第5話

 男は苛立っていた。

 仕事を終えて五日になる。それなのに電話が来ない。騙されたのか、男はその疑念をもはや確信へと深めていた。

 依頼主から電話をもらったのは一ヶ月前になる。見知らぬ番号だった――あとで調べたところ、それはとあるのホテルの番号だった。それも高級ホテルだ。依頼主は用心のためホテルから電話をかけたようだった。

 もっとも、男には依頼主の素性などどうでもよかった。代価さえちゃんと支払えば文句はないのだ。

「仕事を引き受ける前に、前借りをもらう。仕事の話はそれを受け取ってからだ」

 依頼主は、金を受け取ったら逃げるのではないかという当然の疑念を男に向けた。もはや聞き飽きた台詞だった。それなら構わないと男は強気に言った。この件はなしだ、そして電話を切ろうとした。すると依頼主は慌てて取り繕い、前借りを承諾した。

 依頼主から言い値の前借りを受け取ると、男は約束通りに仕事を引き受けた。その際に、男は依頼主と直接コンタクトが取れる連絡先を聞いた。依頼人との交渉はそれ以降、その連絡先とで交わされるようになった。

 それからおよそ一ヶ月、男は依頼主から聞いた標的の生活を監視した。

 主に男は、標的の生活リズムを調査した。これで標的の人物像、素性というものがおおよそわかる。そしていつ実行できるか、そのおおよその目標も定まる。

 男は調査を終えその報告を依頼主に告げたあと、実行するのなら*曜日の十時以降がベストだと伝えた。

 依頼主から連絡が届いたのは、それから三日後。実行日の予定について相談を受けた。*曜日の十一時半、**の雑居ビル裏手の駐車場に誘き寄せるがどうだろうか?

 男はペーパーバックの余白に書き込んだ標的の調査資料と、周辺地図を見ながら検討した。

「いいだろう」

 男は承諾した。

 決行日の夜を迎えると、心配してか依頼主からしつこく電話がかかってきた。

「心配はいらない。仕事はきっちりやる。明日のニュースで流れる死亡者の名前をしっかり見届けるんだ。見たらお前のほうから連絡を寄越せ、いいな。金は、忘れるなよ」

「わかった……」

 それを最後に、男は電話を切った。

 夜の十一時少し前、標的は依頼主によって誘き寄せられた場所に向かうため家を出てきた。そのあとを男は気付かれないように追った。

 そして、男は実行した。

 容易かった。胸と腹部の数箇所ナイフを立てて、刺した。血は飛び散らないが、確実に死ぬ箇所だけを刺した。標的は刺された瞬間、自分になにが起きたのかわからないといった顔をしていた。だがようやく自分が刺されて殺されようとしているとわかったときにはもう遅い。

 標的は地面に倒れ動かなくなった。男は生死をたしかめてからその場を去った。

 完璧だった。男も自画自賛する、一切抜かりない犯行だった。迅速かつ丁寧で、だれにも気づかれず、一分の無駄もない。

 唯一の汚点といえば、犯行現場が本来の場所ではなく、その途中の路地だったということだけだが。これについても、要はひと目を避ければどこでもいいというわけで、男はまるで狙い澄ましたようにひと気が周囲からなくなったのを見て、これ幸いと犯行に打って出たのだった。そしてそれはまさに功を奏したのである。

 男は惚れ惚れしながら、依頼主からの連絡を待った。

 だが――電話は今日まで鳴らなかった。

 男が殺した標的のことは、すでに翌日の夕方のニュースには報道されている。ネットニュースでは昼の段階で伝えられている。だから知らないということはありえなかった。

(……騙された)

 そう思いながらも、男は耐えた。

 なにか先方でトラブルがあったに違いない。標的が殺されたことで、依頼主に警察の事情聴取が行われているのかもしれない。そのせいで連絡が途絶えているのだ。

 だが、五日目を迎えた昼、男は到頭依頼主に連絡を取った。稀に見る、芸術的もいえる完璧な犯行に、男はどうしてもその代価が欲しかったのだ。

 男は電話をかけた。

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