Chapter Ⅰ 英雄選別

Page1 : 悲運

       ◆◆◆◆◆

 

 赤、青、白、黄――地平線まで覆われたいちめんの薔薇畑。


 そのただ中に猫井ねこい真子まこは立っていた。それまでどこでなにをしていたのかも判然としない中、活き活きと生い茂る色とりどりの薔薇にしばし見とれていると――。


″おい、起きてくれ″


 不意に彼方から声がした。

 咄嗟とっさにそちらを見遣るが、そこには誰の姿もない。風にそよぐ薔薇たちと青々とした空が視界を埋めているだけだ。


″おいってば。誰か起きろって″


 天国のような景色に反し、どこからか聞こえてくる男の声に余裕はない。言葉の端々からは焦りがにじみ、浅くなった呼吸のせいで息も切れ切れだ。

 起きろ――それが自分に向けられた言葉であるならば、私が見ているこの景色はさしずめ夢かなにかということになる。

 素敵な夢だ。こんな夢ならいつまでだって浸っていたい。思うと同時に真子はそっと目をつむり、深く息を吸い込んだ。美しい芳香ほうこうが肺を満たしていく感覚は、これまで経験してきた悲惨な明け暮れの一切を、綺麗に洗い流してくれるかのように優しく温かだった。


″なあおい!″


 ひと際強い声に身体が跳ねる。反射的に1歩を踏み出すと、右すねの辺りに鋭い痛みがはしった。真子が足許あしもとを見ると、白い脚には無数のかすり傷ができ、その幾つかには血がにじんでいる。薔薇の棘によるものだった。


「これじゃあ……どこにも行けないよ」


 そんな真子の呟きに呼応こおうしたかのように、彼女の頬を冷たいものが伝った。涙かと思い拭うと、手には黒い痕が付着する。眉をひそめた真子は、尚も1滴、2滴と続くしたたりにおそるおそる天をあおいだ。あれほど清々しかった青空が、いつの間にか無機質な黒一色に埋め尽くされている。

 雨だ――水滴の正体は黒い雨だった。気付くと同時にたちまち強くなる雨脚に真子は立ち尽くす他なく、おろおろとした視線は所在なく周囲の薔薇たちへと流れていく。

 黒き雨を受けた薔薇は色を失い、とりどりの花弁は雨の勢いに比例して黒一色へと染め上げられていく。


「なに……これ……?」


 怖い――おののいた真子の脳裏に『逃走』の2文字がよぎった。しかし無数の黒い薔薇に阻まれて動けないことにも思い至る。

 傘もなく、人もなく、降りしきる黒い雨の中、真子は途方に暮れて立ち尽くす。


″目を開けろ!″


 先程の声が今度は頭上から、彼女の意識を震わせた。

 助けを求めるように闇夜を見上げた真子は、その中に浮かぶたったひとつの星に気付く。早くここから抜け出したい。そんな一縷いちるの望みを込めて、黒く染まった己の両腕を伸ばす。


 それでも尚、光は遠い――。


「おい!」


 耳許で鳴った声に目を見開いた。

 真子の虹彩こうさいが最初に捉えたのは、灰色の壁とリノリウムの床。頬に伝わる冷たい感触で、自分が横たわっていることを知る。目を擦りながら上体を起こし、鈍痛を訴える頭に手を添えた。いったいどれくらい眠っていたのだろう。入眠以前の記憶は曖昧で、全身を覆う倦怠感けんたいかんと照らしてみても蘇る気配はない。


「良かった……ほんとうに。あの、君、名前は?」


 傍らの声は夢の中で聞こえていた声と同じものであったが、真子は覚醒直後のふわふわとした感覚から抜け出せぬまま、無機質な空間をただぼんやりと眺める。薄暗い室内には他にも十数人の人影があり、そのどれもがぐったりと力なく、壁や床にその身を預けていた。

 制服の者、私服の者、洒落たピアスに金の指輪、日時を刻む腕時計。見たところ服装も年齢もてんでばらばらであり、無作為に集められたといった印象を受ける。


――集められた? いったいなんのために?


 自問自答におちいらんとしていた真子の意識を引き戻したのは、先程から呼びかけている声の主だった。両肩を持たれて揺すられて、そこまでされてようやく真子は我に返る。定まりきらなかった目の焦点が、ようやく中央へと落ち着いてくる。


「頼むからしっかりして」


 不安一色の面持ちで真子を見据えるその青年は、真子が想像していたよりも小柄で頼りない印象をいだかせた。痩身そうしんに黒縁眼鏡という出で立ちも相まって、いわゆる根暗の空気感をかもし出している。

 しかし1点、彼にはそんな容姿に相容れないとある特徴があった。

 髪の毛である。

 青年の髪の毛は、前髪の一部分だけが不自然な桃色に染め上げられていた。


「大丈夫……?」

「はいまあ……なんとか」

「取り急ぎ、僕は東宮奏。この前18歳になった。君の名前は?」

「あ、猫井です。猫井真子。17歳です。」

「それじゃあ猫井さん、さっそく本題なんだけど――ここはいったい、どこ?」


 瞬間、真子の顔に落胆の色が滲む。ここはどこで、いったいなんなのか。自身の夢に介入してきた彼ならば、その答えを知っているものと思っていたが、その問いを先取りしてき返されてしまったのだから仕方ない。


「それ……まさに私が訊きたかったことです」

「あ……やっぱり?」


 東宮と名乗った青年は困ったように苦笑しながら、こめかみをぽりぽりと掻いている。やはり見た目の印象が本来の彼を物語っているのかもしれないと、真子は小さく肩を落とす。


「目を覚ます前の記憶はある?」

 そう訊ねられて真っ先に浮かぶのは夕景と、どこからか漂ってくる夕餉ゆうげの匂い。そして何者かの歪んだ口許。そして先程の薔薇畑――それくらいのものだった。自身の記憶のありのままを真子が答える前に、東宮の方が口火を切る。

「僕が覚えているのは揺れる身体と寝転がる無数の人影……その時はただ漠然と、トラックに乗せられてどこかへ運ばれているんだって思った。誘拐――とまでは頭が回らなかったんだ。そのまま眠ってしまって、それで目覚めたら」

 そこまで言った東宮は困り顔のまま両腕を広げた。


「あの、ひとつ質問しても良いですか?」

「うん。僕に分かることならなんでも答えるよ」


 状況、心境の両面において、東宮と自分は同等であることが知れた今、共に協力してこの状況を探る他ない。真子はそう考え、東宮を真っすぐに見つめた。青白かった東宮の顔に、にわかに血色が戻っていく。


「その髪、自分で染めたんですか?」


 その問いに照れくさそうな笑みを浮かべた東宮は、自らの前髪を指に絡めながら言った。


「いや……これにはいろいろあってね」

「もしかして、ある日いきなり髪が染まっていったんじゃないですか?」


 そう言った瞬間、東宮の瞳が驚愕に染まる。


「どうしてそれを?」

「だって、私も同じですから」


 そう言った真子は東宮に背を向けると、肩口で切り揃えられた後ろ髪を掻き上げ、自身のうなじを彼に見せた。

 直後、東宮の口から声が漏れる。

 無理もない。真子の頭髪は、整えられた黒髪に紛れ、うなじ付近の一部分だけが水色に染まっていた。


「猫井さん……もうひとつ、質問していい?」

 真子が静かに頷くと、東宮は部屋の一角を指差した。

「あそこに、なにか視える?」


「もちろん視えるぜ」

 不意にあらぬ方向から声がした。東宮と真子の視線が揃ってそちらへ注がれる中、その人影は構わず言葉を続けた。

「外見は黒い兎に似てるけど、2足歩行なのと顔の造りが人間に似てるから、なにか新種の動物か、もしくはバケモン――って見た目だ。マジで気色ワリい」


 青年はそこまで言ってから不機嫌そうに立ち上がると、自身の身体を探り始めた。ブレザーを着崩しているところからして、真子や東宮と同じく高校生であろうことが知れる。そしてなによりも、整髪料で尖らせた彼の短い茶髪は、両耳の辺りだけが不自然な黄緑色をしていた。


 ″間違いない″


 真子はそこで確信した。

 ここにいる人々には″変色した髪″と″バケモノが視える″という2つの共通点がある。ということはやはり何者かが、なにか計り知れない目的をもって、自分たちをここへ集めたのだ。


「あれ、どっかに落としたのか? なあ、煙草たばことか持ってない?」

 真子と東宮は揃って首を横に振る。

 青年は苦々しげに舌打ちすると、決まりが悪そうに2人の方へと向き直った。


「あーそれで、自己紹介のくだりだよな。逢坂おうさか涼成りょうせい、高2の18歳だ」

「よろしく」と2人の声が揃う。

 その様子に頬を緩めると、逢坂はひらひらと手を振った。

「どーも」


 自分の運命がどこでどう捻じ曲がってしまったのかは分からないが、とにかく非常事態であることは確かだろう。まずは現状を知ること、そして場合によってはここから脱出することも視野に入れなくてはならない。


 真子は頭の片隅でそう思考しながら、部屋を見渡してみる。

 灰一色の不気味な部屋だった。

 広さはおよそ12畳。ちょうど学校の教室くらいの広さだ。食糧や生活用具はおろか、辺りにはちりひとつ見当たらない。部屋の奥には出入り口と思しき横開閉の扉がひとつあるきりだった。


 そしてその扉の脇には、東宮が示したバケモノが座っている。


 見たところ室内に監視カメラの類はない。であれば、あの異形が私たちの監視役という可能性も考えられる。1人でも多くの情報が欲しいのは山々だが、自分を含めて3人が目覚めても尚、状況に動きがないということは、全員が目覚めるまではこの膠着こうちゃく状態が続くことが予想される。


 ならば、無闇に全員を起こして状況を進展させることは危険かもしれない。


「とりあえず、寝てる奴らを叩き起こすか」

「待って」

 ヤニ不足で落ち着きのない逢坂の言葉を、真子は咄嗟とっさに制した。


「あ? なんだよ」

 自分の行動を制された逢坂の顔に、わずかな苛立ちが浮かぶ。

「まあまあ、落ち着いて。今僕たちが取るべき最善策は協力、でしょ」

 間に入ってくれた東宮に心の中で謝辞を述べると、真子は自分の考えを2人に共有した。小声で、なるべく身を近付けることも忘れない。異形の前では無駄な工作かもしれないが、万全を期すに越したことはない。


 ここはどこなのか、そして自分たちはいったいなにに巻き込まれてしまったのか。考えるべきことは膨大だが、自分は独りではない。


 せば成る――と真子は自分に発破はっぱをかけた。


 生き延びるためにも、絶対に思考を止めてはならない。

 

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