第7話

「忘れた!」

ナオミは信じられないものを見るように目を見開いた。

「そうです」ユニスは頷いてみせた。「この〈能力者〉は容疑者の記憶から自分の存在を消したんです。だから二人は〈能力者〉のこと供述しなかった。いや、できなかった。そしてそんなことが可能な能力はただひとつ、記憶操作能力だけです」

 だれかから息を呑む音がした。(きっとトバさんだな)

「しかし、その説にはまるで証拠がない」諏訪が指摘する。「すべてが憶測だ。どうして記憶が消されたといえる。もしかしたら〈能力者〉のことは口にできない、催眠かなにかにかかっているのかもしれない」

「いいえ、二人は記憶を消されています。たしかに証拠はありません。でも根拠ならあります。鐘の音を覚えていますか?」

「鐘の音?」

「供述書にも書いてあった、寝室から聞こえた置き時計が鳴らす鐘の音です。容疑者Aはこう供述しています――

『……チャイムは、一度だけ鳴りました。彼が玄関に向かいました。何時? さてね。でも彼の寝室から鐘の音が聞こえたから、たぶん九時ぐらいじゃなかったのか?』

 続いて容疑者Bです。

『……チャイムが一度鳴ったような気がしますけど。そのとき僕、トイレに入ってたんです。……便器を前に蹲ってましたから。それで起き上がってトイレを出ると――鐘の音が聞こました。彼の寝室に置き時計があるから、その音でしょうね、きっと』

 この供述書を読んでいたときから私はずっと違和感を覚えていました。でもそれがなんのかわからなかった。でも犯人の能力がわかったとき、その違和感にも気づいたんです。

 二人の供述についてどうです、変だとは思いませんか?

 容疑者Aはチャイムが鳴ってガイシャが玄関に向かったときに鐘の音を聞いと供述しています。一方、容疑者Bは、トイレを出たときに鐘の音が聞こえたと言っています。その直後、容疑者Bはガイシャが遺体となっているところを発見します。つまり鐘が聞こえたときにはもうガイシャは亡くなっていたんです。ところが容疑者Aは、チャイムが鳴ってガイシャが玄関に向かったときに鐘の音を聞いと言っています。そしてリビングに帰ってきて振り返るとガイシャが死んでいた、そこに容疑者Bがトイレから出てきた、そのときにまた鐘の音が鳴った。おかしいですよね。これだと鐘の音が短期間に二度鳴っていることになる。でもあの置き時計は一時間ごとにしか鳴らない」

「一度鳴った鐘がまだ響いていたのかもしれん」と課長が言う。

「それはありえません。あの鐘の音は、一度だけ鳴っておしまいです。余韻も十秒ほどで消えます。玄関に向かうときに鳴った鐘の音が、帰ってきてまだ響いているなんてことはありえません。もちろん、置き時計は壊れていませんでした。にもかかわらず、短期間で鐘が鳴ったわけは、容疑者Aが聞いた鐘の音と、容疑者Bの聞いた鐘の音は違う時間に鳴った鐘の音だったとしかいえない。つまり、そのふたつの鐘の間には、本来もっと時間の間隔があったということです。おそらく一時間。そしてなにより重要なのは、そのことに二人が気づいていないということです。どうしてか? その間の記憶をごっそり消されてしまったからです。

 容疑者Bが聞いた鐘の音は、本来容疑者Aも耳にしているはずなんですが、供述ではそのとき気が動転していたらしく、鐘の音は聞こえなかったのかもしれません。もし聞いていてそのことを供述していれば、この違和感はすぐに判明したはずなんですが……

 それはさておき、二人はおよそ一時間分の記憶を綺麗さっぱり消されてしまった――この推理で考えれば、突然、振り返ったらガイシャが亡くなっていたという容疑者Aの謎めいた供述にも説明がつきます。ガイシャが毒を飲み苦しむ過程を消されてしまったから、いきなり亡くなったように見えてしまったのです。

 となれば、チャイムが鳴ったのも午後九時ではなく、午後の八時頃だった。八時ならば、パーティに参加して、誕生祝いを催すだけの余裕はありますよね。

 チャイムを鳴らして訪問してきた者が犯人だというのも、容疑者二人の供述がそこを境に突然時間が飛んだことで納得できる。犯人は自分の記憶をすべて消さなければならない。となれば、自分がパーティに参加したときから消す必要がある。つまり、自分がやってきたときからとなる。

〈能力者〉はパーティの始まる前に訪問したのかもしれない。それは私にもわかりません。しかし、パーティが始まって午後八時にチャイムを鳴らしてやって来たのもまた〈能力者〉だった。

 チャイムを鳴らしてやって来た〈能力者〉である『ユカリ』という人物はそこからおよそ一時間、パーティに参加した。

 九時前、チャイムを鳴らしてやって来た〈能力者〉で『ユカリ』である人物は、ガイシャに毒を盛り殺人犯へと変貌した。

 立ち去り際、犯人は容疑者二人から自分の存在を消した。もちろん消したのは記憶だけじゃない。現場の痕跡すら、根こそぎ消していった。パーティで使った品物はすべて回収したに違いありません。皿やフォーク、グラス、あと包丁なんかも。キッチンの収納にまな板だけあって包丁がなかったのは、使うものだけしか置いてないとはいえ、少し不自然。むしろ使うものだけを置くのなら、包丁だけあってまな板がないほうが自然ではないでしょうか。包丁はおそらくケーキを切り分ける際に使ったのでしょう。それらすべてを回収して、犯人は現場をあとにした。

 容疑者Aとしたら、チャイムが鳴って振り返ったら突然一時間後の未来にタイムトラベルしたって感じでしょう。容疑者Bも同じで、トイレに入っていたはずが、気づくと蹲っていた。消えた一時間にずいぶんとお酒を飲んだに違いありません。

 リビングと廊下、そしてトイレから反応が検知されたことも、これで辻褄が合う。容疑者Aの記憶を消すためにリビングで、トイレで蹲っていた容疑者Bの記憶を消すために、廊下に立って能力を使った。トイレはそのときドアが開けっ放しだったと、容疑者Bの供述もありますから。反応が廊下とトイレから検知されたんです」

 沈黙がしばらく続いた。

「雨宮くん、記憶操作の〈能力者〉の検索を……」課長がようやくそう言った。

「もう済んでいます」

 雨宮がそういうのと同時に、メガネにずらりと〈能力者〉リストが表示された。能力の程度にもよるが、その数、三百人以上だった。

「これをひとつひとつ虱潰すのは、骨が折れるぞ」とトバが嘆いた。

「潰すのも一苦労だが、結局証拠がないんじゃ意味がない」と諏訪が言った。「いまの話も、容疑者が酔って記憶が錯乱していただけと言われてしまえばそれまでだ。現場には第三者がいたという決定的な証拠はなにもない」

「証拠ならあるじゃないですか」沈む四課に、ユニスは呆れるほど楽天的な声を発した。

 四課の面々は、驚いて顔を上げた。

「そういえばユニス、言ってたわよね。必ず犯人がわかるって」ナオミは思い出したながら言った。「能力はわかったけど、肝心の犯人はまだわからないわ」

「それは、いまも、私にもわかりません。でもすぐにわかる方法があります。……実は、隣の部屋に住む男性が洋菓子の紙袋を提げて階段を降りる人物を目撃していました」

「なに!」課長が飛びついた。「だがそんな報告は聞いてないぞ」

「ついさきほど得られた証言ですので、報告はまだ。実はその男性も記憶を消されていたんです。ですから聞き込みをしても、記憶が戻らないかぎりはこの証言は得られなかったでしょう。

 犯人は、現場から逃げる際に階段を使いました。エレベーターよりも人に会うリスクが少ないはずですから。ところが、不運にも、隣の住人が階段を上って鉢合わせしてしまった。それで急遽、彼の記憶も消した。

 証言では、すれ違いざま、彼はふいに後頭部をつつかれたそうです。そこから十分前からの記憶をなくしてしまったそうで、おかげでその直前に約束していた彼女とのデートをすっぽかすことになってしまいましたが」

「おいユニス」とトバが言った。「お前、そんな証言があるなら最初からそれを言えば済んだ話じゃないのか。記憶を弄る〈能力者〉がいるって。長々と御託を並べやがって」

「まあ、そうなんですけど」ユニスは困ったように笑った。

「そんなことより」課長が押しのけるように言った。「ユニスくん、その住人が目撃した犯人の人相は?」

「それが、一瞬すれ違っただけではっきりと見たわけではないようで。おまけに帽子とサングラスで顔を隠していてよくわからなかったそうで。おそらく女性ではというぐらいしか」

「それでは犯人がわからないじゃないか」

「そんなことはないですよ」

 ユニスの余裕たっぷりな言葉に、課長は困惑した。

「待ってユニスちゃん」雨宮がなにかに気づいたようだった。「どうして記憶を消された目撃者からそんな証言もらえたの?……まさか――」

「私は〈能力者〉の能力を無効化することができます。能力によって消された記憶なら、その能力を無効化すれば記憶は戻る――はずだと思って……そしたら。すでに実証済みです」

「――ということは……」

「ええ。犯人はだれなのか、それはいまでもわかりません。だったら犯人を目撃した人に聞けばいい」

「目撃した人?」課長が聞いた。

「目の前にいて、一緒にパーティに参加していた彼らに――そう、二人の容疑者の記憶を戻せば事件は解決です」 

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