第2話

 アロマは人造人間である。


 魔法少女に対抗するために生み出された少女は、ひどく苛立っていた。足元に転がっていた空き缶を蹴り飛ばす。宙を舞った缶は壁にぶつかって空虚な音を立てた。


 街はシンと静まり返っていた。鉛色の空は、どこか紫がかっている。見間違いではないし、目の病気というわけでもない。光のドーム。紫のもやが街を覆っていたのだ。


 天を睨みつけていたアロマは舌打ちをし、路地を出る。


 人々は、生きていた。同時に死んでもいた。


 街中に、人の姿は変わらずあった。倒れていることもなく、普通に歩いている。体にはどこも異常はない。異常があるとしたら、心の方だろう。


 行きかう人々からは、感情というものを読み取ることができなかった。瞳には意思の瞬きはなく、その足取りは焦りもしなければのんびりもしていない。皆、同じような顔をして、同じような歩き方をして、淡々と日常を過ごしている。まるで、機械がヒトの皮をかぶって集団行動を行っているようだ。


 そんな人間たちの姿を見ていると、アロマの心は妙にざわつく。アロマを作りだした組織の悲願が、小規模ながらも達成しているのだから、喜ばしいことなのに、手放しでは喜びたくないような気もする。


 もやもやする理由は他にもあった。


 そのもやもやの中心点にあるものは、ついさっきまで魔法少女と戦っていたあの怪獣である。


 ノープと名付けられたその怪獣は、いつになく大きい怪獣であった。大きい分動きは遅い。こんなので、魔法少女に勝てるのだろうかと、アロマはせせら笑っていたくらいだ。 その予想に反して、魔法少女は負けてしまった。


 本来なら、邪魔ものが消えたのだ、喜ばしいことなのだろう。だが、やっぱり、アロマの心はもやもやと何かがくすぶっている。


 正体不明の苛立ちがどんどん湧き上がってくる。


「情けねえ」


 ここにはいない魔法少女へと向けられた言葉。返事はないし、そんなことを言っても、胸の中の感情に折り合いがつけられるわけでもなかった。


 アロマは、ノープに背を向ける。あの巨体を、紫色に発光するパラボラアンテナを見ているだけで、腹が立ってしょうがない。


 足早に歩いていると、花の香りが鼻腔をくすぐった。


 心地よくて――憎悪がこみあげてくるような香り。


 横を見れば、花屋があった。ケッと声が出た。アロマは花というものが大嫌いだった。自分を忘れて、両親の寵愛を受けている誰かさんのことを思い出してしまうから。


 その花屋は二階建てのようで、一階には花屋があり、二階には家となっているようだった。


 なんとはなしに、二階へと目が向いた。開かれた窓の先に、薄桜色の光が見えた。なんとも頼りない光だったが、それは魔法少女が発していた光に違いなかった。


 ずっと探していた標的がそこにいる。


 アロマは窓へと跳躍した。


 看板には『フラワーショップ花園』と書かれていた。



 開かれた窓の先には、天使がいた。今まさに、ベッドへと少女を横たえたばかりで、窓からの闖入者に気づくのが遅れた。


「動くな」


 天使の頭に、突きつけられたのは拳銃であった。


「だ、だれですかぁ!?」


「あたしはアロマ。あんたたちの敵さ」


「敵ってキョムーンの仲間」


 仲間。そう言われると、無性に腹が立ってきた。あんな奴らと一緒にするんじゃねえ、と言葉が勝手に出てきた。天使が悲鳴を上げる。


「あ、あなたが、敵だって言ったんじゃないですかあ……!」


「あいつらの仲間ってわけじゃねえよ。あいつらに生み出されちまった存在だけどよ」


「???」


「そんなことはどうでもいいんだ! あいつを出せよ」


「あいつ?」


「そうだ。魔法少女だ。どうせ元気なんだろ? さっきだって体勢を整えるために――」


 震える天使が、首を横へと振った。ああん、というどすの効いた疑問の声が、アロマの口からこぼれた。天使が小さく悲鳴を上げた。


 その指が、ゆっくりゆっくりと胸を動かし死んだように眠っている少女へと向けられた。

 

「かかかっ彼女が」


「そいつがなんだ」


「ええっとその……彼女が魔法少女なのです」


 はあ、と今度はそんな声が出てしまった。アロマの視線が横たわる少女へと向けられる。なるほど確かに、記憶の中の魔法少女とどことなく似ている。しかし、その雰囲気は実に頼りない。魔法少女の時の迫力はちっとも感じられなかった。


 鼻で笑おうとして、少女を二度見した。


 横たわった少女は、自分と似ている。似ているどころではなかった。瓜二つといってもいい。まるで、双子のような――。


 アロマは、笑う。声を上げて笑い始めたアロマに、天使は唖然としていた。


 だって、おかしいではないか。


 まさか魔法少女が、自分の妹だったなんて。そんなの出来すぎている。


 いや――。


「――敢えてそうしたってことか」


「な、何か言いましたか……?」


「なんでもねえ。それより、コイツは無事なのか」


「肉体的には。でも、どうしてそんなことを知りたいんです」


「あたしがコイツを倒したいからさ」


 犬歯をむき出しにして笑ったアロマに、天使が短い悲鳴を上げる。


 しかし。


 アロマは眉間にしわを寄せる。


 少女から感じないのは、迫力だけではない。その体に満ちていた活力がすっかり消え去っていた。これでは外を歩き回っているゾンビのような街の人間と同じだ。眠っているからわからないが、目を覚ました時、彼女は機械のように動き始めることだろう。とる行動には感情がないに違いない……。


 アロマは悪態をつこうとして――そんなことをしようとしている自分自身に気が付いた。


 どうして、そんなことをしていたのだろう。アロマ自身、理解できない行動だった。心の中のもやは一層強いものとなって、心を焦がす。


 トントントンと自らの腿の上を指が叩く。


 いらだっている。だが、なにに?


「コイツを治療する方法はないのか」


「ご、ごめんなさい」


「ないってことか」


 問いつめるように言ったつもりはなかったが、その声には本人が気がつかないうちに怒気をはらんでいた。


 天使がコクコクと首を縦に振る。コイツは怯えてばかりじゃないかと思いながら、「そうかい」とアロマは呟く。それから、目の前に横たわる少女へ目を向けた。


 これまでいくつもの死闘を演じてきた好敵手が、そこにはいる。手を伸ばし、血の気のない首にそっと触れる。ヒトの形をしていても怪獣には違いないアロマからすれば、この瞬間、少女の首を掻ききることなど造作もなかった。あれだけ憎んでいた相手なのだ、今が絶好の機会ではないか。


 爪を突き立てるだけで柔肌は裂け、頸動脈からは噴水のように血がほとばしることだろう。天使に妨害させる暇も与えずに、目の前の少女へ永遠の眠りをプレゼントできる。


 しかし、アロマはそうしなかった。


 指が、白い肌を撫でる。彼女はこんなにも華奢なのに、ずっと大きな敵と戦い続けている。


 …………。


 アロマはすっくと立ち上がり、窓へと近づく。


「みのりさんを殺さないんですか」


「そうしてほしいか?」


「そんなわけないじゃないですかっ!」


 声を大にして言った天使に、アロマは、だろうな、と返した。


 ――あたしだってそうだ。


「そいつはあたしが直接倒す。誰の力も借りずにな」


 それだけ言ったアロマは、窓のへりに腰掛け、倒れるように空へと体を預けた。くるくると回転しながら落下し、地面にキスをする直前で、四肢を動かし着地する姿は猫のよう。


 天使の視線を背に感じながら、アロマは駆ける。


 魔法少女の目を覚ますためには、先の戦闘の傷を癒す必要がある。肌に直接触れたアロマには、彼女が全力を出したということがはっきりと理解できた。エネルギーを極限まで放出したために、その体はある種の休眠状態に陥っているのだろう。だが、昏睡している理由はそれだけではない。


 アロマは、向こうにそびえたつ黒い巨塔をキッと睨みつける。


 ノープから放出されたバリアがある限り、魔法少女の傷はなかなか癒えないだろう。あのバリアの中では、生物の気力が喪われていく。生きる意思があればこそ、人の活動はより良いものとなっていく。例えば、自然治癒力とか。それは、意識下でも無意識下でもそれは変わらない。


 ノープをどうにかしなければ、魔法少女との戦いはできない。いつかはあの場所もバレて、殺されてしまうことだろう。キョムーンの一員として、喜ばしいことだ。悲願の達成に大きく近づくのだから……。


 ――全然喜ばしくなかった。喜ばしいと思っても、むなしいだけだった。ずっと胸を占めていた苛立ちは最高潮に達して、噴き出したマグマは、すべての元凶たるノープへと向けられた。


 あいつがいなければ。


「あいつがいなければ、戦えてたっていうのに!」


 アロマはダンっと地面を踏み鳴らす。アスファルトがひび割れた。無気力は一瞬、アロマの方を向いたが、次の瞬間には、自らのやらなければならないことに意識を戻している。


 いつもなら、そこここから悲鳴が上がって、魔法少女がいの一番に駆けてくるっていうのに。


 ジャケットの内ポケットへと手を伸ばす。


 そこにあるのはリボルバー。先ほど、天使へと向けたそれを掴む。弾は込められていない。この拳銃は、実弾を込めるものではなかった。


 もう片方の内ポケットには、ハ―バリウムのような弾丸が無造作に入れられていた。その一つを無造作にとって、シリンダーに装填。


 装填されたのは、クロユリがあしらわれた弾丸。手首をスナップ。シリンダーがかちゃりと元の位置へと戻る。


 撃鉄を起こすと、リボルバーが黒く発光する。


 陸上のスターターのように天へ銃口を向け、トリガーを引く。


 ハンマーが弾丸を打つと、漆黒の光が銃口からほとばしった。それは、鉛色の空を紫のバリアを塗りつぶすかのように上昇し、うねり降下し、墨色漆黒鉄黒濡羽色ふしかね色という微妙なグラデーションを形成しながらアロマへと降り注いだ。


 黒い光の中で、アロマの服装が変化していく。光が今着ている服をかき消した。光がなければ、その裸体が露わとなっていたところだが、きわどいところでそうはならない。


 光は、ぱっと弾けて、クラシカルなメイド服へと変化する。ラブシャインのそれと比べると、白黒しかなくて地味だ。どことなく、喪服のような陰気な印象さえ、そこにはあった。


 だが、その手にはリボルバーが握られている。逆の手は、人差し指と親指とで、ピストルの形を作っている。本物の銃ではない方が、バンと火を噴いて、跳ね上がった。


 姿を変えた少女が、見えない硝煙をフッと吹く。


「あんたのハート、撃ちぬいちゃうぜ?」


 決め台詞とともに、光が霧散し、その姿が露わとなる。


 魔法少女ラブシャインに対抗するため生み出された存在――エヴォルターが。



 エヴォルターは苦戦を強いられていた。


 正直なところ、彼女は相手の力を見誤っていた。ラブシャインが敵わなかったのは何かの偶然だろう。あたしなら、なんとかなる。そう思っていた。実際、エヴォルターはキョムーンの中では無類の強さを誇っていたのだから、普通に考えれば勝てるはずだった。


 しかし。


 動かない巨体に、嫉妬の火を宿した閃光が幾重も飛来し、爆発が生じる。手ごたえはまるでない。何事もなかったかのように、光を発射したばかりのエヴォルターへと攻撃を仕掛ける。


 腕が振るわれ、音波が飛ぶ。


 エヴォルターは回避する。腕を回避することは簡単だった。一撃は重そうだったが、その分動きは鈍重だ。だが、音波となるとそうはいかない。聞こうと思っていなくても、耳という器官が存在する以上は聞こえてしまう。イヤーマフがあっても聞こえるだろうその超高音は、ヒトではないエヴォルターにとっても苦痛だ。


「頭がガンガンするっての!」


 怒りのままに、弾丸を交換する。紫黒色の弾丸には、シャクヤクが描かれている。それを装填し、怒りのパワーを解き放つ。


 先ほどよりもずっと強力な光が、ノープめがけて飛んでいく。体を焦がすようなじれったい火の粉ではなく、もっと直接的な炎がノープの巨体を燃やし尽くすはずであった。


 炎が吹き飛ばされる。音波とともに生じた圧力が風を生み、すっかり吹き飛ばしてしまったのだ。


「なんて厄介な」


 エヴォルターが吐き捨てた。その間も、音波はエヴォルターを襲い、頭痛を引き起こす。ヒトよりもずっと丈夫な彼女でさえそうなのだから、街への被害は甚大であった。


 建物にはヒビが入り、怪獣に近いものにいたっては揺れてさえいた。窓のほとんどは共振したことで割れている。ギザギザの窓の向こうには、事務作業を行っている人々の姿が見える。彼らにも、怪獣の姿は見えているだろう。だが、どうでもいいことなのだ。自分に与えられたタスクをこなすことだけが、今やるべきことなのだから。


 そんな姿を目にするだけで、反吐が出る。


 あの、感情も何もないのっぺらな顔は一体何なんだ。体は傷ついているのに、全く気にしていないのはどうしてだ。


 理解できなかった。理解したくなかった。


 あの魔法少女が、地縛霊みたいな生気のない顔をしたあいつらと同じようになってしまったら――。


「そんなの絶対許せねえ!」


 胸ポケットから、弾丸を複数取り出す。刻印なんて確認せず、シリンダーへと装填する。複数の弾丸を装填しても、実際のリボルバーでは一発ずつしか発射されない。だが、エヴォルターのそれは違う。弾丸は、愛の力と相反しながらも根っこの部分では同種の力を封じ込めたもので、リボルバーはそれを撃ち出す魔法の装置だからだ。


 複数の弾丸を込めることで、マイナス感情は混ざり合い、複雑なものとなる。ガンナーであるエヴォルターの制御できない方向へと。


 六つの穴すべてに装填したら、撃ちだされるエネルギーは計り知れないものになる。だが、反動も計り知れないものになるだろう。


 暗黒色の光が、火花を散らすかのようにシリンダーから生じる。感情が、相互に作用しあっていた。莫大なエネルギーを生み出そうとしている証拠でもあった。


 エヴォルターは躊躇うことなく、トリガーを引いた。


 暴風。

 そう形容することしかできない音が銃口から発した瞬間、エヴォルターの体は吹き飛ばされた。人間の形をとっていたものの、彼女は人間離れした力を有している。それに今のエヴォルターは嫉妬の力を身にまとっているのだ。通常よりもその体は強化されているにもかかわらず、リボルバーの反動に吹き飛ばされていた。


 耳がキーンとする。体は吹き飛ばされ、くるくると回転しながらも、その猫のような目は光弾の軌跡を追う。


 銃口の何十倍にまで膨らんだ光の弾は、ノープへとまっすぐ飛翔する。大きさも桁違いなら、その速さも桁違いであった。


 命中する直前に、光の壁が現れる。ラブシャインの剣戟をものともしなかったバリアであり、先ほど魔のエヴォルターの銃撃を弾いていたその紫のバリアが、黒い球を受け止めようとする。エネルギーとエネルギーとがぶつかり、空気が震え、飛び散ったエネルギーが火花となって消えた。


 バリン。


 そんな音が聞こえた。


 バリアを突き抜けた光球が、巨体へと吸い込まれていく。


 四肢を地面に滑らせるように着地しながら、エヴォルターは確かな手ごたえを感じていた。先ほどまではバリアで弾かれていたが、今度こそは本体に命中した。


 これで、だいぶ弱っただろう。


 そう思っていたエヴォルターが息を呑む。


「マジかよ」


 煙が晴れたのちに見えたのは、体の一割だけを失ったノープの姿であった。ノープは怒りをあらわにして、パラボラアンテナの先端をエヴォルターへと向け、紫色の光を放った。


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