第14話 陽子線治療(2)

10月17日(月)

 朝5時から、母が、掃除をする音で目が覚めた。7時頃に朝食を食べ、8時過ぎに、出発する。

 母は、高速を使うのを嫌がるので、一般道路で行く。カーナビだと2時間半と出た。途中、トイレ休憩をしたり、妹3が車酔いしたので、ドラックストアーを探したりしながら、ゆっくり走る。

 11時。山の斜面に病院が見えてきた。とても大きい病院だ。駐車場も広いが、ほぼ満車状態。県内のいろいろなナンバーの車が駐車していた。車椅子を借りて、父を座らせ、建物に向かうと、正面扉脇のベンチに、人が沢山座っていた。何だろう…と思いながら、建物に入る。

 中に入って、消毒・検温をする。ホテルの様に豪華で、リラックスできる様に配慮された内観と、人の多さに圧倒される。妹3が初診受付に行く。手続きをしてから、次の受付に行くと、「初診は付き添いが2人までです」とやんわりと言われた。妹3が「じゃあ、私が、外で待っているね」と言うと、受付の人が一人きて、妹3を出口まで案内した。言い方は丁寧だけど、ちゃんと出て行くまで、見届けると言うシステムだ。その時に、玄関の周りにいた人達が何だったのか、解った。外で待っている人の為に、トレイも外にあった。

 父と母と私は、診察券・紹介状・呼び出しベルを持たされ、相談窓口のコーナーに案内され、そこで待つ様に言われた。個室がずらっと並んでいる。指示された椅子に座って待つ。でも、予約時間は、12時30分。まだ、時間がたっぷりあるので、許可を頂いて、エレべーターで、レストランや展望室がある11階へ行く。エレベーターには、許可バッチを付けた入院患者の家族らしき人や、点滴台を押しながら移動している患者さんなどが、乗ったり降りたりしていた。11階のレストランは、ファミレスみたいなメニューで、値段も、ファミレス価格。うどんが600円くらいだった。

 展望室は、とても景色が良かった。高台にあるので、海も、山も、街も、よく見えた。この階には、患者専用の、展望風呂もあった。

 ここで、母は、ベンチで横になっていた。運転に疲れたのだろう。父に「何か食べる?」と聞くと、「要らない。検査をするかも知れないから、終わってから食べる」と真面目な事を言っていた。そして、妹3がいない事を気にしていて、「妹3は、大丈夫か? お腹すいていないかな? 一人で外にいて、可哀想じゃないか」と心配していた。

 展望室の後、一階へ移動して、散策する。コンビニ、ウイック専門の理髪店、図書室、患者談話室、サロンにはグランドピアノがあった。中庭、外にはバラ園、人工の滝や、池もあるらしい。(妹3は、待っている間に、そういう所を、散策したらしい)

 一通り散策してから、相談室コーナーに戻る。1時頃、やっと呼ばれた。

 まず、ベテラン風の看護師さんが、パソコンに入力をしながら、聞き取り調書をした。ここに来た経由、父の状態、希望している治療など、いろいろと話しをしながら、最終的に「何を質問したいか」と言う事をまとめて下さった。 

 そして、次に、陽子線科のコーナーに案内された。ここも、個室がずらっと並んでいる。ここには、横になって待つコーナーもあり、バスタオルなども完備されていた。大きなテレビがある待合室で待っていると、やっと呼ばれた。1時50分。

 個室に入ると、ベテランと言う感じの医師がいた。


<内容(解りやすいように、言い方を変えてある部分があります>

 まず、医師の指示で、父に、自分の名前と誕生日、母と私との関係を言ってもらう。

医:今日は、S総合病院のF先生からご紹介状があって、セカンドオピニオンと言う事なので、自費と言う事になります。

 8月、10月のCTとMRIの映像を頂いた。8月だと、2ヶ月前になりますが、この映像は見ましたか?

私:はい。8月ですと、T総合病院で撮ってもらった物だと思いますが、見せて頂きました。

医:これを見ますと、ここに肝臓があって、こっちが右ね。ここにシコリがあるんですよ。見えます? これ全部、シコリね。肝臓癌と言って、こういう風に見える事があります。一番長い所で13センチ。ソフトボールよりも、もう一回りくらい大きいおおきさ。これは、出来ても、痛くもないし、ご自身はあまり解らない。今回は、たまたま見つかったと言う事です。

 10月3日のは、CTじゃなくて、MRIと言う検査で、これも結局、同じ様なものが見れて、さらに、輪郭がくっきりわかる。下の方だと、ここまである。上の方だと、こんな感じで、小さいモコモコがある。今、12か13㎝くらいあって、なめらかではない。(腫瘍の周りが、モコモコしていると言う意味)そういうのが、MRIで見れます。

 肝臓癌は、しばしば、物が出来た時に、しばらく経つと、他の所にも出来る事があり、そのチェックをしたけど、それはなさそうなので、ここを何とかすれば良いと言う事になる。(一番、大きい塊の事)

 コレを切って取れば良いと言う事なんですけど、外科的に取るのは、難しそうだと言う事は、言われました?

み:はい。言われました。2つの病院で。年齢的な事と、大きな血管に近づいている様にも見えるので、リスクが大きいよと、言われました。

医:今日頂いた手紙では、まあ、肝硬変はあるけれども、肝臓の能力としては、三段階あるうちの、比較的良い方だと書いてあるが、身体の年齢等を見ると、外科的には、手術をするとは言いにくい。じゃあ、何が他にあるかと言うと、お薬ね。薬が、最近、良くなったんですよ。昔は、なかったけれど、分子標的薬と言って、効けば効く。試せば、良く効く事がある薬があって、それが科学療法と言う事になる。

 外科的だと、切除する。科学療法だと、抗がん剤。抗がん剤でも、いろいろ種類があって、抗がん剤みんなが怖い訳ではなくて、そこそこの副作用で止めながら、癌に効くものが最近は沢山ある。中でも、この、肝臓に大きいのが出来た時に、昔は打つ手はなかったが、ある種の薬が良く効くのが解って、使える。しかも保険がきく。

 F先生も、一番コレを勧めているんだと思います。それで、F先生からの手紙に「ご家族から陽子線治療はどうだろうかと頂きました」と書いてある。

 もう一つ、放射線治療と言うのがある。放射線治療を肝臓癌に使う時は、X線を使う方法と、X線だと○○市内では、○○総合病院でもS総合病院でも出来るのですが、特別な仕掛け、治療が出来る装置を持っていないといけないので、X線でやれる所は限られている。腫瘍が、小さい場合と、大きい場合とあって、大きい場合は、X線は無理。陽子線の場合は、どちらかと言うと大きくても出来ますよ、と言うのが特徴。しかも、4センチ以上の物で、手術が出来ないと言う方には、保険が効きますと言う事になったんです。今年の4月から。3センチだったら、保険が効かない。何故かと言うと、3センチだと、ラジオ波治療と言う治療になる。ラジオ波と言う熱で、電子レンジみたいにして、焼灼治療をする。これは、3センチ以下の物、保険適用でできる。が、こういった大きい物は、陽子線が良いだろうと言う事で、保険がきくように、今年からなった。そういった目でみると、海野さんの今の病気は、ゆうに4センチを超えているので、じゃあ、陽子線が出来るかと言うと、出来ます。出来ますが、お勧めする順位が、残念ながら一番ではない。お医者さんの中で「適用がありますか?」という基準があって、大きさや、手術ができないと言う条件には当てはまる。ここでも、数年前に、海野さんくらいの大きい腫瘍の方に陽子線をやった事がある。大きさは、海野さんよりも少し小さい。当時80才。もう8年前にやったが、まだ、お元気です。この方は、TACE(テイス)というカテーテル治療と言って、血管をつめる塞栓術をした。その時の、薬の後がこの白い部分。けれど、これが効かなかったので、陽子線治療をやった。そうしたら、効いた。2年くらいは効いて、ちょっと小さくなったんだけど、すぐ側に、また出てきた。次は、飲み薬などの治療をやって、今は、広がっていない。こう言う方もいる。

 S総合病院でTACEやられているかどうか。これも想定されているとは思いますが。飲み薬だけかも知れない。具体的に聞きましたか?

み:最初に、2泊して、それで薬が効くかどうかをやってからと聞いています。具体的に薬の名前は、聞いていません。

医:何もしないで様子だけを見ましょうと言う治療よりは、今、いろいろとあるので、試してみる価値はあると思います。陽子線治療もね、あまり大きすぎると、上手くいかない。この方でも、ギリギリだった。よく見ると、全部を赤い線で囲みたかったけれど(陽子線を当てる範囲の事)、ちょっと外れている。正確に当てるんですが、あまり当て過ぎると、肝臓が全部ダメになる。陽子線て、加減もしないといけないんだけど、これだけ大きいと、あたる量が少ない所が出来てしまう。無理にそこを当てようとすると、(父の場合は)心臓と肺に近い。心臓を悪くしたり、肺にウイルスが溜まったりと、副作用も出てくる。逆に、そっちの方で症状が出てしまう。今まで、元気にすごしていたけど、疲れて大変だと言う事になるが、それを乗り越えて、効果が前面に出てきて、腫瘍が縮んでくれて、良い結果が出るんですけれど、これだけ大きいと、陽子線でここをしぼった時に、端っこに残った所が、半年くらいして、また、別の所に出来てるよ、と言う事が起こりえる。

 この80才の方は、陽子線治療をしたけれども、先に、こっちをやっている。(たぶんTACEの事)

私:抗がん剤治療をやって、縮んできたら、陽子線治療OKと言う感じですか?

医:うん、そうそう。今でも、基準としてはOKなんだけど、それは、手術が出来ないから。出来るならやった方がいいけど。基準には入っていないが、抗がん剤・科学療法が出来ない、あるいはやったけどあまり効かなかった時に、放射線治療をやるのが良いですねと言う事になっている。X線の方は、(父の)腫瘍のサイズが大きいので無理。だから、陽子線治療の基準は満たしているが、医学的、この病気の性質、体力を考えると、順番は、こっち(抗がん剤治療の事)、こっちが先。で、抗がん剤治療も薬が入るので、今は、腎機能も肝機能も、何でもないけれど、機能が落ちるかも知れない。抗がん剤治療は何回もやる。一ヶ月とか二ヶ月とか間をあけて効き目具合を見て、繰り返しやれる。陽子線治療は、こういった放射を1回やると、もう2回目はできない。同じ所にかさなって当ててしまうから。

 それと、手術だったら、手術の日で終わるでしょ? 薬だったら、薬の日に点滴して終わるでしょ? 陽子線治療は、毎日少しづつ当てて、20回とか30回行う。週に5回、ここに通わなければならない。この大きさだと、まあ、25回はやる。そうすると、約5週間通院する事になる。放射が終わった後、火傷や炎症等の副作用が出る事もある。それが出た時、一時、入院が必要になる事もある。そういう治療です。

 今日は、セカンドオピニオンなので、私の方で、質問に答える所までなんですよね。実際に、保険診療で、陽子線治療を行うとなると、切除が無理と言う事を、ここの病院の外科の先生が判断する必要がある。本格的に、陽子線治療を行うとか、TACEをやってから陽子線治療を行なうと言う事であれば、ここの外科の医師に診て頂くと言うステップが必要。

私:S総合病院で、TACEをしてくれるかどうか、解らないのですが、もしやって頂いて、腫瘍が小さくなったから、陽子線治療をやってみると言う事は、S総合病院の医師が言って下さるものでしょうか? こちらから、言わないとダメでしょうか?

医:今日、これから、返事を書きますので、そこにそれを書いておきますから。

私:先生のお勧めは、まず、お薬で治療してから、出来るのであれば、陽子線治療と言う感じですか?

医:そうです。

私:この治療の方法は、先生からS総合病院にお伝えして下さるんでしょうか?

医:はい。向こうで、この事について、科学療法とかいてあって、これも広くとらえると、化学療法に含まれるんですよ。病院毎に、内科がやるのか、放射線科がやるのか、違うので、そこまでは知らないので、この治療の優先度が高いかなと思うと言う事は書く。ここで、実際、そこそこ大きい腫瘍の方で、この後に陽子線治療をやっている人がいると。この当時は、保険ではなく、先進医療でやっている。

 但し、肝臓癌も遠隔転移する事がある。遠隔転移が出ると、原則、陽子線治療はやれない。患者さんにとってメリットがないから。全身に効く科学療法の方がいいから。遠隔転移がない事。一応、CTで撮っているので、ないと言う判断で良いのですが、もともと、簡単に見つからない時もある。

私:前立腺癌もあるので、どっちから転移したのかもわからないと言う事もありますか?

医:PSAの値は幾つか解りますか? 肝臓については、血液検査でPIVKAの数値が正常は40。父は、199ある。転移が起こると、この数値が上がるので、この数値だと、まあなしで、ここだけで、推定はされる。治療途中で、全身の治療に切り替えないと、と言う事になるかも知れない。

 今は、やれると言うのであれば、F先生がおっしゃる科学療法から始める方が、漏れがない。今、こうなっているけど(腫瘍が大きくなっているけれど)、最初、小さい時が何年前か、今となっては解らない。もしかしたら、10年以上前で、ジワジワきてて、今は、急いで何かをやらなくても、さしあたっては良いかもしれない。だから、いろいろ、内科の先生も、もうちょっとじっくり考える時間はあるし、結構大きい腫瘍とFAXもらったので、今日急ぎ、ここで予約をとったんですけど、そういった具合なんで、ご家族もご本人も、アレもコレも、いろいろと治療法があるから、どういう順番にしようかと、なかなか解らないと思いますが、担当の先生から、その辺りを良く聞いて、これは出来ないからやらないのか、今は出来ないけれど先々出来る様になるとか。

 手術は難しいと思いますがね。さすがに、これだけ大きいとね、端にも、グッと押し上げている物もある。真ん中の壊死している部分もある。

 次にS総合病院に行くのはいつですか?

私:24日です。その日の週に、入院すると思っていて下さいと言われています。

医:じゃあ、もう、そういう風に組んで頂いているんであれば、良いと思いますよ。これ(TACEの事)を先にやらないといけないと言う訳でもないので。全身にきかす????だけから始めて、カテーテル治療は後で考慮すると言う事かも知れないので。

私:カテーテル治療だと、父の血管がもろくなっていて、大丈夫なのかな?と言う心配もありますが。

医:そういう事もありますよ。動脈硬化でカテーテル操作が上手くいかなくて。動脈から肝臓にすすめるが、すすめられなかったらダメ。

私:そうすると、投薬だけと言う事ですね。それをやる事によって、腫瘍が小さくなりますか? なくなるって事はないですか?

医:こんだけ大きいもので、ガチっとしたものがあるので、これが1センチでも縮むという事は、そうとう効いていて、悪性の細胞が死んで、壊れて、吸収されて行くとなると、半年はかかる。だから、一回やって「あ、効いた」という事はない。

私:小さくなって行く=治る、という事ではないですよね? 進行を防ぐ為の治療?

医:そうそう、ここでの増大を止めるし、あまり大きくなると転移する確率が高くなるので、それを事前に押さえると言う意味もあります。

 まあ、いずれにしても、一回やってみて、薬の投与で、身体の中で、悪い影響が出すぎると、2回目はやっぱり様子をみた方がいいし、大丈夫うまく乗り越えられたと言う事だったら、2回目をやると言う繰り返しの違い。

 

 約一時間。医師は、とても丁寧に、私達に解りやすいように、イラストやメモを書いて教えて下さった。


 セカンドオピニオンの結果は、「父の場合、今は陽子線治療が一番良い治療法ではない」と言う事だった。残念だったけれど、納得できて、清々しい気持ちだった。父は、どうか解らないけれど。

 それよりも、父は、とても疲れた感じだった。すっと車椅子に座っていて、腰に痛みが出てきた様だ。会計するまでの間、陽子線科の待合席で横にならせてもらう。けれど、会計は手際が良くて、直ぐに終わってしまい、父は、あまりゆっくり休めなかっただろう。

 ずっと外で待っていてくれた妹3にラインをして、駐車場に戻る。駐車料金200円を支払って、病院を後にする。2時30分頃。

 帰途に向かいながら、ラーメン屋さんを探す。20分くらい走らせて、空いてるラーメン屋さんを見つけたので、そこに入る。もう、3時だ。ラーメンは、とても美味しかった。父は、完食していた。

 帰りも、母が運転した。「私が運転するね」と言うと、断られた。絶対に、私にハンドルを握らせてくれなかった。私は、行きも帰りも、助手席で、ずっと母の目となって、前方や左右の確認をしていて、自分で運転するよりも疲れた。途中、無人販売所で野菜を買ったり、スーパーに寄ったりして、6時頃、やっと家についた。

 父は、疲れてベッドに入って、夕食も食べず、夜の薬も飲まず、そのまま就寝してしまった。妹3も、疲れて二階で休んでいた様だった。車中、ほとんど車酔いしていたみたいだ。

 私と母は、夕食を食べ、今日の病院での感想や、話しをする。母が、予想以上に医師の話をしっかり把握していたり、医師の胸についていたネームバッチに記載されていたフルネームと役職(部長)までしっかりと覚えていた事に感心する。

 母は、10時頃就寝。

 暫くして、大声で喧嘩をしている様な声が聞こえてきたので、びっくりしてリビングに行くと、母が付けっぱなしにしていたテレビの音だった。そっとテレビを消したが、暫くして、また付いていた。

 夜中、また、何やら物音がしたので、リビングに行くと、父がトレイに起きたみたいで、母が介護していた。今日は、病院で一回、帰宅して一回しかトイレに行っていなかったので、心配していたけれど、尿意があって良かった。


10月18日(火)

 今朝父は、しっかりと食事が摂れた様だったので、良かったと思う。今朝の血圧は、160台で高め。昨夜、血圧を下げる薬を飲まなかったからだろう。私が父の血圧を測っていたら、母が「もう、そういう事は、自分でやらせて」と、思い出したように怒っていた。

 父は杖を使わなくても歩けるが、歩ける事に過信して、また転倒して大腿骨でも骨折したら、寝たきりになってしまいかねないので、家の中でも、歩行器を使う様に提案する。母も、賛成してくれたので、歩行器の車輪をふいて、外でも中での使える様にしようと言う事になった。

 9時に、ケアマネさんが、大工さんと一緒に来た。リビングダイニングの絨毯に穴が開いていて、父が転びそうで危ないから、絨毯を新しい物に敷き直そうと考えていたら、ケアマネさんが「もしかしたら介護保険が適用になるかもよ」と教えて下さり、リフォーム専用の大工さんが、見積もりに来て下さったのだ。絨毯でなく、滑り止め機能がついたカーペットなら、保険適用になるとの事だったので、それでお願いする事にした。

 ケアマネさんには、これから抗がん剤治療を始めるので、レンタルしている歩行器とベッドの延長をお願いする。

 ケアマネさんが、父に「昨日は、癌センターまで行って大変でしたね。疲れてない?」と声をかけて下さった、父は「ああ、すごい所だったよ。大きくて、設備も整っていて。陽子線は、今はダメだけど、小さくしてからなら出来るって言われたから。6月には、また、お母さんと車で北海道に行くから、それまでにコレ(腫瘍の事)を何とかしないとね」と言っていたので、思わず、ケアマネさんと顔を見合わせてしまった。「そうだね。目標が出来て、良かったね。頑張らなきゃね」とケアマネさんは言ってくれたけど、私は、「父がそんな風に思っていたんだ」とビックリした。本人が一番、前向きだった。


 父と、昼食後に散歩に行こうと約束していたが、雨が降ってきたので、やめて、私は、片付けをしてから自宅に向かう。

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