第2話
「おはよう、ござい、まあす」
「――ユニスちゃん、今日も髪が寝癖ってるね。それにその顔。その顔でここまで来たの?」
「そうですけど、なにか」
欠伸をしながら職場に顔を出したユニスは、寝癖もさることながら、ひどくむくれた顔をしていた。それを見て雨宮は驚きを通り越して、呆れ顔をした。
いいわね若さって、ナオミが呟くそばで、トバが小さく笑った。
ユニスは雨宮の反応も、ナオミの皮肉もよく理解できなかったが、聞き返すのが億劫だったのでなにも言わずに自分のデスクに腰を下ろした。
向かいの席には諏訪が坐っている。朝からメガネでなにやら捜査資料を読んでいるようだった。
「雨宮さん、なにか新しい情報は入りました?」
「なにかあったらすぐに届くでしょ」
そう言って雨宮が自分がかけているメガネをつついたので、ユニスもポケットからメガネを取り出してかけたが、今朝見た情報と代わり映えはなかった。
「昨日は徹夜?」ナオミが聞いた。
「ええ、まあ。でもなにもわからなくて」
「そう簡単にはわからないよね」と雨宮はパソコンになにやら打ち込みながら言った。「ま、今日あたりで、なにか面白いことがわかるんじゃないかな」
それが合図だったかのように、捜査四課のドアが開いた。
課長の険しい表情に、ユニスは胸が弾んだ。
「課長、なにかわかりましたか?」
「――いや、残念だが、なにも」
ユニスは肩を落とした。
「この事件、おれたちが捜査する必要ありますか? 事件に〈能力者〉が関与している証拠が未だにないんですよ」とトバが投げやりな声で言った。
「しかし反応があった」諏訪が言った。「それに、容疑者の供述を信用するなら、男が突然遺体に変わったという点も気になる」
「真に受ければ、の話ですけど」
事件が起きたのは三日前の夜。救急隊の通報によって駆けつけた警察により捜査が始まった。検屍の段階でガイシャに毒物を摂取した痕跡が見つかり、解剖に回されると実際に毒物反応が検出された。被害者が飲んでいたシャンパンから同じ成分の毒が検出されたことを受け、捜査一課は自殺、他殺の両面から捜査を開始した。
その一方で、被害者の自宅を調べていた鑑識から反応が検知されたとの報告を受けて、四課もその捜査に加わったのだった。
しかし、反応が検知されたというだけで、〈能力者〉が事件に関与したという証拠はなにもなかった。現場に不審な点は見られず、ガイシャの殺され方にも特殊性は見当たらなかった。
あるとすれば、容疑者Aの供述だけだった。
しかし、それとて容疑者Aが罪から逃れるために言った虚偽かもしれないのだ。一課のほうではまさにその方針で捜査を進めている。
だが、現場から反応が検知されたこともまた紛れもない事実である。すなわち〈能力者〉が現場を訪ねたということだ。
そこで四課は訪問した〈能力者〉の捜索については一課に一任する一方で、独自に捜査を始めることにした。つまり、〈能力者〉が事件に関与したという前提のもと、さらに容疑者Aの供述に則り、それを可能せしめる〈能力者〉の割り出しを進めることだった。
突然被害者を殺す、あるいは遺体にすり替える等々、捜査会議で可能性について議論された。そこでユニスはひとつの推察を披露した。
「意識を停止させる能力者ならどうでしょうか?」人間の意識を停止させる能力者は、数名確認されている。「その能力を駆使すれば、簡単にガイシャのシャンパンに毒を盛ることはできますし、二人の容疑者の意識を停止させれば、気づいたらガイシャが死んでいた、というような状況も不思議ではありません」
課長もユニスのこの推察に満足そうに頷いた。議論は続いたが、やがて、ユニスはナオミとともに意識を停止させる〈能力者〉の聞き込みに回り、トバ、諏訪は、べつの可能性のある〈能力者〉――精神操作、洗脳、変化などの〈能力者〉の聞き込みに回った。
それがこの二日間の捜査になる。
その結果、進展ゼロ。
(悪くない推察だと思ったんだけどな)
ユニスは自分の推察に密かに自信を覗かせていた。それだけにアリバイの裏付けが立証されて、がっくり肩を落とした。それでもめげずに昨日から徹夜で模索し続けたが、なにも思い浮かばず、おかげで今日は朝から眠い。
こうなると、捜査のアプローチは可能性の有無から、関係者の洗い出しに向かわざるを得ない。被害者の関係者から〈能力者〉を見つけて、その〈能力者〉が事件に関与しているかどうか、まさに虱潰しの捜査となる。
しかし、課長からの報告は、ユニスを落胆させるものだった。
「関係者の洗い出しは順調に進んでいる。だが〈能力者〉はまだ見つかっていない」
加えて――
「部屋を訪ねた〈能力者〉についても、未だに掴めていない」
「まだわからないんですか!」ユニスは思わず叫んだ。
「そんな大声出すな」トバが眉間に皺を寄せた。
「でも、これって変じゃないですか」
「なにがだ?」
「だって、事件のことはすでにニュースで流れていますよね。だから事件のことを知らないってことはないと思うんです。知り合いだったら事件の日にガイシャと会ったのなら、そのことを警察に連絡すると思うんです。でも未だにわからいってことは、自分が被害者の部屋を訪ねたと名乗り出ていないということで、つまり――」
「事件の日にガイシャと会ったにもかかわらず、それを警察に報せない。報せたくないから。なぜなら、犯人だから。そう言いたいのか?」
諏訪の言葉に、ユニスは頷いた。
「でも、そう決めつけるのは時期尚早じゃないかしら」とナオミが言った。「ニュースで流れてはいるけれども、必ずしも見ているとはかぎらないでしょ。それに、見て事件のことを知ってても、厄介事に巻き込まれるのを嫌って警察に連絡しないって人も結構いるわよ」
「それもありますけど……」
「ユニスくんの意見は我々としても十分考慮している」と課長は言った。「一課も訪問した〈能力者〉について全力で調べを進めている」
「報告は以上ですか?」とトバが聞いた。
「いや、もうひとつある。ガイシャの素性がわかってきた。ずいぶんな食わせ者のようだ」
四課の面々は一斉にメガネをかけた。羨ましいね、少しくらいわけてもらいたいくらいだ、報告書に目を通したトバがそう皮肉を口にしたとおり(本音かも?)、被害者の関係者を洗うと、出るわ出るわ、携帯には何百人と女性の番号が登録されているほか、仕事が終われば毎晩そうした店に出かけては遊んでいたことがわかった。
「自分のレストランをパーティ会場として貸し出し、交友関係を広げては、そこでも女性らと関係を築いていったそうだ」
「経営者としては遣り手ね」とナオミは言った。「ただ目的が女じゃ話にならないけど」
「そういう人には見えなかったけどな」とユニスは言った。
被害者の顔を初めに見たとき、爽やかな青年実業家だなとユニスは思ったものだ。
ユニスの言葉を耳にしたナオミは、すかさず
「男は、見かけによらないものよ」
と言った。さらに
「悪い男に引っかかっちゃだめだよ、ユニスちゃん。男なんてみんなあのことしか考えてない獣なんだから」
と雨宮も続けて忠告してきた。
「あのこと、獣ですか……」
「しかし、これでますます薄気味悪くなるな」とトバが言った。
「なにがですか」とユニスは聞いた。
「なにがって、こんだけ女好きのくせして、毎月野郎三人集まってパーティを開いてるんだろ、こいつら。男のおれとしたら、ただでさえ野郎だけのパーティなんて信じられねえのに」
パーティについては、ユニスもなんとなく違和感はあった。容疑者たちの供述では、毎月三人で示し合わせてパーティを開くのが慣わしになっているのだという。大学時代から始めたことで、月に一度になったのは大学を卒業してからだという。特別な記念日にしかパーティなど開かないものだと勝手に思っていたユニスとしても、彼らの習慣に違和感を覚えたのだ。しかし世の中にはそういった人たちもいるということで、ユニスは納得したが、トバは、いまだに違和感を抱えているようだった。
「しかもあいつら、べつに昔からの友人ってわけじゃないんだろ」
「大学からの友人だったわね」ナオミが言った。「サークルが同じで仲を深めたと」
「そのサークルも、実態は遊びサークルだったんでしょ。このガイシャ、その頃から女と遊んでばっかいたに違いない。そんなやつが男たちとパーティだなんて……」
「そして、その二人にはガイシャを殺す動機がある」諏訪が言った。
容疑者Aには被害者に多額の借金、容疑者Bには過去に女性問題でトラブル――一課からすでに報告が挙げられている。
「その三人が、仲良くパーティだなんて」
「しかし、だれが、だれとパーティを開こうが、そんなことおれたちにはどうでもいいことだ」と諏訪は言った。「おれたちに求められているのは、事件に〈能力者〉が関与しているかどうか調べ、関与しているとあれば逮捕する、それだけだ。お前の心象はどうでもいい」
「まあ、そうですけど」諏訪にぴしゃりと水をかけられたように言われて、トバは向けていた矛をしまうように大人しくなった。「でも、いまのところこれといった情報はなにもないじゃないですか。怪しいというだけで、関与した証拠すらない」
――そう、この事件は、現場に反応があったが、それ以外には〈能力者〉が事件に関与したという証拠はなにもないのだ。それが四課を悩ます種だった。
「三人の関係についても一課のほうで直にはっきりすることだろう」と課長がまとめに入った。「その過程で〈能力者〉の関係者も現れるはずだ」
「では、我々の捜査は?」と諏訪が問いかけた。
「新たな情報が入るまで、待機だ」
捜査四課の空気が弛緩した。そこに、水を差すように、ユニスが挙手した。
「なんだねユニスくん」
「現場のほうに、もう一度行っても構いませんか?」
「もちろん構わないが」
ユニスはただじっと待機するのは、却って億劫だったのだ。現場百遍、使い古された言葉だが、警察学校で習ったその教訓は彼女を興奮させた。
「ナオミくん、きみも同行してくれ」
「え、私一人で間に合いますよ」
「刑事をひとりで捜査させるわけにはいかないんだ」
「じゃあ、よろしくね、ユニス」
ナオミはコートを羽織りながら、ユニスに微笑みかけた。
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