第34話 妻からのラブレター


 負傷者の手当と壁の修繕、魔獣の動向に神経を尖らせていたある日、アランの元に一通の手紙が届いた。

 届け出てくれたのはシヴィル領民で、援軍としてしばらくフローベール領に滞在する男だった。

 連日に渡る職務をほぼ不眠不休でこなしていたアランは、疲れから普段よりも素っ気ない態度で男を出迎えたのにも関わらず、男は嬉しそうな顔を隠しもしなかった。それどころかより一層と嬉しさが増幅している。なぜだ、と不思議がるアランの手に「姫様からです」と手紙を押し付けたのだった。


「……姫から?」


 もしや何かあったのでは、と眉宇びうを曇らせると男はあっけからんと「ラブレターですよ」と答えた。


「俺にか?」


 ラブレターとは恋人や配偶者に出す手紙のはず。アランの心情を察してか男はにやけ面を酷くした。


「姫様はアラン様がいなくなって寂しかったらしくて、それなら手紙を出したらどうか? とローレンス様が勧めたようですよ」

「……そうか。すまないな。お前はもう下がっていいぞ」


 手紙とにらめっこしながらアランは男に下がるように指示をだした。これがラブレターとはまだ信じられない。結婚そうそう一人ぼっちにされたことに対しての恨みつらみが書かれており、最後は離婚したいと締めくくられているところまで想像して顔を青くさせた。

 夫をたてることがに美徳の鬼無人でもここまでされたら怒るに違いない。だって、ヴィルドール人ならば今頃、刃物を突き立ているに違いないのだから。

 はあ、と息を吐き出した。心を落ち着けたら恐る恐る封を切り、折りたたまれた紙を開く。流れるように書かれた文字を読み込み、内容を頭で咀嚼そしゃくし、また読み込む。三回目を読み込む頃には顔色はいつも通り――いや、いつもよりも良くなった。




 拝啓 アラン様

 突然、お手紙が届いて驚かれたことと思います。あなたがこの城を出立して一週間が経ちます。このお手紙がそちらに届くのは、もう少し先でしょうか?

 実は、近況報告も兼ねてお手紙をお出してはどうかとローレンス様に勧めていただいたのです。二週間ごとに人を入れ替えると聞きました。辺境伯としてのお仕事もあり、お忙しいと思います。お返事は大丈夫ですので、手紙を書くことをどうかお許しください。




 その手紙をきっかけに、二週間ごとに春子からの手紙が届いた。内容はどれも他愛もないもので、ローレンスとお菓子作りをした。古い物語を読んだ。迷い猫が可愛かった。時にはアランからの返信に喜ぶものもあった。

 通算六通目の手紙をアランは木陰で涼をとりながら読みふけていた。


「今日は何通目の手紙だ?」


 悪戯めいた笑みを浮かべたギャスパールが近づいてきた。アランは急いで手紙を折りたたむと懐にしまい込む。綴られた文字はただの世間話だが、誰にも見られたくない。


「最新のだ。変わらず過ごしているらしい」

「帰りを待つ妻がいることはいいな」

「茶化すのはやめてくれ。それで、なんの用だ?」

「すまないな。クロムウェルの坊主がもうすぐつくと早馬が届いた。引き継ぎが終わり次第、帰れるぞ」


 国の守護を任された四つの辺境伯家は、その特異な立場もあって繋がりが強い。本人達の口から聞いてはいないがクロムウェル家とロロット家の当主はアランが春子と婚姻関係を結んでいると察している節がある。自領の問題が片付くと早々に守護代理の任を名乗り出てくれた。

 最初はクロムウェル家、その一ヶ月後はロロット家がアランの代わりを勤めてくれる予定だ。


「ああ、楽しみだ。なにか手土産を買おうと思うんだがおすすめはあるか?」

「そうだな……。甘い菓子はどうだ? まだ年端もいかない少女なら気にいると思うぞ」

「菓子か、それもいいな」

「我が領には腕のいい菓子職人がいる。日持ちをするものを、大量に作らせよう。代金はいらん」

「感謝する。だが、さすがにお代は支払うさ。職人に悪い」


 立ち上がり、体を伸ばしながらアランは笑う。魔獣によって被害が出た場合の修繕費は何割かは国が負担するが、大半はその領土を任される辺境伯が自費で支払うことになっている。

 それなのにアランの手土産代も支払ってもらうのは申し訳ない。


「アランどのは本当に真面目だな」

「真面目でいることが母に対する報いだからな。……さて、仕事に向かうか」


 休憩もここまで。防壁の様子を見に行こうと歩きだしたところでギャスパールは思い出したように「あ!」と声をあげた。どことなくわざとらしい。


「忘れておったわ」


 どこからか取り出した手紙を指先で持ち、ひらひら動かす。その手紙の色と封蝋印には見覚えがあり、アランは軽く睨みつけた。


「そういうのは早く渡してくれ」

「すまないな。つい」


 ギャスパールの手から手紙をぶんどったアランは、あれ? と首を傾げた。手紙はつい先日に届いたばかりだ。さすがに早すぎる。


「今すぐ読んだ方がいいぞ。わざわざ、脚夫に届けさせたようだし」


 ギャスパールはそういうと踵を返して、この場を去っていく。

 残されたアランは急いで手紙を開けた。




 拝啓 アラン様

 他の辺境伯の方が代理を務めるため、予定よりも早く帰ってくるとお聞きしました。おかえりをお待ちしてます。お体にお気をつけてください。




 そっけない文章だ。急いで書いたのかいつもの丁寧な形とは程遠い。春子が認める文章とは思えない。アランが帰ることになにか問題があるのだろうか?


「……ローレンスからは何もないが」


 胸の中で黒い靄が渦巻いているようだ。いつまで経っても来ないの心配したギャスパールが来るまで、アランは文字を見つめ、少しでも手掛かりはないかと思案に暮れるのだった。

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