Chapter Ⅰ 英雄選別
Page1 : 悲運
◆◆◆◆◆
赤、青、白、黄――地平線まで覆われたいちめんの薔薇畑。
そのただ中に
″おい、起きてくれ″
不意に彼方から声がした。
″おいってば。誰か起きろって″
天国のような景色に反し、どこからか聞こえてくる男の声に余裕はない。言葉の端々からは焦りが
起きろ――それが自分に向けられた言葉であるならば、私が見ているこの景色はさしずめ夢かなにかということになる。
素敵な夢だ。こんな夢ならいつまでだって浸っていたい。思うと同時に真子はそっと目をつむり、深く息を吸い込んだ。美しい
″なあおい!″
ひと際強い声に身体が跳ねる。反射的に1歩を踏み出すと、右
「これじゃあ……どこにも行けないよ」
そんな真子の呟きに
雨だ――水滴の正体は黒い雨だった。気付くと同時にたちまち強くなる雨脚に真子は立ち尽くす他なく、おろおろとした視線は所在なく周囲の薔薇たちへと流れていく。
黒き雨を受けた薔薇は色を失い、とりどりの花弁は雨の勢いに比例して黒一色へと染め上げられていく。
「なに……これ……?」
怖い――
傘もなく、人もなく、降りしきる黒い雨の中、真子は途方に暮れて立ち尽くす。
″目を開けろ!″
先程の声が今度は頭上から、彼女の意識を震わせた。
助けを求めるように闇夜を見上げた真子は、その中に浮かぶたったひとつの星に気付く。早くここから抜け出したい。そんな
それでも尚、光は遠い――。
「おい!」
耳許で鳴った声に目を見開いた。
真子の
「良かった……ほんとうに。あの、君、名前は?」
傍らの声は夢の中で聞こえていた声と同じものであったが、真子は覚醒直後のふわふわとした感覚から抜け出せぬまま、無機質な空間をただぼんやりと眺める。薄暗い室内には他にも十数人の人影があり、そのどれもがぐったりと力なく、壁や床にその身を預けていた。
制服の者、私服の者、洒落たピアスに金の指輪、日時を刻む腕時計。見たところ服装も年齢もてんでばらばらであり、無作為に集められたといった印象を受ける。
――集められた? いったいなんのために?
自問自答に
「頼むからしっかりして」
不安一色の面持ちで真子を見据えるその青年は、真子が想像していたよりも小柄で頼りない印象を
しかし1点、彼にはそんな容姿に相容れないとある特徴があった。
髪の毛である。
青年の髪の毛は、前髪の一部分だけが不自然な桃色に染め上げられていた。
「大丈夫……?」
「はいまあ……なんとか」
「取り急ぎ、僕は東宮奏。この前18歳になった。君の名前は?」
「あ、猫井です。猫井真子。17歳です。」
「それじゃあ猫井さん、さっそく本題なんだけど――ここはいったい、どこ?」
瞬間、真子の顔に落胆の色が滲む。ここはどこで、いったいなんなのか。自身の夢に介入してきた彼ならば、その答えを知っているものと思っていたが、その問いを先取りして
「それ……まさに私が訊きたかったことです」
「あ……やっぱり?」
東宮と名乗った青年は困ったように苦笑しながら、こめかみをぽりぽりと掻いている。やはり見た目の印象が本来の彼を物語っているのかもしれないと、真子は小さく肩を落とす。
「目を覚ます前の記憶はある?」
そう訊ねられて真っ先に浮かぶのは夕景と、どこからか漂ってくる
「僕が覚えているのは揺れる身体と寝転がる無数の人影……その時はただ漠然と、トラックに乗せられてどこかへ運ばれているんだって思った。誘拐――とまでは頭が回らなかったんだ。そのまま眠ってしまって、それで目覚めたら」
そこまで言った東宮は困り顔のまま両腕を広げた。
「あの、ひとつ質問しても良いですか?」
「うん。僕に分かることならなんでも答えるよ」
状況、心境の両面において、東宮と自分は同等であることが知れた今、共に協力してこの状況を探る他ない。真子はそう考え、東宮を真っすぐに見つめた。青白かった東宮の顔に、にわかに血色が戻っていく。
「その髪、自分で染めたんですか?」
その問いに照れくさそうな笑みを浮かべた東宮は、自らの前髪を指に絡めながら言った。
「いや……これにはいろいろあってね」
「もしかして、ある日いきなり髪が染まっていったんじゃないですか?」
そう言った瞬間、東宮の瞳が驚愕に染まる。
「どうしてそれを?」
「だって、私も同じですから」
そう言った真子は東宮に背を向けると、肩口で切り揃えられた後ろ髪を掻き上げ、自身のうなじを彼に見せた。
直後、東宮の口から声が漏れる。
無理もない。真子の頭髪は、整えられた黒髪に紛れ、うなじ付近の一部分だけが水色に染まっていた。
「猫井さん……もうひとつ、質問していい?」
真子が静かに頷くと、東宮は部屋の一角を指差した。
「あそこに、なにか視える?」
「もちろん視えるぜ」
不意にあらぬ方向から声がした。東宮と真子の視線が揃ってそちらへ注がれる中、その人影は構わず言葉を続けた。
「外見は黒い兎に似てるけど、2足歩行なのと顔の造りが人間に似てるから、なにか新種の動物か、もしくはバケモン――って見た目だ。マジで気色ワリい」
青年はそこまで言ってから不機嫌そうに立ち上がると、自身の身体を探り始めた。ブレザーを着崩しているところからして、真子や東宮と同じく高校生であろうことが知れる。そしてなによりも、整髪料で尖らせた彼の短い茶髪は、両耳の辺りだけが不自然な黄緑色をしていた。
″間違いない″
真子はそこで確信した。
ここにいる人々には″変色した髪″と″バケモノが視える″という2つの共通点がある。ということはやはり何者かが、なにか計り知れない目的をもって、自分たちをここへ集めたのだ。
「あれ、どっかに落としたのか? なあ、
真子と東宮は揃って首を横に振る。
青年は苦々しげに舌打ちすると、決まりが悪そうに2人の方へと向き直った。
「あーそれで、自己紹介のくだりだよな。
「よろしく」と2人の声が揃う。
その様子に頬を緩めると、逢坂はひらひらと手を振った。
「どーも」
自分の運命がどこでどう捻じ曲がってしまったのかは分からないが、とにかく非常事態であることは確かだろう。まずは現状を知ること、そして場合によってはここから脱出することも視野に入れなくてはならない。
真子は頭の片隅でそう思考しながら、部屋を見渡してみる。
灰一色の不気味な部屋だった。
広さはおよそ12畳。ちょうど学校の教室くらいの広さだ。食糧や生活用具はおろか、辺りには
そしてその扉の脇には、東宮が示したバケモノが座っている。
見たところ室内に監視カメラの類はない。であれば、あの異形が私たちの監視役という可能性も考えられる。1人でも多くの情報が欲しいのは山々だが、自分を含めて3人が目覚めても尚、状況に動きがないということは、全員が目覚めるまではこの
ならば、無闇に全員を起こして状況を進展させることは危険かもしれない。
「とりあえず、寝てる奴らを叩き起こすか」
「待って」
ヤニ不足で落ち着きのない逢坂の言葉を、真子は
「あ? なんだよ」
自分の行動を制された逢坂の顔に、わずかな苛立ちが浮かぶ。
「まあまあ、落ち着いて。今僕たちが取るべき最善策は協力、でしょ」
間に入ってくれた東宮に心の中で謝辞を述べると、真子は自分の考えを2人に共有した。小声で、なるべく身を近付けることも忘れない。異形の前では無駄な工作かもしれないが、万全を期すに越したことはない。
ここはどこなのか、そして自分たちはいったいなにに巻き込まれてしまったのか。考えるべきことは膨大だが、自分は独りではない。
生き延びるためにも、絶対に思考を止めてはならない。
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