第3話
「犯人は心臓だけを取り出す能力の持ち主……となるわけだが、そんな〈能力者〉いるのか?」
トバのもっともな疑問に、答えたのは課長だった。
「先程雨宮くんにそのあたりの検索をかけてもらったが、そのような限定的な〈能力者〉は該当しないそうだ」
雨宮、初耳の名前にユニスは興味を惹かれたが、すぐに事件について頭を切り替えた。
そんなピンポイントな能力の持ち主などいるわけがない。課長もわかっていて、念のために調べたのだろう。
となるとだ。ユニスは考えた。
「――能力を利用して、心臓だけを取り出した」ユニスは声に出して言った。
「そうね、そういうことになるわね」ナオミが頷く。「でも、必ずしも取り出したとは、決めつけられないんじゃないかしら」
「どういうことです」
「心臓だけを破壊したのかも」
「破壊……ああ、そういう手もありますね」
手に触れただけでコンクリートを粉微塵にする〈能力者〉がいることをユニスも知っている。
「雨宮くん、該当する能力者の検索を頼む」
課長はメガネの通話回線で指示を出すと、すぐさまユニスの目の前に能力者リストが表示された。そこから勢いよくリストがスクロールされていく。
やがてひとりの〈能力者〉が検索に引っかかった。
須藤りお 透視 C+/26歳 F
村上両 空間転移 A-/38歳 M
浅場和人 念力 B-/56歳 M
井上慶次郎 物質破壊 B+/42歳 M
真木サリア 念写 C-/17歳 F
ピックアップすると――
▶井上慶次郎 物質破壊 B+/42歳 M
手に触れたものを破壊する能力。対象の硬さは関係なく、ダイヤモンドも容易に砕くことができる。
B‐03地区24番地5号在住。2083年『覚醒都市』に住民票を移転。アスマヤ倉庫会社勤務。家族四人。妻、息子、娘。云々………
性格から、勤務態度、犯罪歴や入院歴、給料や納税額まで個人情報のオンパレードだ。そして最後には、〈能力者〉に義務付けられている精神科の診断書が添付されていた。
検索はなお続き――結局、十六人の物質破壊の〈能力者〉が引っかかった。
程度の差はあれ、いずれも物体を破壊する能力の持ち主だ。五十万人いる能力者から考えれば、驚くほど少ない人数である。それほどに珍しい能力だということだ。
「これなら我々だけでも調べられるな」と言った課長は、検索結果に安堵したような声だった。
「しかしこの中に犯人がいるとはかぎらないでしょ」とトバは言った。
「それをこれから調べるんでしょ」ナオミが嗜める。
この間、黙り込んでいた諏訪は、なにやらずっと調べごとをしていたようだったが、その彼がふいに言った。
「このガイシャ、入院歴があるな」
その言葉にユニスたちも被害者の履歴を調べた。二年前に心臓手術による入院歴があった。解剖報告書を読み返すと、大動脈にバイパス手術の跡があることも報告されている。
「でも、待っておかしいわ」とナオミが言った。「このガイシャには手術跡もないじゃない」
そのとおり、報告書には、手術の事実はあっても、その痕跡は、少なくとも身体の表面上のどこにもないとのことだった。
ナオミの疑問に、諏訪が答えた。「不思議がることはない。手術を執刀したのは、あの芳賀だ」
「芳賀?」課長は考え、なにかを思い出したようだった。「芳賀誠か。そうか――まてよ、だとすると」
「ええ、もしかしたら、彼ならこの芸当も不可能ではないのかもしれない」
「ちょ、ちょっと待って、二人でなに決め込んでるの?」とナオミが割って入った。「芳賀誠? だれなのそれ――」
「芳賀誠。若干二十九歳でありながら、神の腕を持つ心臓外科医と称されている男――」
ユニスの声にナオミは振り向いた。
芳賀誠と聞いて、ユニスにもぴんとくるものがあり、さっそくメガネで調べ上げたのだ。その資料をいま読み上げていた。
「心臓手術の名医とされ、その腕はだれもが認めるところ。世界各国から彼の腕を求めてやってくる。しかし、彼がその名を轟かせたのはその神の腕と称されるだけの技術だけではない。彼は〈能力者〉だった。その能力とはなんと一切傷を残さずに手術することだった。手術方法はほかの医師と同じくメスを用いることに変わりはない。ただ彼の手によって切り裂かれた皮膚は、手術を終えるとなにもなかったように綺麗な皮膚に戻っているのだった……だ、そうです」
ユニスが読み終えると、
「――そういえば、そんな医師がいるって、聞いた覚えがあるな」とトバが言う。
「傷を残さない能力……復元能力……なるほど」ナオミにも諏訪と課長が描いた結論に行き着いたらしい。「その男なら外傷を残さず心臓を抜き取ることができるわけね」
諏訪は頷いた。「しかもかつての執刀医。調べる価値はありそうだ」
課長がなにやらまた調べを始めた。その間に、ユニスは改めて事件の概要や現場の状況について精査してみた。
そこで、ある奇妙な点に気づいた。
「あの、ひとつ意見いいですか」とユニスは思い切って言ってみた。
「なにか気づいたことがあるなら遠慮なく言いなさい」
ナオミが優しく促してくれたおかげで、ユニスは安心した。
「この部屋、密室だったんじゃないでしょうか」
「密室だあ?」トバが鼻で笑った。「それがどうしたっていうんだ」
「密室ですよ。部屋に入るときには管理人がマスターキーを使って入ったと報告書には書いてあります。しかもこの部屋には窓はない。つまりは密室だった」
「だからそれがなんだっていうんだ? チャイムを鳴らしてガイシャにドアを開けさせれば侵入するのは簡単だろ」
「部屋に入るときはそれでいいかもしれません。でも部屋を出るときにはどうしたのでしょうか?」ユニスはメガネで報告書を呼び出す。「報告書には部屋の鍵はガイシャのポケットにあったとあります。マスターキーも管理人が鍵付きのロッカーでしっかり保管してあったと証言。鍵穴には細工や、弄ったような痕跡ナシ。これでどうやって犯人は鍵をかけたまま部屋から抜け出したのでしょうか?」
「合鍵を使ったんじゃないかしら」とナオミが言った。
「合鍵?」
「ええ、こっそりガイシャの鍵を盗み合鍵を作った」
「盗んだのならそれを使えばいいのでは?」
「鍵をなくしたとわかれば警戒して鍵穴そのものを交換するかもしれないだろ」とトバが言った。「せっかく盗んだのに、いざ使えないんじゃ意味ないだろ」
「では犯人は危険を犯して鍵を盗み、そして再び危険を犯してその鍵を返却したと。……そんなことってありますか? そもそもいってしまえば、鍵をかけて逃げること自体がわかりません。まるで意味がないんですよ。鍵をかけて逃げる必要なんてなかった。むしろそれだけ手間暇をかけるため危険が伴う」
「犯人の考えてることなんて、おれたちにわかるわけないだろ」
「犯人は遺体をすぐに発見されたくなかったんじゃないかしら」とナオミが思いついたように言った。「鍵をかければ、そう簡単に遺体は発見されないかもしれない」
「ですが、犯行直後に遺体は発見されましたよね。争う音も隣人に聞かれていますし。鍵をかける用心さとはまったく正反対と言わざるを得ません」
「それは結果論の話だろ」とトバが反論する。「結果的に隣人が聞いていたから犯行がすぐに明るみになっただけで、もし隣人がいなければこの部屋を訪ねるものがいないかぎり犯行が明るみになることはなかった。違うか?」
「たしかに結果論です。でも、ということはですよ、犯人は犯行時、隣人のことなどまったく考慮していなかったということになります。鍵を盗んで複製して、またその鍵を返すほどの慎重さと計画性を持ち合わせながら、犯行時の隣人についてはまったく考えていなかった。……そんなことあるんでしょうか?」
「実際にあったんだ。あったから、いまこうして、こんな状況になっている」
「しかし――」ユニスは納得できず、食い下がった。
「そもそも」とふいに諏訪が議論に入ってきた。「この部屋が密室とは必ずしも言えないんじゃないか」
「しかし、窓も玄関にも鍵が」
「換気扇がある」
「あ」ユニスは可能性の失念に気づいた。
「そっか」ナオミも気づいたようだった。「変化能力者なら体を小さくさせるなりして換気扇から侵入ができる」
「しかし、そうなると心臓の件はどうなる?」とトバが聞いて、すぐに自分で気づいた。「共犯か。鍵を開ける担当、そして心臓だけを抜き取る担当。その担当が芳賀誠」
ユニスは、こんな簡単な可能性を見落としていた自分に悔しく、下唇を噛んでいた。常識では考えられないことも、〈能力者〉が絡む犯罪ではそれがありえてしまう。
「このあたりで一度捜査方針を決めておこう」と課長がまとめに入った「地取りからはいまのところ新しい情報はまだない。自宅の捜索も継続中。関係者の洗い出しも一課のほうで進めているが、時間も時間とあって進展はなにもない。となれば、我々のほうでも捜査を進めておくとしよう。手始めに、先程リストアップした〈能力者〉を、ナオミ、トバ、二人にあたってもらう」
了解。
「変化能力者は所轄の刑事を向かわせることにする。諏訪、お前は芳賀誠をあたれ」
「了解」
「私は……」ユニスは緊張しながら聞いた。
「ユニスくんは、諏訪に同行してもらう」
「彼女と一緒ですか?」
このとき諏訪の顔に戸惑いとはべつに、嫌悪の情が浮かび上がったのをユニスは見逃さなかった。
新人と一緒に捜査するのが嫌だというのはわからなくない。でもユニスには彼の表情の中に浮かんだ嫌悪は、それだけではない――いわゆる、〈能力者〉への嫌悪があるように思えた。
しかし、課長から、
「頼んだぞ」
と言われると、渋々と諏訪は頷いたのだった。
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