天界の門

 ヒレル山、山頂。

そこには人だかりが出来ていた。

大部分が年配の者から構成されるそれは、フラン村から連れて来られた農民達である。


 そして彼らはこれから儀式を挙行するに当たって不可欠な生贄であり、素材でもあった。そんな彼らだが、一人一人、ぶつぶつ何かを言っている。よく聞いてみればこの辺りの言語ではない。


 彼らが経のように唱えるのは祝詞のりと

神を降臨させる前にあがたてまつり、自分達を清めているのだ。とはいえその祝詞に法則性は無く、どこの言語にも属していないように聞こえる。


 当たり前だ。そんな祝詞など存在しないのだから。今彼らが口々に発しているのは単なる出鱈目デタラメ


 ロイや他の宣教師達が酒場で、麦酒や葡萄酒を飲んでいる時に適当に並べた言葉を、出鱈目に並び替えただけに過ぎない。


 ちょうどアナグラムに似ているが、まだアナグラムの方がマシだろう。なぜならアナグラムの方は意味を持つのに対し、こちらは意味すら持たない喃語のようなものだから。


 そんなのデタラメな祝詞を必死に唱える馬鹿どもは実に滑稽だ。中にはクスリと笑う宣教師の姿もある。ロイもその内の一人だった。


 ふふっ、この馬鹿どもが……。

やはり大した教育を受けてないアホにはなんでも曲がり通るな。


 再びニヤリと笑う。

それは神聖な儀式の場において到底作って良い表情ではない、下衆が浮かべる顔。


 ただそんな事はどうでもいい、なぜならこんなのは儀式ですら無いのだから。

自分たちが行うのは悪魔召喚に近い。

ただそれでは人々は忌避し、生贄となる存在が確保できないので、あくまでも素晴らしい宗教とかたることで生贄を揃えたのだ。


 つまりこいつらは初めから騙されている。

イルム様など適当な合間にふっと浮かび上がった言葉にすぎず、そんな存在などいないのだ。


 それなのにこいつらはありもしないイルム様のため召喚魔法の供物となろうとしている。これを滑稽と言わずしてなんと言おうか。


 ロイは次に隣の宣教師達を盗み見る。

実はこいつらも村人と同程度の大馬鹿者だ。

なぜならこいつらもイルム様とやらを信じているのだから。


 そんなのがありもしない事を知っているのは自分ただ一人。こいつらは儀式成功と同時に切り捨てるつもりだ。もう用無しである。


 どいつもこいつも馬鹿ばっかり、これほどの無能は見ていて実に面白い。


「ふっふっふ、ハッハッハ!!」


 もう湧き上がる感情を抑えきれないロイは人目を憚らず爆笑する。すると隣の宣教師が奇怪な目で見てくるが、何も言い訳はしない。羽虫に意識を向ける時間すら惜しいのである。


 もう全てのことが整った。

あとは儀式を行うだけだ。


 だからロイはずいっと馬鹿どもの前へ躍り出る。


「よし!ではこれから儀式を開始する。

以前説明していたように、君たちには生贄になってもらう。イルム様をもう一度この世に呼び戻すための儀式だ。

そう、神聖な…プッ、神聖な儀式だ」


 ロイは話を続ける。


「偉大なる神の復活にひれ伏せ」


 連れて来られた村人達が一斉に土下座をし始める。これが神を迎えるための礼拝の仕草。そして装置の前に一礼したロイは聖なる言葉を読み上げて行く。


 すると徐々に変化が起きていった。

儀式の装置から光が発せられ、それが段々と積み重なっていき階段が出来上がる。やがてその頂上には扉が誕生した。


 儀式は成功だ。遂にあの世とこちらをつなぐ扉を構築する事ができたのである。

これには敬拝の仕草をとっていた村人達も顔をあげ発狂するように、絶叫するように叫ぶ。


 もはや神を讃える姿勢ではない。


 そしてそこに人間味も皆無だった。

仮にこの光景を第三者が見ていたら、獣の発情やサルの威嚇かと見間違われるだろう。


 それほどに村人達は……いや、狂信者達は騒いでいた。


「黙れゴミクズども!」


 あまりにも煩い人柱に対してロイが一喝する。


「これから天の訪問を開始する。

これが現世との最後の別れだ。

足を踏みしめてこの一瞬に感謝しながら、光の階段を登れ!」


 その言葉で信者達は一斉に動き出した。

本当は誰もが我先に天界の門をくぐりたいのだがここは神前、そんな事をしては罰当たり、だから軍隊のように規律正しく一人一人階段を登って行く。


 天の門もそれに応えるように開き始めた。

ここに入れば二度とこの世には戻ってこれない。この装置の召喚の儀はそういう風に出来ている。


 そうなのだ、絶対に死ぬのだ。

絶対に。


 しかしそんなことは狂信者に関係ない。

やがて先頭の者が天の門をくぐった。


 そして次々と人々は天界へと昇っていく。


△△△△


 リザはぼんやりとしながら目を覚ました。

最初に映ったのは空中の階段の先にできた光の扉に、村の人たちが続々と入って行くところだった。


 な、なに…?


 全身が痛い、意識もハッキリしない。

それでもあの扉を注目しなければならない。そう思って、じっくりと目に焼き付ける。


 本当になぜだかは分からない。

それでも見なければならないのだ。


 光の扉に続々と人が入っていき、残るは2人になった。



 そしてそれは、



 ――あれは、おじいちゃんとおばあちゃんだ。


「だ、だめ!!!」


 彼女は叫んでいた。

なぜだか分からない。それでもここで2人を止めなければ、一生会えない気がして。


 その声は祖父母2人の耳に入っていた。

しかし彼らは止まらず、そのまま天界の扉をくぐっていく。そして姿は見えなくなった。


 やがて扉は閉まり、光の粒子となって消えていく。この現場から村人達の姿が跡形もなく消え去った。




……………。



 リザの瞳に感情はなくなってしまった。

終わりが見えないようなドス黒い瞳は、彼女の虚無感を表しているようで、垂れ下がった糸人形にすら見える。


 それに反して儀式の装置に変化が起こった。装置は天の門と同様に光の粒子となったのだ。しかし粒子は消えることなく何かの形を作っていく。


 それは人型だった。粘土のように形を変えながら段々と精密な人を形作る。

そしてどれほどの時間が掛かったであろうか。光は完全な人へと変化を遂げた。


 そう、神の降臨だ。


「おぉ…神よ!」


 ロイをはじめ宣教師の者が一斉に土下座をし、頭を地面に擦り付ける。光と共に現れたのは金髪と碧眼の恐ろしいほどに凛々しい男だった。彼はゆっくりと目を見開いて、あたりを見回しながら口を開く。


「現世は何百年ぶりだ…?

私を封印した者達はもうとっくに死んだだろう」


 彼はそんな訳の分からないことを喋った。


「私の名はドレイス・カーディルだ。

ところで……お前達が私を解放させた者たちか?」


「は、はい!そうでございます!

私たちは、いや私は10年以上もの時をかけて、貴方様を復活させました!!」


 ロイがそう主張する。念のためドレイスは確認するが、事象から見ても間違いないようだ。


「ほう、よくやってくれた。

では貴様に永遠の命を与えよう。

永久の生命エターナルライフ


「す、凄い!!」


 ロイの身体が神の光に包まれる。


「これで貴様は不老不死だ」


「あ、ありがとうございます!!」


 1人立ち上がったロイは深く頭を下げる。

しかし祝福をもらったのはロイ1人だけ。

ライアンや他の宣教師たちは土下座したままである。


「わ、私も貴方様に尽くしました!」


 意を決したようにライアンがそう主張する。


「私もです!!」


「私もでございますドレイス様!!」


 他の宣教師たちも神の御加護をもらおうと、主張は雪崩となって連鎖していく。


 しかしそれらの主張をドレイスは全く聞く耳を持たない。


「ところで私は腹が減ったのだが、今ここにいる食糧を食べてもいいのか?」


 食糧?ロイは首を傾げる。


 こんなところに食糧なんてものはない。

ここにいるのは神の慈悲を請う愚かな人間と、虚な目をした少女だけだ。


「もちろんでございます。

この世のものは全てドレイス様のものでございます!!」  


「そうか、では頂くぞ?

おい、お前立て」


「えっ……ハッ!」


 ドレイスは宣教師のうち一人、紫髪の男に近付く。男はどうしていいのか分からず、あたふたしていると、ドレイスの貫手によって腹を貫かれた。


「くはぁ!?」


 そのまま光の粒子となって消えていく。

思わず他の宣教師は驚愕するが、ドレイスはそんなことお構いなしに食事を続ける。


 食糧、それはロイを除いた全ての宣教師たち。彼らは悲鳴や絶叫をあげたり、逃走する者もいたがドレイスとロイで殺していく。


 そして幸か不幸か、生き残った宣教師はライアンだけとなった。とはいえライアンは恐怖に縛られて及び腰になったまま動けない。


「な、なぜだロイ!?

俺たちで一緒に布教して大御神様を信仰しようと言ったじゃないか!?なぜ裏切るんだ!?」


「テメェはもう用済みだライアン。

というかそれよりもお前はイルム様に忠誠を誓ってんだろ?」


 ……わりぃが、


「俺はドレイス様派なんでな」


 恐ろしく不気味な顔でライアンを嘲笑う。


「貴様もしかして!?」


「あぁそうだ。

イルム様なんてものはいねぇよ」


 それよりも、私を見た方がいいんじゃないか?……。


 ライアンの真後ろで声が聞こえる。

気付けば視界に、あのドレイス様と言う者がいなくなっていて、


 ライアンは咄嗟に振り返ろうとする。

しかしその前に、


「ぐぎゃぁぁあ!!」


 ドレイスの放った貫手は彼の腹を貫通した。そのまま腕の力だけで持ち上がっていく。


「たすけてぇぇえ!!たすけてぇぐれぇぇ!!」


 ジタバタするが決して腕は抜けず、ライアンは光の粒子となって消えていく。ただ、他の者よりゆっくりだった。

それはライアンが他の者より強いからだとかそんなものでは全くなく、ロイのライアンに対する軽蔑を感じたドレイスが、単に弄んでいるだけだった。


「いいザマだ」


 ロイはそんなように吐き捨てる。

そして山頂に残るは3人。それはドレイスとロイ、そしてリザだ。


「この者も食っていいのか?」


「当然でございます。

どうぞお召し上がりください」


 リザの足は竦み上がっていて逃げられない。その間にもドレイスはこちらに近づいている。


「や、や、やめ、て…」


 もはや声すら出なかった。

 

 助けなど来ないのだ。こんな神に等しい存在を前に逃げられる者など存在しない。


 それでも必死に足をジタバタさせる。

リザは諦めていない。助けが来る、必ず助けが来る。


 そう、彼が助けてくれる。


 ジークお兄ちゃんが絶対に助けに来てくれるっ!


「お前も俺の一部になれ!!」


 ドレイスの右腕が振りかかる。


「じ、ジークお兄ちゃん"だずげでぇぇっっ!!"」


 彼女の叫び声、いや絶叫が山でやまびこした。


 そして、そのとき。





「もう大丈夫だ。助けに来たよ」





 ドレイスが物凄い勢いで吹っ飛んだ。

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