第3話
四階建てマンションの最上階である四階の、一番端の部屋が現場になる。
ユニスが現場に来るのはこれで二度目だ。最初は事件の一報が入った三日前の夜。家から現場に――今回も時間外労働(オーバータイムワーク)によるタクシー代の自腹に舌打ちしながら――駆けつけたときだ。現場を見回しつつ、一回目の捜査会議がそこで開かれた。
管理人に頼んで入った二度目の現場は、そんな最初の夜と変わりはなかった。変わったことといえば、現場を占めていた刑事たちがいなくなり、部屋の中が広く、寒々しいと感じるくらいか。
玄関を入ると長い廊下が待ち受け、それを進んだ先にリビングがある。そこに至るまでに、廊下の左右にいくつがドアがあり、リビングの一番手前のドアがトイレになる。そして雲ガラスがはめ込まれたドアを開ければ、ダイニングキッチンと一対となった広いリビングが待っている。
現場は事件発生直後のまま保存されている。ダイニングから運んだテーブルがリビングにそのまま残され、そこにパーティで使われた料理が並んでいた。もちろん料理はすでに処分されてはいるが、メガネを使えば拡張現実(AR)で簡単に再現できる。
「いい部屋に住んでいますよね」ユニスはメガネを掛け現場を改めて見渡しながら言った。
「お店の経営は順調だったらしいからね」
店の経営に問題はない。借金はなく、トラブルもいまのところ見つかっていない。被害者の生活は順風満帆だった。
「つまり、金銭トラブルの線は薄いと。となると、これが殺しだとするなら、やっぱり個人的なトラブル……怨恨でしょうね」
「そうね。もっと簡単に言えば、あの二人の容疑者のうちのどちらか、あるいは共犯ってことかしら」
それが一番スマートな考え方だ。ユニスもそう思う。
しかし、この部屋から反応が検知された説明にはならない――正確にいうなら、リビングと廊下、それとトイレから。
「ユニスはやっぱり、犯人は〈能力者〉だと思うの?」
「犯人、とまでは断定できませんけど、でも事件に関与したとは思っています」
「それはやっぱり、行方が掴めていないから」
「それもありますけど……」
「けど?」
「なにかこの事件、ずっと違和感のようなものがあるんですよね」
「違和感って?」
「それがわかれば、私も楽になれるんですけど」
この違和感はそう、容疑者の供述調書を読んでいたときに味わったものだった。
ユニスはテーブルのうえの料理に目を向けた。豪勢な料理の数々だ。酒も三本とも栓が抜かれてある。
「この料理は出前だったんですよね?」とユニスは聞いた。
冷蔵庫を開けて中を覗いていたナオミが、そうよ、と答えた。もっとも聞くまでもないことだった。すべて報告書で証明されている。
パーティで用意された料理はすべて出前品だった。一週間前に被害者自身が注文していた。領収書に、店の注文書までしっかり残されている。
「シェフなのに、自分では用意しないんですね」
「シェフだからって家でも料理を作るってわけでもないでしょ。むしろシェフだから敢えて家では料理しないって人もいるみたいだし。料理人としてのプライドっていうのかな、ただじゃ飯は作らないぞって。――ま、このガイシャの場合は、単純に面倒臭がり屋だったのかもしれないけど」
ナオミは流し台下の棚を開けて中を覗いている。ユニスは初日に確認しているので、その中がどうなっているのかわざわざ見なくてもわかっている。まな板があるだけだ。包丁はない。食器棚にも必要最低限の食器だけが置かれているだけだ。冷蔵庫にしても、チーズやソーセージ、ハム、ナッツなど、酒のツマミしか入っていない。贅沢な家に住んでいながら、生活はむしろ質素といえる状況から被害者はこの部屋を寝て起きるぐらいにしか活用していなかったのだろうとユニスは想像した。
生活感がまるでないのもそのせいに違いない。
なんといっても時計がないというのが異様だ。
「毒の入手経路、わかりましたか?」
被害者のそばにからっぽの瓶が残されていた。そこから毒物反応が検出されたことから、その中に入っていた毒が盛られたのだろう。しかし二人の容疑者はどちらもそんなもの知らないと否認している。
「まだよ」
ユニスはリビングから玄関のほうに目をやった。
「九時頃でしたっけ、ガイシャが亡くなる直前にチャイムが鳴ったっていうのは」
「ええ、そうよ」
「チャイムを鳴らした人物も、まだ特定されていない……」
最初の捜査会議でも、この訪問者に注目が及んだ。
この訪問者が犯人である〈能力者〉ではないかと推察されたのだ。玄関を開けた被害者に〈能力者〉が能力を使い――例えば、そう、操作能力などを使って被害者を操り、自ら毒を飲むように仕向けたのではないか。そう推察したのは、諏訪だった。
それを聞いたユニスは、初めこそ納得した。しかし、すぐに問題にぶつかった。
「反応が検知されたのはリビングと廊下、それとトイレだけです。玄関にはありません」
ユニスはそう指摘した。
諏訪は少し思案したのち、こう返した。
「容疑者二人がやって来る前に、ここにやってきた。そしてリビングまで案内され、能力を使った」
パーティは三人だけで行われていた。つまり、被害者に接触するとしたらパーティの始まる前しかないのだ。諏訪の推察は、一応理に適っているといえた。
でもそうなると、チャイムを鳴らした人物が宙に浮くことになる。ただそのときは、追々一課の捜査で明らかになるだろうということで、結局深く考えられることはなかった。
ユニスの推察に、諏訪の推察した〈能力者〉、加えて姿を消してパーティに潜入し、被害者に毒を盛ったのではという可能性が浮かび、最終的に課長の指揮のもと、手分けして議題に上った〈能力者〉の聞き込みに向かうことになったのだ。
捜査結果のほうは、すでに述べたとおりである。
追々わかるだろうと思われた訪問者についても、未だに不明のままだった。
「もし犯人が〈能力者〉だとした場合」とユニスは言った。「どうやってガイシャを瞬時に殺したのか、それがやっぱり、この事件の味噌になると思うんです」
「容疑者の供述が嘘でなければね」
「その可能性は、最初から除外してます」
「お人好しね。犯罪者なんて罪から逃れたくて嘘ばかりつくのに」
「そうかもしれませんけど。この件については、もし嘘を言うのならもっとわかりやすくいうと思うんです。それなのに容疑者Aの供述は、振り返ったら死んでいただなんて、ほとんど支離滅裂です。だから実際、容疑者Aが振り返ったらガイシャは死んでいた。となると、犯行は振り返ったその一瞬で起きたということになる――なるんですけど……」
そこからユニスはいくら頭を捏ねても、方法となる能力がまるで思いつかないのだ。
(人を瞬時に、毒でもって殺す方法……)
そのうえ、容疑者Aは、被害者が毒を飲んで苦しむ姿も目撃していないという。
(わからない……)
現場でもとくに新しい発見は得られず、ユニスは頭のリフレッシュにと、コートからペパーミントのガムを取り出し、口に放り込んだ。
「あら、なにそれ」ナオミが気づいて声をかけた。
「ただのガムです」
「いいな、私にもひとつ頂戴」
「あ、これは、その、医者からもらったもので」
「なにか病気?」
「いえ、定期検診です」
「ああ」ナオミは納得したようだった。
そのとき、鐘の音が聞こえた。
ユニスは振り返った。廊下に通じるドアのそばに、もうひとつリビングにはドアがある。そこは被害者の寝室へと通じる。鐘の音はそこから聞こえてきた。
鐘の音は一度響くとそれ以上はなにも起こらず、空気を震わせていた余韻も十秒ほどで霧散して、被害者の部屋はもとの静寂に帰った。
ふとユニスは自分の腕時計に目を落とした。十時。一時間ごとになる鐘の音――報告書にたしかそう書いてあったな、とユニスはぼんやりと思った。
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