第10話 正しさと愚かさと醜悪さ

「死ね」


 そんな端的な一言が如実に未来を決めつけた。


 群青の長い髪が流れる。紺青の瞳が降す。それを人は美しいという。

 踊るというにはあまりに黒質で、けれど優雅とも捉えることができ、あまつさえ剣舞いというよりは正しく光の流離いに近い優美と死雅があった。

 噂に聞くそれだと、セルナの瞳は奪われる。


「――死を振り撒く血濡れの娘」


 次にはヴェルテアの咆哮が魔族どもの威勢を縮こまらせ、体内から昇る火焔のような魔力の凝縮にセルナは瞬時にヴェルテアの背後に身を入れ、刹那、竜の口から魔力の凝縮された圧倒的な破壊が放たれた。


 ――――っっっ‼


 焼土。それが正し言葉と思える光景が視界を圧縮させ、黒煙は灰を舞いて地獄にも届けず消去した。


「…………」

『フっ。まだこの程度しか力は振るえぬか』


 この程度?何十の魔族を一瞬にして消滅させた力が程度で終わる話だとヴェルテアは宣った。その程度の力でさえ全盛期にはまったくもって及ばぬと。


「冥王ヴェルテアは噂以上に規格外のようね。私の時も全力でなかったと言うのね」

『そう恨むな。そして侮るでない。……しかしそれも過去の話し。今の我ではこれが限界。故に貴様の力を認めよう』

「嫌な褒め言葉。古代の人物は等しく性格が悪いこと」


 ヴェルテアは尾を振り被って襲い掛かって来る蛮族どもに叩きつけた。大地が破裂する音と共に砂煙が上がり、突貫してきた魔族をセルナの剣戟が打ちとめる。

 弾き返し踏み込んだ二撃目で胸を切り裂き、左方から迫る魔族の刃が届くよりも早く剣が胸を裂き、後ろの左足を軸に身体を回転させ背後の魔族二匹の上半身を吹き飛ばし、煙の合間を縫う上空からの魔力砲を背後に大きく跳躍して回避する。


「噂違いか?」

「冗談は言わないことね。貴方こそ私のことを侮らないこと。もしも噂違いなら私は既にこの地にいないわ。それが全頼の証明よ」


 ヴェルテアは軽く【正義】の意志を引き継ぐ娘の名は伊達でも虚飾でもないと知る。その者の『血脈』からなる正義の強さいしもまた先見を狂わす英傑の類と、英雄の時代を英雄たちと共に生き抜いたヴェルテアは先見をもたらす。

 ヴェルテアは無性に嬉しそうに微笑んだ。


『侮るなかれと……。勇ましく劣らぬ奴め。貴様の力は認めよう。その証明こそ信じるに値するであろう。しかし、我は奴の『盾』か『杖』に過ぎない』


 ヴェルテアの視線が向く先では一心不乱に魔族を清掃している冷酷と加虐の眼光を昏く光らせた戦士がおり、息の仕方を忘れたとしても、その者の冷酷と残酷の業火の白花リコリスのような瞋恚の粋美だけは忘れないだろう。

 そんな死神に負けずとセルラーナまた戦場に突貫した。

 星屑が流れ点と点を結ぶ星座のように、閃光の幾十は破邪を虐げた。制裁の舞いは光の輪舞。剣戟が残すのは悪を滅した正義の気概。


「はぁぁ――っ!」


 正義が死神が竜が悪の蹂躙を事為す。

 それから数分も経たずにここら一帯の魔族は殲滅し終え、両者共の剣を下ろした。

 死体の残骸と悪臭ばかりの鉄血のにおい。吹き抜ける風が戦闘の余韻を奪い去り、違った次に相応しい空気を運んでくる。

 ふと、セルラーナの視界にその人が持つ美しい剣が視界に入った。


「その剣、綺麗ね」


 刹那、時の中を風が吹き抜け、その人の口端がほんの少しだけ緩んだように見え。


「一番の大切だから」


 そう、答え。それがセルラーナの胸を熱く熱く焦がしては覚めない夢を見ているような気持ちに浸らせ、漠然的な浮遊感を味わう。

 その者の眼が怜悧にセルラーナへ刺し、セルラーナの意識はその人の声で引き戻された。


「――君は?」

「…………セルラーナ・アストレア。セルナと呼ばれているわ」


 それ以上の説明はしなかった。ただ『名』のみで伝わり、それはただの確認事項だと認識したから。

 正義の女神アストレアは遥か昔から下界を守護する平和の母であり、悪を撃滅する正義の光そのもの。伝聞、神話、伝記、書物、あらゆる物語においてアストレアの名は正義に始まる。それは今世においても同じ。アストレアの眷属はいつかなる時代でも物語の先端で光を築く。

 空気が沈み、ゆっくりと起き上がる。その名は死神も理解の至り。


「アストレア…………【正義】のセルラーナ……」

「そうよ。貴方と対極と言えばいいのかしら」

「……はぁー。噂に聞く神の子供アマデウスか……。対極と君は理解しているのに、どうして俺を殺さない?甚だ不可解だ」


 沈んでは浮かぶ。身を満たしては顔を出す。寝息のように。


「……真実そうね。だからこそ言ったでしょ。見極めにきたのよ」

「もしも、ただの噂だと君が見極めたのなら……俺を殺さないのか?」

「ええそうよ。……いえ、あえてこう言うわ。貴方を正義の執行のために『利用』する。懸念も解消できる人類の必要な力の立証よ」


 正義は言う。それで過去を清算すると。噂は噂。けれど、真実もそこにはある。ただ、現在を憂いその言の次を省く。人類の絶対悪は『魔』の付く者どもに決まっている。


「…………」

「私も貴方に名を訪ねても?」

「…………」

「意味はないことはないわ。言葉とは口にする者によって変わるものよ。貴方の口がその名を告げたのなら、他の誰かが口にするよりずっと純情ね」


 最もは感情の違いだ。同じ名、同じ言葉、同じ意味合い。けれど、発言者の感情に傾聴者は重度はあれ印象は左右される。憎悪の丈に便乗し、嫌疑の旨に瞼を閉じ、真実の琴にまた違うものを抱く。

 セルナが求めているのはそういうものだ。

 死神は逡巡する。


「確かに私が掲げるは悪を滅する正義の因子。かつての再来には足りないとしても、それでも私は正義よ。だとしても、心は失くしたつもりはないわ」


 セルナは神の子孫アマデウスだ。けれど、真髄まで神の子供ではない。

 その血の半分は只人ヒューマンの血色。只人の少女としての心は誰かと違い残っている。

 確かに正義は堕ちた、その在り方すら今では無に等しい。正義は失墜し、翼は折れ、剣を失い、意思は闇に呑まれ喰われた。

 かつて北全土の守護者であった正義の使者は無惨のままに土に還った。あの一年前の悲劇を思い出すだけでセルナはこの心臓を握りつぶしたくなる。

 それでもセルナは己を正義と名乗り、その人の言葉を反すのならセルナが敵であるか否かを見定めている。正義を持って心を持って、その人にとってセルラーナ・アストレアとは相容れぬ存在に違いなにとしても。それをセルナも理解しているからこそ名は尋ねられた。


「貴方の名前はなんというの?」

「……」

「それとも全世界に蔓延る『忌みの名』で呼んだほうがいいのかしら?」


 挑発だ。その『忌み名』を知らぬ者はこの大陸にはいない。

 人間は産まれて直ぐに悪魔の脅威と魔族の醜さを教えられ、人間の敵と刷り込みのように認識する。次に魔物の存在を教えられ世界の成り立ちと神と英雄の話しに触れ、八竜王ドラグテインの偉業を聞かされる。

 悪魔のように魔素に支配されながらも自我と理性を勝ち得たドラゴンにして神に近し幻像の存在。彼らは大昔、人間の手を取って大陸を飛んだ神話の怪物モンスターだ。神同然の覇者であると、誰もの脳は理解している。


 そして次にその名は上がった。


 ここ五年ほど。白髪の仮面の狂戦士。

 魔族のいるところに現れては人間など関係なく殺戮する魔族殺し。死を導く彼岸の成れの果て。魔族殺しの悪魔。竜種ドラゴンの血を啜り力に溺れた殺戮の化身。非道な道化。


 その者の口が空気を裂く。


「――リリヤ」


 声音は涼やか。ただそうなのだと真実が世界に小さな花か一滴の雫を咲かせ落とした。そんな感慨だった。


「リリヤ……いい名前ね」

「……」

「ちょっと無視しないでよね」


 忌避を別にセルナの素直な言葉にリリヤと名乗ったその人は無表情でどうもいいように無視する。憤慨するセルナだが、距離感が掴めきれずリリヤに構うのは諦めた。


「それで、リリヤとヴェルテアはこんな森の奥で何をしているわけ?」


 リリヤはしばらくセルラーナを見つめ、問いに答えることなく歩き始める。


「なんで無視するのよ!そんなに私のことが嫌い?」

「…………」

「それとも真実だと知られて敵に周られるのが怖い?」

「…………」

「貴方は――何が、目的なの?」


 ふと、リリヤの脚が止まった。背後のセルラーナを顔の半分だけで射止め、それこそドラゴンを前にしたかのような恐怖に落とされる。


「……信用ならない」

「え?」


 落とされた一粒の真実。それがセルナの心臓を抉る。


「人は愚図だ。畜生で身勝手で欲望の化身だ。友を裏切り、仲間を排除し、理不尽を押し付ける。誰しもが自分だけを価値ある者、自分のことしか考えていない」

「そ、それは、極端な解釈ね。そんな人ばかりじゃないわよ」

「だとしても、俺にとって人間に限らず生命っていうのはそういうものだ。人に人の気持ちなどわかるはずがない」


 セルラーナは息が詰まった。喉の奥で何かが咳づまったように、呑み込むことも吐き出すこともできない石ころのようなものが茨で突く。

 他人の気持ちなどわかるはずがない……そんなわかりきった言葉がどうしてか何度も何度も頭の中で反響する。残心すら残ってしまう。


「…………」

「正義と信じてやまない君を、俺は信用なんできない。正しさを求めるのは、俺にとっては醜いことだから」


 確かな拒絶。歩み寄るとか話し合うとかそういう認識の問題じゃない。

 リリヤはセルラーナのことを、一人の人間として拒絶しているのだ。セルラーナが正義であろうがなかろうが、正しさを信じて求める彼女に嫌悪している。いや、その姿勢にこそリリヤには醜悪にしてならないのだ。


「ぁ……えっと……」


 セルラーナは言葉を出せなかった。けれど、自分の信じて来たものを否定されたことに腹が立つのもあった。でも、リリヤの言葉が喉にひっかえ明確な答えを提示できない。

 そんなセルラーナに呆れたのか飽きたのか構う価値もないと判断したのか、リリヤはヴェルテアの名前を呼んで歩いていく。

 その後ろ姿をその人の背中を見ては手を伸ばし――


「この先、古代集落と言われる古びた集落があるわ――ッ!」


 そう、声を張った。脚を止め振り返ったのはヴェルテア。


『先人たちの知恵の結晶……とまでは言わぬが神聖紀からの名残か』

「ええ。……一年前、そこに調査に来た私たち【アストレア・ディア】は悪魔ルシファーの罠によって私を含めて六人以外全滅したわ」


 そう話すセルラーナは僅かに鎮痛に顔を歪め視線を逸らし、おずおずとリリヤの方へと視線を上げ――心臓が止まった気がした。

 リリヤのセルラーナの言葉を聞いたその瞳。それは憎悪や嫌悪、殺意の類であった。瞋恚が猛々しいではなく苦々しいといった負の怨嗟に目が細められる。その殺気に憎悪に嫌悪に瞋恚に――まるで『復讐鬼』のような威圧にセルラーナでさえ思考能力を奪われた。


「他に知ってることは?」

「え……あっええ。っ……そこには一年前の名残で魔族やルシファーの〈権能〉によって生み出された死者たちが住み着いているわ。そして何やら不穏な動きが見られたようで、そこに私は調査に行くのがもう一つの目的よ」


 もともとの依頼内容が古代集落の調査であるが、それは建前で本当の目的は死神を見定めること。ふと、セルラーナのクリアになった思考が感じとる。

 まるで死神アウズがこの森にいることを知っていたようだと。

 何より、本当に邂逅した事実に未来の預言のようだと考えてしまった。

 とてつもない違和感を覚えるセルラーナだが、リリヤの存在が思考を許さない。


「ルシファー……奴がここにいるなら――」


 一度瞼を閉じたリリヤは息を吐くよりも速く言葉にした。


「その古代集落に案内しろ」

「え……?」

「奴を殺す。俺はそのためにここにいる」


 揺るぎない覚悟。それは濁ることのない憎悪と同等であり黒の一色だった。

 壊れた命の破片を喰えど、その星々を闇で握りつぶし光を殺すほどのそれは――復讐の丈。

 殺してやる殺してやる殺してやる。

 無限の怨嗟と悔恨と憎悪が灼熱と冷獄に抱かれるほどに『復讐』の定義を肯定していた。

 セルラーナは何かを言いかけて、でも何もでてこなく、かわりに自分の役目を思い出す。

 セルラーナは数秒の静寂を終えて首を縦に振った。


「わかったわ。私も正義わたしの使命を果たすわ」

「……何でもいい。はやく案内しろ」

「せっかちね……」


 利害は一致した。歪で偏っていて酷くい共闘。その二人の幼き人間の姿を見守っていた冥王ヴェルテアは嘆息する。


『狂い尽くした復讐者と正義に呪われた女神の子供。惨い……子供たちの姿を見てそう言わずにはいられぬ。これが神の調停の先、綻んだ世界と言うのなら、もはやどちらが悪か計り知れぬな』


 リリヤは悪魔ルシファーと魔族たちに家族を殺され復讐を誓った。

 セルラーナは正義に尽くし剣を掲げ疾く走ることしか許されない。

 恋も愛も娯楽も日常も十代という年齢に相応しいものを何一つとして許されない。その狂っている現実をヴェルテアは吐き捨てる。


 人間はリリヤに忌避する。しかし、ヴェルテアから言えばそんな人間たちの方が醜悪な餓鬼だ。リリヤの視方となんら違いなく、人間を悍ましいと判断する。

 だから歩き出す二人の背中をかつての英雄たちを重ねても重ならない背中を、ただ見守ることしかできない。


「そう言えば、貴方って女性?」


 そんなどうでもいい質問にリリヤはちらりとセルラーナを見たが無視をする。


「やっぱり無視するのね……」

「……信用できない。そう言ったはずだ」


 そうして、正義、死神、竜、という奇妙な三人は即席チーム?となって古代集落の危険区域へと足を踏み入れた。

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