第33話 信用足る男


「すまないな。アランどの」


 初老に差し掛かった男は酷く憔悴した面持ちでアランを出迎えた。男の名はギャスパール・フローベール。現フローベール辺境伯だ。

 顔や腕を包帯で覆った姿は痛々しく、すぐに養生するように伝えたいが引き継ぎのためにアランはその言葉を飲み込んだ。


「これはだいぶ酷いな」


 ギャスパールの案内のもと、魔獣により破壊され、蹂躙された領土に足を踏み入れるとアランは目を剥いた。昔訪れた時は自然豊かで美しい光景が今では土がむき出しになり、防壁の残骸が飛び散っている。目を凝らせば血のようなあとも多数ある。


「死者がほとんどでなかったのは救いだ」

「ギャスパールどのはゆっくり休まれよ。代わりに守護はアラン・シヴィルが努める」

「感謝する。新婚なのにすまないな」


 ぐっ、とアランは喉を鳴らす。アランは鬼無国の姫を嫁に迎えたが、表向き未婚だ。国民には伝えていないのになぜ、ギャスパールが知っているのだろう。

 アランの内心を悟ってかギャスパールが柔らかく笑って、安心するようにと手を振った。


「先日、王へ報告のため城へ参上した時にジェラルド皇子が言っていたんだ」

「……なるほど」


 頭が痛い。機密事項をよくもまあ喋るものだ。


「おそらく、あの様子なら私以外にも言っているぞ」

「それでも口外はしないでくれ。ジェラルド皇子はこの件を軽視しているんだ。彼だけの言葉なら冗談で済まされる」

「まあ、確かにな。ジェラルド皇子が鬼無姫を酷く嫌っているのは周知の事実だ。我らが認めなければ、いつも通り彼の戯言だと認識されるだろう」


 それに、とギャスパールは目を細めた。


「鬼無の力を借りることは我らの悲願。彼のくだらない言葉で鬼無の力を借りれなくなるのはごめんだ」


 ヴィルドールだけではない。鬼無国の力を欲する国は数多くいる。その多国を差し置いて、ヴィルドールが婚姻関係を結べたのは鬼無国の気まぐれなのかもしれないが破綻させるわけにはいかない。

 春子本人は否定していたが彼女の言葉一つで鬼無国が攻め入る可能性は十分ある。


「正直、アランどのでよかったと思っている。我らが王は末息子がたいそう可愛いのか叱るということをしない。姫様があの城に留まっていれば、今頃、この国は戦火に巻き込まれているだろう」


 ギャスパールはレオナールとジェラルドに対していい感情を持っていないことは明らかだ。


 ――否、ギャスパールだけではない。


 ロロット家もクロムウェル家も、民達も。この国に住む全員が王族に対して失望している。


「アランどのが王位を継いでくれれば、安泰なのだがな」

「言葉が過ぎるぞ」


 すぐさまアランはギャスパールの言動をたしなめる。


「なに、誰も聞いておらん。それに、聞かれたとして、皆がそう思っている」

「俺は王位に興味はない」

「残念だ。もし興味があるのならば、ロロットの糞爺とクロムウェルの坊主も協力するだろうに」

「それは心強いな。けれど、俺は辺境伯として民に寄り添いたいと思っている」


 その言葉にギャスパールは眩しいものを見るかのように目を細めた。


「アランどのと結婚できて、姫様も幸せだろう」

「どうだろうか」


 アランは首を傾げた。笑ってくれることは多いが幸せかどうかと聞かれたら答えがでない。せめて顔色を伺うことができればいいのだが、あの阿呆によって負った傷が深いのか食事の時ですらヴェールを取ることはしない。


「あいにく、女性の扱いはさっぱりだ」

「アランどのは遊びというものを知らんからな」

「知る必要はない。俺は父のように、愛しい人を悲しませる男にはならないと誓っている」

「だから姫様への接し方が分からぬのだろう?」

「……そうともいう」


 距離感、話し方、話題、その全てが分からない。


「どれ、この老骨が助言をくれてやろう」

「いらん」

「そういうな。守護を代わってもらう礼をさせてくれ」


 お礼というが興味本位からくるものなのは理解している。ギャスパールという男は、堅苦しい見た目とは反して無類の享楽主義者だ。

 若い頃、数々の美女と浮名を流した男の手腕は正直言って知りたい気持ちもある。春子との距離を縮めるべく、猫の手も借りたい。


「して、どのような娘だ?」

「……とても可愛らしい。子猫や子犬みたいに小さい」


 小柄な春子が隣に立った時、確かこれぐらいだったと考えながらアランは自らの胸下に手を添えた。


「あとは、芯がある」


 たおやかそうなのに心はしっかりしている。自分を持っているというのだろうか。


「鬼無人らしく、運動神経がいい」


 飛躍力もさることながら、重量ある荷物を一人で軽々と持ち上げる。あの柔らかい腕と足のどこにそんな力があるのか聞きたいほど。


「賢いし物覚えもいい。ヴィルドール語は堪能だし、文字も教えて欲しいと言われて、教えたらすぐ覚えた。慎ましいというのだろうか。俺が仕事に没頭しても怒らないどころか頑張ってくださいと笑いかけてくれる」


 考えれば考えるほど、美点しかでてこない。アランがすらすら答えるのが面白いのか、ギャスパールは口角を持ち上げる。


「そこまでアランどのが褒める娘とは興味深い。わしも会いたいものだ」

「今度、遊びに来てくれ。歓迎しよう」

「楽しみだ。早く怪我を直さなくてはな」


 さて、と呟くとギャスパールは前方を見据える。アランもそれに続いた。


「アランどのをすぐに姫様の下へ返してやりたいが、防壁の修理にどれほど時間がかかるものか……」


 防壁にはカルモ鉱石と呼ばれる石が必要不可欠だ。砕いた鉱石を鉄と練り合わせれば、固まった時に硬度が増すため、魔獣の侵攻を防ぐことができる。

 しかし、カルモ鉱石は採れる土地が限られており、時が経つにつれ採掘量が減り、価値が上がっていた。今ある備蓄では少しばかり足りず、産出国に連絡し、輸入する手はずを整えようだが届くまでに日数がかかるだろう。


「あれだけ国庫に貯めておいてくれと進言したのだが、我らが王は防壁を軽視しておる」

「過去のことを憂いても仕方ないさ。今は明日のことを考えるべきだ」


 そうだな、とギャスパールは頷くがその目には不満の色がありありと浮かんでいる。


「このフローベール領の権限の一部は俺に受け渡して貰おう。それでいいか?」

「ああ、よろしく頼む」


 ギャスパールは深く頭を下げた。アランという男が信用たる人物であることは重々理解していたから。

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