宿屋

 あたりの空が暗くなり始めた夕方過ぎ。

多くの冒険者が拠点に戻ることによって、宿屋の食堂は大勢の人で賑わっていた。


 当然それはリエルたちが泊まっている宿屋フォレスも例外ではなく、食堂ではディナーが所狭しと提供され大勢の客が舌鼓を打っている。


 そんな彼らの表情はとても楽しそうだ。

それに冒険者パーティーの仲間たちと会話に花咲かせている。


 その中で唯一仏頂面をしている男がいた。ジークである。


「………」


「ほら食べないのか?せっかく作ってくれたんだ、温かいうちに頂くとしよう!」


 リエルはニコニコしながらステーキを一口サイズに切っていく。彼女は上機嫌なのか鼻歌まで歌っていた。


 それに対してジークはフォークとナイフを持ったまま呆然と固まっている。


 …………。


 ジークの脳内を支配していたのは、いつこの宿から出られるんだ……ということだ。


 俺はエイラとリザとはぐれてしまった。

早いところこの宿から出て彼女たちを探さなければいけなかった。


 それなのに、どうしてこうなった。

 

 無事に宿に着いた後、彼女を寝かせて俺はひっそりと帰る予定だった。だからトイレに行ってくると適当に嘘をつき、そのまま階段を降りて出口へ向かった。


 流石に何も言わないまま消えるのは悪いと思い、店主に手紙を託して出口から出ようとしたところ、いつの間にか足をひきづりながら彼女がこちらを追いかけて来た。


「そっちは出口であってトイレでは無いぞ」


 そう言われて強引に部屋へと引き戻されてしまった。少し怖くなった俺はなぜこちらの方まで来たのかと尋ねてみると、少し外へ出たい気分だったのだ。


 と言っていた。


 え?今、足が痛くて歩けないんじゃないですか?


 そんな事も思ったのだが、彼女は変な圧力を発していたのでそれ以上何も言えなかった。


 そしてその後も彼女の気配りという名の粘着は続いた。


「部屋代がもったいないので一緒の部屋に泊まろう」だとか、「夕飯は亭主に頼んでおいたぞ」だとか、どれも俺の望んでいる事ではなかった。そしてこれらの余計なお節介のせいで遂にはここに泊まるハメになってしまった。


 せめてもの抵抗に俺がこの宿から出ていけば部屋代も夕飯代も要らないと言ってみたのだが、「私の恩人をこのまま返す訳には行かない」だとか、「ここの夕飯は食べなければ損するぞ!」だとか、「そうだ!私のこの街へ来た経緯を話そう!」などと、適当に話をすり替えられて結局帰れずに夕飯の時間になってしまっていた。


 サイコロ状に切られたニンジンをフォークで突き刺しながらジークは今後を考える。


 全くどうするんだよ~。

コールでエイラとは話したけど……。

一体いつになったらここから出られるんだ?


 今の現状に頭を抱えることしかできない。


「どうした?悩み事でもあるのか?

私が聞いてやろう」


「いや……特には無いです」


 悩み事って、あんたがその悩み事だよ。

早く俺を解放してくれ。


 ……なんてこんな事は言えないな…。


 彼女は親切心でやってくれている。

その親切を無為に拒絶する事はなんだかんだ自分にはできない。


 少なくとも前世で自分がした心配りや親切心が相手に応じられるのは気持ちが良かった。逆に言えば自分がした心配りや配慮が相手に無視されれば傷つく事もある。その痛みを知る自分だからこそ、なおさら彼女の厚意を拒絶することが出来なかった。


「……た、食べないなら、わ、私がアーンしてやろうか?」


 彼女は顔を真っ赤にしてそう言う。

なぜ提案した方が恥ずかしがっているのか分からないが、せっかく綺麗なお姉さんがそう言ってくれるのだ。ここは乗るしかないだろう。


 というかジークはもうヤケクソになっていた。


「じゃあお願いします」


「……っ!そ、そうか、じゃあ口を開けてくれ」


 歯医者にいるような感覚で口を大きく開ける。


「はいっあ……あーん」


 彼女はフォークにステーキを刺しまくり、とんでもない量になったものをの口の中に押し付けてくる。


「ぐっ!?」


 ジークは思わずむせる。


 ……っ!?ど、どんな量だよ!!


 まるで食料溜め込んだリスのような口になるが、必死にステーキを喉に流し込んでいく。


「ど、どうだ?少なすぎたか?」


「十分ですよ。それこそ窒息死するぐらいのステーキをありがとうございます」


「そ、そうか」


 ヤケクソなジークの気持ちとは裏腹にリエルの心はかつてないほどに緊張、そして高揚していた。


 リエルは自身のフォークと睨めっこしながら顔をより一層赤く染める。


 こ、このフォークで食事を続けたら私は彼と間接キスをする事になるのか……。


 嬉しそうに意を決した彼女はフォークでサイコロステーキを突き刺し、舐めるように味わう。


 果たしてそれはステーキを味わっているのか、それともジークの唾液を味わっているのか、よく分からないがもはや変態の領域だ。


 そして考える。


 こんな事はありえないが自分は今、彼とデートをしているよう。いつも男性と縁がなかった自分が男の人、それも自分を助けてくれた人と食事をしている。


 他の人は私から遠ざかるように離れるが、彼はこんな私を見ても嫌な顔一つしない。今日は暗殺者に狙われた最悪な日かもしれないが、彼と出会えた最高の日。


 ただ彼の幼馴染には後ろめたい気持ちになる。彼をこんなに足止めして、独り占めしているのだから。


 それでもここで彼にアタックしなければ自分は一生独り身で、友達も出来ずに孤独なままだろう。そして何より、彼とあのまま別れていたら自分は絶対に後悔する。自分は彼の三番目の奥さんでもいいから彼とそばにいたい。


 ……そうだ。もしかしたらこれからも彼は私と一緒に居てくれるかもしれない。


 いや、そんなわけない。


 冷静な自分がそう答える。


 昼の彼は帰りたそうにしていた。

という事はきっとそういう事なのだろう。


 フォークを握りしめながらリエルの心は嬉しくもそれ以上に締め付けられるように苦しかった。


 その姿をジークは盗み見る。


 ……なんだこの人?自分のフォークなんか見つめて。相当良いフォークなのかな?


 フォークを見るがそれはどこにでもあるようなフォーク。決して良い作りのものには見えない。


 分からないけどフォークが好きなんだろう。


 ……たぶん。

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