第19話 「最初で最後のお願いだ」(ジェン視点)

 でも、人生って、この世界って、よくできたもんでね。


 幸せが重なった後には、とんでもなく大きな不幸がやってくるんだ。



 それは、僕らがディック先輩の助手になって数日後に起こったんだ。  



 ***



 いつも通り僕らは先輩方の元で、植物が人間にもたらす効果を研究していた。その時だった。

 パリンッと、ディック先輩は突然フラスコを落としたんだ。


「大丈夫ですか!?」


 僕らが駆けつけると、ディック先輩は自分の手をじっと見ていた。


「うむ! これはまずいな!」


 いつものように笑い飛ばすから、大した事ないと思い覗き込んだ先輩の手は、皮膚がなっていた。


「……ディック先輩、これは」


「どうやら感染うつっていたようだ! わっはっは!」


 そう、先輩たちと初めて出会った、あの村の伝染病だった。


「笑っている場合じゃないでしょう!」


 ガタン! という音に振り向くと、ジョリー先輩が大きなお腹を押さえ倒れていた。

 先輩の手足も、なっていた。


「ディック先輩! 早くあの時に作った薬を!」


「……いいんだ」


 そう言ったディック先輩の声は、いつもの賑やかさから信じられない程、穏やかだった。


「何がいいんですか!」


「もう、間に合わない」


 そして、目を閉じて優しい笑みを浮かべたんだ。


「なぁ、アイファ」


「嫌です」


「まだ何も言ってないじゃないか」


「聞かなくてもわかります。だから、嫌です」


 アイファは両耳を手で塞いだ。


「——アイファ、聞いてくれ」


 段々、白く固くなっていく手で、ディック先輩はアイファの手を耳から離した。


「嫌です」


「お前にしか、いや、お前だから、頼めるんだ」


「嫌です!」


 ディック先輩の手は、もう殆ど白くなっていたのに掴む力は強く、アイファは振り解けないでいた。


「恐らく、ジョリーは赤ん坊を産めば死ぬ。俺も長くはない。だが、一度、我が子をこの手に抱ければ本望だ。だから——」


「嫌です! 聞きたくありません!」


 アイファは、駄々をねる子供のように大きな声を出し、ぎゅっと強く目を瞑ったんだ。


「……だから。我が子を抱いた後、俺たちを解剖してくれ。医師免許を持つ、お前だから、頼めるんだ」


 アイファは若くして医師免許を取得していた。手術の経験もあった。


「……あと少しで、教授じゃないですか」


「そうだな」


「子供も、産まれるんですよ……?」


「めでたいな」


「何で勝手にせいを諦めているんですか!」


 アイファは涙を床に落としながらディック先輩を見たんだ。


「生を諦める? 馬鹿を言うな。俺は諦めたわけではない。んだ。お前たちや」


 そう言って、僕とアイファを見て。


「産まれてくる我が子に」


 ジョリー先輩とお腹にいる赤ん坊を、愛おしそうに見たんだ。ジョリー先輩は頷き優しく微笑んで、大きなお腹を小さな体で支えながら立ち上がり、ディック先輩と同じように、僕らより希望に満ちた瞳で見てきたんだ。


「俺の、俺たちの、のお願いだ」


「……ずるいですよ」


「ん?」


「卑怯ですよ……。その言い方」

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