第5話
「心臓がなくなっていたんです、一切の外傷も残さずに」
芳賀の手術は十二時に終わった。ちょうどお昼時とあって食堂で食事を取りながらの聴取となった。諏訪はAランチ、ユニスはBランチ、そして芳賀は愛妻弁当。
被害者の状況を聞くと、さすがに芳賀も食事の手を止めて、驚いた様子だった。しかし、まもなく食事を再開すると、口元には笑みを浮かべていた。
「それで私のところに、なるほど。私もね、西荻さんのカルテを呼び出しまして少しでも被害者の方のことを思い出そうとしましたよ。それでわかったのは、やはり最近の面識はありませんでした」
「手術以来、一度も?」
「ええ、幸いなことに一度も」
「先生は傷を残さない手術を行うそうですね」諏訪は聞いた。
「それが私の能力ですので。些細な傷であれば復元することができます」
「些細なというと?」
「メスで開いた傷口程度ってところでしょうか。そのおかげで縫合のほうは完璧です。失敗がないですからね。ただし完全に切り離されたものを繋ぎ止めることはできないんですよ」
「というと、切断された指などはくっつけられないと?」
「ええ、そうなんです。ある意味不便な能力でしょ。バイパス手術でよく脚の静脈を使うんですけどね、完全に切り離して使いますから、結合の際には能力は使えないんです。そこは私の腕が求められる」
芳賀が少し悲しそうな目をするのを、ユニスは見た。
「能力のことばかりが注目されますけど、私にとって能力なんて所詮副産物、おまけみたいなものなんです。しかし世間では能力のことばかりが話題となる。まるでそれが私のすべてのように……。もちろん能力のおかげで助かっている部分はあります。しかしそれがなくとも、私は十分な技術を持っているんです。能力が私のすべてじゃない」
芳賀がユニスの指先を見た。
「私の能力なんて、せいぜいこのような傷を消すくらいしかできない程度なんです」
そう言って、ユニスの人差し指の古傷に触れた。芳賀の指先は柔らかく、ぬくもりがあって、彼女は思わずどきりとした。
芳賀は何度か擦った。ところが、ユニスの古傷は消えなかった。
「おかしい、なぜだ?」芳賀の声が狼狽した。
ユニスはさっと芳賀の手から逃れ、膝の上に置いた。
「これは――私の能力なんです。芳賀さんのせいではありません」
「あなたの能力? そうか、なるほど。一瞬自分から能力がなくなったと思ったよ。まあ、それならそれで構わないんですけどね」
「芳賀さん」とユニスは言った。「芳賀さんはご謙遜されていますけども、芳賀さんの能力は立派だと思います。そのうえで、その能力を最大限に発揮することができる職業にも就かれ、芳賀さん自身も立派な方だと思います。ですから、そんなご謙遜することはないと思いますし、それに――せっかくの能力なんです、存分に利用すればいいじゃありませんか。能力に使われるんじゃなく、こっちから積極的に能力を利用してやればいいんです。能力というのは、たんなる個性なんですから」
「……個性? 面白いこというね」芳賀は笑った。「でも、そんな考え方をしたことはなかった。個性か。あなたは自身の能力を個性だと?」
「はい。そしてそれを最大限に発揮できる職場として、刑事になりました」
「面白い子だ。ちなみにあなたの能力は?」
「えっと、それは……」ユニスは言葉に詰まった。
芳賀は察したようだった。「守秘義務ですか?」
「ええ、まあ」
「刑事が最大の発揮場所というからには、犯人を捕まえるのに打って付けの能力なんでしょうね。人の心を読み取れるとか」
「まあ――」
二人は微笑んだ。
「失礼ですが、昨夜の十二時前後、どこにおられましたか?」二人の談笑に、水を差すように諏訪が割って入った。
芳賀の顔つきが、彼に向かうと口元から笑みを消した。でもその顔は柔和だった。
「昨夜は十二時まで食事を取っていましたよ、友人と。もちろんお酒は一滴も飲んでません。十二時に食事を終えて、三十分後には家に帰りました。お店の名前、お教えしましょうか?」
「是非」
芳賀は中華料理屋の名前を言った。それから彼は、挑発的に付け加えるように言った。
「ひとつ言っておきますがね、刑事さん。私の能力はあくまでも復元して傷を消すだけだ。痛みを与えずに胸を切り開くようなことはできない。被害者からは心臓がなくなっていたそうですが、外傷はたしかに私の能力でなんとでもなるでしょう。しかし心臓を取り出すとなると、私はただの人間だ。被害者の方に痛みを与えずにそんなことをするには麻酔が不可欠です。遺体から麻酔が投与された痕跡は見つかっていますか? 仮にあったとしても、心臓を取り出すとなると当然大量出血となる。現場は血の海でしたか?」
芳賀は弁当箱を包み、お茶を飲み干して、立ち上がった。
「とにかく私にはアリバイがある。ですからその事件にはなんのかかわりもありません。午後にも手術が控えてありますので失礼させていただきます、では」
諏訪には厳しいまなざしを、ユニスには小さな笑みを口元に浮かべてから、芳賀は立ち去った。
「芳賀さんの言うとおりですよ、遺体に麻酔が注入された痕跡は見つかっていません。もし麻酔無しで胸を開けばそれだけで死んでしまいますし、悲鳴も凄かったはず。しかし隣人の証言にはそうした話はありません。現場だって、一滴の血痕も発見できなかったそうじゃないですか。芳賀さんはシロですね」
病院をあとにしながら、ユニスは言った。前を歩く諏訪はなにも答えない。
芳賀とのやり取りで機嫌を損ねているのかと思いきや、そうでもなさそうで、
「芳賀がシロだと結論付けるのは、裏付けが済んでからだ」
これまでと変わりない、平然とした声での返答だった。
(たしかに、そうだな)とユニスも反省した。早まった判断は、却って事実を狭めて、死角を生む。警察学校で習ったことだ。
「課長、芳賀の裏付けをお願いします」諏訪は駐車場に停めてある車にすべりこみながら、芳賀が食事を取ったという中華料理屋を課長に報告した。
とはいえだ、芳賀の言うことは至極真っ当であり、そもそも――
「芳賀さんが犯人だったら、どうしてそんな七面倒臭いやり方で殺さなければならなかったんでしょうか? 理屈に全然合いませんよ。仮に……仮にですよ、芳賀さんに共犯がいて、その相手の能力で麻酔を使わなくとも痛みを与えないようにできたとして、だからといってそんな方法を取る理屈はないですよね」
「理屈で事件を考えるな」と諏訪は言った。「理屈なんてものは犯罪の前では常識で物事を計るくらいに無意味なことだ。あの芳賀という男は、心臓を収集することが性癖の異常者かもしれない」
「そんな――」
「違うといえるか?」
言えない――その可能性を否定する根拠を、ユニスはなにも持ち合わせていない。
「理屈なんてどうでもいい。そんなこと考えるだけ無駄だ。ときには動機すら無意味だ」
「では私たちはなにを基準に捜査をすればいいのですか?」
「ただそこにある事実だけを見ればいい。そこにすべての答えがある」
「そこにある事実だけ……」
「それからもうひとつ」諏訪は車のエンジンをかけ、ハンドルを握ったところで、ふと思い出したように言った。「お前さっき、能力は個性だと言ったな」
「ええ、言いました」
「能力は個性なんかじゃない。脅威だ。それを忘れるな」
そして諏訪は無言のまま車を発進させた。
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