Page2 : 悲観
「だいたいのことは分かった」
真子の話しを黙して聴いていた逢坂は、両腕を固く組んだままその場に座した。面倒くさそうに頭を掻くと、「めんどくせえことになったもんだな」と、実際にそう口にする。
「わりぃけど俺は馬鹿だからちょっと整理させてもらうぜ。まず、髪の変色とバケモノが視えることには関係があるってこと。俺たちがここにいることもそれが原因であることが濃厚。そんであとは……あれか、あのバケモノはこの場にいる俺たちの監視役である可能性が高い――だよな」
指折り復唱する逢坂の言葉に、「はい」と真子は
意外だった。
てっきり逢坂は、気が短く短絡的な性格であろうと予想していたが、このあたりで真子はその認識を改めることに決めた。他人の話を聴く耳も、自身の
「それなら取れる選択肢は2つだね。様子を見るか、逃げ出すか」
そう言った東宮にすかさず逢坂が返す。
「もちろん逃げ出すに決まってんだろ。戦略的撤退ってやつだな」
自身の
「意外だったよ。逢坂君はてっきり、こんなふざけたことする野郎はぶっ飛ばす――なんて言い出すかと思ってた」
「ふん。馬鹿を馬鹿にすると馬鹿になるぜ」
逢坂はそう言って立ち上がると、バケモノの正面へと真っすぐに歩を進めていく。どこか
が、その拳は虚しく空を切る。
「視えるけど
言いながら逢坂は、固めたままの拳をじっと睨んでいる。
「どうかした?」と東宮が訊ねると、逢坂は眉間に刻まれた皺をいっそう濃くし、手のひらを幾度か開閉させた。
「なんかちょっとな。モワッとしたわ」
続いて扉に歩み寄る逢坂を目の端に捉えながら、真子は試しに部屋の壁を軽くノックしてみる。どこを敲いてみても音は均一だ。都合よく隠し扉なんかがあれば――と思っての行動だったが、もちろんそんなものはなさそうだった。
「やっぱ開かねえな」
逢坂の呟きが聞こえてくる。
出入口はひとつで窓もない。当然ながら唯一の扉もその施錠に抜かりはない。
一見して脱出の糸口はなさそうだったが、それに対して真子は妙な引っ掛かりを覚えていた。しかしその違和感の正体までは掴めない。
今こそ考える時だ。為せば成る、為せば成る――と真子は
その時――。
「きゃっ!」
不意にあがった短い悲鳴。
女性は床の1点を凝視したまましばし
「だ、大丈夫?」
すかさず女性へと駆け寄っていく東宮とは対照的に、真子の視線は女性が凝視していた床――その1点へと注がれていた。
そこには、黄緑色をした羽虫の
羽虫――?
瞬間、真子は弾かれたように顔を上げると、部屋中を再び見渡していく。
灰色の壁に灰色の天井。
灰、灰、灰、いちめんの灰色。そして横たわる色とりどりの髪たち。
目覚めたばかりの女性に声かけをする東宮と、それを遠くから
しばし上方に目を這わせていた真子の視線が、一見なんの変哲もない天井の一部でピタリと止まる。真子の目線から170cmほど上方にある天井。その1点をじっと凝視していた真子は、やがて、「逢坂さん」と呼びかけた。
「なんか見つかったのか」
「少し、肩を貸してもらってもいいですか?」
言いながら真子は、先程まで見つめていた場所を指差した。その先を見つめた逢坂は言葉よりも先に身体を屈め、「気をつけろよ大将」と軽口をたたく。
「なにか見つけたのかい?」
褐色の女性を連れ立って歩み寄る東宮に、真子は小さく返事すると、逢坂の肩口に自らの足裏を載せた。逢坂が立ち上がり、それによって真子の身体がにわかに上昇する。
遠目ではよく分からなかったが、この距離ならば一目瞭然だ。
灰色の天井に紛れて同色のビニールテープが、なにかを隠すように
「排気口……!」
呆気にとられた東宮の声に、真子は静かに頷いた。
東宮の言った通り、天上には正方形の給排気口グリルが
「なるほど、テープで目隠しされてたわけか。それにしても猫井さん、よく気付いたね」
「きっかけは床にあった虫の屍骸です。部屋の出入り口は例の扉だけ。であれば虫が入ってきたのもそこから――ということになります。東宮さんの記憶を信じるならば、私たちは1度にまとめてここへ運ばれたことが知れます。でも、それだとおかしいんです。倒れている方のしていた腕時計から逆算すると、私が意識を失くしてから現在までは5時間ほど。扉から入ってきた虫が餓死するには短すぎます。虫の身体に目立った損傷はないので、外傷による死とも考えにくい。ということは――虫がこの部屋へ侵入した別のルートがある――そう考えるのが順当です。逢坂さん。お願いします」
早口でそう言うと、真子はグリルに両手をかける。彼女の声を合図に逢坂が身を
着地と同時にバランスを崩して尻もちをついた真子に、逢坂が駆け寄ってくる。
「足首、
「大丈夫です。ありがとうございました」
「それはこっちのセリフだ大将。おかげで思う存分逃げ出せる」
差し出された逢坂の手をしっかりと掴んだ真子は立ち上がると、天井に口を開けた穴を今一度振り仰ぐ。とりあえず進路は確保した。どこへ繋がっているかは分からないが、このまま部屋に留まっていても事態は好転しない。すでに運勢は大凶だが、背水の陣なら進むが吉だ。
「橋渡しはまかせろ。
「助かります」
「まずは猫井で次に東宮、そんで――」
「
逢坂の目線を先回りして、褐色の女性が両手をさっと差し出した。彼女の勢いに半ば
「それと――」
再び屈み込んだ逢坂の肩を借りながら、真子はもうひとつの推測を口にする。
「多少の改修はされていますが、この建物自体はずいぶん以前に建てられたものだと思います。現在の給排気口はこれよりも小型の物が主流なので」
「なるほど。ってことは、ここは現在使われなくなった廃ビルってところかな」
「おそらく」
給排気口の先――そこに広がる暗闇へと手を伸べて、自身の身体を引き上げる。視界を覆う闇の先を手探りで窺うと、幸い先に行けそうであることが知れた。やはり、各部屋に配されたダクトで換気を取っている構造だ。
「大丈夫。進めそうです」
眼下に向けて真子が言うと、逢坂たちの控えめな歓声が聞こえた。
「うし。それじゃあジャンジャン打ち上げるぜ」
自らの掌に拳を打ちつける例の仕草を決めた後、逢坂は東宮を、続いて神楽耶を慣れた調子で真子の許へと持ち上げた。
「逢坂さん」
「おうよ」
「私たちは先の様子を見てきます。逢坂さんは――」
「1人ずつ起こしてダクトの中に詰め込む――でいいか?」
「
「まかせろ」
四つん這いの姿勢でダクトの先へと向き直った真子の背中に、「猫井」と逢坂の声がかけられる。
「なんですか?」
「……死ぬなよ」
それまで気丈に振る舞っていた逢坂の声は、その言葉を紡ぐ片時、隠し切れない不安の
そうだ。これは脱出ゲームではない。生きるか死ぬかの脱走なのだ。
真子は自身の肩に負った重責を感じ取ると共に、それを振り払うかのように細く長い息を吐く。
「まかせて下さい」
進み出した真子の下方から、逢坂の短い口笛が聞こえた。
もはや悲観はない。
いつ明けるとも知れぬ暗闇の中であっても星は
ゆえに必ず光は射す。
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