第7話
「犯人がわかった?」
通話先で、ナオミが叫んだ。
「まだはっきりそう決まったわけじゃないんですけど」とユニスは言った。「でも可能性はあります」
ユニスのその言葉に、課長が割って入った。通話回線を個人からグループに切り替え、いま捜査四課の刑事全員と通話が繋がっている。
「で、犯人の目星は? いったいだれなんだ?」
「はい、それは、ええっと――」
「なんだよ、勿体ぶるなよ、早く言えって」トバの苛立った声が飛び込んだ。
「その前に、その人に行き当たった理由から説明してもいいですか?」
「どうぞ」ナオミの優しい声が聞こえた。
「では――私、ずっと現場の密室が気になっていました。すでに報告を受けて読んでいると思いますが、変化能力者のアリバイは成立したことで、あの部屋が密室だったことは確定されました」
「合鍵を使えばなにも問題はないだろ」とトバ。
「あの部屋の鍵はコード付きでした。ですからもし複製されていれば必ずデータが残るはずです。でもデータに複製された記録はありませんでした」
「データって、おいまさか――」課長の狼狽する声が聞こえた。「雨宮くん、きみが手を貸したのか」
雨宮の小さな笑い声が聞こえた。
「だとしても」とトバは引かない。「それは正規に複製されていないというだけだろ。違法でも個人でも方法はある」
「そのとおり。方法ならある。でも、そんなことまでした結果、この事件でいったい犯人はどんな利益を得たんでしょうか? 密室にしたからなんだっていうんです。まるで意味のない密室です」
「それはあくまで、あなたの考えの中でのことでしょ」とナオミが指摘する。「犯人には犯人なりの意味が、理屈が合ったのかもしれない。それを私たちが考えるのは難しいことよ」
「それもまた、そのとおりです。私たちの範疇から外れた犯人の理屈を考えるのは難しい。――ですから、逆に考えてみたんです」
「逆?」とナオミ。
「私たちの範疇で考えられるかぎりの理屈をまず見つけ出そうと。途方もない可能性を模索するより、とりあえず私たちの常識の範疇で模索してみたらどうか」
「それは一見合理的に思えて、実は客観性を失った偏見よ。捜査の判断を見誤る典型」
「わかってます。でも敢えて――」
ナオミのため息が聞こえた。
「いいわ。それじゃあ聞かせてもらおうかしら、あなたがどんな理屈を見出したのか」
「はい。実はあの密室は、犯人にとっても想定外だったんではないか、ということです」
「想定外だと?」課長が言った。
「はい。犯人はそもそも密室にするつもりなんて最初からなかったんではないでしょうか」
「あの密室は偶然だっていうのか」トバが噛み付いた。「馬鹿馬鹿しい」
「もしかしてガイシャが鍵をかけた?」ナオミが言った。「いや、あの状況からしてガイシャが鍵をかけるなんて無理ね。とすると隣人か管理人? 彼らのどちらかが共犯者だった? でもどうして?」
「どちらかが共犯者だという可能性は否定できません。しかし、それだとしても、私には密室を作り出した意味はわかりません。私の範疇ではない。というわけで、その考えを推し進めるのはやめました」
「だとしたら、ほかになにが考えられるの」
「ひとつあります。犯人にとっては、部屋が密室かどうかなんて関係なかったのではないか、ということです」
「どういうこと?」
「つまり、鍵がかかっていようといまいと、犯人にとってはどうでもよかったということです」
「どうでもよかったって」ナオミの戸惑いながら言った。
「要するにですね、この犯人は、鍵がかかったまま部屋に入り、鍵がかかったまま部屋を出ていったんです。そしてこの犯人は、ガイシャから心臓だけを抜き取ることができる〈能力者〉」
「そんなことできるやつがいるわけ……いるのか」否定しようと声高になったトバの声は、すぐさま冷静になり、最後は考え詰めるように小さくなった。
「わからないわ」ナオミが降参するように言った。「いったいだれなの、そんなことできる〈能力者〉は。早く教えて」
「ひとつだけあるじゃないですか。転移能力です」
あ!
ユニスの耳に同僚と上司の意表を突かれたという声が一斉に飛び込んできた。ユニスは続けた。
「転移能力であれば、鍵のかかった部屋でも自由に行き来することができますし、身体から心臓だけを転移させることも可能です。そして、雨宮さんに頼んで検索してもらったリストから、今回の事件を起こすだけの動機のある該当者がひとり見つけました」
「それはだれだね?」と課長が聞いた。
それぞれの目の前に〈能力者〉のリストが表示された。それは最初の捜査会議で見たリストと同じだった。ただし、今回ピックアップされたのは、べつの名前だった。
須藤りお 透視 C+/26歳 F
村上両 空間転移 A-/38歳 M
浅場和人 念力 B-/56歳 M
井上慶次郎 物質破壊 B+/42歳 M
真木サリア 念写 C-/17歳 F
▶村上両 空間転移 A-/38歳 M
「彼は嘗て所沢聖人という名の芸名で俳優をしていました。五年前にガイシャが書いた違法ドラッグ記事によって芸能界を引退させられています。近況を調べてみますと、二年前に奥さんと別れ、現在は一人暮らし、借金があり、年金の支払いもここ一年滞っていることから、生活にはだいぶ困窮していると思われます。このような現状に陥れたガイシャに恨みを持ち犯行に及んだ。動機としては充分ではないでしょうか?」
「でもこの転移能力が、必ずしも心臓だけをピンポイントに転移させられるとはかぎらないだろ」とトバが抵抗を見せた。
「だからいまその男のもとに向かってるんだ」とハンドルを切りながら諏訪が言った。「課長、任意で引っぱります」
「――頼む」
課長の許可を得たことで、諏訪の車は俄然その速度を上げた。
雨が降ってきた。
ユニスは容疑者の家に近づくとともに、動悸が速くなっていった。
車を降り、細い路地を進んだ先にあるアパートに着いたときには、雨は本降りになっていた。諏訪もユニスもずぶ濡れになりながらも、それを気にする素振りも見せず四階建ての古い建物に突入した。最上階の、一番奥の部屋を目指した。
電球も枯れ、突き当りの窓から差し込むわずかな明かりだけが頼りの暗い廊下を進み、やがて部屋に着いた。この階層のどこのドアも傷んでいるが、この部屋のドアはとくに傷みが激しかった。
諏訪がチャイムを押した。返事はなかった。ノブを握って引くが、傷んでいるわりに、しっかり鍵がかかってユニスたちの侵入を拒んだ。
「留守みたいですね」
ユニスがそう言った直後だった。諏訪がおもむろにドアを蹴り出した。
「ちょっとなにやってるんですか、諏訪さん。違法ですよそんな。器物破損になりますって」
「ここに犯人がいるのはわかってるんだ」諏訪は蹴破るのをやめると、ドンドンとドアを激しく叩き、名前を叫んだ。「村上、いるのはわかってるんだ。出てこい! 村上両!」
「諏訪さんってば。まだ犯人とは決まったわけじゃないんですよ、そんな乱暴なことはやめてください」
ユニスは諏訪の身体を抑えてやめさせようとした。
すると、諏訪はあっさりと身を引いた。だが素直になったわけではなかった。
コートの中のスーツの内ポケットから拳銃を取り出した。
銃口をドアのノブに向けた。
「諏訪さんなにしてるんですか!」
ユニスはドアの前に立ちはだかった。
「どけ、鍵をふっ飛ばす」
「そんな馬鹿なことするなんて」
「相手は殺人者だ。放って置くわけにはいかない」
「まだそうと決まったわけじゃないですよ。それに、仮にそうだとしても人権問題になりますよ、こんな違法捜査」
「〈能力者〉の殺人者に人権もクソもあるか。どけ!」
「だめです。絶対ダメです。そんなこと。〈能力者〉の殺人者だとしても人権はあります。だからこそ私たち刑事があるんじゃないんですか」
「若い考えだな」
二人は睨み合った。
先に折れたのは、諏訪だった。彼は拳銃を内ポケットにしまった。ユニスはほっと肩の力を抜いた。
「昔、諏訪さんになにがあったのか私は知りません。どうして〈能力者〉を毛嫌いするのかもわかりません。しかし、どのような理由があるにせよ、仕事に私情を持ち込んで来るのはやめてください。刑事という立場であるのなら、感情に左右されず、定められた法を厳守しなければなりません。そうでなければ、諏訪さんこそ秩序を壊す脅威となります」
「新人の分際で」諏訪は捨て台詞のように言った。
「新人にこんなこと言わせないでください」
ユニスはそう言うと、大きく息を吐いて、昂ぶる気持ちを鎮めた。
「おれの部屋の前でなにをしている」
その声に、二人は同時に振り返った。
廊下の奥に人が立っていた。薄暗いがたしかに見える。(おれの部屋の前?)ユニスがその男の言葉を思い出したのと、諏訪が内ポケットから取り出した拳銃を男に向けたのは同時だった。
「警察だ、動くな。村上両だな。西荻俊平を知っているな」
「西荻? 安東守か」とその男は言った。
ユニスは目を凝らして男の顔を見ようと努めるが、よく見えない。
「知っているんだな。知っているんだったら話を聞かせてもらおうか」
――男の姿が消えた。
見間違いか、暗闇に紛れたか、ユニスは男が立っていた場所を隈なく探した。しかし、男はいなかった。忽然と姿を消したのだ。(転移!)
「くそっ!」
諏訪が叫んで走り出した背中をしばらく目で追いかけてから、ユニスも慌てて走り出した。
各階の廊下を見渡しながら階段を下り、やがて建物の外に出た。土砂降りの雨が滝のようだった。
路地を走る諏訪のあとに続こうとしたユニスは、思い直してべつの路地に駆け込んだ。
あたりを見回すが、顔が雨にあたって痛い。思わず目を伏せた。
ユニスが背中に気配を感じたのは、そのときだった。
振り返るとそこには、体格のいいコートを羽織った男が立っていた。
「村上、両――」
ユニスがそう口走ったとき、男の右手が彼女の首を掴み、指が喉を締め上げた。
(声が出ない)ユニスは助けを呼ぼうとするも、口からなにも出せなかった。(殺されるの私?)遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。しかしこの男の指先に怯む予兆はなかった。
「動くな!」
ユニスの背中から声がした。途端に、彼女を苦しめていた指から力が抜けた。彼女は噎せて、その場にへたり込んだ――と、その直前で、再び彼女は首を絞め上げられた。今度は太い腕だった。
「来るな。来るとこの女の脳味噌を抜き出すぞ」
ユニスは村上の腕に首を抱かれて、目の前で銃口を向ける諏訪の盾にさせられていた。その村上は右手で彼女の頭を鷲掴みにしている。
「よせ、村上」諏訪は銃口を向けたまま、歩み寄ろうとした。
「近づくなと言ってるんだ。おれは本気だぞ。その銃を捨てろ、いますぐ捨てろ!」
しかし諏訪は銃を捨てようとしなかった。
「おれは本気だ!」
「…………」
「そうか。だったら思い知らせたやる!」
村上がそう叫ぶと、ユニスの頭を掴む手に力を入れた。村上の顔が笑みで蕩けた。
ところが、その顔は、すぐさま戸惑いに変わった。
「なぜだ? どうして? どうして転移しない?」
「残念だけど、私に能力は通用しないのよ!」
ユニスがそう啖呵を切ると同時だった。村上の巨体が一瞬宙を舞った。村上はなにが自分に起きたのかわからなかっただろう。
理解が追いついたのは、地面に叩きつけられ、額に銃口を押し付けられたときだった。華麗な一本背負いを食らわされたのだった。
「これでも刑事なんだからね」ユニスは村上の襟と腕を掴んだまま言った。「それと、私に触れているあいだ能力は効かないから。私はそういう〈能力者〉なの。よろしく」
真帆ユニス 17歳 F
階級・警部補
特別捜査四課所属(〈能力者〉専属機関)
能力・無効化 S+
〈能力者〉の能力を無効化させる。その力にいまのところ制限はなく、現在の調査においてすべての〈能力者〉の能力に有効。過去に類を見ない特異能力者。現状この能力の持ち主は彼女ひとりだけである。
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