第2話


 統一歴940年、春――


 列車は海岸線沿いのわずかな平地を走る。

 その二等車の席で、彼女エリナは目を覚ました。

 家畜に付けるような大きなベルを腰にぶら下げた車掌が、間もなく終点に到着することを、告げながら横を通り過ぎていく。

(いつの間にか寝ちゃっていた……)

 ベルの音で彼女は目を覚ました。

 眠気のため目をこすると、大きく彼女は背伸びをした。

 リズミカルに揺れる車内。

 ここは、コンスティテューション連邦の都市のひとつ、ヨークタウン行きの列車の中。彼女は、田舎から列車を何度も乗り継ぎ、ようやくこの列車に乗り込んだのは、昨日の深夜のこと。

 その時は客はまだ、まばらだった。

 それが気がつけば、途中駅から乗り込んだ客で自分の乗る二等車の席は埋まっている。

(わたしって、やっぱり田舎者なのかな?)

 ひざの上にある大きな麦わら帽子を見ながら、ふとそんなことを思う。

 ほかの客は、赤やピンクの色とりどりの帽子をかぶっている。

 そして、服装も自分の少女っぽい水色と白いワンピースのサマードレスとは違い、スーツやフリルの付いた服など色鮮やかだ。

 特に、自分の座るボックス席。その斜め向かいの若い女性。赤い帽子に顔をベールで覆い、赤いスーツを着こなしている。

 驚いたのは、スカートの丈の短さだ。ひざまでしかなく、絹のストッキング――彼女、実は見るのが始めて――に覆われた足がむき出しになっていたのだ。

(わたしも、いつかはあんな服を……)

 灰色の大きなひとみでまじまじと彼女が見ていることに気がついたのか、女性は不快そうな顔を見せると、読んでいた文庫本を持ち直し顔を背けた。

(あっ、『都会では用がない限り、人を見つめないこと』だったっけ……)

 エリナはひとりで何かを納得したように、うなずいた。

 カランカランとベルが鳴る。前の客車に向かっていた車掌が戻ってきたようだ。

ノルト。間もなくノルト・ヨークタウン」

 再びそう告げながら、通り過ぎていった。

(ノルト・ヨークタウン? ああ、待ち合わせは北駅でいいのよね)

 一瞬、車掌の言葉に戸惑ったが、大きな街には幾つも駅があることを思い出した。

 彼女は窓を開けると、首を出した。

 列車の前方を見ると、故郷のほうで乗ったことのあるのとは違い煙を吐いていなかった。

 ウワサに聞いたディーゼル機関車か……と彼女はひとりで納得すると、目の前に広がる海を眺めた。

 初めて見る海。

 モクモクと煙を出して走っていた故郷の列車とは違い、見晴らしは最高だ。だが、エリナはどんなモノか楽しみにしていたが、大して感動というモノは沸かなかった。

 初めてぐ海水の臭いが、気に入らなかったのかもしれない。それよりも、水平線の向こうがあまり見えなかったからだ。巨大な半島が列車の後方から突き出しており、自分の田舎にあった湖のほうが大きく感じた。

 目を前方へ向けると、列車の目指す先に大きな街が見えてきた。

「あそこが、わたしの新しい街……」

 身を乗り出してみれば、もう少しよく見えるだろう、と窓をもっと開けようとしたときだった。

 栗色のさらさらしたショートヘアが、風になびく。

「君、危ないよ」

 ふと、前に座っている人物から注意を受ける。顔はずっと新聞が覆ってよくは分からないが、声は男だ。

「もうすぐ上り列車がくるから、身体を出してたら危ないよ」

 エリナは、ハッとあわてて首をひっこめた。

 その途端、前方の急カーブから突然列車が顔を出し、彼女が顔を出していたほうに轟音をたてながら走り込み、過ぎ去っていった。

 彼女は、過ぎ去っていた列車を窓越しに見送りながら、胸をなで下ろした。

 あのまま身体を出していたら、どうなっていたことか……。

 間違いなく対向の列車に身体をぶつけて、死んでいただろう。想像しただけで身震いがする。

「ありがとうございます」

 新聞越しに男にお礼を言った。

「見慣れない時計だね」

 男は新聞を下ろすと、エリナの腕に付けられた時計を見つめた。

 彼女はその腕時計を、ゆっくりとさすった。

 確かに彼女の細い腕には、不似合いの巨大な腕時計を付けていた。だが、あの故郷での一件の時も付けていたので、水に落ちてそれ以来、動かなくなっている。

(たしか、『都会では、初対面で親しく話しかけてくる人は、気をつけろ』だったっけ?)

 どこから聞いたのか、妙な教訓を思い出す。

「……形見です」と、だけ簡単に答えた。

 そして、男を観察する。

 男は少し太め。顔の線なども浅く、黒縁眼鏡をかけて少々神経質な感じだ。濃い金髪を、オールバックにしておりギラギラと光っていた。歳はいまいち分からない。三〇代前半と言ったところだろうか?

 そして、特徴的なのが、耳がとがっていることだ。

「ほう……と言うと、元の持ち主は軍人かね?」

 彼女の時計に興味を示したのか、新聞を畳むと、身体を乗り出してくる。

「この腕のは、軍が支給しているものだ。特に飛行機の操縦士とかに……」

 確かに彼女が付けている巨大な腕時計は、軍が操縦士たちへ支給しているタイプだ。

 だから、男は形見と聞いて、元の持ち主は軍人だ、と思ったのだろう。だが、エリナは首を振った。

「いえ、母は軍人ではなかったです」

「母? ほう、女性の操縦士か。珍しいな……」

「そうなんですか?」

「ああ、飛行機を操縦するなんて、大体が男だ。私が……おっと、失礼」

 懐から取り出したのは、彼の名刺であった。若干、男の表情が緩む。

「自己紹介が遅れたが、私はレジスター。貿易商を営んでいる」

 書かれているのは名前である、トランジット=レジスター。

 店舗らしき場所の住所が、コンスティテューション連邦エンタープライズ州ヨークタウンJ地区9番街。取扱品が記述されており、宝石などの貴金属や古美術品となっていた。

「仕事柄、いろいろな地方を見て回っているが、女性のホーネットはあまり見かけないな」

「ホーネット? スズメバチがですか?

 すみません、あまりこの地方の言葉には不慣れでして……」

「知らないのかね? まあ、通称みたいなモノだな。民間の操縦士のことをそう言っている」

「ホーネット……なんか格好いい響きですね」

 彼女は微笑ほほえみを浮かべて喜んでいた。

 レジスターのほうはといえば、そんな彼女を少々蔑んでいるように見ていた。

 彼はそんな顔をした理由を教えるつもりはなかった。田舎から出てきた少女に、ホーネットにかかわることはまずないだろう。

 そう判断し、話題を変えることにした。

「ところで、ヨークタウンには観光できたのかね?」

「いえ、わたし、働きに来たんです」

「ほう……。その歳で、関心だな。もし、気が向いたらそこに載っている店に顔を出しなさい。少しは勉強をさせてもらうよ」

「ありがとうございます。でも、少しですか?」

 エリナの最後の一言に、レジスターは声をあげて笑い出した。

「見かけによらず、なかなか、気が強いお嬢さんだ。それで、働き先はどこだい?」

「たしか……タイプ・ゼロって……」

「タイプ・ゼロだって!?」

 その名前を聞いて、目を丸くして驚いた。

「知っているんですか?」

「知っているも何も……」

 と、言葉を濁らす。

 何か悪いことでもあったのか?

 エリナにして見れば気が気ではない。せっかく上京してきたのに、その『タイプ・ゼロ』が怪しいところだったら、どうしようか?

 ただの骨折り損ならまだいいのだが、犯罪がらみだったらさすがにこたえるモノがある。

「タイプ・ゼロって、のタイプ・ゼロかね?」

「桟橋屋? 確かそんなことを書いてあったような……」

 やり取りをした手紙は一応持ってきていた。

 エリナはそれをもう一度確認しようと思った。

(たしか、ここに入れた……)

 網棚の上の小さなカバンを見る。

 確かそこに入れたはずだ。

 故郷から避難するときに最低限持ち歩けるモノだけを、この革製の旅行カバンに詰め込んだ。避難先に預けていたが、それが手元に来たのは、ほとんど奇跡のようなものだ。

 村人にとって、ドラグーンに半狂乱で単身特攻した少女が、ひょっこり返ってきたのには誰だってと驚くだろう。

 立ち上がり、網棚の上に手を伸ばす。

「事務処理か何かかね? あそこは、ホーネットたちの集まるところだから……」

「いえ、そのホーネットです。わたし、飛行機乗りになるために上京してきたんです」

 彼女は、覚えたての言葉であったが、そうきっぱりと言った。

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