第8話 糸の上を歩くように


「まさか、こんなに早く戻ってくるとは思いませんでした」


 頭痛がするのかローレンスは眉間を揉みながら呟いた。

 いつもより艶の少ない金髪と碧瞳へきがんから彼の疲労具合を読み取ったアランは留守の間に溜まった書類をさばきながら謝罪する。疲れきった腹心を休ませてあげたいが、もう夜は更け、欠けた月が天上に座る頃となっても書類の山は減らない。それどころかローレンスが次から次へと追加を持ってくるので増える一方だ。

 終わりが見えないことにくじけそうになるが、帰城するのが本来の通りだったらこれが二倍になっていた。そう考えると重たくても筆を動かす動力となる。


「ジェラルドが早く連れて行けというからな。父もあれ以上、姫を置いておきたくない様子だった。連れ帰るのが賢明だ」

「だからってもっとゆっくり馬車で戻るとかやりようがあったでしょう! お陰様で私はここ一週間、まともに眠っていません」


 アランの帰城の旨を伝える早馬が到着してからローレンスは動きっぱなしだった。小さいとはいえ、この城を一人で掃除するとなれば時間はたっぷりと必要。見かねた領民が手助けしてくれたため、姫の目に映る箇所の掃除は完璧に仕上げることができたが、掃除以外にもローレンスの仕事は庭の手入れや帳簿など多岐にわたる。

 少しでも不備があれば、あの馬鹿王子は適当な理由をつけてローレンスに暇を言い渡すはずだ。馬鹿王子はアランに嫌がらせをすることを生きがいにしている。

 だからこそ、ローレンスは完璧に振る舞わなければならない。アランの補佐をするために。阿呆が口出しできないように。


「姫が平気だっていうから」


 あまりの剣幕に尻すぼみながらアランは言った。アランだって姫の健康を慮り、通常は一ヶ月かかる道をその倍の時間をかけて戻ってくる気だった。

 だが、蓋を開けてみれば姫はとてつもなく頑丈だった。

 普通の人間なら三日もすれば全身筋肉痛になるはずなのに姫は悠々自適に馬車生活を楽しんでいたように思う。ヴェールで表情は読めないが馬車から見える光景や動物に興味が湧けば、すぐにアランにあれはなに? これはなに? と聞いてきた。口数が少ないが好奇心は旺盛らしく、ほんの些細ささいなことでも興味を示した。


「さすがの鬼無人でもほぼ一月も馬車にいたら疲れるみたいだな」


 シヴィル領に到着直後、姫が疲れを訴えた時、少し安心してしまった。あの鬼無人でも疲れるのだと。


「やはり、女の子だから体力がないんだろうか」


 鎖国国家である彼の国は、自国の内政を他国にらすことを良しとせず、各国が同盟を結ぶために使節を送っても孤島しか立ち入ることを許さなかった。

 そのため、超越した身体能力を持つとされる鬼無人と深く交流することはできない。彼らの身体能力が世界各国にまで伝わったのは鬼神を全て討伐したのと、孤島で彼らが百キロはゆうにある大砲や大岩を軽々と持ち上げる姿が目撃されたからだ。


「……いや、城じゃ理不尽な目に合わされていたようだし、気疲れもあるのだろう」

「例の顔隠しですか?」

「醜い顔を見せるな、と言われたそうだ」


 ローレンスは顔を顰めた。


「あとは部屋からでてくるな、とも言われたらしい」

「あの馬鹿王子は、ヴィルドールが長年かけて結んだ縁を何だと……」

「姫が優しい娘でよかったな。俺が姫の立場なら国に訴えて今頃、戦争してた」


 戦争という単語にローレンスは顔を青くさせる。鬼無国の武力は未知数だが、鬼神をも倒せるのだからヴィルドールは赤子の手をひねるようなものだ。


「戦争が回避できて、本当に良かった」

「まだ回避できたわけじゃないぞ」


 アランの言葉にローレンスは遠い目をする。姫は自分が死んだことになっていると思っている。実際は体調を崩し、シヴィル領へ養生へおもむいていることになっているとは知らない。

 半年に一度、訪れる鬼無国の使節団と対面する前に事実を伝えなければならないのだが、どれほど心優しく賢い娘でも自身の現状を知れば悲しむに違いない。祖国に訴えるだろう。


「そうでした。騙された姫が傷付き、国に訴えれば終わりますね……」


 んー、とアランは小さく唸ると後頭部に手を添えて、椅子にもたれかかる。

  

「でも、姫は自分に何があっても攻めてこないと言っていたな」

「いやいや、それは姫の勘違いですよ! 鬼無王と三人の兄君は、たいそう姫を可愛がっていたとか。――アラン様、筆を動かしてください」


 こんこん、と机を叩いて書類を片付けろとローレンスは訴えた。改めて見れば山は高くそびえており、アランはうざったそうな顔をする。


「……あんた、その顔で姫と接してはないでしょうね?」

「慣れない一人称使って、お前のように物腰の柔らかい男を演じたさ」


 アランは見た目と同様、粗暴な男だ。こうして机と向かい合い書類仕事をするよりも、剣を手に馬を走らせることのほうが好きだ。魔獣討伐もそこまで嫌ではない。

 そんなアランも時と場所によって振る舞いを変えるぐらいはできる。姫を迎えに行った時、ジェラルドにしいたげられているのは知っていたので正反対の優男を演じてみせた。一番身近にローレンスという、その好青年っぷりから老若男女に好かれるお手本がいたので難なく演じれた。姫は心落ち着いた様子だったので手応えはあったと思う。


「それならいいんですけれど……」


 疑り深い腹心は、じとっとした目でアランを見つめる。


「それにしても本当に夕飯は大丈夫なんですか? せめて飲み物でも持っていくのは」

「平気って言ってたし、大丈夫だろ。厨房とかの場所は教えたし。なにかあればお前を頼れと伝えてある」



 ――ゴンッ。



 アランとローレンスは顔を見合わせると首を傾げた。バルコニーの方から確かに音がした。まるで何かがぶつかったような大きな音だ。


「鳥か?」


 近くの森に生息するフクロウだろうか、アランはうきうきした面持ちでバルコニーへと続く窓を開けて、身を乗り出す。ほんの少しでも書類仕事から離れれるのは嬉しい。

 そんな主人の心中を察したローレンスは両目を細めた。たしなめたいがあの馬鹿王子と馬鹿王の尻拭いに奔走ほんそうし、一ヶ月もの間、姫のために優男を演じたので多少は目を瞑ろうと思った。


「鳥でしたか?」

「いいや。何もいない。……ん?」


 アランは自らの足元に広がる赤土の存在に気がついた。色合いからこの城を構成する煉瓦だ。高所から落ちて来たのか見事なほどに粉々に大破している。


「壁が崩れたみたいだな。煉瓦が落ちてる」

「煉瓦が? 職人に修理を依頼しておきますね」

「ああ、あと領民に城に近づかないようにも言っておいてくれ。なにぶん、古い城だ。ここ以外にも壊れかけている箇所があるだろう」


 姫には俺から伝えておくよ、とローレンスに伝えながらアランは机へと戻っていく。

 ――その時、コツンという物音が聞こえた。

 振り返ったアランの目の前にはなんの変哲もない、深い闇が広がるのみであった。

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