第3話

 被害者の自宅アパートは、現場から歩いて五分とかからない距離にあった。

 鑑識作業は終わっていたが、そのあとに一課の捜査員が部屋に入っているため、ユニスたちはここでも待機することになった。ただその間にも鑑識からの報告がメガネに上がっているので、ユニスたちは車中でそれらに目を通した。

「反応はあったみたいですね。でも、まあ、〈能力者〉だから当然か」ユニスは呟いた。「これですぐに〈能力者〉が関与したとは断定できませんよね」

「そりゃそうだ」トバが言って、欠伸をした。

 ユニスも、(困ったな)とため息をついた。

〈能力者〉が事件に関与したかどうかについては、被害者が一般人の場合、現場から反応が検知されれば、すぐに関与を疑える。だがこれが、〈能力者〉が被害者の場合、たとえ現場から反応が検知されたとしてもそれが犯人のものなのか、被害者のものなのか区別できない。すなわち〈能力者〉が関与したとは判断できないのだ。

 現場に明らかに異常があり、それが被害者の能力と鑑みて不整合するようであれば第三者の関与も疑われる。だが、被害者の部屋には報告を読むかぎり、いくつか不審な点はあるものの、取り立てて第三者を疑うような要素、すなわち〈能力者〉による犯罪を指し示すような明確な証拠はなかった。

 なにより現場は被害者の部屋ではなく、遺体が見つかった路地だ。刺し傷と、現場に残る出血量からして、あの場で刺されたのは間違いなさそうだった。そしてその現場からは、反応は検知されていない。

「私たちはこのあとどうすれば?」とユニスは聞いた。

 このような曖昧な事件に対処したことのないユニスは、この先なにをすればいいのかわからなかった。

「もちろん待機だ」と諏訪は答えた。「一課の捜査が終われば、おれたちも現場を見る」

「そうですか」

「それにしても腹減ったな」トバが言った。「ユニス、なにか買ってきてくれないか。パンとか飲み物」

「私がですか?」

「新人だろ。先輩の朝飯くらい買ってこいよ」

「そういうのってパワハラになるんですよ」

「細かいこと言うなあ、お前は」

 突然、諏訪が車を降りた。

「どうしたんです、諏訪さん」なにかあったのかとトバは驚いた。

「飯を買ってくる」

「そんな諏訪さんがいかなくても、それならおれが買ってきますよ」

「お前は待機だ」

「じゃあ私も行きます」隙を狙ってユニスは車を降りた。

「お前――」

 トバがユニスになにか言おうとしたが、ユニスはもう車から降りたあとだった。

「行きましょうか」

 ユニスがそう促したからではないが、諏訪はなにも言わずに歩き出し、彼女はそのあとに続いた。

 歓楽街は夜から始まる店が多いためほとんどの店が閉まっている。そんな中でも、二十四時間のコンビニはあるもので、ひっそりとした歓楽街にも、数件コンビニがあたりまえの顔をして営業している。ユニスたちはその中の一番近いコンビニに入った。

「諏訪さんはこの事件、どう思います?」

 カゴにパンと飲み物を入れながらユニスは諏訪と二人きりになったことこれ幸いと、思い切って話しかけてみた。

 諏訪は商品の棚を見つめたまま、意外にもユニスの問いかけに反応した。

「この段階ではどうにも判断できないだろ」

「そうですね」

(嫌々、これで会話を終わらせてどうする。他にもっと話題はないか?)

「あの、諏訪さんはここに来る前一課にいたっていう話を聞いたんですが。本当ですか?」

 ユニスは少し踏み込んでみた。

 諏訪の顔に不機嫌さが浮かぶと思ってこっそり横目で窺った。だが彼の表情にとくべつな兆候はなにも見られないばかり、

「そうだ」

 と、あっさり会話にのってきたのだった。

「その一課を自らやめて、進んで四課に転属を希望したという話も、やっぱり本当なんですか」

「調べたのか」

「いえ、ただ小耳に挟みまして。本当なんですね」

「ああ」

「なぜです? なぜ花形の一課から、四課に……。やっぱり〈能力者〉が憎いから、ですか」

「ああ、憎い。お前は憎いとは思わないのか?」

「犯罪は憎いです。だからそれを行った犯人には罪に合った償わせをさせるべきです。ですから私はたとえ〈能力者〉でも、犯罪者であれば同情はしません。逮捕するにも、抵抗はありません。でもそれはすなわち〈能力者〉が憎いとはなりません。でも諏訪さんは、罪のない〈能力者〉も含めて、憎しみを抱いている。なぜです? なぜ諏訪さんは〈能力者〉をそこまで憎んでいるのですか?――なにか、過去にあったのですか?」

 諏訪はなにも答えなかった。

 買い物を終え、コンビニを出たユニスは、濁った雲が覆う空をふと見上げた。

 ここ最近、〈能力者〉の犯罪が頻発している。

ユニスが刑事になってまだ二ヶ月ちょっとだが、その間に五件もの〈能力者〉の殺人事件に遭遇していた。ユニスが解決した二件の事件に加えて、その後立て続けに三件の殺人事件が発生したのだ。

 幸いにも三件の事件はその日のうちに解決して大事に至らなかったが。

 それにしても五件の殺人事件は多い。『覚醒都市』全体から見れば微々たるものだが、〈能力者〉の殺人事件だけに絞れば、年間十件前後がこれまでの相場だった。それがわずか二ヶ月のあいだに五件も起こったのは、異例と言える。『覚醒都市』の治安がそれだけ悪化しているということなのかもしれないが。

 それにしても――

「お前は、『覚醒都市』出身か?」

「え、あ、いや、違います」訊ねられていることに気づいて、ユニスは慌てて答えた。「十二歳の頃、五年前にこっちに来ました」

「なぜわざわざ来た?」

「それは、ここには自由が、可能性があったからです。ここなら努力が実になる」

「そうか……五年か」

「?」

 そのまま会話は終わった。

 車に戻ると、待っていたトバが報告した。

「一課の捜査が終わったそうです」


 被害者の自宅は六畳一間風呂なしの部屋だった。鑑識が捜査に繋がるものをあらかた持っていったが、それでも部屋の汚さは目についた。

 狭いキッチンには食器や鍋が洗われずに放置されている。六畳の真ん中に置かれたテーブルには食べかけの弁当やカップラーメン、酒の空き缶やつまみのお菓子が散乱している。左右の壁に紐を渡し、そこにハンガーを掛けて衣類がぶら下がっている。その他の衣類は部屋の隅に、雑誌の山と一緒に畳まれずに放置されていた。服を入れるタンスや収納ケースのたぐいはなかった。あるものといえば、キッチンにある冷蔵庫とテレビ、パソコンのたぐいはない。

 それから、水槽だ――

 熱帯魚が趣味だったのか、これほど部屋が荒れ果てながらも、水槽はしっかりと管理されていたようで、水は透き通り、水草も綺麗な緑色をしていた。フィルターやヒーターなどの装置も、主人を失ってもしっかり稼働している。

 だが、その中で泳ぐ熱帯魚――エンゼル・フィッシュ四匹はすべて、水面に浮き上がっていた。

 この部屋にある不審点とは、まさにこれだった。

 死んでいたのは熱帯魚だけではない。猫が一匹、キッチンの近くで死んでいたのだった。

 どちらも死因ははっきりせず、念のため猫は解剖に回され、熱帯魚は水槽の水を鑑識が持っていき、こちらは科捜研が調べる運びになった。

 だが、これが事件にどう関係しているのか、そして四課として、これに〈能力者〉が関与しているのかどうか――

「これだけじゃ、わかりませんね」ユニスは言った。

「動物を虐待してたのかもな」とトバが言った。

 それについては、ユニスは否定的だった。

「それはどうでしょうか。虐待するために熱帯魚なんて飼いますか? 猫だってそうですよ、ちゃんと餌もありますし」キッチン下の棚を開けると、猫の餌の袋が入っていた。「かわいがっていたように思いますけど」

「どうかな。近所で野良猫の不審死がないか調べたほうがいいんじゃないか」

「一課のほうですでに所轄に問い合わせて調べたようですよ。不審死はないということです」

「わかってたなら先に言え」

 ユニスは足元に気をつけながら部屋を調べていった途中で、ふといま何時だろうと気になった。ちょうどよく水槽の横に置き時計があった。十一時三分――(あれ?)もうそんな時間か、そう思って、ユニスはメガネで時間をたしかめると、まだ八時二十分だった。

 よく見たら置き時計の秒針は止まっていた。ユニスは置き時計を持って、裏の電池を確認する。電池は入ったままだった。電池切れのようだ。

 ――ひととおり部屋を見たが、被害者以外の〈能力者〉が関与した痕跡はなにも発見できなかった。

「どうします、諏訪さん」トバが眉間に皺を寄せながら聞いた。

 部屋に充満する汗と体臭が織り成すアンモニアの臭気に、トバは部屋に足を踏み入れた当初から、嫌悪の表情を浮かべていた。ユニスも初めこそ臭いに二の足を踏んだが、捜査に意識が向かうと、いつしか忘れていた。しかし捜査が一段落して、改めてトバの顔を見たとたんに、思い出したように臭いが鼻についたのだった。

「一課の捜査を待つしかないな」

「でしょうね」トバも頷いた。

「一旦四課に戻ろう」

 その言葉に、トバは嬉しそうに部屋をあとにした。ユニスも続いて部屋を出たが、そのときなんとなく見落としがあるような気がして思わず振り返った。

 しかし、それがなんなのか、わからなかった。

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