第5話
ユニスたち四課の面々はパソコンの前に集合していた。
四課に戻った雨宮は、すぐに仕事に取り掛かった。関係者リストに該当者がいないとなれば〈能力者〉の中にいるかもしれない。雨宮は検査範囲を〈能力者〉すべてに広げて、改めて調べ直したのだ。仮に、これによって『ユカリ』という名と、事件日が誕生日の〈能力者〉が合致する人物が見つかれば、犯人とまではいえないが、捜査を進展させるうえでは重要な参考人となりえる可能性はある。
その結果を、四課の面々も固唾を飲んで見守っていたのだ。
まもなく検索結果が表示された。『ユカリ』という名前の〈能力者〉は十人ヒット、誕生日が事件日の〈能力者〉は数百人にヒット。
そして、その両方を兼ね備えた人物は――
該当者ナシ
「くそ」課長が小さく怒鳴った。
ほかの四課の面々も、ため息をもらした。
一瞬雲間から差した光は、再び四課に暗い影を落とした。
もっとも偽名、偽装の可能性は充分に考慮されていた。調べだした諏訪も初めから疑念を抱いていたくらいで、だから結果を見ても、とくに悔しがる様子はなく、「やはりな」とあっさり事実を受け入れたのである。
とはいえ、
「これでまた捜査は行き詰まりか」
トバがうんざりするように言ったっ言葉が、まさにそうだ。
ただユニスだけは違った。
「そうとはかぎらないと思いますよ」とユニスは言った。
「なにかわかったの、ユニスちゃん?」
雨宮の問いかけに、
「いえ、まだ……ところで、ケーキの居所はまだ掴めていないんですよね?」
「ないわ」と雨宮は答えた。
「だとすると、ガイシャのケーキはどこにあるのかしら?」とナオミがだれともなく問いかけた。
「そんなの決まってるんだろ」トバが答えた。「この『ユカリ』とかいうやつが持ってるんだ」
「だから、その『ユカリ』って人がどこにいるのかって話よ」
「それは――」
諏訪が口を開いた。「現場にはなかったんだ。ケーキは間違いなくだれかの手に渡された」
「雨宮くん、〈能力者〉以外で名前と誕生日が該当する人物を検索してくれ」
課長が指示する。結果はすぐに出た。『覚醒都市』でユカリという名前の人物は数千にのぼった。誕生日が一致する人物もそれと変わらず多い。ただそれが両方合致する人物となると、わずかに五人だけだった。
「手がかりはこの五人だけになるわね」ナオミが言った。
「だけど偽名なり、偽装だったらまったくの的外れで終わるな」とトバは言った。「ま、この仕事はおれたちの領分じゃないから関係ないけど」
「なに言ってるの」ナオミが呆れたように言った。「私たちも聞き込みに回らないといけないでしょ」
「そのとおりだ」課長はそう言って、雨宮にいまの情報を一課に送るように指示したあと、「諏訪とトバ、お前たち二人は『ユカリ』という名の〈能力者〉の聞き込みに回れ。ナオミにユニスくん、二人には誕生日が一致した〈能力者〉の聞き込みに回ってくれ」
「了解」
ナオミは返事をして、四課を出ようとして、パソコンを前に考え込むように佇んでいるユニスに気づいて、足を止めた。
「ほらユニス、行くよ」
「……あ、はい」
ユニスから上の空のような返事が返ってきた。
ナオミの運転する助手席に滑り込んでからもユニスの態度は変わらなかった。思考の海に潜り続けているように、黙ったまま考え事に耽っている。
ナオミはそんな彼女に敢えて口出しは控えた。というのも、ナオミの胸中には密かに期待があったからだ。配属初日に事件を解決したユニスに。彼女ならこの事件もきっと解決できるに違いないと。いまのこの長い熟考が明けたときには、きっと――
「ナオミさんは、どう思いますか?」ふいにユニスが問いかけた。
「なにが?」ナオミは前を向いたまま聞き返した。
「ケーキのことです」
「だれがケーキを受け取ったって話? そうね、額面通り受け取るなら『ユカリ』っていう、おそらく女性にプレゼントしたんでしょうね」
「いえ、そうではなく、どうしてケーキを受け取った人は名乗り出ないんでしょうか」
「ああ、そういえば、そうね。なぜかしら?」
「現場にケーキはなかった。ガイシャがケーキを受け取ったのは午後五時、容疑者Bが部屋にやって来たのは六時半、つまり、この一時間半のどこかでケーキはガイシャからだれかに渡ったということになります。その受け取った人は、どうして未だに自分だと名乗り出ないんでしょうか」
「名乗り出たくないんじゃないの」
「ケーキをプレゼントされるだけの間柄ですよ。親しかったはずです。そのガイシャが亡くなったというのに名乗り出ないなんて」
「ううん、そうね。でも、もしかしたらそれほど親しいわけでもなかったんじゃないかな。ほら、ガイシャっていろんな女に声をかけてたでしょ、ケーキを渡した相手もきっとそんな行きずりみたいな相手だったのかもしれないわ」
「そういう考え方もありますね――でも……」
「でも?」ナオミは信号で車を停めた。
「これで三人目になります」
「三人目?」
「参考人です。この事件ではすでに二人の参考人の行方が掴めていません。
一人はガイシャの部屋を訪ねた〈能力者〉。
二人目はチャイムを鳴らした人物。
そして今回ケーキを受け取った三人目。
これは、果たして偶然といえるでしょうか?」
「偶然でなければなんだっていうの」
「まるで互いに示し合わたようにだれひとりとして自分だと名乗り出て来ない。会ったその日に亡くなったにもかかわらず、だれも名乗り出て来ない……」
「もしかしてユニスは、その三人が結託して今回の事件を起こしたと考えてるの?」
「そこまではまだ……ただ――」
そこからまた、ユニスは沈黙した。だがすぐに彼女は顔を上げて、ナオミを見た。
「もう一度現場を見たいんですが」
「私たちには聞き込みがあるのよ」
「少しでいいんです、お願いします」
ナオミは横目で彼女を見た。
信号が変わりナオミはアクセルを踏んだ。そのまま直進のところを、左折した。
「仕方ないわね。三十分だけよ」
「ありがとうございます」
「恩は事件を解決したあとでね」
ナオミは賭けてみたのだ、彼女がまた事件を解決できるはずだと。
三度目の現場。
もはや見慣れた現場だ。いまさら新たな発見があるとはナオミには思えなかった。
ユニスの行動からしても、なにかを見つけ出そうという気はなかった。彼女は簡単に室内を一度見回すと、そのあとはリビングに立って、そのまま考えに耽った。
ナオミはそんな彼女を黙って見つめた。
だが、進展のないまま時間は過ぎていく。ナオミは時間をたしかめようと時計を見ようとして、この部屋に時計がないことを思い出し、腕時計に目を落とす。約束の三十分がすでに過ぎていた。その間もユニスに変化は見られなかった。
やがて、ユニスから大きなため息がもれた。
「どう、なにかわかったかしら?」とナオミは念の為に聞いた。
振り返ったユニスの顔は沈んでいた。
「すみません。なにもわかりません」
「そう」
「お手数かけました」
「仕方ない。そういうこともあるわ。さ、仕事に戻るわよ」
ナオミは素っ気なく言ったが、その実ユニスと変わらず落胆していた。そして、やはり少し彼女を買いかぶり過ぎたのかもしれない、ナオミはそう自分を諌めたのだった。
部屋をあとにしようとナオミは玄関のドアをわずかに開けた。その声はいきなり飛び込んできた。
「なに言ってるの、約束したじゃない!」
女の怒声だった。声は廊下からする。ナオミはドアの隙間からそっと廊下を窺うと、隣の部屋の前で男女が言い争いをしているのが見えた。
女が廊下に立ち、男は住人なのだろう、ドアを開けた玄関に立って対峙している。
「どうしたんですか?」背後からユニスが聞いた。
「痴話喧嘩みたい」
入れ替わってユニスが様子を窺った。
「だからしてないって言ってるんだろ。なに勘違いしてんだよ」
「勘違いだって! どうしてそんな嘘つくの。やっぱり他に女ができたんでしょ!」
「馬鹿なこというなよ」
女が怒りをぶちまけ、男がそれに応戦しているようだ。
「どうしましょうか」ユニスが困って聞いた。
「無視していきましょ」
ナオミの提案に、ユニスは頷いた。ドアを開け廊下に出ると、男は二人に気づき、気まずそうに俯いた。
一方、女のほうはまったく意に介さない様子で二人を睨みつけてきた。ユニスはできるかぎり男女を見ないように横を通り過ぎた。すると、女の怒声が再開する。
「――だったらどうして六日前の約束破るの。そもそもミキオから電話で誘ったんじゃない。忘れたの? 記憶にないの? どうなのよ、はっきり言って!」
ユニスは足を止めた。さきほどまであやふやだった思考の塊が、突然いまはっきりと、頭の中で形作られたのだ。
「どうしたのユニス?」
いきなり踵を返したユニスに、ナオミが慌てて声をかけた。しかしユニスは止まらず、火中の栗を拾うように、まっすぐ男女のほうに近づいていった。
「その約束ってどういうことだったんですか?」
「だれ、あんた」
突然声をかけられた女は怖い顔でユニスを見た。
「警察です」ユニスは手帳を見せた。「隣で起きた事件の捜査中なんですけども、その約束とやらを教えていただけないでしょうか」
「いや、でも、べつに事件とは関係ないと思いますけど」男は戸惑いながら答える。
「念のためです、お願いします」
そんなこと言われても、と男は拒んでいると、女のほうが、ここぞとばかりにそんな彼氏の愚痴をぶちまけた。
「私こいつとデートの約束したの」
「おい」
「それはいつの話です?」
「六日前よ。六日前の夜。電話でね。それなのに今日いくら待っても来ないから心配して電話したら、こいつ寝てたの。しかもデートの約束なんかしてないって言い出す始末だし」
「だから約束なんてしてないって言ってるだろ」
「約束は本当なんですね?」とユニスは聞いた。
「本当だって。電話の記録も残ってるもん――ほら」
女の電話には男との通話記録が残っていた。六日前の、八時五十八分に通話が切れている。
ユニスは男を見た。
「だから、おれ……知らないんだ。そんな電話かけた覚えもないんだよ」
「どうしたのユニス?」
ようやく会話が一区切りついたとこを見計らって、ナオミが口を挟んだ。
だがユニスはそれに答えず、再び被害者の部屋に上がり込んだ。それとほぼ同時だった。寝室から置き時計の鐘の音が鳴った。打ち鳴らされ響く鐘の音は、しかし十秒ほどでその余韻も消えてなくなった。
直後に、ナオミがリビングに入ってきた。
「ねえ、いったいどうしたっていうのユニス」
「ナオミさん、いま寝室で鳴った鐘の音、聞きましたか」
「鐘の音? いや、聞こえなかったけど、鳴ったの?」ナオミは腕時計で時間をたしかめた。「もう二時ね」
「……ナオミさん。四課に戻りましょう」
「でも、聞き込みに回らないと」
「その必要はありません」
「どうして?」
「犯人がわかるからです」
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