第12話 ツインテールと狼

 リリヤとセルナの邂逅より少し前。


 都市の僅かに騒めくその陰に、とあるにおいを嗅いだ男は無関心に路を歩く。

 右目を隠す薄鈍色の髪の合い間から見える銀眼が獲物を狩る狼が如き鋭く、その顔貌は想像以上に整っており、道行く女は一度は振り返る。手足ともにしなやかに長く引き締まり、百八十セルチ以上はある高身長。年齢は十代後半から二十代と青年ほど。そんな端麗で精鍛な男は周囲の眼など気にせず路地裏へと姿を消す。

 足音がカツカツと響くのは一つだけではなかった。

 背後、十メル程度の距離から常人では聞こえない微かな足音に男は足を止めて振り返った。


「次の相手はオマエかァ?」


 その路地裏には男しかいない。見ている者も立つ者も聞く者も。しかし、微かなそれは目に見えてあった。

 空中で漂う鬼火のような火の球だ。三つの火の球はその動きを止め、男の出方を見るように微動だしない。男は鬱陶しいとため息を吐いて刹那。

 その地に男の姿はもうなかった。

 火の球たちは見えるはずのない双眼で辺りを見渡して。


「てめぇーらは臭いやがる。悪臭だ。人を殺す死と血の臭いだぁ」


 その声は頭上から聴こえ、見上げれば建物の壁を蹴って跳躍した男が青空を背景に霞み、冷酷な眼差しと共に手に持つナイフが線に切る。


「くたばれ」


 銀閃が煌めき、鮮血を咲かせる。火の球の上の部分。まるで首を裂かれたかのように真っ赤な液体が噴出した。


「がぁあああああああ――⁉」


 人間の絶叫が上がる。そして火の球を心臓の位置に見えていなかった人間の姿が露わになり、それもすぐに首を搔っ切られた男は白目を向いて命を手放した。


「……ぁっぁぁぁぁぁぁ⁉」


 男の先制攻撃を皮切りに姿の見えない人間が襲い掛かる。男の眼に見えているのは心臓の火の球のみ。相手がどんな武器を持ちどんな体勢でどんな表情をしているのか一切わからない。しかし、それは常人のみに値する見解であり、その男は一線を画す者だった。


「空気を切るよりも潰す肉厚な形状、銑鉄と軟鉄の臭い……ナイフ……刃の広い剣スパタかぁ」

「ぁぁあああああああああ‼」


 男は形状と長さと用途を瞬時に導きだし、五十セルチから一メルほどの見えない剣、〈スパタ〉が振り上げ降される。刃長身を感覚で感知し数歩後ろ下がって見事に回避する。右横の人間が鬨声を上げて男の胸に突き刺さんと前のめりに刃を伸ばして。


「見え見えだ」


 届くよりも速く男の脚が見えない剣を蹴り上げた。真っすぐに蹴り上げられた脚の爪先が天井を向きそのまま左足を軸に独楽のように回転して回転蹴りが見えない人間を首から吹き飛ばす。ごきりと、軽快で重々しい矛盾の音を鳴らし建物に練り込んだ。姿が現れたのは男で、その首は横に九十度折れ曲がっている。

 仲間の死など構いはせず最後の一人が奇声を上げて凶荒的に剣を振り回す。

 殺傷能力の高いスパタはその肉片を粉々に砕くだろう。

 古代の戦時にも使われていた武器だ。使い手が弱くとも武器というのはそのものだけで性能はある。

 故に狂信的に振り回す見えない敵の刃をギリギリで回避しながら男は一度空に視線を仰ぎ、路地裏に放置されているゴミ箱を火の球に向かって蹴り飛ばす。


「うがぁがががが‼」


 もはや獣か。鬱陶しいとばかりに切るというよるは粉砕する。その僅かな視界の遮りを使い、男は建物の壁を蹴ってもう一度上空へと跳躍した。


「おら。さっさとくたばれ」


 この上なく面倒だと終わりを告げる声音。男は上空で落ちてくる剣の柄を掴んでそのまま身体を捻り遠心力を宿してほり投げた。

 ブーメランのように回転する剣が殺意に上空を仰いだ人間の胴体をいとも簡単に真っ二つ。断面の荒々しい切断面を上に上半身下半身ともに倒れ、剣が壁を抉って瓦礫をばらまき両者ともに墓地に埋められた。


「やり過ぎたかぁ?まーいいだろ。って、情報を吐き出させんの忘れちまったなぁ」


 その男にとって襲撃されることは珍しいことではない。彼はとある人物と世界中を厭きなく周る旅人であり、彼もまた『復讐者』のようなものであった。

 彼は己の欲望のためなら大抵のことはなんでもやる。倫理、道徳、秩序は持ち合わせているが、蛮行は時として他者に目を付けられる。とある国の騎士団。ギルド、義賊、盗賊、暗殺者、秘密組織、宗教団体。

 だから不思議なことではない。


 しかし、今回に限りは違う。一ヶ月に及ぶ尾行と襲撃。


 トチ狂った人間どもは何度何度殺しても代えを用意して男たちの動向を追跡してくる。対応しようとしすれども見つかったとわかればすぐに殺害に切り替え、その姿、精神ともに人間であるのにどこまでも魔族そのものな様。

 何度か捉えることに成功したが――


 瞬間、男はいつものように屋根上へと飛び乗りその場から離脱。そして爆発が路地裏の一角を木っ端微塵に破壊した。


「殺したってのに証拠隠滅かよぉ……うんざりするほど慎重で秘密主義なこった」


 そう、遠隔操作の魔法か体内に時限式の爆薬でも飲んでいるのか、自爆という手段を持ってその存在すらもなかったことにする。故に奴等が何者で付け狙う理由すら男は今だ判明できていない。


「今回も成果はねーと。まーいい。見張りがつかない今の内にやるか」


 男は狼の如く屋根上を駆け、上空へと聳える一点、『神の塔』と呼ばれるアーテル王国地下ダンジョンを塞ぐそこへと足を向けた。





 南西に位置する『神の塔』の直ぐ隣、仲見世状態の広々とした横並びに長いそこはギルド管理部。各ギルドの成績や依頼、冒険者たちの情報を管理して処理する役所。十人ほどのギルド職員がカウンターに座って冒険者を対応する。

 真向いにはズラリと掲示板が並び、クエストがランク別に最低のFから最高のAまで左から百を超すように依頼書が張られている。

 Fランクは簡単な薬草集めや下水道の掃除、木々の伐採などといったお役所仕事が大半で良くて地下ダンジョン三層までの出現する魔物の討伐が限界。Aになればリストに脅威と書かれる魔物の討伐や遠方での貴重なアイテムの採取など。度々地方からの応援にも呼び出されたりする冒険者向きの依頼だ。

 そんな依頼が犇めく中、男は二つの依頼を手に取って空いている窓口に向かった。


「この依頼を受けたい」


 そう言ってギルド職員に依頼書を差し出す。

 真紅のツインテールに大きな緋紅の瞳。齢十四、五しか見えない童顔の幼さに座っていても窺える身長の低さ。目の前のギルド職員はまるで子供だった。

 そんな男の視線に気づいたのか、もしくは今日に始まったことではないのか、赤髪の少女は睨みつける。


「アンタ、今不躾なこと考えていたでしょ」

「ギルド職員の真似事はほどほどにしとけよ」

「はぁぁぁあ⁉アタシはれっきとした二十の淑女よ‼」


 そう、己を二十歳と言い張った幼子の容姿の少女は机を叩いて立ち上がる。立ち上がったことによってその身長の低さが如実に見えた。百五〇セルチはなく、男の身長は百八〇セルチはある。年の離れた兄妹にも見えなくないカップリングだが二人の合間に流れる雰囲気は最悪だ。

 男は面倒くさそうにため息を吐いて首裏に手を当てる。


「見た目がチビだ。無理がある。オマエみたいな餓鬼は御家で寝てろ。ほんだらちょっとくらいは伸びんだろぉ」

「はぁ?意味わかんないんだけど‼ってセクハラだから⁉あと、アタシは餓鬼じゃないんだけどっ‼」

「知るか。まー胸は幼女にしては大きすぎんな」

「セクハラーーーーっっ‼アンタのそれマジでセクハラだからっ‼」

「問題ねーよ。オマエのそれには需要があんだから。ほら見てみろ。そこいらの屑どもがチラチラみてやがる」


 そう言って幼女……げふん。ではなく自称二十歳の少女が男の脇から周囲を見渡せばこっちを見ていた男共と視線が合い、みんな一緒くたに「あ……」と言った顔になって鈍い人形のように視線を逸らす。

 見た目は幼女。性格はツンデレ。体型(胸)は成人とアンバランスな特徴を詰め込んだ少女は身体を震えさせ。


「アンタぁぁぁぁ⁉どうしてくれんのよ‼」


 と男に殴り掛かったが、ひょいと避けられる。


「毎度毎度アンタのせいでっ~~‼っ周りからの視線が変わっていくのよッ⁉」

「はぁ?突っかかってくんのはオマエだろ……。俺のせいにするな。大人と自称するなら責任くらいもちやがれぇ」

「アンタのセクハラがいけないんでしょ‼その言葉そのまんま、アンタに返すわよ‼」

「知るか。さっさと仕事しやがれや」


 うんざりと少女の熾烈な拳の嵐をすんなりと避ける男の名はゼア。

 そして幼女ツンデレ成人の三原色を持ち合わせるは少女ではなく、列記としたギルド職員であり名はアムネシア・アスター。

 この二人の茶番は数年前から有名であり、名物となっていることを二人は知らない。


「大体アンタなんて、腕がたたない無能で低能のくせにイカした狼野郎なんだから家に引きこもってママーとか言って震えてなさいよ‼」

「はっ、オマエにピッタリだなァ。ママにミルク貰って来いよぉ。疑われねーだろ?」

「はぁぁぁ⁉どういう意味よっ‼」


 そこから一方的に絡み罵倒するアムネシアと面倒くさいがイラつくので返答して確実に傷をつけるゼアの口喧嘩、もと言い夫婦喧嘩はアムネシアの背後に立ったエルフによって止められる。


「げふんっ⁉」


 書類の束で頭のてっぺんを殴られたアムネシアは無様な声を上げて椅子に腰が落ちカウンターにおでこをぶつけた。


「いっただぁぁ⁉」

「アムネシア!冒険者様に失礼よ!ちゃんと仕事しなさい」


 そう怒るのはヴァーネ・シンベラーダその人。エルフの美少女はおでこを抑えるアムネシアの頭を無理矢理下げさせる。


「ぐっぅぅ」

「冒険者様大変ご迷惑おかけしました。彼女には後でしっかりと言っておきますので」


 冒険者に荒くれ者は多い。

 力に保身して愉悦と優位に浸っている者。弱者を見下し強者を忌み嫌い僻む奴等。そんなどうしょうもない奴等でも魔族討伐の駒としては必要だ。故に冒険者への失礼はギルド職員内で違反違令と暗黙がある。

 アムネシアは納得してなさそうだがヴァーネの圧に押されて「す・い・ま・せ・ん!」といじける幼女然謝罪した。


「んなことよりさっさと依頼承諾しろ。この後予定があんだよ」


 辟易するゼアの物言いに「なによ」と反撃しそうになるアムネシアの口を塞いだヴァーネが引き継ぐ。

 アムネシア憐れ。


「えっと、〈エアレンの角〉の採取……ランクAの依頼ですが……」

「それでいい。そんでその〈エアレンの角〉がこれだ」


 そう言って隣に置いてあるバックパックから一メルほどの角を四本取り出す。それから腰に巻かれた黒のローブの下、ベルトに取り付けたポーチからいくつか魔石をカウンターに置く。


「……依頼内容は〈エレノアの角〉一つなのですが……」

「後は買い取ってくれ。ついでに魔石もだ」

「えーと……買い取ったものですか?」

「んなわけねーだろ。いくら掛かると思ってやがる。今回は運がよかったんだよぉ」

「そうですか……そ、それでは査定してきますので少しお待ちください」


 ヴァーネは〈エレノアの角〉四つと魔石数個を台車に乗せて奥へと下がっていった。それを見送るゼアにアムネシアは不愉快そうな眼で睨みつけてくる。


「んだ?」

「別に。アンタの力は知ってるし特に何か言うことはないわ」

「それくらいいつも素直ならいいのにな」

「うるさいわね。別に誰彼構わず噛みつく馬鹿じゃないわよ」

「俺に噛みついてくる時点で馬鹿にしか思えねーが……」

「なにか言った?」

「……別に」


 くだらない会話だ。そうゼアは心底呆れる。

 アムネシアと話すことで得られるものなんてたかが知れている。そもそもアムネシアが何かと突っかかって来るだけでゼアとしては興味はそこまで彼女にはない。

 ただ、出逢った日に大喧嘩とは言わないがあーだこーだと言い合ってからこんな関係が続いている。

 ただ一つ。ゼアは確かな一つをこの少女に抱いていた。


「まーここに来ればオマエの生意気な声が日常って思えてきやがる」

「ふん。それだけアタシに夢中ってことね」

「ちげーよ。鬱陶しいってことだろ。悪夢だなぁ……」


 会話はそこで切り捨てゼアはもう一枚の依頼書をカウンターに置く。


「これは……地下ダンジョンでの行方不明者の捜索依頼?」


 怪訝な顔をするアムネシア。ゼアは端的に頷く。


「ああそうだ」

「……地下ダンジョンはそもそも難易度が低いわ。これもDランクの依頼。下層三十階層となればCランクになるけれど、Aランクを熟すアンタがやること?」

「俺の大切な人かも知んねーだろぉ」

「嘘はもっと真実味を帯びさせることね。アンタの素性を知っているアタシにすれば滑稽な文句よ」

「ちっ……」


 そもそもゼアは今回アーテル王国に来て一ヶ月も経っていない。その間に誰かと運命的な出会いをして愛し合うことはあるかもしれないが、ゼアは『旅人』。いつかこの国を出ていく。そして単独でAランクのクエストを達成できるほどの技量を持ちながらどこのギルドにも所属しない変わり者。そんなゼアの素性を知るアムネシアは彼の考えることなど大体は読み通せる。


「地下ダンジョンには住民票、もしくは特別発行書が必要ね」

「…………」

「何をしに行く気なの?」


 不可解な行動原理には則った理由がある。上級冒険者のゼアが下級冒険者の地下ダンジョンにクエストを受けてまで行きたい理由。アムネシアは嫌な予感を覚え何を考えているのかわからない男に訊ねた。

 ゼアは沈黙し、その眼光が受理しろと訴える。アムネシアは不服に思いながらも「わってるわよ」と依頼受理の処置をしていく。そして依頼概要と特別発行書がゼアの手元に渡った。

 それを受け取ったゼアは奥からヴァーネが歩いてくるのに気づき一言。それはただの義理と気紛れ。


「世界を救いに行くんだよぉ」


 アムネシアは首を傾げるしかなかった。

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