第8話 譫言の小さな

「北部奥の『冥界』に連なる山脈の一つ、ウィミナリスの丘の麓から中央にかけて大きな繁殖集団地コロニーが観測されました。私たち【フェーアルヴァーナ】が至急討伐に向かうことになっているのですが、規模の大きさに人員が足らなく空いているギルドに徴集をかけているところです」


 そう説明するローズにセルナは首を傾げた。


「確か、ローズのギルドは下級の冒険者も合わせれば三百人以上はいたはずよね?」


 ローズは少しばかり苦しい表情を作り一枚の依頼書を広げて見せる。

 そこには脅威度のランクや調査内容などが記載されており、セルナたち【アストレア・ディア】の知らない魔族の情報があった。


「今回の脅威度はBです。魔族の数はおよそ五百から千と予測されています。下の者たちを連れていくのは……」

「無駄死にね」


 そうセルナは言い淀むことなく言い切る。


「魔族一体一体の力は低級の魔物とそう変わらないけれど、繫殖集団コロニーということは数の見解は当てにならないわ。軍数は軽く見積もって七倍。千が妥当ね」


【正義】となって七年、先達の戦いを見て来て十年。既に数えきれないほどの修羅場を乗り越え目に刻み駆けてきたセルラーナ・アストレアだ。彼女の見解ほど信用できるものは他にありはしない。

 魔法士メイジとして名高いローズよりも力は及ばずとも、知識、見識、思考能力、判断能力といって経験に成す事柄においてセルラーナ・アストレアは魔族に対して有能だ。

 ローズもまた何一つ疑うことなどせずに頷いた。


「はい。セルナさんの言う通りだと思います。今回ばかりは危険ですので中級冒険者以上が条件となっています。わたしたちのギルドだけでは多大な被害をもたらし最悪クエスト失敗をする可能性があり、他のギルドからできるだけ多くの冒険者の徴収をかけているのですが……」


 そこで言い淀み上目遣いするローズに顔を背けたいような感覚に襲われたセルナ。これはあれだ。ローズの美貌が女神がかってるからだ。うん、私は変じゃない。

 と、などはどうでもよく。

「うわぁーかわいいっ!」

 と、ドキドキしているシルヴィアのこともどうでもよく。

 セルナは彼女の意思を汲み取る。


「つまり、魔族のコロニー殲滅に対する戦力が足りていない今、貴女は私たちに魔族殲滅の依頼に来たということね」


 一瞬強烈な笑顔を覗かせたローズははっとして強く頷く。が、シルヴィアが吐血して倒れる溺死寸前だ。そのままくたばればいいと一瞬思ったセルナだが、これでも貴重な戦力と自分を納得させ倒れそうなシルヴィアの腰を支える。


「助かったわ……ローズの可愛さは罪ね」

「……言いたいことはわからないでもなけれど、少しはちゃんとして」


 そんなコソコソ話が自分のことについてなど一切思い当っていないローズは改めて交互に見て軽く頭を下げた。


「コロニーの制圧、引き受けてくださらないでしょうか」


 この世界にはとある『法則』がある。

 相対比率の法則は、この時代で『数』を優位と考える法則であり、それがどれだけ危惧すべきものなのかローズたちはよく理解している。

 奴等に心はない。感情も理性もない。魔物と同じで、痛覚はあれどそれも殺戮本能の前にほとんどが無神経だ。けれど理解している。何千年の功績が讃える。

 故に繁殖群でるコロニーはその法則の下、更に肥大化し脅威はうなぎ登りになる。そして英傑として名高いローズが危惧しているのはもう一つあった。

 北の山脈地帯に詳しいセルナが、名にあがったウィミナリスの丘を思い出して。


「あそこは丘とは名ばかりの森林地帯ね。円形型に森林と平地が水玉のように無数に重なっていたはずね」

「それがもう一つの危惧なんです。ただの平地であれば魔法士わたしたちが魔法で一斉制圧は可能です。でも、森林となると狙いを定めるのは難しく、山火事になる可能性が否めません。

 それにわたしたちのギルドはエルフのみの構成なのでほとんどが魔法士メイジであり、前衛を任せることのできる魔戦士ウィザードは少数です。みんな前衛の基本は仕組まれていますが、やはり近接に持ち込まれれば危うくなると思われます。複雑な立地となれば対応にむらがでてこちらの被害が出るのは明白です。

 なによりウィミナリスの丘は広大。時間と捜索の観点から見ればわたしたちだけでは到底制圧は不可能なんです」


 セルナはローズの話しを理解してその眼をシルヴィアに向けた。その視線を受け取ったシルヴィアは一度だけ逡巡してから上目遣いのローズにトクン……と恋に落ち呆けるように頷いた。


「ローズ、こんな正義馬鹿で色気一つない小娘じゃなく私にしない。気持ちよく幸福で満たしてあげるわよ」

「え?……ぇぇっ⁉し、シルヴィアさんっ⁉な、なにを――」

「大丈夫よ。私があんたを幸せに――」


 真っ赤に熟れた林檎よりもなお赤く染めるローズは困惑混乱。そこを付け狙うが如き狼が、その元は処女雪のような白肌に触れようとして――


「【何やってるのよ!】」


 セルナの怒号と共に光を纏った剣がシルヴィアを薙ぎ払った。


「ふっ――。嫉妬かしらセルナ?ふふ」

「――――くっ」


 と思えば身体を前後に折りたたんで回避された。その上、まるで最初からセルナを煽るように。


「よかったわねローズ。セルナはあんたのこと大好きみたいよ」

「えっ⁉ほ、ほんと……じゃなくて⁉」

「シルヴィア!貴女大概にしなさい!ローズも無視しなさい。シルヴィアの甘言はすべて偽りよ」

「そ、そうですよね。……わかりました」

「?どうしてへこんでいるのよ?」


 姦しい彼女たちの青春の一幕に発端のはずのシルヴィアの眼が死んだ魚の眼となり、「…………死ねばいいのに」と、嫉妬しているのは触れないでいいだろう。


 とまあ、正義のなんたらを話していた直後にこれだ。嫌になって現実逃避をしたくなるのも仕方がない。連日続きの魔族討伐にシルヴィアは辟易としながら今だ赤が収まらないローズに訊いた。


「それよりも他のギルドどこが来るの?まさか私たちだけじゃないでしょうね」

「……すごく怒りたい気分ですが、時間もないですし話しを進めましょう。ギルド【金翼創始アウルムアーラ】からはミミル・バレッタ、ジャルノ・カートン、ミレドミラ隊長、他十名。【白い巨頭アルブス・マグナート】から双子のカルトスとポルックスさんのお二人。【治癒の褒詞アルセイデス】からソティーテスさんを含めた何人かの治癒士ヒーラーも参加してくれます。他にも声をかけているので大派閥ほどの規模になるとかと」

「結構な歴戦の猛者たちがいるのね……。それ私たち要らなくない?」


 最早行きたくない戦いたくないめんどくさいオーラが漏れ出ているシルヴィアに、けれどローズは全力で頭を横に振る。


「そんなことありません!ギルド【紅雨の閃剣ルージュビアグラム】が遠征に向かっている今、脅威は素早く処置して国の防衛に周る方が先決です。魔族の出没が多く、ほとんどのギルドが出払っていますから。それに、わたしはみなさんのことをあんな眼では見ません。この国を守るために、わたしたちが幸せを紡ぐためにはセルナさんたちの存在が必要不可欠なんです!」


 どれだけ彼女のようにセルナたちを肯定し、許しを与え、今だ希望をその背に見ることか。軍兵としては必要だと民は正義を戦闘道具と見る。

 しかし、ローズは今だ正義として希望の光になってくれると信じてやまない。

 それが嬉しいことか、誇らしいことか……素直に頷けないセルナに代わってシルヴィアが道化の口調を挟み込む。


「まー最強のギルドがいないんじゃ仕方ないわね。はぁー……これって、特別ボーナスとかでないわよね?」

「でません。慈善事業と思ってくださいとのことです」

「はぁ?やっぱり鬼畜ね。セルナ聞いた?私たち奴隷よ。奴隷ぃ。隷属主義国家反対ーー!私の彼氏返しなさいよ!」

「バカなこと言ってないでさっさと決めなさい」


 セルナのお叱りに「はいはい」とあしらうように返事するシルヴィアだが返答は一瞬だった。


「いいわよ。その作戦に乗ってあげるわ」

「――――」


 そう判断したシルヴィアにローズが「本当ですか⁉」と喜びよりも困惑と驚愕に近い声を上げシルヴィアとセルナを交互に見る。まるで「シルヴィアさん、頭でも打ちましたか?」とでも言いそうな顔で。


「疑うならやらないわよ」

「う、疑ってないですから!よ、よろしくお願いします!嬉しいです!」


 ペコリとシルヴィアとセルナに頭を下げるローズにセルナが割って入る。


「残念だけど、私は他の依頼があるから同行はできないわ」

「そ、そんな~っ⁉」

「あれ?なんかすごい落ち込んでるわね?はっ!まさか、ほんとに婚約の申し込みだったの⁉」

「何言ってるのよ……私はいないけれどシルヴィアたち【アストレア・ディア】が参加するわ。それで承諾してくれる?」


 そう現実を再び告げるとローズは愕然としたが、これも任務のためと明らかに凹みながら承諾した。


「……わかりました」

「そんな露骨にがっかりされたら、さすがの私でもへこむわよ!あーあなーんだ、妖精に愛された【色彩】様も弱者を見縊るのね。がっかりよ」

「見縊ってなんていません!ただ……」

「こんな無能が来ても足手纏いなんだけど~あーあ。セルナとランデブーだったのに~」

「そんなこと一ミリも思ってないから⁉」

「大丈夫よ。今、セルナに好きな人はいないわ。この作戦が終わったら猛アタックね」

「え!ほんとっ……じゃなくてっ⁉わ、わたしそんなこと思ってないからね!」

「おっ遂に敬語が崩れたわね。そっちの方がいいわ。うん、私の勝ちということでキスでもしてあげようか?」

「き、きききき――っ⁉……っていつの間に勝負に⁉」

「セルナのほうがいいわよね?」

「ナチュラルに訊かないでください!セルナさんの眼、シルヴィアさん殺されますよぉ‼」

「あはは……はは、冗談よ」


 必死に叫ぶローズとセルナの眼光に萎むシルヴィア。

 セルナはただただため息を吐くしかできない。

 そしてどこか真剣な趣きを宿したシルヴィアはローズに詰め寄り、警戒する彼女のその顎をくいっと人差し指と親指で持ち上げ。


「――っ⁉」

「――それで、ほんとうはどうなのかしら?」


 その問いはセルナへの愛への問いではなかった。

 正義失墜した彼女たちを見るエルフへの問い。

 エルフは息を呑んで吐いて整え。


「本当もなにも……わたしはちゃんと【アストレア・ディア】の実力を買ってお願いしに来ているつもりです。吐いた言葉に二言は在りません」

「…………でも正直セルナがいなくて、えーって思ったでしょ?」

「……ぅ、それは……それでも……わたしは信じてます……」


 言葉に詰まったのセルラーナ・アストレアという英傑の力が一線を画すものであるがゆえ。そしてローズの中では【アストレア・ディア】とはセルナのことという解釈に落ち着いている見解の証明でもあった。


「正直ね。けれど構わないわ。そもそも私たちはおまけみたいなものだもの。というわけで、私たちも足を引っ張らない程度に頑張るわ。よろしく」

「どこに胸を張る要素があるのよ。はぁーー……シルヴィア、貴女たちはおまけなんかじゃ――」


 シルヴィアの価値観を否定しようとするセルナだが、その口をシルヴィアが塞ぐ。


「セルナダメよ。貴女だけは【正義】でいないと。その結論は誰も守れないわ」

「…………」


 沈黙が帯びを引き、セルナは畏怖に囚われる。

 まるで己を見透かす無情と優しさを兼ね備えたかのような眼光が射抜く。いや、抑圧する。

【虚存の娘】……なぜかそう言われているシルヴィア・メディスの一端を忘れたころに覗かせる。

 恐怖ではない。畏怖だ。

 それを姉のようだと言えればそれでいい。しかし、それはまるで女神のようだと思うのなら、それは異端だ。

 セルナが判断できず時間として五秒にも満たない沈黙は彼女にいつもの顔へと引き戻す。


「任せなさい。セルナなんていなくても一緒よ」

「さっきと言ってることがバラバラよ……」


 胸を張ったシルヴィアのジョークにセルナはうんざりしながらもツッコミを入れる。それが誇張でしかないが、セルナは悟られないようにため息を深く吐く。

 それを見ていたローズが軽く笑い、女性陣の和気あいあいとした会話を見ていたピエリスは深刻にため息を吐いた。


「あたしもこっちじゃなくてあっちに入りたいんだけど……」

「むぅぅ~~~⁉」

「なんでこんな縄で巻かれて目隠しと口まで塞がれて下半身を地面に埋め込められている同胞の管理をしないといけないのよ。はぁーいっそ見捨てようかしら」

「ぅぅぅゥゥ~~~⁉」


 通訳するなら「ピエちゃんには彼氏がいるリア充でしょ⁉って、こんなにしたのピエちゃんだから⁉」とのことだが、その念は当の本人に聞こえるはずもなくエルフとして周囲に晒すことのできない状態で放置されていた。


「それじゃあ、この後〈陽の一時〉に北門に集合してください。物資や食料がこちらで用意してあるから装備だけはよろしくお願いします。それでは」


 そう言って、ローズはセルナとシルヴィアの下から去っていき、それを見ていたピエリスが一瞬でレェムファを土から引っこ抜き、口を解放してぷふぁーと息を放ったレェムファに有無など言わせず首襟を掴んでローズの後を追いかける。


「ちょっと待ってよ⁉なにがどうなってるの~~⁉」


 そんな一同を見送ったセルナとシルヴィアは疲れの息を吐いた。


「お互いに嫌な仕事が入ったわね」

「ほんとよ。それに今日って急すぎるわよ……。それにコロニーってことは持久戦よね。あーあ、ほんとなら優雅なアフタヌーンティーを過ごしながら彼氏と……最悪。死ねばいいわ」

「蒸し返さないでくれる。……他のみんなには伝えておいて。私はもう向かうわ。変に合流してもめんどくさいし」


 〈陽の一時〉まで後一時間はある。もしコロニー殲滅に加わる戦士たちと鉢合わせでもしたら参戦しない理由を訊かれる恐れがある。それはセルナとしてご勘弁願いたい。

 今回のセルナに任された依頼は古代集落の調査だけだが、国からの下知げちだ。王命と捉えてもいい。つまり、あの惨劇を知っている者に限定された指定命令であり、調査とは名ばかりだとセルナは思っている。

 悪魔ルシファーが何かをするために利用していたあの土地は危険区域として原則誰であれ立ち入りは禁止されている。権能の残滓とあの場に今だ留まる残骸ども。真実を知られてみろ、住民たちは絶望に犯され混沌を巻き起こす。

 その場に今向かう理由はただの調査か?否だ。それだけの為にこんな手の込んだ細工をするはずがない。

 セルナは調査概要の綴られた紙を裏返し、真っ白な白紙に魔力を込める。するとそこには隠されていた真の依頼内容が浮かび上がった。


 ――【死神】を見定めろ


「……正義わたしに何を求めているの――」


 古典的な手法。特定の魔力に反応して浮かび上がる紙はセルナのみの魔力によってその黒字は浮き彫りとする。

 刻まれていたのは民衆文字デモティック――ではなく王族、あるいは神の血統者アマデウス半人半神ヘミテオスなどの古代の血筋の者しか教養のない神話の文字、神聖文字ヒエログリフでわざと綴られている。もしも他の誰かに見られても内容が伝わらないようにするための処置か。あるいはわざわざ神聖文字ヒエログリフを使うことでセルナに王家を意識させる算段、いやその裏に潜むものからの問いかけ。

 セルナはその文字とその一行の内容を凝視して。


「どうしたの?」


 覗き込んできたシルヴィアに悟られないように無駄な動きなき紙を折りたたんでスカートのポケットにしまった。


「調査の具体的な内容が書かれていなかっただけよ。古代集落の調査と言われても何を調査すればいいのやら」


 わざとらしく辟易した声で言えばシルヴィアは「行けばわかるんじゃない」と、内容にわざわざ触れることはせず軽く流した。


「それもそうね。。シルヴィアも気を付けてね」

「大丈夫よ。セルナがいなかったら下っ端だから最前線じゃないわ」

「それ、胸を張って言えるセルフじゃないから」


 そんなセルナのツッコミにシルヴィアはふふっといつものようにお姉さん気質に笑った。

 二人は互いに願う。どうか、あなたが無事でありますようにと。


 悪魔の強さを知り、魔族の狂暴性を真髄に刻まれ、その身体は震え喉の奥は嘆き胸の鼓動は冷熱で血管をドクドクと激しく唸らせる。

 恐怖が染みついている。絶望の味を知っている。もう戻れない後悔がいつもそこにあり、それは永遠に付きまとう悪夢。


 けれど、彼女たちは戦線に赴く。


 無数の悪を断罪してきた剣を掲げ、ただ世界が示す光を代弁するように。


 彼女たちは【正義の眷属アストレア・ディア】。


 その身は真の髄まで正義の妄執者である。


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