第4話

 デスクに向かう彼は難しい顔でペンを走らせていた。その横顔をユニスは息を呑んで見守る。

 やがてその顔がユニスのほうに向いたと同時に、口元に笑みが浮かんだ。

「異常はないようだ」

 倉島医師のその言葉に、ユニスは全身から安堵の息をついた。

「よかった……」

 彼女のそんな姿に、倉島医師は一層笑みを深めた。

 人知を超えた能力を持つ〈能力者〉には、それ相応の健全な精神でなければならない。ということから、〈能力者〉には二ヶ月に一度、精神科の検診が義務付けられている。これは絶対であり、一度でもその義務を怠れば〈能力者〉は有無を言わさず『覚醒都市』を強制退所される。もちろん検診の結果異常が見つかれば、その場合一旦保安局預かりとなる。保安局で更生プログラムを受けたのち、改善が見られれば釈放、またもとのとおり『覚醒都市』で暮らせる。だが改善が見られなければ、有無を言わさず強制退所となる。たとえ刑事であるユニスとて、変わらない。

 だがこれにも問題はある。仮に改善され釈放されたとしても、そのままもとの生活に戻れるわけではない。保安局にいるあいだ仕事は当然休むことになり、長期にわたれば会社から馘首を宣告されることもある。その場合の保証はなにもない。たとえ無事に仕事に戻れたとしても、異常能力者は管理対象として監視と、生活にいくらかの制限が設けられるため、これまでのような自由な生活ができるとはかぎらない。さらに、異常判定は決して周囲に知らされることはないものの、万が一にも知られることになれば、当然差別などの標的に合う恐れがある。

〈能力者〉からは差別の温床としてこの制度に反対を表明しているが、いまのところ『覚醒都市』政府は方針を変えるつもりはない。

つまり、〈能力者〉にとって検診は、まさに今後の人生を左右する審判の日と言えるのだった。そしてそれを二ヶ月に一度、年に六回も経験しなければならない。

 ユニスもこの検診には、毎回ストレスを覚える。今回は刑事になって初めての検診とあって、異常が認められれば刑事としての人生が終わるため、ことさら緊張していた。

 そんな毎回の検診に立ち向かうにあたり、彼女にとって唯一の救いといえば、検診を受け持つのが倉島医師ということくらいだった。

 十二歳のとき単身『覚醒都市』に移り住み、今日までの五年間ユニスの検診を受け持っていたのが、彼だった。患者と医師という関係ながら、いつしかユニスはプライベートなことも相談するようになるほど親密になった。『覚醒都市』に移り住むさいユニスは最初叔母に面倒を見てもらっていたが、その叔母とはあまり反りが合わなかった。そういうこともあり、刑事になることも、実は初めに相談を持ちかけたのも彼だった。

 今年四十になり、会ったときと比べると体重を増やし、お腹まわりが太ましくなっているが、出会ったときからの穏やかな笑みはいまも健在である。

 その笑顔から「異常はない」という一言を聞けたユニスは、安堵するとともに、「ありがとう」と倉島医師の手を取って喜んだのだった。

「仕事のほうは順調かな」検診も終わったとあって、倉島医師は世間話に入った。

「まだ慣れないところも多いですけど、大丈夫です」

「それはよかった。真帆くんが刑事になってどうなることやら、心配してたんだ」

「辛いことは多々ありますけど、私が選んだ道ですから。それと、実は着任早々、事件をひとつ解決したんです」

「凄いね。どんな事件なの」

「この前の〈能力者〉の事件です――」

「ああ、あれか、知ってるよ、ニュースで見た。あれを真帆くんが解決したのか」

「詳しいことは言えないけど、私が謎を解いて事件を解決したんです」ユニスは少し胸を張って言った。「それにしても」と彼女は言った。「人付き合いっていうのは、やっぱり大変ですね」

「気難しい上司にでもぶつかったのかな?」

「上司というか、同僚の先輩なんですけど。ほとんどの人はいい人たちなんですよ。ただその人だけは難しいというか、どうも〈能力者〉のことを好きじゃないみたいで」

「嫌なことでもされているとか」

「いえ、なにかされるってことはないんですけど。こういう仕事ですからかかわらないってわけにはいかないんですよね。嫌でも一緒に仕事をしなければいけないですし、その度に嫌な顔をされると、こっちとしても気が重くなって」

「私から言えることがあるとすれば、無理はしないということだね。真帆くんがいるのはもう大人の世界だ。大人の世界は仲良くなればいいという世界じゃない。むしろ、お互いの心の内には決して踏み込まず、あくまで表面的な関係だけで済ませる、そんな程よい距離感が好まれることが多い。その人のことは気になるかもしれないけど、だからといって無理に仲良くなろうとするのも、却って関係を悪化させることになる」

「程よい距離、か……」

 ユニスは諏訪の顔を思い浮かべた。

 病院をあとにしたユニスは、処方されたばかりのペパーミントガムと口に入れた。


 さらに三日が過ぎ、事件から六日が経った。

 この間に関係者の洗い出しが進み、数名の〈能力者〉が見つかった。彼らはさっそく四課で聴取が行われた。

 だが、いずれも被害者とはパーティやお店で知り合った女性たちで関係性は薄く、当然事件の関与を否定、事件当日に被害者の家を訪ねたことも否定した。アリバイも主張し、後日裏付けが立証されて、いずれも白だと確定した。有力な情報すら、なにも得られなかった。

 被害者の部屋を訪問した〈能力者〉、チャイムを鳴らした人物、この二人についても、未だその消息を掴めずにいた。これを受けて、四課としては、訪問した〈能力者〉を最重要参考人と位置付けるようになった。

 一課の捜査についても、容疑者A、Bを任意での取り調べが続くものの、逮捕には至っていない。逮捕するだけの証拠がなにも得られていないためだ。

 これは、まさに捜査が暗礁に乗り上げている状態だ。

 ユニスはというと――

「元気に玄関から帰ってきたガイシャが振り返ると死んでいた……この瞬間になにかが起きたはず――」

 こんな具合だ。思考の袋小路に捕まり、そこから一歩も前に進めない状態にいた。

「ユニスちゃん、考えるのもいいけど、少しは食べないと午後も仕事があるんだよ」パスタを食べていた雨宮が言った。

「そうそう、お昼ぐらいは頭をクールダウンさせないと」とナオミも続く。

 女子だけの昼食会。四課に配属されてからというものユニスは雨宮と一緒に昼食を取るようにしていた――というより誘われるままに付いていってるだけだが。雨宮は警視庁周辺の美味しい食事処を熟知していた。おかげで毎日美味しい昼食にありつけている。その分、少し値を張るが。

 今日はそこに、今回の事件でなにかと一緒に捜査するナオミも加わった。

「だめだ、全然わかんない」そう言って、ユニスはテーブルに突っ伏した。

「わからないときはわからないんだから、とにかく食べよ」

 雨宮はユニスが注文したオムライスをスプーンで掬い、彼女の口元まで運んだ。

 ユニスは渋々ながらそれを食べた。悔しいほどそれは美味しかった。美味しいけど、事件を解決したらもっと美味しんだろうなと思うと、すぐにまた頭の中は事件で埋まっていく。

「ユニスちゃんは、根っからの刑事だね」

「ユニスはどうして刑事になろうって思ったわけ?」とナオミが水を向けた。

「私の能力を最大限に発揮できる場所が、ここだと思ったからです。私って、〈能力者〉ですけど、なにかできるってわけじゃないんですよね。ただ相手の能力をなくすだけ。つまり、相手が〈能力者〉じゃなければ私の能力なんて価値がないんですよ。それがなんだか、すごく勿体ないなって思って」

「勿体ないか」

「折角の能力なんですから、使わないと損じゃないですか。それもできれば人のために使いたいじゃないですか、なら警察かなって。〈能力者〉の犯罪者には、私の能力が使えるんじゃなかって」

「それで刑事に」ナオミは感心するように頷いた。

「立派だね」雨宮も頷いた。

「雨宮さんはどうして刑事に?」

「私は刑事になろうだなんてこれっぽっちも思ったことないよ。たまたま。ITの仕事に就こうと思ったけど公務員のほうがいいかなって思って。警察がサイバーセキュリティに人員募集かけてからそれに応募しただけ」

「それだけですか」

「ちょっとがっかり?」

「いえ、そんなことは。そういえばナオミさんは、どうして四課に配属になったんですか?」

「私?」食後のコーヒーに口をつけた。「勝手に決まったのよ。もともと警視庁の生活安全部にいたんだけど、今度新設される〈能力者〉専属の犯罪部署があるから、明日からそこに行けって辞令が出たの。それだけ」

「それだけ、ですか。じゃあ、トバさんも」

「トバはね、あいつはこっち来る前は所轄署勤務だったわね。辞令で念願の警視庁勤務が言い渡されたのに、異動先が特殊犯罪対策係で、来た頃はずっと不貞腐れてたわね」

「あいつすっげー不貞腐れた」

 ナオミと雨宮はお互い顔を見て笑った。

「特殊犯罪?」

「四課の前身の名前」と雨宮が言った。

「四課に昇格したのは去年の話」とナオミが付け足した。

「そんなに日が浅いんですか、四課って」

「そうよ」

「どうして四課になったんです」

「もちろん、上のほうが本腰を入れたからでしょうね。いまでこそ〈能力者〉殺人事件は十件ほどしかないけど、今後増大することを鑑みて、対策として四課に昇格させたんでしょ。その始まりとして四課、続いてユニス、あなた」

「私ですか?」

「〈能力者〉であるユニスを入れることで、四課を名実一体にしたかったんでしょ」

「つまり、ユニスちゃんには四課の命運がかかってるわけ」

 雨宮の冗談交じりの言葉に、ユニスはうまく笑えなかった。急に重たいものを両肩に感じた。

「ということは」ユニスは、ふと聞いてみた。「諏訪さんも、たまたま四課に配属したんですか」

「ああ、彼ね」ナオミはコーヒーを飲んで、間を置いた。「彼だけは自分で望んでここに来たそうよ」

「自分から望んで」

「もともと捜査一課にいたのよ。それが、特殊犯罪対策係が新設されるって聞いて異動を頼んだらしいの」

「それって珍しいですよね」

「そりゃそうでしょ。花形の一課から、わざわざ日陰の四課に来るなんて」

「なにか理由でもあるんですか?」

「さあね。私もよくわからないわ、彼のことは。差し詰め、〈能力者〉の犯罪者を捕まえたかったんじゃないかしら」

「〈能力者〉……」

 そのとき、メガネの呼び出し音が鳴った。雨宮、ナオミ、ユニスの三人は素早くメガネをかけた。

「諏訪が興味深い情報を仕入れた」課長の声だった。

「なんですか?」ユニスが急き込んで聞いた。

「ガイシャが事件当日ケーキを買っていたことがわかった」

「ケーキですか?」

 ケーキ屋の情報がメガネに表示された。場所は被害者が働くレストラン近く洋菓子店だった。西洋の城をモチーフにした外観で、素敵だとユニスは思った。だが、残念なことにすでに店は廃業していた。それも事件当日だった。

「聴取の中でこの店で買った洋菓子を、ガイシャがよく女性にプレゼントしていたことが諏訪の調べでわかった。そこで彼がさきほどその洋菓子店を訪ねると、残念だが店のほうは潰れていた。そのためにこの話もすぐに報告されなかったようだが、とにかく諏訪が経営者を見つけてくれて事情を聞いてくれた。それで事件のあった日にガイシャがその洋菓子店を訪ねてケーキを買っていったことがわかった。時間は午後五時半」

「しかし、それが事件とどんな関係が」とナオミは聞いた。

「購入したケーキは誕生日用のホールケーキだったそうだ。一週間前に予約がされて、事件当日が受取日だった」

「ということは、ガイシャの関係者のだれかがその日、誕生日だったと」

「二人の容疑者は違いますね」ナオミが問いかける隣で、ユニスは容疑者二人の生年月日を調べていた。

「ついでいうと、ガイシャでもない」と課長が補足する。「関係者リストとも照合したが、該当するものはいなかった」

「とすると、まだ見ぬ第三者」ユニスはそう呟いてから、「課長、名前は?」と聞いた。

「名前?」とナオミ。

「誕生日ケーキといったらネームプレートじゃないですか」

「ああ、そうね」

「店では『ユカリ』と書いてくれと頼まれていたらしい」

(ユカリ……)

「雨宮くん」と課長が言った。「すぐに戻って来られるか」

「五分で戻ります」

 そう言ったときにはもう雨宮は伝票を持って立ち上がっていた。素早く会計を済ませると、勢いそのまま店をあとにした。

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