや!」


 グレンの合図に地龍は声を上げて走りだす。

 車内で甲高い驚愕の声が渦巻いているが気にせず走りだした。




「てか、大型派閥以上の重役出勤よこれ。なのに戦果の大きさが違うって、はぁ?って感じじゃない。こっちはたったの六人なのよ。ほんとあの王のブダ共っ」

「シルヴィアの姉さん、マジ荒れてんな。セルナ隊長がいねぇーからって言いたい放題……。俺たちは【正義】なんだから見返りなんて求めるのは不誠実だろ?」


 不満たらたらと流すシルヴィアにグレンが【正義】としての在り方を進言するが。


「グレン。それは違うわ。私は確かに【正義の使者アストレア・ディア】よ。けれどその前に人間なの。守れらるべき民と同じ人間ヒューマンよ。そして私は美人で綺麗で素敵なレディーよ!」

「最後のいらねー……」


 シルヴィアの態度だが今日は一段に酷い。理由として思いつくのは、軍人か囚人レベルに扱いが酷いことと戦果に相応の価値を得られないことに民衆からの非難的な視線が今だ収まらないことにつっかえて無理難題を押し付けてくること。なにより主力のセルナがいないこと。その四つ……細かく言えばもっとあるが、それらが重なってシルヴィアをここまでめんどくさい女に成り下げる。いや、もともとめんどくさい女であるが……けれど言の真実に、グレンだけでなくアルメリアもハルバも真向からの否定などできるはずがない。


「で、でも、今はそれ考えても意味ないよね!早くコロニー破壊して戻って来たほうがきっと良いと思うよ!それに遅れたらまた怒られるのは嫌だし……」

「うむ」


 そう言うのはアルメリア。彼女の意見に首肯するのは隣で佇むハルバ。最もとな意見に「怒られたくは、ないわね」と声を詰まらせ。


「はーわかったわよ。これでも一応正義だし、ちゃんとやるわ。後で王に直談判してみるわ」

「それはやめろ!」

「それはやめてっ!」


 グレンとアルメリアの声が重なった。





 北部奥のウィミナリスの丘までどれだけ飛ばしても三日近くはかかる。が、今回は予め調査していたギルド【魔導獅子グリモレオン】の斥候部隊が機転を利かせてウィミナリスの丘の近くに転移魔法陣を組んでいた。転移距離限度からしてアーテル王国から三時間ほど走らせた山林の腹部辺りから転移魔法陣の位置情報を繋げて転移して乗り込む算段だ。既に【フェーアルヴァーナ】のエルフたちが山林腹部に向かい転移魔法陣を展開して乗り込み、向こうに補給地を組み立てているらしい。


「到着までに時間はあるわけだから作戦のおさらいをするわよ」


 そう言ってシルヴィアは配布されたウィミナリスの丘周辺の拡大地図を広げた。

 ノクスがグレンから御者を引き継ぎ、四人は車内で地図を見下ろす。


「まずコロニーは山林の麓から中腹域にかけて広がっているわ。初手、奇襲役として【白い巨頭アルブス・マグナート】のカルトスとポルックス率いる前衛型の部隊が乗り込むとのことよ」

「で、魔族を上空に呼び出してそこを魔法士メイジたちが撃つんだろ?」


 シルヴィアの後を引きついて確認をとるグレンに「そうよ」と頷く。


「それが第一の戦術。その後は割り振られた戦地の山林じゃなくて平地に固まって殲滅に入る。私たちはウィミナリスの丘の麓、つまり入口の守護みたいね。楽でいいわ」

「それって要は後始末ってことだよね?」


 アルメリアの苦笑にシルヴィアも正直うんざりしてならない。その事実にグレンが吠える。


「後始末って尻ぬぐいだろ⁉俺たちだけで逃げてくる魔族をやるのか⁉」

「そうなるわね。……と言っても対処できる範囲でいいわ。麓の前は元々戦場跡らしく視界を遮る物はないからやりやすいとは思うけれど、ノクスには不利かしら?」


 地龍を御すノクスは背中越しに投げられた確認に、なんの迷いもなく言ってのける。


「問題ない。私なら絶対に逃がさないし、どんな場所でも適応できる。木の一本でもあれば問題ないわ」


 彼女の表情は見えないが、その言葉こそが真実疑いがない。

 彼女は弓使いの名手。夜襲を得意とするノクスが基本弓を使っている姿は誰にも見せないが、その正確性と無慈悲な瞬殺、セルナの魔法にすら対抗できる威力は申し分ない。

 何を考えているのかわからない子ではあるが、仲間としてこれ以上なく有能な人はいないとシルヴィアたちは思えてしまう。それほどに、冷静な彼女は戦場において強敵だ。


「大丈夫!ノクスちゃんは強いし、何かあればわたしがなんとかするから!」


 アルメリアの優しさ……だけではなく実績の下に繋がる発言に「それもそうね」とシルヴィアは愚問だったと浅く笑みを張る。


「と、場所は見てみないとわからないけれど、一応私たちも簡単に陣形を組むことにするわ」


 ペンで地図上のシルヴィアたちの戦いの土地に頭文字だけを書く。


「左方にハルバ、アルメリア。右方は私とグレン。ノクスは後方として、一応この編成で対処するけれど数が多かったり魔物が現れたりしたら直ぐに集まれるくらいの距離で対抗よ。恐らく魔物の対処も視野に入れないといけないから臨機応変……あまり不明慮なのは好かないけれどそういうつもりでいて」

「そうか、コロニーの外だから魔物が背後にいるってわけかぁ」

「そう。最悪はノクスがなんとかしてくれるのを期待するとして」

「はぁーなんでも私に尻ぬぐいさせないで」


 グレンにシルヴィアがまーなんとかなるでしょうみたいな雰囲気でノクスに丸投げし、耳聡く聞き取ったノクスが嘆息した。


「まず第一次戦は遠距離からの魔法での制圧。それを抜けて来たのを前衛のグレンとハルバで迎撃。私とアルメリアで援護と制圧に転じて空いた穴をノクスが全面カバーね」

「俺は別にいいけど……」

「……」

「うむ」

「ねぇシルヴィアちゃん。近くに他のギルドはいないの?そこと連携とかって無理かな?」

「アルメリアの言う通りそれができたらこんな話しはしてないわ。この業界ブラックでね。ここら辺全部私たちの制圧圏だってさ。本当に笑えるわよね……あはっ!」

「姉さん⁉まだ壊れんなっ!」

 「おっと、憎悪で叛逆してしまいそうだったわ」


 と笑えないジョークを入れて、シルヴィアは地図上のウィミナリスの丘の麓一体を丸で囲み、その枠の外にギルド【旋回旋風トゥールビヨン】を左、【魔導獅子グリモレオン】を右に書き込み中央に【フェーアルヴァーナ】などの先陣ギルドを。後方の位置に補給地と一体の治療所が設けられ、それらを囲むように円で包む。

 簡単に書き終えた地図をノクスを除いた四人が覗き込む。


「コロニーの範囲はこれくらいだそうよ」

「見事にわたしたちぼっちだね」

「うむ……これでは治療所にも行けぬか」

「ハルバ兄さんが喋った……って今は驚いてる場合じゃなくて、俺たちまだそんなに嫌われてんか?まー嫌われてんだろうけど……」

「嫌われている……というよりは消耗品みたいな扱いよ。セルナもいなければ何よりアストレア様が帰って来てない。女神様がいないから一度負けた私たちは道具として見限られてるのよ」


 正義は重宝されていた。正義は北大陸の守護者であった。けれど時は過去の栄光を新たなもので埋もれさせていく。

 正義失墜のあの日から、正義は悪に敗れた。

 その結果が今の状況で敗れた正義への期待は他のギルドへと移り変わり、一度落ちた評価が直ぐに好転することはない。人員も増えず女神も姿を消し派閥としても弱く各々の力が強いだけの精強の軍隊。

 大型ギルドたちのように過酷な戦場に送り出すことは最早死ねという最終通告に他ならない。

 しかし、アーテル王国は遥か昔から『正義の女神アストレア』と誓約を結んだ身。『正義』を身勝手に殺すことは誓約に違反する。故に民衆の意を汲み誓約に反しないギリギリの妥協案。それが『道具』であった。

 正義とは古来より悪を滅する象徴で主張。故に悪を殺すだけの道具であればいい。

 グレンがイラつきに自分の掌に拳を打ち付ける。


「そんなの……っ最悪だろ!クソかよォ‼ミラリーのっ、みんなの死が無駄死にだって言ってるようなもんだろっ‼」

「落ち着いてグレン。そんなの怒っても今更よ」


 グレンの怒りは正当なもの。皆一度は抱き憤怒した事業。しかし、ノクスだけは今も冷静に見る限り達観的にグレンの落ち着けと言いつける。その態度、背中が気に食わないグレンは年の近いノクスを睨みつけた。


「ノクスっ……なんでそんな薄情なこと言えんだよォ!悪を倒して平和をもたらすために走って来たのにっ……その結末が無駄死にって言わせるなんて――っっふざけんなよォォォ‼俺たちは人間じゃねーってのかよ――ッ‼」


 激昂。激情の溌剌。後悔の嘆き。人間としての尊厳の主張。


 グレンは幼馴染のミラリーを亡くし、自分を庇ったセシーナも命を絶った。

 一年半前、十三の彼には一番近しい人が死ぬのも、自分のせいで誰かが死ぬのもそのどちらもが初めてで限りなく残酷と恐怖に苛まれた。それからどれだけ魔族を殺そうと、二人の死がなくなることはなく消化しないといけない時が来る。

 彼もまた【正義】の一員。悪を滅し平和をもたらすために走り続けないといけない使徒なのだ。

 だからこそ今だ齢十五のグレンには道具として扱われることが耐えられない。いや、死んだ者たちを蔑ろにされることが我慢ならない。

 グレン・アールの正義の信条は『贖罪』にあるのだから。


「俺たちが人間じゃないって言うなら――俺たちは何のために死ぬかもしれない戦場で戦ってんだよォ‼」


 グレンの吠えた一言一句違わずセルナ含め彼女たち全員の叫喚だ。彼ら彼女らは神ではない。

 ノクスは沈痛を押し殺した無情の構えの声音で、横に流れていく景色を見ながら。


「それでも私たちは『正義』。『正義』という『呪縛』に絡め捕られた私たちは永遠に走り続けることしか許されていない。正義なんて聞こえの言いただの正当性の囚人。『正義』でいるなら割り切るしかないの」


 辛辣だけどその通りだ。グレンは頷くしかできない。いや、頷くこともできない。

 理解していようとこの身に刻まれている女神の恩恵が『正義』を復唱する。

 その身は『正義』に犯されている。

『正義』という名の『呪縛』に。


 女神はいない。答えはでない。故に道具で在り続けるしかない。

 ノクスは吐き捨てるように笑い呟いた。


「これじゃあ道化ね」

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