第3章 人を愛するという事は、この世で最も難解で面白い数式である

第21話 「わかったような口を聞くな!」(ジェン視点)

「……それで、ミッチーのご両親は」


「……ジョリー先輩は、イアリも知っている通り、クロウくんを産んだ。けど……、女性の方が進行が早いみたいで、先輩の皮膚はほぼ白く硬くなり、筋肉は殆ど動かなかった。それでも、クロウくんを産むために、体に力を入れたから、血管などが破れ、亡くなったよ。……クロウくんを産むと同時にね」


「そんな……」


「そして、ディック先輩は産まれたばかりのクロウくんを優しく抱き、こう言ったんだ」



『名前はもう決めてあるんだ。ジョリーと一致した良い名だ。ミッチェル、“可能性”という意味だ。植物の可能性を、人間の可能性を、見つけてくれ。ミッチェル』




「そして、クロウくん抱いたまま倒れ、そのまま……」


「……シューラー教授は、二人を」


「……解剖した。仕方ねぇだろ、あの人たちの最初で最後の願いなんて言われたら……」


「…………」


「でも、先輩方とアイファの腕で、病因がわかったんだ。そして、アイファは新薬を開発した。それは、完璧じゃなかったけど、進行を遅らせることができた」


「…………」


 アイファがむくろのように、生気を失っていくのがわかった。


「だからね、アイファはクロウくんを好きにわけじゃない、好きに

んだ。憧れの先輩の、大切な忘れ形見だから」


「…………」


「そして、敢えて、クロウくんに冷たくしていたんだ。自分から離れ、ラボから離れて、頭脳を使わないでいいように」


「…………」


「でも、彼女は、人より右脳が小さいのに、誰よりも感受性豊かで、パワフルだった。だから、つい、クロウくんの恋を応援してしまったけど、今思えば、アイファに酷な事をしたなと反省しているよ」


「…………」


 暫しの沈黙の後。


「……わかりました。ごめんミッチー、少し下ろすよ、ごめんね、冷たいよ?」


 イアリはクロウくんを床にそっと寝かした。


「ジェン先生、しゃがんでもらえますか?」


「え? ああ、うん」


 しゃがんでイアリに視線を合わせると。


「バカ先生ー!」


 頭突きをされた。


「痛っ! イアリ!?」


「シューラー教授もバカ教授ー!」


 イアリはアイファにも頭突きをした。


「何しやがる!」


「バカなことを言ってるから! 目を覚まさせてあげたんですよ! 憧れの先輩の忘れ形見!? 右脳が小さい!? だから何だって言うんですか! そんなのは恋をしない理由になりませんよ!」


「——がわかる」


 アイファが独り言のようにこぼした。


「お前に何がわかる。親を解剖した自責、託された小さな。俺よりあいつと付き合い短いくせに! わかったような口を聞くな!」


 アイファは立ち上がるとイアリの胸倉を掴んだ。


「アイファ!」


 悲しみと自責の念で、感情が整理できていないんだろう。普段のアイファならこんなことはしない。

 況してや、相手が自分の助手の、クロウくんの親友なら。


「このラボで出会い過ごした時間がたかが数年のお前が! わかったような口を聞くな!」


 行き場のないいきどおりをぶつけられ、イアリの顔が悲しみで歪んだ。

 自分の助手だから、恋人だから、味方するわけではないけれど、時間の事を言うのはあんまりだと思った。

 でも、イアリは一度、目を瞑ると、またアイファを見据えた。


「では逆に言わせてもらいますが! この二十何年! ミッチーの! ミッチェルの何を見ていたんですか! それでも教授ですか!」


「うるさい! 黙れ!」


「いいえ黙りません! たかが数年! されど数年! 私はミッチェルが大好きで! 親友だからわかるんです! ミッチェルなら! 両親を教授が解剖したと知っても! 教授を好きになりましたよ! そして! こう言うはずです!」




—知っていました。全て知っていて、好きになったに決まってるじゃないですか—




「って!」


「…………」


 アイファの手の力が弱まり、イアリの胸倉を掴んだまま下がっていく。


「それにさっき思い出したばかりではないですか! “負のかもしれない”で生きてはいけないって!」


「——……」


 アイファは、はっと息を呑んだ。


「“ここにいたら、右脳は萎縮するばかり、かもしれない”。“いずれ、感情豊かなミッチェルはいなくなる、かもしれない”。で、動いてはダメなんですよ!」


 イアリは泣きながらアイファの胸倉を掴み返した。


 その言葉に、僕もアイファも、いや、アイファの方がこたえただろう。


 最初で最後の、クロウ教授の授業を、大切な言葉を、冒涜ぼうとくしていたのだから。


 

 

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