第7話 夕日に染まる頃


 世界が赤く染まる頃、馬車から地面に降り立った春子はまず肺いっぱいに新鮮な空気を送り込んだ。鬼無からヴィルドールまでは船旅がほとんどだったので、ここまで長い間、馬車の中で過ごしたことはない。思った以上に疲労は蓄積していたようで、足取りが少しばかりおぼつかない。

 それでも、鬼無の姫として恥ずかしい姿は見せないようしゃんと背筋を伸ばそうとして、


(いえいえ、私はか弱いのですからこれでいいのです)


 やめた。平気なふりをすることはできる。

 だが、姫としての矜持より、父と約束した人物像を演じることにした。


(お父様ったら。嫁いだ先じゃか弱く、おしとやかで、物静かな姫となれだなんて……。私は普段から大人しいですのに)


 鬼無国は帝を頂点に、十二ある将軍家が彼を支える形式をとっていた。帝は神の申し子。決して人界に触れてはならないと決められているため、将軍家――通称、十二将が鬼無国の統治を代わりに担っていた。

 十二将はかつて鬼無国を蹂躙した十二匹の鬼を討ち取った一族の末裔だ。春子の生家である卯野家は兎の鬼を討ち取ったことから姓名にの字を帝から戴いた。

 その卯野家当主である父は、春子の嫁入りに関してはとてつもなく反対していたが正式に決まってから口を酸っぱくして大人しく振る舞えと言ってきた。


巳之口みのぐち家の慶子姫を見習え。いや、自分が慶子姫だと思って生活しろ」


 と言われた時、春子は(最悪だ)と口をへの字に曲げた。幼馴染の巳之口慶子は父が言う「おっとりして、か弱く、おしとやかで夫をたてることができる物静かな淑女」に当てはまる女性だった。嫌いではないが生来の気質が正反対のため、特に関わることもない。あったとしたら十二将の親族のみが招かれる宴の席だけである。

 だが、そこで「嫌です」と言ってみろ。せっかくもぎ取った婚姻の話が水に流れてしまうではないか。そうなれば異国へ行くという春子の願いは叶わない。

 だから春子は嫌々だが慶子の真似をして振る舞ったのだ。


 結果は大成功と言ってもいい。はかりごとや面倒が多そうな中枢ちゅうすうから離れることができた。あと、あのうざったらしい夫――否、夫からも。


 新しい夫であるアラン・シヴィル辺境伯は雄々しい美丈夫だが、性格は優しいことはこの旅路でよく理解した。表向き死んだことになっている春子の監視役として、夫婦という体裁をとっているが憐憫からか非常に気にかけてくれている。

 これなら目的を果たすため、少々にしてもお咎めはないはずだ。


「ここがシヴィル領……」


 ただ、城下町と違いシヴィル領は閑散としている点だけ不満だった。暮らす民は多いが見える風景は色鮮やかな土の色よりも緑芽吹く自然の方が多い。

 その緑萌える風景の中、もっとも目を引く城がこれからアランと暮らす春子の家だ。ジェラルドとレオナールと暮らしていた白亜の城と比べると面積はおよそ四分の一程度。鬼無そこくの屋敷より小さかった。

 外観は赤煉瓦で積み立てられているので豪華な印象を受ける。別に家の広さは大きくても小さくても春子はきにしない。隙間風や雨漏りがしなければ、ボロ小屋にだって住んでもいい。


(ぱーっと買い物したかったけれど、私は死んだことになっているし出かけるのは無理そうだわ)


 がくりと肩を落とすとアランが大きな木箱を抱えて近付いてきた。唐櫃からびつと呼ばれる朱塗りの木箱の中には衣装などが仕舞われている。他にも嫁入り道具として鏡台やら装飾品、遊具なども持参したが馬車に乗せることができないため置いてきた。後で送ってもらう手筈になっている。


「疲れましたか?」


 気遣わしげな眼差しを向けられ、春子は頷いた。


「少し……」

「城に部屋を用意してあるので今日はお休みしてはどうですか? 食事は部屋まで持って行かせましょう」

「いいえ、お腹は空いていないので……。今日はもう休ませていただいてもよろしいでしょうか?」

「ええ、ここはあなたの家です。ご自由にしていただいて大丈夫ですよ」


 自由、という言葉に春子は口角を持ち上げた。


言質げんちはしかといただきました)


 夫から自由にする許可が出た。

 ならば、言われた通り自由にするべきだ。


「この城には私と姫以外にもう一人、暮らしています。ローレンスという男です。何かあれば彼に聞いてください」

「そのお方も武人ですの?」

「ローレンスは私の昔馴染です。この城の料理、掃除、庭の手入れを任せています」

「そうですか。そのお方への挨拶は明日でもよろしいですか?」


 疲れてしまって、と言えばアランはすぐさま了承した。


「ではお部屋に案内しましょう」


 春子もアランの後を追い、これから拠点となる城へと足を踏み入れた。

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