第6話 一生分の驚き


 ――驚いた。


 と言うべき以外に言葉がでない。アランが久しぶりに城に足を踏み入れ、父王と軽く会話をしようとした時、ジェラルドが鬼無の姫を連れて乱入してきたことに。姫の面は分厚いヴェールで覆われていて、その容貌が見えないことに。ジェラルドが姫の肩を力任せに掴み暴力を働いたことに。父王がまだ弟を制御できていないことに。

 挙げればきりが無い。

 ただ、今回の帰省だけで一生分、驚いたとは断言できる。


 アランは目の前で静かに座る少女を一瞥した。ヴェールのせいで顔は見えないが夏らしく水色を基調としたドレスから覗く肌は驚くほど白い。この国では到底ありえない肌色だ。

 その反対に髪は真っ黒で、一片の癖もない。聞けば見えない瞳も髪と同色だという。

 この少女にも驚かされた。噂通りの大人しい娘だと思っていたのだが、何を思ったのか迎えに登城したその日、すぐにシヴィル領へ出立することに同意を示した。シヴィル領は最南端の地、早馬を走らせても一週間はかかる。それも馬車でとなれば一ヶ月近く。アランとしては領地にすぐ戻ることができるので嬉しいが、か弱い少女が耐えられるとは到底思えなかった。

 準備をしてから出立しようと伝えると側で聞いていたジェラルドが「早く連れていけ!」と烈火の如く怒り出し、「アラン、頼む」と死にそうな顔で父王に言われたので仕方なく着いたその日に出立することになった。

 あれ以上、姫とジェラルドを同じ空間にいさせるわけにはいかなかった。シヴィル領への道中、休息を多く取り入れながら、馬車に揺られること十日。姫は平然と椅子に腰掛けていた。背筋をぴんと伸ばし、足先を揃えて座る姿は無理しているようには見えない。

 さすが、鬼無の姫なだけある。彼の国の人間は女子供も超越した身体能力を持っているようだ。


「姫、そろそろヴェールを外してはどうですか? この国の気候でそれは暑いでしょう」


 開け放たれた窓から新鮮な空気が入り込むが涼を取るには物足りない。鍛錬を積んだアランにとっては耐えられるものだが、ヴィルドールと違い穏やかな気候の鬼無で長年暮らしていた姫には酷だろうと声をかける。


「いいえ、不愉快にさせてしまうので」


 消え入りそうな声で言われたら引くしかできない。愚弟の呪縛は思ったより強く姫の心を蝕んでいる。綺麗ですよ、と否定しても下手すれば姫の自尊心を深く傷付けてしまうかもしれない。そう考えるとどう話せばいいのか分からず、アランは困り果てた。

 会話が弾まないことにアランが焦りを感じていると姫はふいに視線を外に向けた。


「ヴィルドールは鬼無とは違いますね」


 姫から話しかけてくるとは珍しい、とアランは微かに目を見開く。


「そんなに違いますか?」

「ええ、とても。鬼無は四つの季節が巡る国でした。今は夏も過ぎ、秋めいていることでしょう」


 故郷に心馳せているのか、声は震えていた。

 気丈に振る舞っていても、まだ十四歳の少女。親元を離れ、遠い異国の地で生涯暮らすというのは残酷といってもいい。


「……鬼無に帰りたいですか?」


 アランの問いかけに春子はなにかを考える素振りを見せる。微かに顎をひき、視線を窓から床へと落とす姿は、表情は見えないが悲しんでいるように感じた。


「いいえ、嫁いだその時から私の故郷はこのヴィルドールとなりました」


 淡々と、けれど力強い言葉だ。


(俺に本心を言えるはずもない)


 その言葉が本心ではないことは理解している。思慮深い少女は己の言葉ひとつ、行動ひとつで両国の関係にヒビを入れる恐れがあるのを理解して我慢する道を選んだ。


(どことなく、母様に似ている)


 己の心を殺す姿は亡き母とそっくりだ。

 アランは心を殺し、結果、壊れてしまった母を思い出した。母は美しい人だった。父王に捨てられ、周囲から愛人と嘲笑われようが母親としてアランを愛してくれた。

 だが、少しずつ歪んでいった。アランを愛しているといった口で「死にたい」と言うようになった。愛おしそうに撫でてくれた手で「お前のせいだ」と首を絞められた。父王と同じ瞳を見るたびに母は泣いた。

 このままでは、春子は母と同じ道を辿ってしまう。


「姫、シヴィル領は自然豊かな土地です。きっと気に入ることでしょう。魔獣の生息地が近いですが、領民は皆、武の心得があります。姫の身の安全を第一にすることを約束いたしましょう」

「鬼……いえ、魔物に関しては私より民を第一にしてください」

「妻を守るのは夫の務めです」

「アラン様は私の夫である前にシヴィル辺境伯です」


 それに、と春子は続ける。


「私にあろうと、鬼無がヴィルドールに攻め入ることはしませんわ。現に、私が死んでも鬼無は攻めてこなかったでしょう?」


 ヴェール越しで春子が小さく笑う。とっくの昔に鬼無には春子の訃報が届いているはずだ。家族は悲しんではいるだろうが二ヶ月が経つのに進軍してくる気配はない。

 つまり、娘が死んでも鬼無は鎖国を貫くつもりだ。



「だって、この婚姻は鬼無の総意ではなく、私のわがままで叶ったのですから」



 どういう意味かアランが問いかけるが春子は微笑みを返すだけ。妙な空気の中、馬車はシヴィル領へと走っていった。

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