Page2 : 悲観

「だいたいのことは分かった」


 真子の話しを黙して聴いていた逢坂は、両腕を固く組んだままその場に座した。面倒くさそうに頭を掻くと、「めんどくせえことになったもんだな」と、実際にそう口にする。


「わりぃけど俺は馬鹿だからちょっと整理させてもらうぜ。まず、髪の変色とバケモノが視えることには関係があるってこと。俺たちがここにいることもそれが原因であることが濃厚。そんであとは……あれか、あのバケモノはこの場にいる俺たちの監視役である可能性が高い――だよな」


 指折り復唱する逢坂の言葉に、「はい」と真子は首肯しゅこうした。

 意外だった。

 てっきり逢坂は、気が短く短絡的な性格であろうと予想していたが、このあたりで真子はその認識を改めることに決めた。他人の話を聴く耳も、自身の矜持プライドを抑え込む度量も、彼はちゃんともっている。


「それなら取れる選択肢は2つだね。様子を見るか、逃げ出すか」


 そう言った東宮にすかさず逢坂が返す。


「もちろん逃げ出すに決まってんだろ。戦略的撤退ってやつだな」


 自身のてのひらに拳を打ちつける逢坂を意外そうに見遣ると、東宮は鼻先に落ちかけていた眼鏡を指で押し上げた。その口許には微かな笑みが浮かんでいる。


「意外だったよ。逢坂君はてっきり、こんなふざけたことする野郎はぶっ飛ばす――なんて言い出すかと思ってた」

「ふん。馬鹿を馬鹿にすると馬鹿になるぜ」


 逢坂はそう言って立ち上がると、バケモノの正面へと真っすぐに歩を進めていく。どこかうつろなバケモノの顔面に狙いを定めると、固めた拳を躊躇ためらいなく振り下ろした。

 が、その拳は虚しく空を切る。


「視えるけどさわれねえんじゃぶっ飛ばせねえよな」

 言いながら逢坂は、固めたままの拳をじっと睨んでいる。

「どうかした?」と東宮が訊ねると、逢坂は眉間に刻まれた皺をいっそう濃くし、手のひらを幾度か開閉させた。

「なんかちょっとな。モワッとしたわ」


 続いて扉に歩み寄る逢坂を目の端に捉えながら、真子は試しに部屋の壁を軽くノックしてみる。どこを敲いてみても音は均一だ。都合よく隠し扉なんかがあれば――と思っての行動だったが、もちろんそんなものはなさそうだった。

「やっぱ開かねえな」

 逢坂の呟きが聞こえてくる。


 出入口はひとつで窓もない。当然ながら唯一の扉もその施錠に抜かりはない。


 一見して脱出の糸口はなさそうだったが、それに対して真子は妙な引っ掛かりを覚えていた。しかしその違和感の正体までは掴めない。

 今こそ考える時だ。為せば成る、為せば成る――と真子はあごに手を遣った。


その時――。


「きゃっ!」


 不意にあがった短い悲鳴。咄嗟とっさに部屋の中程を見た3人は、いつの間にか目覚めていた女性の姿を捉える。細身で浅黒い肌をしたその女性の短髪はやはり、耳許だけが不自然な栗色に染まっている。


 女性は床の1点を凝視したまましばしけ反っていたが、今度は逆にその1点におそるおそる顔を寄せ、「あ、死んでる」と呟いた。


「だ、大丈夫?」


 すかさず女性へと駆け寄っていく東宮とは対照的に、真子の視線は女性が凝視していた床――その1点へと注がれていた。

 そこには、黄緑色をした羽虫の屍骸しがいがあった。その身に損傷はなく、屍骸というよりも剥製はくせいか作り物のような印象を受ける。


 羽虫――?


 瞬間、真子は弾かれたように顔を上げると、部屋中を再び見渡していく。


 灰色の壁に灰色の天井。

 灰、灰、灰、いちめんの灰色。そして横たわる色とりどりの髪たち。

 目覚めたばかりの女性に声かけをする東宮と、それを遠くからうかがう逢坂。


 しばし上方に目を這わせていた真子の視線が、一見なんの変哲もない天井の一部でピタリと止まる。真子の目線から170cmほど上方にある天井。その1点をじっと凝視していた真子は、やがて、「逢坂さん」と呼びかけた。


「なんか見つかったのか」

「少し、肩を貸してもらってもいいですか?」

 言いながら真子は、先程まで見つめていた場所を指差した。その先を見つめた逢坂は言葉よりも先に身体を屈め、「気をつけろよ大将」と軽口をたたく。


「なにか見つけたのかい?」

 褐色の女性を連れ立って歩み寄る東宮に、真子は小さく返事すると、逢坂の肩口に自らの足裏を載せた。逢坂が立ち上がり、それによって真子の身体がにわかに上昇する。


 遠目ではよく分からなかったが、この距離ならば一目瞭然だ。

 灰色の天井に紛れて同色のビニールテープが、なにかを隠すように幾重いくえにも貼り付けられていた。剥がしてみると、そこから吹き込む緩い風で真子の髪がたなびいた。


「排気口……!」

 呆気にとられた東宮の声に、真子は静かに頷いた。

 東宮の言った通り、天上には正方形の給排気口グリルがめられている。

「なるほど、テープで目隠しされてたわけか。それにしても猫井さん、よく気付いたね」


「きっかけは床にあった虫の屍骸です。部屋の出入り口は例の扉だけ。であれば虫が入ってきたのもそこから――ということになります。東宮さんの記憶を信じるならば、私たちは1度にまとめてここへ運ばれたことが知れます。でも、それだとおかしいんです。倒れている方のしていた腕時計から逆算すると、私が意識を失くしてから現在までは5時間ほど。扉から入ってきた虫が餓死するには短すぎます。虫の身体に目立った損傷はないので、外傷による死とも考えにくい。ということは――虫がこの部屋へ侵入した別のルートがある――そう考えるのが順当です。逢坂さん。お願いします」


 早口でそう言うと、真子はグリルに両手をかける。彼女の声を合図に逢坂が身を退けると、真子の体重を支えきれなくなったグリルの外蓋は呆気なく外れ、彼女の身体と共に落下した。

 着地と同時にバランスを崩して尻もちをついた真子に、逢坂が駆け寄ってくる。


「足首、ひねらなかったか?」

「大丈夫です。ありがとうございました」

「それはこっちのセリフだ大将。おかげで思う存分逃げ出せる」


 差し出された逢坂の手をしっかりと掴んだ真子は立ち上がると、天井に口を開けた穴を今一度振り仰ぐ。とりあえず進路は確保した。どこへ繋がっているかは分からないが、このまま部屋に留まっていても事態は好転しない。すでに運勢は大凶だが、背水の陣なら進むが吉だ。


「橋渡しはまかせろ。梯子はしご役は身長タッパが正義だろ」

「助かります」

「まずは猫井で次に東宮、そんで――」

神楽耶かぐや美彩みさよ。よろしく!」


 逢坂の目線を先回りして、褐色の女性が両手をさっと差し出した。彼女の勢いに半ばされる形の逢坂が、神楽耶と大袈裟な握手を交わす様子を、真子と東宮は苦笑交じりに眺めた。


「それと――」

 再び屈み込んだ逢坂の肩を借りながら、真子はもうひとつの推測を口にする。

「多少の改修はされていますが、この建物自体はずいぶん以前に建てられたものだと思います。現在の給排気口はこれよりも小型の物が主流なので」

「なるほど。ってことは、ここは現在使われなくなった廃ビルってところかな」

「おそらく」


 給排気口の先――そこに広がる暗闇へと手を伸べて、自身の身体を引き上げる。視界を覆う闇の先を手探りで窺うと、幸い先に行けそうであることが知れた。やはり、各部屋に配されたダクトで換気を取っている構造だ。


「大丈夫。進めそうです」


 眼下に向けて真子が言うと、逢坂たちの控えめな歓声が聞こえた。


「うし。それじゃあジャンジャン打ち上げるぜ」


 自らの掌に拳を打ちつける例の仕草を決めた後、逢坂は東宮を、続いて神楽耶を慣れた調子で真子の許へと持ち上げた。


「逢坂さん」

「おうよ」

「私たちは先の様子を見てきます。逢坂さんは――」

「1人ずつ起こしてダクトの中に詰め込む――でいいか?」

流石さすがです」

「まかせろ」


 四つん這いの姿勢でダクトの先へと向き直った真子の背中に、「猫井」と逢坂の声がかけられる。

「なんですか?」


「……死ぬなよ」


 それまで気丈に振る舞っていた逢坂の声は、その言葉を紡ぐ片時、隠し切れない不安の発露はつろか少し震えて真子の耳朶じだを打つ。

 そうだ。これは脱出ゲームではない。生きるか死ぬかの脱走なのだ。

 真子は自身の肩に負った重責を感じ取ると共に、それを振り払うかのように細く長い息を吐く。


「まかせて下さい」


 進み出した真子の下方から、逢坂の短い口笛が聞こえた。


 もはや悲観はない。

 いつ明けるとも知れぬ暗闇の中であっても星はきらめく。

 ゆえに必ず光は射す。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る