第4話

 芳賀誠の住居には諏訪の車ですぐに到着した。芳賀誠、既婚、家族は妻と昨年生まれた一人娘の三人暮らし。その名声を裏付けるような広い一軒家を構えていた。到着はしたもののそこから車内での待機となったのは、夜中ということもあり、芳賀が家から出てくるのを待つことにしたからだ。

 その間の車内は重い沈黙に支配されていた。諏訪が固く口を閉ざしていたためだ。

 ユニスは事件の報告書を読み返しながら、何度かなにげなくを装って意見を述べて会話の緒を見繕ってみたのだが、暖簾に腕押し、彼はまったく誘いに乗ってこなかった。

 こうなると仕方ない、ユニスも諦めて黙り込むことにした。そしてそのまま三時間、彼女は息の詰まる時間を過ごした。

 午前七時、家から芳賀誠が出てきた。その顔は資料にあった顔写真と一緒だった。

 玄関から駐車場のシャッターを開けようとしたところで二人は近寄った。まず声をかけたのは諏訪だった――彼女にとって三時間ぶりに聞く声でもある。(ああ、そういえばこんな声だったな)

「芳賀誠さんですね」

 振り返った芳賀は二人の男女に警戒心を見せた。諏訪とユニスは同時に警察手帳を開示したが、芳賀の反応は、むしろそれで余計に眉間に走る皺を増した。

「令状はあるんですか」と芳賀は言った。

「いえ、ただ少しお話を聞きたいだけで参りました。捜査にご協力願いますか」

「今日は朝から手術が控えているんだ。あとにしてくれ」

「西荻俊平さんという方をご存知ですか?」

 諏訪は気後れすることなく、芳賀に被害者の写真を見せた。

 芳賀は手の中のリモコンで駐車場のシャッターを開けた。ピッピッと警報音を鳴らしながらシャッターが開いていく中で、ちらりと被害者の写真を一瞥する。「知らないね」一蹴した。シャッターが開くと、中にはユニスも初めて見るいかにも値の張るスポーツカーがお出ましした。

「芳賀さんが以前執刀なされた患者さんですよ」

 諏訪がそう言うと、芳賀はぎくりと顔を歪ませた。だがすぐに、「私は年に何百人と手術を行っている。患者の顔をすべて覚えているわけがないだろ」

 と言い放った。

「ええ、それはわかります。最近お会いしたことはありませんか?」

「悪いがないね」

「本当ですか? じっくり写真を見てください」

 諏訪が写真を持って迫ると、かつての患者だとわかったからか、芳賀は嫌々ながらも写真を手に取りじっくりと見分した。

「やはり見てないね」

「そうですか」

「彼がどうかなされたのですか?」芳賀は写真を返しながら聞いた。

 ユニスが言った。「今日の夜中、遺体となって発見されました」

 それまでまったく眼中になかったユニスが答えて、芳賀は少し面食らったような顔をしたが、ふいにしばらく固まったように彼女の顔を見つめた。「あなた、〈能力者〉じゃないか?」と言った。

「ええ、そうですけど。どうしてわかったんです?」

「なんとなくだよ。〈能力者〉同士仲良くしようじゃないか」

 彼の優しい声に、ユニスは仲間意識を感じた。同類、この人も苦労してきたのではと思った。

 しかし、すぐさまそうした馴れ合いの気持ちを振り払った。

「私もそうしたい思いは山々です。そのためにも捜査にご協力願います」

 芳賀は口元に笑みを浮かべた。

「いいだろう。同じ〈能力者〉の誼として協力しよう。ただこのあと手術を控えてあるのは本当だ。話はそのあとになるが」

「構いません」

 芳賀はスポーツカーに乗り込み、滑るような動きで車を発進させた。

 それに遅れまいとユニスは諏訪の車の助手席に滑り込んだ。諏訪はエンジンをかけ、シフトレバーを握ったが、なかなかドライブに動かさなかった。その顔には不服の色があった。ユニスはそれに気づきながらも、あえてなにも言わなかった。


 手術が終わるまでのあいだフロントロビーのソファでユニスと諏訪は待機となった。手術時間は長時間に及ぶらしく、長い待機となりそうだった。その間、ユニスはただぼんやりと、人差し指に残る古傷をいじっていたわけではない。続々と入って来る捜査報告書すべてに目を通していた。

 一課と所轄で進められている地取りに敷鑑、自宅捜索からは依然として目新しい情報はなかった。ただ、仕事部屋から運び出されたパソコンから書きかけの文章が見つかった。雑誌社より、特集記事として載せていたある殺人事件の記事を本にするため、書き進めていた原稿だと確認が取れた。それが今回の殺人と関係しているかどうか、一課のほうで調べが進められているという。

 被害者についていうと、ユニスも独自に、沈黙の時間のあいだに調べを進めていた。そこでわかったのは、被害者は芸能記者として長く雑誌に記事を書いていたが、五年前、とある芸能人の違法ドラッグに関する特集記事を書いてから、社会派に転向したらしい。

 その記事というのは、当時人気絶頂だった所沢聖人という俳優が違法ドラッグの使用をする、まさにその現場を写した写真付きのセンセーショナルな記事だった。所沢聖人はその記事により芸能界を引退した。

 ナオミ、トバの捜査はというと、二人のほうは順調で、すでに三人から証言を聞き、裏付けのほうを課長から一課に要請しているという。

 所轄に回した変化能力者については、まだなにも報告は挙がっていなかった。しかし〈能力者〉はすでに雨宮によってまとめられ、その数はわずかに四人だけだった。変化能力者だけなら『覚醒都市』に一万人ほどいる。でもその多くが、身体の一部を変えるだけで、体を小さくさせるなどの、極端な〈能力者〉はそれだけしかいないのだ。これなら早ければ午後にも調査報告書が挙げられてくるだろう。

 こうした報告に目を通したユニスはそのあとに、未だに違和感を拭えない密室の件について、考えを巡らした。

 正確には密室ではないのだが、仮に体を小さくして部屋に侵入したとしても、犯人はどうしてまた部屋に鍵をかけ、体を小さくして逃げなければならなかったのか。ユニスにはそれがどうにも腑に落ちなかった。

 とりあえず、ユニスは都内の鍵業者に被害者の家の鍵の複製を請け負っていないかどうか、課長に調べてほしいと頼んだ。被害者のアパートの鍵は、幸いにもコード付きだったのだ。

 いわゆるコードキーと呼ばれるそれは、複製する際には業者はコードを控えておく義務がある。つまり被害者のアパートの鍵を複製したかどうかは、容易に調べられるわけだ。

 もちろん、違法業者や個人で複製となればわからないが、一応調べておくだけの価値はあるとユニスは思った。

 課長からの返答は、しかし淡白なものだった。「他の捜査が優先されるため、時間がかかる」

「そこをなんとか」とはさすがに言いづらかった。そこでユニスは、都内の鍵屋に片っ端に電話をかけて確認を取ったのだった。

「もしもし、警察のものですがそちらに×××コードの鍵を複製してほしいという依頼はなかったでしょうか?」

 だが捜査は捗らなかった。それもそうだ。向こうは名乗っただけで安々と教えてくれるわけがない。

(やっぱり令状が必要だよね)がっくし。

 すると、思いがけず諏訪が話しかけてきた。

「雨宮に頼めばすぐにわかる」

 それまでユニスの作業に我関せずと、隣で坐っていた彼がアドバイス?

「どういうことですか」ユニスは聞いた。

「コードキーの複製はデータとして管理されている。そのデータを覗けばすぐにわかる」

「そうなんですか? でも、それならすぐに調べられるんじゃないですか。わざわざ後回しにしなくてもいいのに」

「データを管理しているのは、あくまで業者の組合が管理しているコンピューターだ。調べるには裁判所の令状がいる。裁判所を通さず越権で調べるにも上司の承諾がいる。いずれにしても面倒だ。それに課長は、合鍵の件にはさほど気にかけていないんだろう。適当なことを言って後回しにしたんだ」

「そうですか」ぞんざいな扱いをされてユニスは少し落ち込んだ。(まあ今日初めて捜査に加わった小娘だし、仕方ないよね)「でも、その話だと、雨宮さんでしたっけ? その人に頼んでも課長の許可が必要なんじゃ」

「雨宮なら組合のコンピューターからデータを盗むことくらい簡単だ」

「それって……違法捜査じゃないですか」

「そうだ」諏訪に悪びれた様子もなく言った。

「そうだって……」

「おれたちは〈能力者〉専門の刑事だ。〈能力者〉を捕まえるために権限も与えられている。たとえこれがバレたとしても馘首にはならないだろうさ。ましてやお前なら、おれたちとは違い、ようやく配属された〈能力者〉だ。そう簡単に手放すはずがない」

「……それは皮肉ですか」ユニスは諏訪の目を見た。「諏訪さんって……〈能力者〉のこと嫌いですよね」

「――嫌いだ」

 こうはっきり言われるのは、もはや慣れっこでなにも思わないと思っていたユニスだったが、警察官で、しかも同僚に言われると、思いがけずショックを受けた。

「どうするんだ?」諏訪が挑むように聞いた。

 ユニスは唇を歪めた。

「やります」

 諏訪から雨宮のコンタクト先を聞いた。驚くことはない、そこはユニスが所属する捜査四課だった。

 メガネでアクセスすると、すぐに繋がった。「はいは~い、こちら雨宮です。新人のユニスちゃんだね」と可愛らしい女の声が聞こえ、ユニスは一瞬言葉を失った。

「あの、雨宮さんでしょうか?」半信半疑のままユニスは訊ねた。

「そうだってば、ちゃんと名乗ったでしょ? それでなにかようかな?」

「え、あ、実は――」

 ユニスは鍵業者の組合が保有するコードキーに関する情報を盗み見たいことを相談した。

「もちろんやろうと思えば簡単だよ。でもそれって違法だよ」

「わかってます。責任は私が持ちます」

「私が持ちますってね。言うは易く行うは難し、結局見つかれば課長も私も責任取んなきゃいけなくなるんだよね」

 声の調子とは裏腹に至極真面目な返答に、ユニスは返す言葉がなかった。

「でもいいわ、調べてあげる」

「本当ですか」

「その代わり、食事一回、奢ってね」

 そう言うと、ユニスの返答も待たずデータに侵入したらしく、まもなく彼女のメガネに複製されたコードキーの情報が表示された。

 記録は十年前まで遡ることができた。被害者のコードキーは、引っかからなかった。

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